鷹と蝶   作:ナカイユウ

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“2”

 「っぐっ……うぅ…」

 

 私は小さいときから、“2”という数字が嫌いだった。もちろんこの数字自体にはこれっぽっちも恨みはないけれど、私はずっと2という数字が嫌いだった。

 

 「大丈夫だよ結ちゃん。大事なのは最後まで諦めなかったことなんだから。よく頑張ったよ」

 「だってっ…もうちょっとのところまで結が1番だったんだもんっ!…なのにっ、結の足が遅いからっ……みんな負けちゃったっ…」

 

 意識するきっかけになったのは、6歳のときの幼稚園の運動会。組対抗のリレーでアンカーを任されていた私は1位でタスキを貰って、すずらん組の優勝のためにグラウンドに敷かれた楕円のコースを全力で走った。だけど最後の直線でつまづいたせいでだりあ組の子に抜かされ、先にゴールテープを切られてすずらん組は2位になってしまった。

 

 「…うわぁぁぁぁっ!!」

 

 ゴールするまで諦めないで走った私のことを、すずらん組の友達も先生も誰も責めないばかりか“最後まで諦めなかった”と称えてくれた。もちろん嬉しかったけれど、それ以上にみんなの優しさが痛くて、何より自分からアンカーをやりたいって言っておきながら最後に抜かされてしまった自分自身が許せなくて、過呼吸になりかけるくらいまで大泣きした。

 

 いま振り返るとこんなことで?とつい自分でも笑ってしまうくらいしょうもないきっかけだけど、そのときに生まれて初めて味わった胸が張り裂けるほどの悔しさが、ただ明るくて元気なだけじゃない負けず嫌いな()()()()()()()を生み出した。

 

 「すごいな結。またテストで100点取るなんて」

 「えへへっ、お兄が頑張れって言ってくれたおかげだよ」

 

 そんな私にとって、5つ上のお兄は“こういう人に自分もなりたい”と思わせてくれる目標で、憧れだった。勉強もスポーツも出来て学校の成績はいつもオール5で、穏やかで優しいけれどちょっとやそっとじゃ動じない芯の強さがあって、何より友達が困っているときは真っ先に友達を助けに行く正義感も持ち合わせるクラスのみんなから好かれる人気者。そういうお兄のような人になりたくて、私も勉強とスポーツを子供なりに本気で頑張って、友達もたくさん作った。

 

 「結もやってみるか?バドミントン?」

 「うん!結もやる!」

 

 もちろんバドミントンも、お兄が習っていたからという安直な理由で小4のときに同じジュニアチームに入会して始めた。

 

 「21―10。ゲーム、結」

 

 近所に住む1つ下の幼馴染の影響で中1からバドを始めるとあっという間に実力を身に付けていって、中3に上がるときにはチーム全体のエースになっていた天才のお兄ほどじゃなかったけれど、体育の成績で5を取れるくらい身体を動かすことが得意になっていた私も、いつの間にか同い年の女子の中で1番と言われるくらいバドが上手くなっていった。

 

 「どうやったら結ちゃんみたいに上手く打てるようになるの?」

 「え~そう言われても結わかんないよ~」

 

 最初はお兄の影響だけで始めたバドも、日に日にショットや試合運びが上手くなっていく自分の成長を肌で感じるようになったら、どんどん好きになっていった。試合で今まで勝てたことのなかった先輩に勝てたときは本当に嬉しくて、逆に同学年のライバルに負けたときは悔しさを噛みしめながらもっと練習に打ち込む。そうやって高め合った仲間(みんな)と一緒に出る大会は、勝ち負けも喜びも悔しさも全部ひっくるめて私にとって幸せだった。

 

 「お兄ってどこの高校行くの?」

 「栄明ってところの推薦を受けようと思ってる」

 「…栄明って結も聞いたことある気がする」

 「県内じゃ有名なスポーツ強豪校だよ。バド部もインターハイっていう全国クラスの大会に何度か出てるみたいでさ、その学校のバド部でコーチをやってる人がこの間の練習中に挨拶にきて、推薦を受けないかってスカウトされた」

 「すごいじゃんお兄っ!」

 

 ジュニアチームに入ってちょうど1年が経ち、お兄は高校へ進学する関係でジュニアチームを卒業した。選んだ進学先は、後に私も推薦を受けて進学することになるスポーツの強豪校だった。

 

