鷹と蝶   作:ナカイユウ

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明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


勝ってきます

 「じゃ、一発ブチかましてくるわ」

 

 試合前。恵介や応援へ来た仲間たちへ余裕をまいて、俺は観客席から1階へと降りてアリーナに足を踏み入れた。

 

 「(すげえ……これが全中ってやつか…!)」

 

 出入り口の扉を抜けて一歩目を踏み込んだ瞬間に、今までの大会とは明らかに違う空気を感じた。県大会や北信越の比じゃないほどにアリーナ全体を覆い尽くす重圧と、夢にまで見た舞台に立っている高揚。通るにはあまりに狭き門をくぐり抜けた36人しか立つことの許されないコートに()()()()()1()()として足を踏み入れると、それらが一気に押し寄せて俺の心は舞い上がった。

 

 こんな最高な場所で今からバドミントンができることが、純粋に楽しみで仕方なかった。

 

 「(…こいつか)」

 

 自分が試合をするコートに着いて、ラケットバッグを下ろして県大会からずっと苦楽を共にした自前のラケットを取り出してコートの中へと入る。ちょうど同じタイミングで、全中の記念すべき初戦の相手もコートに着いてラケットをバッグから取り出す。最初の相手は埼玉県の代表で、恵介曰く関東大会を2位で通過している云わば伏兵。その名の通りかはわからないが、俺は相手が只者じゃさそうだと言うことをネット越しに見せつけられた振る舞いで感じ取った。

 

 「(…確かに恵介が言ってた通りっぽいな)」

 

 こっちは気力全開で楽しんでいこうと気合いを入れているのに対して、そいつはまるでいつもの体育館でやっている練習に来たかのような淡々とした足取りでコートへと入ってきた。今から同じコートで戦うという緊張感が全く見えないその振る舞いが、俺には異質に視えた。

 

 「(でも……相手が強ければ強いほど、脅かして打ち負かしたときが最高にカッコよくなるもんだよな…!)」

 

 いま思えばこの時点で、俺は全中の空気に完全に飲まれていたのかもしれない。だけれど俺は今までのどの大会でも戦ったことのない相手を前に、いつもと変わらず本気でバドを楽しもうと気合いを入れていた……つもりでいた。

 

 「よろしくお願いします」

 

 握手を交わして、サーブ権を決めるじゃんけんをして、サーブ権が俺へと巡る。ネット越しのそいつはずっと1ミリも表情を変えないばかりか肩の力を落としたままで、自分が全中に来ているなんてこれっぽっちも思っていないと言ってもいいくらいにリラックスしていた。目の前で対峙している俺のことなんか眼中にないような様子を前に、頭の中で一瞬だけ()()()()()()が流れた。

 

 「ファーストゲーム。ラブオール、プレイ」

 

 ラブオールプレイの合図から体内時計で3秒。俺はネットの上ギリギリを通過するイメージでショートサーブを放った。放たれた羽根の軌道は力みからかほんの僅かに狙いより上へと飛んでしまったが、今までの経験からして仕掛けてくるにしてもプッシュかヘアピンかロブのはずだと返ってくるであろうショットを予測してどこから来てもいいようにセンターへと足を動かした。

 

 パァンッ_

 

 俺なりに頭の中で瞬時にショットを予測した中でそいつのラケットから返ってきたのは、つい1秒前まで肩の力が抜け切っていた身体から放たれたとは思えないほど正確無比に僅かに甘く上がった隙を狙いすましたワイパーショットだった。“しまった”と思ったときには返された羽根は伸ばしたラケットの先を追い越しながら地面に向かって飛んでいて、俺はサイドラインの際へと着地していく軌道をただ見送ることしかできなかった。

 

 「(……マジか)」

 

 

 

 たった一球。今まで打たれたショットの中で初めて経験した“もしかしたら”と思える猶予を一瞬で奪っていったその一球が、ただこの大会を楽しもうと息巻いて舞い上がっていた脆弱なこの心にずっと見て見ぬふりをしてきた()()を容赦なく突きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「21―18。21―16。ゲーム。栄明高校、猪股くん」

