「お疲れ、飛鷹」
見せ場の無いままストレート負けで敗れた1回戦が終わり、アリーナから出ると恵介が迎えるように立っていて俺に声を掛けた。
「悪ぃ。めっちゃ惨敗だった」
「いや、地区大会も突破できないような弱小でバドをやってきた奴が全中のコートに立てただけでも凄いことだよ。
21―8と21―9。理想からはあまりに程遠い期待外れな試合結果に終わった俺を恵介は何一つ責めることなく、むしろ全中まで連れてきてくれたことへの感謝を乗せて労った。
「ありがとう。飛鷹のおかげで
こういうとき、今までの俺だったら負けは負けと素直に受け入れることが出来ていた。俺は勝てなかった。相手より劣っていた。たったそれだけだった。自分のプレイヤーとしてのレベルは、ざっとこんなもん。
「…そっか」
“ここまでよく頑張ったな”と言いたげに優しく笑う恵介の顔を見て、ようやく事の重大さに気が付いた。俺にとって全国大会は夢の舞台であったけれど、それは恵介たちにとっても同じだった。にも関わらず、俺は“もう無理だ”と一番の取り柄だった気持ちを試合が終わってもいないのに捨ててしまった。
「俺も嬉しかったよ。恵介の声が届いたとき、グッと背中を押された気がしたわ…」
その度に恵介の声が観客席から届いて、親友や仲間の応援を力にしてセカンドゲームは幾分か持ち直せたものの、ワンサイドゲームの流れをひっくり返すにはあまりに遅かった。初めて体感した全国レベルの厳しさと、痛感させられた自分の現在地。本当は全中に出られただけで満足していた自分に、このときになってようやく気が付いた。
「…けど…もう
気付いたときにはもう“夢”は終わっていた。不思議と初戦敗退の悔しさはなかった。代わりに押し寄せたのは、“終わってしまった”という淋しさとやり場のないモヤモヤした気持ちだった。
「全中……全然楽しくなかったわ」
「サービスオーバー。3―8」
「ナイスショーット!」
「ここから攻めていけ飛鷹っ!」
「しっかし序盤から完全に遊佐くんのペースだな」
「あぁ。幾らスロースターターとはいえそろそろ追いつかないとキツくなってくるぞ…」
男子シングルス準々決勝、第4試合。佐知川の遊佐くんとの試合に臨んでいる飛鷹は開始早々からスマッシュの洗礼を浴び、何とか隙を伺い地道に点を取り始めるも流れは完全に相手側へと持っていかれたままファーストゲームは進んでいた。
「やっぱり強いな。遊佐くんは」
右隣に立って柵に両手を置きながら飛鷹の試合を見守る匡が、目線を斜め下へ落としたまま呟く。
「そうだな。前の練習試合とは比べものにならないくらい、全部が上手くなってる」
隣にいる匡の呟きに、俺は同じ場所へ視線を送ったまま答える。この体育館のコートに立つ人たち全員が1年前の自分と比べて強くなっているように、遊佐くんも明らかに去年のインハイ予選や練習試合のときより強くなっているのが、飛鷹の羽根を返すときの些細な所作と大きくなったと感じる身体から伝わってくる。
「飛鷹も、1年前の俺より全然戦えてる…」
対峙する飛鷹を見て、思わず1年前の自分と重ね合わせる。焦りで身体が硬くなって何も出来ないままストレート負けをした俺とは違い、点差こそ序盤から開いてしまっているが飛鷹のプレーからは焦りも力みも感じられず、今のところ落ち着いている。1ゲームマッチで初めて同じコートに立ったときの不安定さを考えると、見違えるほど強くなったと俺は思う。
「おっ、晴人またスマッシュ決めた」
「もうファーストゲームは間違いなしだな」