 「ねえ、慧もバドやってみない?」

 「んー、気が向いたら考える」

 「いつの間に覚えたその言い回し」

 

 まだ推薦の仕組みがどんなものかよく知らなかった10歳の私には選ばれる凄さの全部はわからなかったけど、お兄がどれだけバドが強いかを妹として知っていたから、何だかお兄がみんなに認めてられたような気がして打ち明けられたときは自分のことのように嬉しかった。

 

 「結。誰がどんなことを言ってこようと、()()()()()だってことを忘れないようにな」

 

 そしてお兄と一緒にママの車に乗って通っていた体育館へママと私の2人で初めて通う日の朝、土曜の練習に向けて支度をしていた私にお兄がこんな言葉を掛けてくれた。心なしか表情は笑っていたけど、少しだけ心配そうに見えた。

 

 「大丈夫!だって結はお兄と一緒でバドミントンが大好きだから!」

 

 だけどお兄は前からちょっとだけ心配性なところがあるからと、私は深く考えないで自信を持って大丈夫だと返した。何故なら私にとってバドミントンというスポーツは、本当に心の底から楽しくて仕方ないって思えるくらい、気持ちだけならお兄にも負けないくらい好きなスポーツだから。

 

 私が一番私らしくいられる最高の居場所は、()()だ。

 

 

 

 「結ちゃんもお兄さんみたいな選手になれるといいね」

 

 

 

 バドを始めてからずっとそうだと信じ続けていた。お兄が言っていた()()()()()を理解するまでは……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……はぁぁ」

 

 予選の熱気に包まれるアリーナを出て、背負っていたラケットバッグを下ろしてコンコースに置かれたスタジアムベンチに座り込むと、コートからここに来るまでずっと溜め込んでいた気持ちが溜息となって一気に口元から溢れ出した。

 

 「(もう終わっちゃったよ……私の大会…)」

 

 溜息を吐き出したら、次は自分が負けたという事実がドカンと押し寄せて、またひとつ気分が沈んでいく。心が呟く言葉だけでも普段の私みたいに振る舞おうとするも、さすがに今は自虐で精一杯。女バドやクラスメイトのみんなは私のことをよく明るいとかムードメーカーとか言ってくれるし、自分でもそうだと思っているけど……こんな私でも笑える余裕がなくなるくらい落ち込むことだって、たまにはあるのだ。

 

 「(…いつもと同じように打ってたら絶対入ってたのに……なんで決めに行っちゃうかなぁ…)」

 

 気分が落ちるところまで落ちたところでちょっと冷静になって、振り返る2回戦の反省点。はっきり言って、悔いしかない。

 

 

 

 パァァンッ_

 

 4点ビハインド。相手がマッチポイントという局面で打った、ネットの向こうから僅かに甘い角度で上がったチャンス球。いつもの1点と同じ感覚でスマッシュを打てば普通に入るはずの羽根を、私は()()に行ってしまった。お兄が言っていた“勝ちたいという欲”が乗って力んだ羽根は、狙いよりも浅い角度で左のサイドラインの外へと勢いよく落ちていった。

 

 「21―13。21―16。ゲーム。(うえ)(さき)高校、(ふか)()さん」

 

 2回戦で私が戦った相手は県内だと“男子の佐知川、女子の上咲”と呼ばれる強豪校の2年生エースで、去年の戦績は県予選ベスト4といまの私じゃとても敵うような相手ではなかった。

 

 「「ありがとうございました」」

 

 と言って握手を交わしたときに思ったのは、意外とこの人を相手に勝負ができた1割の嬉しさと、それなりに善戦してたのに自ら防げるミスを犯して試合を終わらせてしまったことへの9割の悔しさと行き場のない腹立たしさだった。

 

 「ファーストゲーム。ラブオールプレー」

 

 もちろんアリーナの中にいる以上は余韻や反省会に浸る暇なんてなく、試合に負けた私は平然を装って黙々と主審の仕事をこなして、終わった後に敗者の人へスコアシートを渡してアリーナの外へと出た。

 

 

 

 「お疲れ様。結」

 

 1人ベンチで下を向いて反省会に耽っていると、誰かが私に声を掛けて右隣に座った。目を合わせなくても、誰なのかは第一声でわかる。

 