 

 「っしゃあ大喜先輩勝ったっ!」

 「1セット目はちょっとヒヤヒヤしたけど」

 「大喜はここで負ける奴じゃねえよ。何せあの“佐知川の遊佐”に練習試合で勝ったことがあるくらいだからな!」

 「信じられないんすけど本当なんですかそれ?」

 「おう!とは言っても、まさか勝つとは思わなかったけどなぁ」

 

 バド部の全員と千夏先輩にその親友で針生先輩の彼女でもある花恋さんたち一同が応援する中、針生先輩に続いて大喜先輩が準々決勝を勝ち抜いた。これでひとまずはベスト4のうちの半分が決まった。

 

 「やっぱ普通に強いよな大喜先輩」

 「それなぁ。さすがは晴人のお兄さんに勝っただけあるわ」

 

 応援を終えてコールのタイミングに意識を傾けつつ何気なく右隣へ声を掛けると、一緒に声を上げて応援した坂元がギャラリーの柵に手を乗せたまま勝者サインを書く大喜先輩に関心の眼差しを向けて答える。

 

 「晴人もそう思うよな?」

 「…あぁ」

 

 その流れで坂元を挟んで一番端で大喜先輩の試合をずっと黙って見守っていた晴人に話しかけるも、ぶっきらぼうな相槌と眼つきで俺を一瞥して自分のラケットバッグを置いている席へと座る。さすがにもう間もなく試合がコールされるだろうというタイミングなだけあって、集中したいのだろうか。

 

 「完全に入ってんな晴人のやつ」

 

 やり取りを間で挟んで見ていた坂元が、晴人に聞こえないように俺へ呟く。

 

 「そりゃそうよ。晴人も本気で勝ちに来てんだから」

 

 大喜先輩の準々決勝も終わり、気が付けばあっという間に俺たちの出番ときた。どうにか1セットも取られることなくベスト8まで勝ち進むことができた俺と同様に、晴人もここまでパーフェクトゲームで勝ち上がってきた。

 

 『コールします。試合番号_』

 

 恐らく晴人はこの調子なら、きっとベスト8も上手くいくだろう。

 

 「ま、気合いを入れなきゃいけないのは俺のほうだけど」

 

 むしろここで踏ん張らないといけないのは、()()()()と戦うことになる俺のほうだ。

 

 『栄明高校、遊佐くん。下富高校、岡部くん』

 

 アリーナに、準々決勝の3試合目を告げるコールが流れる。半ば反射的に晴人のほうへ視線を送ると、晴人は既にラケットバッグを背負ってコンコースへと向かおうとしているところだった。

 

 「これ勝てばベスト4だからパァーっと行けよ晴人っ!」

 

 遠くなり出したラケットバッグを背負った後ろ姿に声を掛ける。

 

 「人の心配してんじゃねえ」

 

 その背中が立ち止まって振り向き、睨むように一瞥しながらギリギリ聞こえるくらいの声で言い返し、晴人は俺より一足早く1階へと歩を進めて行く。まさか一匹狼と呼ばれるくらい無愛想だったこいつが俺に気遣う一言を投げてくるとは、おいおい晴人お前めっちゃ良い奴じゃん……と言いたかったけどさすがに時と場合すぎるから心に留めた。

 

 『コールします。試合番号_』

 

 晴人の背中を見届け終えると、続けて次の試合のコールが流れ始めた。いよいよ来たかと、コールを合図に俺も自分の席に置いたラケットバッグのほうへ戻る。

 

 『栄明高校、羽鳥くん。佐知川高校、遊佐くん』

 

 自分のラケットバッグを手に取ったのとほぼ同時に、コールが俺と試合相手の名前を告げる。たったいま晴人へパァーっと行けと檄を飛ばしたものの、余程のことが無い限りは準決勝に進める可能性は晴人よりも俺のほうが少ない。何せこれから戦う相手は全国屈指と呼ばれる強豪校のエースだからだ。

 