反対側から工藤たちの声が聞こえて反射的に奥のコートへと視線を移すと、危なげなく主導権を握り続ける晴人がスマッシュでまたひとつ点差を広げていた。ちなみに栄明の応援の比率は試合相手のせいか飛鷹と晴人で6:4と若干傾いた具合で、準決で戦うことになる針生先輩は晴人の応援に行っている。
「凄いよな、飛鷹も晴人も。1年生でいきなりここまで行けるなんて」
「あぁ。俺たちの代じゃ考えられなかったな」
準々決勝まで進めた二人の1年生への気持ちを呟く俺に、匡がほんの少しだけ羨ましそうな声色で小さく返す。1年だった俺の予選は初戦敗退。相手が遊佐くんだったとか、そんなことなんて関係ない。
「じゃあ勝ってきます」
頑張れと言った俺へ余裕を持ちながらも真剣な顔でそう言い切った飛鷹も、1年前に同じ思いをしたからこそいまこうしてコートに立っている。だとしたら俺も、先輩として
パァァンッ_
「5―9」
遊佐くんを相手に繰り出したジャンプスマッシュが決まり、飛鷹はこの試合で初めての連続得点を得て、スタートからずっと持っていかれていた流れを手繰り寄せようとする。
「サービスオーバー、10―5」
だが直後、体力を削るための長打戦からネット際の攻防に持ち込まれ、狙いが僅かに逸れたのか甘く上がってしまった羽根を完璧なプッシュで返した遊佐くんへ再び得点が入る。幾ら全国大会に出たことのある実力があったとしても、佐知川の遊佐柊仁に勝つことは容易じゃない。
「(…大丈夫だ。諦めてない)」
ラケットで羽根を拾い相手へ返して、飛鷹は左コートへ立ちレシーブを構える。その横顔は諦めも焦りもなく冷静で、寧ろ不利な状況を楽しむように落ち着いていてやる気に満ちている。こんなふうに俺も、遊佐くんのような自分より上を行く相手と一緒に戦えたらと本気で思う。
「……」
一瞬だけ、花恋さんと一緒にバド部に混じって飛鷹と晴人の試合を見守る千夏先輩を見て、すぐに視線を戻す。俺にとって、1年前までは夢のまた夢のように遠い目標だったインターハイを本気で目指すきっかけになった、
「私のせいで……負けちゃったっ…」
もう二度と、千夏先輩にあんな
「大喜」
飛鷹と遊佐くんの試合を注視する横で、匡が俺の名前を呼ぶ。
「俺はお前のほうを応援するから」
名前を呼ばれ思わず振り向いた先で、匡は俺の目を見てそう言うと再び視線を斜め下へと戻す。もちろん親友が言ったのは、この後の準決勝のことだ。
「ありがとうな。匡」
親友からの応援を受け止めて、俺も視線を飛鷹たちのほうへと戻した。
“…このままじゃ相手のペースのままゲームを取られる…”
序盤で広がった5点差から一向に追いつく気配のないままつかず離れずの展開でファーストゲームは進んでいき、気が付けば『17―10』という状況。
“完全に掌の上で転がされてるって感じだな…”
どんなにこっちが仕掛けても、その都度で完璧なショットを返され、体力削りの長期戦に持ち込まれる。幸いなことに体力も武器の一つの俺からすればまだ余裕はあるが、それは相手も同じことだからはっきり言ってほとんどアドバンテージになっていない。
パァンッ_
ネット際から上がってきたヘアピンを、咄嗟にワイパーショットで返す。返された羽根を遊佐さんは瞬発的に追うも、あと一歩の差で追いつかず羽根はサイドラインのすぐ内側へ落ちる。
「サービスオーバー。11―17」
これで11点目。いまの
“今の、よく決まったな…”
ただ違和感があるとすれば、俺がワイパーショットを打ったときの初動からして絶対に取られると思って身構えたが、遊佐さんが間に合わなかったこと。相手の反応速度を考えれば、俺の打ったショットは不意を突いたとはいえ普通に取られてもおかしくないようなショットだった。
“いや…わざと見逃した?”