 「今日来れたんだ。大会」

 「時間の自由が効くのは今のうちだから行けるときに行こうと思ってね。さすがに慧は練習があるから無理だったけど」

 「来るなら言ってくれたらよかったのに」

 「俺が来るって知ったら気合いが入り過ぎちゃうだろ」

 

 いつもの如く私に黙って応援に来たお兄の優し気な口ぶりに、自己嫌悪の底まで落ちていた感情(きもち)が少しだけ紛れて地上へと上がる。バドを引退して大学に進学する都合で家を出て行ってからも、お兄は今日みたいに暇があれば私と慧に黙って試合の応援に来てくれる。

 

 「私はそこまで子供じゃないってば」

 

 そして気合いが入って力んでしまうからと声を掛けずにただ試合を静観して、試合が終わった後に偶然を装うかのようにふらっと現れるのもこれまたいつものこと。

 

 「ていうかお兄いつからいたの?」

 「一回戦の途中から」

 「全然気付かなかった」

 「身なりを利用すれば存在感は幾らでも消せるからね」

 「よく見たらちゃんとお兄だけどね」

 「遠目で見たら分からないだろ?」

 「ぷはっ、確かに遠目で見たらね」

 

 今この瞬間まで全く気付けなかった私を横目で見て、黒いキャップと伊達メガネの如何にもといった変装(かっこう)でカムフラージュしたお兄がクールに微笑む。ぶっちゃけ間近で見ると芸能事務所にスカウトされるくらいに整った顔とモデルさん顔負けの長身が露になっているから、どっちにしろ存在感があるのは変わらないのだけど。

 

 「…惜しかったな」

 

 一旦左へ向けていた視線を前に移して、一呼吸を置いてお兄が呟く。

 

 「惜しくも何ともないよ。2―0のストレートで普通に惨敗。お兄も見てたじゃん」

 

 落ち着いた声のトーンで優しく告げられたその労いが、負けたという事実を再度この心に突きつける。思っていたより戦えたとは言っても、所詮はストレート負け。結果だけ見れば惨敗だ。

 

 「最後のスマッシュ。勿体なかったな」

 「ホントにそれ。もう何やってんだって話だよ…」

 「()()()()()()って意識した?」

 「あはは、わかってるじゃんお兄」

 「結は小さいときから負けず嫌いだからな。それが良い方向に出るときもあれば、悪い方向に出てしまうこともある。これは課題だな」

 「…うん」

 

 表面上だけでも明るく振る舞う余裕もなく、溜息を吐きながら惨めな負け方をした自分を責める私を、経験者として一緒にお兄は静かに振り返る。

 

 「だけど結果は結果。酷だけど“これが自分”と受け入れて糧にするしかない」

 

 妹だからと甘く優しい言葉を掛けるでもなく、淡々といま自分がやるべきことを示してくれる、私の本性(せいかく)をよく知っているお兄からの本当の優しさ。16年弱も生きてきたけど、私はこの人が弱音を吐いたり落ち込んでいるところを一度たりとも見たことがない。最後の大会で負けたときも、お兄は準優勝っていう悔しい結果で終わったのに笑っていて、悔しくて泣いていたのは応援していた私だった。

 

 「うん……そうだね」

 

 

 

 いつまで経ってもお兄みたいに強くなれない自分も、誰かと比べるたびにその人を妬みそうになってしまう小さな自分も……本当に嫌いだ。

 

 

 

 「…もっと勝ちたかったなぁ…」

 

 これ以上気持ちが沈まないようにと悔しさを溜息と一緒に吐き出していたら目の奥がジンと熱くなって、右目から涙が頬を沿って一筋流れて落ちていく。

 

 「あははっ…なんで泣いてるんだろ私…」

 

 止まれ止まれと無理やり笑みを作って顔を手で仰いだら、逆に勢いを増して左からも零れ落ちてきた。インターハイが掛かった準決勝で負けたならまだしも、2回戦敗退で泣いてるようじゃいつまで経っても全国大会には行けないぞ……って自分を奮い立たせたいけれど、例えそれが準決だろうと2回戦だろうと、負けて終わるのは涙が出るくらい悔しいものだ。

 

 「…()()だからだろ」

 

 堪えきれずに感情を決壊させる私の隣で、お兄が少しだけ語気を強めて呟く。

 

 「違うか?」

 

 問いかけと共に、視線が左に座る私のほうへと優しく向けられる。弱気を曝け出す私を見て厳しい言葉で叱るでも優しい言葉で慰めるでもなく、お兄は全部受け止めて言葉にできない気持ちを淡々と代弁してくれる。