 「飛鷹頑張れよ」

 「相手が相手だけどお前ならひるまず食らいつけば勝てるから!」

 「はい!」

 

 坂元や先輩たちからのエールを貰い、俺もラケットバッグを背負って晴人に続いてコートへと向かう。

 

 「ファイトひだっち!」

 「おう。楽しんでくるわ」

 

 そして最後に、親友になった千木良からの応援を受け取る。

 

 「(いいねぇ…盛り上がってきた…)」

 

 ここまで戦ってきた県大会レベルの相手と比べても明らかにレベルが違う次の試合を前に、いつもよりほんの僅かに跳ね上がっている胸の左側で脈打つ心拍。これは相手が強敵だからと怖気づいているのではなくて、自分より上の存在(ひと)と同じコートで戦えることへの()()()()だ。

 

 1年前に感じていた“ただ楽しむ”という気持ちとは違い、今日は“楽しんで勝つ”ためにここにいる。

 

 

 

 

 

 

 「21ー7。ファーストゲーム。佐知川高校、遊佐くん」

 

 初めてこの目で見た遊佐さんのプレーは、未経験者の視点から見ても明らかに一目で格が違うことがわかるほど、異次元じみた強さを持っていた。

 

 「俺、マジであの人とベスト8まで行ったら戦うんすね?」

 「だから言っただろ。相手の試合は見ておいたほうがいいって」

 

 アップをするのもいいけど対戦相手の試合を見るのも大事だということで、匡先輩についていく形で俺は遊佐さんのプレーを目の当たりにした。矢のように相手の返せない隙間へピンポイントに放たれる正確無比なスマッシュに、相手の意表をこれでもかと突く変化球とそれを逆手に取った直球(ブラフ)のショット。そして長打もネット際の攻防も全てにおいて隙という隙がない安定感。技術やセンスも飛び抜けていながら、戦術面においても見るからに他の選手と比べてずば抜けていた。そんなただ一人だけまるで次元の違うプレーを前に、試合相手はもはや1セットを奪うどころではなく“遊佐を相手に何点取れるか”というゲームをするだけで精一杯になっていた。

 

 「…すっげえ…」

 

 人のプレーを見てここまで鳥肌が立ったのは、全中で戦ったジュニアのプレーをこの身をもって体感したとき以来だった。

 

 「しかも()()してる…」

 

 そして何よりの衝撃は、恐らく遊佐さんはまだ持っている力の半分も出していないということだった。

 

 「初見なのによく分かるな?」

 「全中で戦って負かされた相手が、ちょうど晴人のお兄さんみたいな人だったんすよ。だから俺にはわかるんです。あ、この人まだ本気出してねえなって」

 

 おおよそインハイ予選とは思えない圧倒的な差でワンサイドゲームと化した試合を淡々とこなしていく一挙手一投足から伝う、まるで決勝に向けたスタミナのペース配分のことしか考えていないかのような、手は抜いていないがどこか肩の力が抜けた余裕さ。

 

 「さんざん余裕を見せつけられた上でああいうふうに圧倒されると、一気に心折られるんすよねぇ…」

 

 見るからにまだ本気を出していないことがわかるプレーで相手を圧倒する遊佐さんの試合を見て、全中での試合が頭の中でチラついた。あのときの俺も、こんなふうにして相手から点を取られるたびに心が折られていった。もちろん試合相手でベスト4まで勝ち上がったジュニアは何一つ悪くなくて、全ては自分の精神(こころ)の未熟さのせいだった。

 

 「だから……どうせ戦うことになるならこの人から()()を引き出して、そして勝ってやりたい…」

 

 だからこそ、本当に決勝で勝つことしか考えていなさそうな佐知川のエースに目にものを見せてやりたいと俺は思った。目にものを見せると言っても、あくまでバドでの話だけれど。

 

 「…飛鷹って案外この競技に向いた性格してるな」

 「俺にはバドしかないんですよ」

 「S◯SUKEか」

 

 とはいえこっちは本気だ。実力差だとかそんなことは置いて、マジで勝ちに行く。

 

 「21―7。21―8。ゲーム。佐知川高校、遊佐くん」

 

 

 

 

 

 

 「(…大喜先輩だ)」

 

 コンコースに出たところで、ちょうど準々決勝を勝ち終えてコートから戻ってきた大喜先輩と鉢合わせた。

 

 「ナイスファイトです。大喜先輩」

 「ありがとう、飛鷹」

 

 目が合った拍子でストレート勝ちを収めたことを労うと、大喜先輩はどこか納得のいかない表情を一瞬だけ浮かべて言葉を返す。

 

 「勝ったのにあんま嬉しくなさそうっすね」

 「1ゲーム目を抑えすぎて何度か相手に流れを持ってかれたし、打つべきところで上げるっていう判断ミスもあった。この調子のままじゃ針生先輩に主導権を握られるからどうにかしないと…」

 

 あまり嬉しくなさそうな顔がふと気になって聞いてみたら、愚痴を溢す要領で大喜先輩は準々決勝のゲームを振り返った。普段のバドに対する猪突猛進さが現れたプレーに反して、試合が終わればどこが悪かったのか自分のことを俯瞰的に振り返られる冷静さを持ち合わせているところに、大喜先輩の選手(プレイヤー)としての強さをまたひとつ垣間見る。

 

 「そっか……準決で針生先輩と戦うことになるんすよね」

 

 そんな大喜先輩の準決勝の相手は、同じくインターハイ出場を目指す針生先輩。どちらかが勝ってもシングルスにおける栄明高校のインターハイ出場は決定しているが、よりにもよってこのタイミングなのはさすがに神様の悪戯が過ぎると俺は思う。

 

 「ごめん。これから試合なのに余計なこと考えさせちゃったな」

 

 次の相手が針生先輩になることを思い出した俺へ大喜先輩が謝る。

 

 「大丈夫です。もし準々決勝で晴人と俺が勝ったら似たような状況になりますから。そうなったら栄明のベスト4独占っていう歴史的快挙っすよ」

 「歴史的は言い過ぎだろ」

 「でもマジでそうなったら最高にアツくないすか?」

 「そうなったらね」

 

 結果次第では次の試合で同じ学校を相手に戦うことになるのは俺も同じだから、この程度のことじゃ一度入った心のスイッチは切れやしない。

 

 「…そういえば大喜先輩って練習試合で“佐知川の遊佐”に勝ったんすよね?」

 「うん。あくまで練習試合だけど」

 

 それでも自分の中でまだまだ()が足りないと感じて、これからの試合に向けて身も心も最高潮へ持っていくため、俺は伝手で聞いていた練習試合の話題(はなし)を大喜先輩へぶつける。

 

 「だったら俺はこの試合で“佐知川の遊佐”に勝ってきますけど、いいですか?」

 

 自分で言っておいてふと思う。これから戦うのはこの予選はおろか先にあるインターハイでも優勝候補に挙がるほどの選手だぞと。俺って本当はこんなビッグマウスなことを言えるほど大それた心なんて持っていないのにと……俺は周りのみんなが思っているよりもずっと臆病な奴だ。臆病な奴だからこそ楽しみを見出すことに必死だったからそれを見出せなくなった瞬間に水泳もきっぱりとやめた。バドだって、たかが親友と口喧嘩したってだけの理由で一度は本気でやめてやるとさえ思って投げ出そうとした。それぐらい俺はちっぽけな奴だ。

 

 

 

 「行ってください。インターハイ」

 

 

 

 そんな()()()()()()()()()が“1番”を目指して、何が悪いってんだ。

 

 

 

 「おう。頑張れよ」

 

 ある意味で先輩に対して啖呵を切るような、相手を考えれば身の程知らずな心意気をぶつけた俺へ、目の前に立つ大喜先輩は力強く俺の眼を真っ直ぐ見据えながら小さく笑ってエールを送った。無謀だとか生意気だとか、そういう複雑な感情(きもち)なんて1ミリも乗っていない、真っ直ぐな応援だった。