 

 「…そうだよ……当たり前じゃん」

 

 お兄の言う通り、私だって本気だ。周りの人たちは私のことを“天才”と“神童”の2人とつい比べたがるけど、私は私でバドと本気で向き合ってきて、2人に対してこれだけは負けないって言い切れるくらい楽しんできた。

 

 

 

 なぜなら私は千木良黎の妹でもなければ、千木良慧の姉でもないから。

 

 

 

 「()()()()()ってお兄は私に言ってくれたけど……それでも私は“2”じゃなくて“1”になりたいんだよ」

 

 拭った涙の代わりにスッと落ち着き立ち直り出した心で、形だけでも敗退を受け入れてまずは糧にする。浮かんだ気持ちはバドを始めて1年が経ったときにお兄から言われた助言に対しての、自分なりの答えのようなもの。お兄のことを心の底から尊敬しているからこそ選んだ、私の選択。

 

 「そうだよな。結は小さいときからずっと“2”が嫌いだったもんな」

 

 小さいときから“2”という数字が嫌いで泣き虫な私のことをよく知るお兄は、嬉しそうに小さく笑って私からのちょっとした喧嘩じみた感情を受け止める。と言いながら喧嘩とか宣戦布告をしているつもりはないけれど、もうお兄の背中だけを追いかけていた私はとっくに卒業したつもりだ。

 

 「うん。だって勝負事は勝って終わってナンボでしょ」

 

 

 

 「同じスポーツやってるお前から“絶対できる”って言われるとそれだけで心強いわ」

 

 

 

 そしていまの私には、“この人には負けてはいられない”と思えるライバルのような、私のことを誰かの姉でも妹でもなく“千木良結”として見てくれる親友がいる。

 

 

 

 「これ以上ここにいたらみんなが心配するから私は戻るね」

 「大丈夫か?」

 「お兄と話したら大分気が楽になった」

 「そっか」

 「じゃ、男子の応援行ってくるね~」

 

 悔しい気持ちを外へ出し終えて、私はお兄へ軽く手を振ってベンチを後にした。

 

 

 

 

 

 

 「お疲れ様です。千木良さん」

 

 応援に行ってくると手を振りながら立ち去る結の後ろ姿が死角に消えると、それを追っていた視界の反対側から声が聞こえた。

 

 「これはこれは、久しぶりだね針生君」

 

 立ち上がりざまに振り向くと、かつて俺や結と同じジュニアチームに所属し、いまは栄明のバド部でエースをしている針生君が挨拶にきた。

 

 「上からこっそりと試合を観させてもらったけど、針生君の調子が良さそうで先輩は嬉しいよ」

 「目標はインターハイですから、こんな序盤で足踏みしている暇はないですよ」

 

 何気に針生君と直接会うのは2年前にOBとして夏休みの練習に1日だけお邪魔させてもらったとき以来だ。スカしているようなクールぶった態度とは裏腹にかなりの負けず嫌いで、練習だろうと試合で誰かに負けるとあからさまに不機嫌になったりする人間臭いところが、ちょっとだけ結と似ていて個人的には気に入っていた。

 

 「今はアップ終わりかい?」

 「どうして分かるんですか?」

 「一応君の試合当日のルーティンは知っているからね」

 

 そんな針生君とはジュニアチームにいたときからお互い面識があり、栄明に進学してからも結を通じて何回か自主練習に誘ったことがある程度には気は知れているから彼が試合の合間でアップをし終えたばかりだというのは俺からすれば想像に容易い。ただそれも俺がバドをやめた高3のインターハイを境目にめっきりと減ってしまい、オフを利用して結の試合を観に来た体育館で約2年ぶりに顔を合わせる程度にはすっかり針生君とも栄明とも疎遠になってしまったが。

 

 「結は栄明でも楽しくやっているかい?」

 「おかげさまで。むしろ明るすぎて見ているこっちが疲れるくらいですよ」

 「それは良かったよ」

 

 結のことを聞くと、針生君はスカした笑みを浮かべて答える。一方でクールさを装う表情とは裏腹に嘘を吐けない瞳は何かを言いたそうにこっちを見つめていることに、俺は気付いた。

 

 「それよりも、せっかく応援に来たなら後輩に挨拶のひとつぐらいしたらどうですか?」

 

 それに気付いた俺へ、針生君が本題をぶつける。どうせそんなことだろうなとは眼を視たときから何となく察していた。

 

 「いやいや、俺のようなバドから足洗って3年も経ってる奴が今さら顔出しても、OBの先輩が中途半端に出しゃばってるみたいになっちゃうでしょ」

 「そう言っている割には()()()1()()を自主練習に連れて行ったり、まあまあ出しゃばった真似をしてますよね?」

 

 針生君が聞いてきたのは、やはり自主練習のことだった。

 

 「不満かい?」

 「いえ、思っていたより早く覚醒してくれたおかげで今日に向けて一層有意義な練習が出来たんで逆に感謝しますよ」

 「同じブロックにいたから俺に感謝しているんじゃなくて?」

 「まあ、もし決勝までに当たることになってたらふざけんなと言いたいところですが」

 「アハハッ、先輩だからと気を遣わずハッキリ物言うところも変わらないな君は」

 

 不満かどうか聞く俺に、針生君は含みを持った感謝を告げてクールに笑う。きっと羽鳥君の一件は、どこかの拍子で結が直接話したのだろう。別に秘密にするつもりはこれっぽっちもなかったし、彼の覚醒が佐知川にあと一歩及ばない状況が俺の代以降ずっと続いている栄明に良い影響を与えているのであれば、もう十分だ。

 

 「本当はここまで出しゃばったことをするつもりはなかったんだけど、結が“どうしても”って言ってきたからさ。だから今回のことはあくまで後輩のためじゃなくて、()()()()()だと理解してくれたら助かるよ…」

 

 無論これは羽鳥君のためでも栄明のためでもあるけれど、一番はやっと親友と呼べるほど心を開ける存在と出会えた結のためだった……という本心は、今のところは墓場まで持っていくつもりだ。

 

 「もうすぐ3回戦なんで俺は戻ります」

 「うん。インターハイに向けて頑張れ針生君」

 「飛鷹と当たったら容赦なく倒しますけど文句はナシでお願いしますよ」

 「是非ともその心意気でいてくれよ」

 

 これ以上はこんな場所で油を売っている暇はないのだろう。表向きの理由を打ち明けられた針生君は少し足早に結が向かった先と同じ方向へと足を進める。

 

 「あと…もしここにいられる時間(ひま)がまだ残ってるならせめて飛鷹の試合だけでも最後まで見届けてやってください。失礼します」

 

 一歩ほど進んで、思いついたかのように一旦立ち止まって念を押すと、去り際に軽く頭を下げた針生君はラケットバッグを置いている客席へと戻って行く。ちょうど3年前の今ごろの俺も、こんなふうに栄明のユニフォームを着てこのコンコースを歩いていた。灰色の壁の向こう側から静かな残響になって聞こえてくる熱と、窓の外から音もなく射し込んで来る日差しに挟まれたこの空間。

 

 「…やっぱりいいな。バドは」

 

 この独特な空気が当たり前から懐かしいになってしまったことが何だかほんの少しだけ寂しく思えるのは、俺にとってバドミントンが将来の夢ではなかったにせよ、()()()()()だったということだろうか。

 

 

 

 

 

 

 「黎ちゃんと決勝で戦える日を、俺はずっと楽しみにしてた」

 

 

 

 

 

 

 「(…こっちも適当に戻りますか)」

 

 ここに居座って下手に後輩たちにお忍びで来ていることがいることがバレてしまう前に、俺は2人とは反対の方向へと歩を進めた。

 

 『コールします。試合番号_』

 

 そして俺がポテンシャルを最大限に引き出せる戦い方を教えたおかげか、それとも本人の努力の結果か、羽鳥君は完璧な試合運びで相手から1セットも取られることなく順調に準々決勝へと勝ち進んだ。

 

 『栄明高校、羽鳥くん。佐知川高校、遊佐くん』

 

 

 

 恐らくこの準々決勝で戦う試合相手が、1年目からインターハイ出場を目指す彼にとって()()()()になるだろう。




次回。栄明の“鷹”と佐知川の“柊”がついに激突_

ということで2025年の投稿はこれにて最後になります。何だか思っていたよりストーリーがゆったりと進んでいる感が否めませんが、新年は飛鷹VS柊仁で始まりますのである意味で最高にキリが良い感じになったかなと思います。

それでは皆さま、よいお年を。
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