 

 「じゃあ勝ってきます」

 

 大喜先輩からの真っ直ぐな気持ちを心の糧にして、俺はコンコースを進んで階段を下りてアリーナの入口へと足を進める。4回戦の試合まで全く同じ道のりを歩いているのに、壁の向こう側から押し寄せる“熱”へ1歩近づくたびに高揚と緊張が伴った感情が身体を巡って、思わずハイになりかける。

 

 「(…やっと()()()()()なくバドができる)」

 

 この試合を前に、無駄にテンションが上がりそうになるのも無理はない。コートに立っていた遊佐さんが温存していたように、俺もあそこまでは無理にしろまだ()()()()()()()()()からだ。理由はもちろん、勝つためだ。

 

 「一本ーっ!」

 

 アリーナの中へと足を踏み入れる。ほんの数秒前まで静かだった世界が、誰かの応援の声で一気に熱を帯びていく。向こうのコートで男子の試合と同時進行で行われている、女子の試合の声援だ。

 

 パァンッ_

 

 第6コートへ向かう途中、羽根を強く打つ音が聞こえた。その音がした方向へ視線を移すと、間にコートを1つ挟んだ奥にある第4コートで晴人が下富高校の選手との試合を始めているのが目に留まる。大会のコートに立つたびに思うのは、“俺は今日もこの競技(スポーツ)が一番好きだ”という確かな実感だ。

 

 「…ふっ」

 

 声援と打撃音と床を蹴る靴音に包まれるバドでしか味わえない空気に酔いしれるのもほどほどに、ふっと息を吐いて気を切り替えて指定された陣地(コート)へ向かい、背負っていたラケットバッグを降ろす。

 

 「(…きた)」

 

 少し遅れて、準々決勝の対戦相手がマイペースな足取りでネットを挟んだ反対側の陣地に着いた。ラケットバッグを降ろした一瞬で、ふと互いに目と目が合いかける。駐車場ですれ違ったときといい、匡先輩と見た試合のときといい、そして準々決勝のコートに立っているときといい、何を考えているか読めないスカしたような表情は全く変わらない。

 

 まるで準々決勝すらウォームアップかと思わせるほどの余裕さを感じる立ち振る舞いが、どことなく“あの日のあいつ”と被る。

 

 「「よろしくお願いします」」

 

 握手を交わし、じゃんけんでサーブ権を決める。じゃんけんに負けた俺は、対戦相手の遊佐さんからサーブ権を貰う形になった。そういえば全中のときも、記憶が正しければサーブ権は俺だった。

 

 「(右目の二重……言われてみりゃ深いな)」

 

 羽根を受け取る刹那で、一見だと読み取ることが困難な遊佐さんの右目に注目する。晴人の言っていた通りかはわからないが、言われてみれば少し二重が深くなっていた。弟曰く、これがテンションの上がっている状態だという。

 

 「(って、こんなことしてる場合じゃないか)」

 

 と、時間稼ぎだと審判や佐知川サイドから怒られる前に相手の観察を終わらせて、俺は右コートの定位置に立つ。果たしてこれが役に立ったかと言われたらぶっちゃけ微妙かもしれないけれど、コートに立ったときにこうやって相手のことを観察できるくらいの余裕があるのは、自分がまだ冷静でいられている証拠。これがわかっただけでも、意味はあった。

 

 「お願いします」

 

 ネットの向こうの右コートに遊佐さんが立ったのを見て、俺はもう一度挨拶をしてラケットを構える。それを見た遊佐さんも同じく挨拶を返してレシーブの体勢で構える。佐知川高校のエースは、どんなショットで羽根を返してくるつもりなのだろうか。

 

 「ファーストゲーム。ラブオール、プレイ」

 

 審判の合図が開始を告げてから体感2秒のタイミングで、俺はショートサーブを打つ。羽根の軌道はほぼ狙い通りにネットの真上を頂点に鋭い放物線を描き、左コートのショートサービスラインを目掛けて落ちていく。あの全中を経た経験上、この角度のサーブではさすがにワイパーショットなんて意表を突くことは不可能だ。

 

 “…ヘアピンで来たかっ”

 

 パンッというコルクが面に当たる軽い音と右足を一歩踏み出した靴音と共に、遊佐さんが俺のサーブを返す。返って来る軌道はサービスライン狙いの直線のヘアピン。もちろんコース的に返せるのはロブかヘアピンのどちらかに限られる確信は打った瞬間からあったから、想定の範囲内だ。

 

 “ならばこっちは…”

 

 返る羽根を追いながら、遊佐さんがセンターラインへと後ずさりし始めたのを目視で捉え、対角線上のバウンダリーラインに狙いを定めてラケットの面を傾けてロブを打ちこむ。

 

 パァンッ_

 

 自陣へ戻ってきた羽根のコルクが当たる瞬間を狙いすまし、寸でのところで軌道を逆方向へ修正して左コートのサイドとバウンダリーが交差する地点めがけてロブを放つ。仕掛ければ相手が必ず惑う程度にはこの3か月で精度を更に高めた得意分野のショット。

 

 “…読まれてんな…”

 

 自分の中でもスマッシュに次ぐと言える代物にまで何とか仕上げてきたフェイントを、まるで最初から俺のロブが左へ飛んでくることを読んでいたかのように遊佐さんは惑わされることなく一気に追いついてスマッシュの体勢を取る。一切の遅れがない完璧なフットワークからして、ラケットの動きを最後まで見極められるほどの集中力を持つこの人には、安易なフェイントは通用しない。

 

 “さあ、どう来る…?”

 

 放たれた羽根が最高到達点にかけて鋭く上がっていくのに合わせて、遊佐さんの身体が宙を跳び、()()を捉える。跳ぶタイミング、身体の柔軟性、腕への力の入れ具合、全てが完璧なのがわかるジャンプスマッシュ。間違いなく4回戦までの相手とは次元が違う、全国レベルの実力。

 

 「…っ」

 

 試合を忘れて惚れ惚れしそうになるくらい綺麗なフォームとその一挙手一投足に意識を研ぎ澄ませ、俺もセンターに戻りレシーブを構える。初戦敗退の紛いだろうが、こっちにも全国大会まで駒を進めた意地がある。

 

 パァァンッ_

 

 次の瞬間、銃のような重く甲高い打撃音が遊佐さんのラケットから響き、凄まじい威力とスピードを伴って羽根が対角狙いの軌道で襲い掛かる。コースを読み取り、返そうと俺も羽根へ向かってラケットを伸ばす。

 

 “間に合わねえかっ…!”

 

 右に来るという読みは当たった。遊佐さんのスマッシュに対してちゃんと反応もできていた。

 

 “マジか……これ打たれたらひとたまりもないわ…”

 

 ただ襲い掛かってきた羽根の速さが、俺の理解を超えていた。打ち返そうと動く身体に反して、“これは無理だ”と本能がリミッターを掛けようとしてくる。打たれたら最後、相手に1点を献上する以外の術はないと突き付けんばかりの一撃。

 

 「サービスオーバー。1―0」

 

 空を切り抜け無情にも自陣の中へ落ちた羽根をラケットで拾い、遊佐さんへと打ち渡す。今の1点でわかったのは、勝つためにはいかに完璧なスマッシュを打たせないようにするかが鍵になるということと、明らかに遊佐さんがここまでの試合に比べてギアを上げているということ。

 

 「(これでもまだ……この人は本気じゃないんだろうな…)」

 

 そしてこの1点はまだ、あくまで()()()に過ぎないということ。

 

 

 

 ……強い人と打ち合うバドは、最高だな……

 

 

 

 俺はあの全中からずっと待ち焦がれていた。こういう人と同じコートで戦う瞬間(とき)を。




試合の場面は書いていてテンションが上がる反面、バドと同じく体力もめっちゃ消耗するんですよね……何言ってんだこいつって話ですねごめんなさい。

改めてになりますが、今年もよろしくお願いします。
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