飛んできた羽根をラケットで受け止めたとき、頭の中でひとつの疑問がよぎった。
“…体力温存、ってとこか”
サーブを構える寸前に、相手の顔を見る。汗はかいているものの息はほとんど切れておらず、スタミナ自体は有り余っている様子だ。確信と言えるほどではないが、考えられるのはさっきのショットは返せなかったのではなくて、返さなかった。
“ははっ、完全に下に見られてるわ俺…”
恐らく遊佐さんは、俺が仕掛けてくるタイミングを常に伺っている。相手に勝つことは大前提で、相手が自分に対してどんなショットを返しどんなプレーを見せてくれるのか、攻略しつつそれを楽しみにしていまこのコートに立っている。まさに下剋上に挑む
“こっちは対等に戦いたくてここに立ってんのに”
バドミントンに限らず、スポーツをやっている人は誰しもが思うだろう。試合相手とは本気で戦いたいと。試合をしている相手が本気で挑んでこないと、腹立たしく感じるだろうと。
パンッ_
そして、相手から本気を引き出せないまま負ける自分は、もっと腹立たしく思えてしまうだろうと。
「サービスオーバー。18―11」
試合をしていると本当によくわかる。遊佐さんは全く手を抜いてなんかいないということ。その気になれば普通に打ち返せたであろうワイパーショットを無理に追わずに返さなかったのも、頭の中に浮かんでいるであろう試合の展開を考えた上での策。証拠に遊佐さんはここまでミスというミスを全く犯していない。まるでインターハイの試合映像のお兄さんみたいに、冷静沈着に流れを読んでこのファーストゲームを進めている。
「サービスオーバー。12―18」
ただ対峙する佐知川のエースからは、あの試合から伝った隙を与えない冷静さの中にある手に汗握る熱さを感じない。
「サービスオーバー。19―12」
依然として状況が好転しない、近づけそうで近づけない実力差。スタミナにおいては互角と言えるくらいには張り合えているものの、それ以外は明らかに俺より一歩以上は先を行っている無駄のない冷静な試合運びと、正確無比に隙を突く一発。だがこれでも、この人はまだ本気を出していない。
“…あぁ、
風向きを変える一発を決めきれないまま、気付けばあと2点で1ゲームを取られるというところまで、俺は迫られた。
「羽鳥君。“能ある鷹は爪を隠す”という言葉は知っているかい?」
初めて千木良家の自主練習に参加したとき、スマッシュレシーブのパターン練習を終えて5分程度のインターバルに入った俺にお兄さんはいきなりこんなことを聞いてきた。
「それ知ってます。本当に実力がある人はそれを自慢したり見せびらすようなことはしないって意味っすよね?」
「ハハッ、さすがに高校生にもなると意味は分かるか」
「小学生の時には習ってるんで」
意味は知っているけれど普段はあまり使わない、小学校のときに国語の授業で教わったことわざ。
「その言葉で例えるなら、羽鳥君は能はあるけど爪は隠さないタイプの鷹だね」
最初はどういう文脈なのかわからなかったが、体育館の床に座り水分補給をする俺の隣に座ったお兄さんから言われた一言で、急にことわざの話をし始めた理由がわかった。体育祭のときに千木良からも似たようなことを言われていたことも、同時に思い出した。
「というと?」
「例えばスマッシュを打つとき、どこに打とうとしているのかが見え見えなところとかさ」
「そんなにわかりやすかったですか??」
「慧と試合してるときも“あ、ひだっち打つな”って私も見ててわかった」
「うわマジか」
ジュニアとの試合、直後のパターン練習を通じて改めて指摘された動きが見え過ぎるという弱点。自分なりに気を付けていたつもりでも、相手や第三者から見たら思っている以上にわかりやすく出ているという、肝心なときに決めに行きすぎて手札を見せてしまう癖。確かに今までの自分を振り返ると、スマッシュで点を取ろうとするきらいがあった。
「きっと羽鳥君の中で一度スマッシュを打とうと決めると無意識に優先順位が相手から点を奪うことよりどれだけ自分がいいショットを打てるか、そっちのほうに向いてしまうきらいがあると思うんだ……だから大事なのは自分が気持ち良くなるプレーをすることじゃなくて、相手が嫌がるプレーをすること。これがバドにおける必勝法ってやつさ」
気持ちよく試合を終わらせようとする俺の傾向を的確に指摘した上で、お兄さんは試合において
「なるほど、だから“能ある鷹は爪を隠せ”と」
「うん。その考えも一理ではあるよね」
バドで勝つために大事なことを教えられた上でそのための“能ある鷹”だと思い込んだ俺へ、お兄さんは更に付け足した。
「だけど俺はこんな考えもあると思ってる。自分の実力をここぞという場面で発揮するためには
パァァンッ_
クロスで飛んできた凄まじいスピードと威力を要するスマッシュを、何とか逆方向へと返してピンチを凌ぐ。ラブオールプレーからずっと不利な状況が続いているとはいえ、19点も食らえば多少は相手のスマッシュや戦術に適応できるようになり始めた。
“またラリーで削ろうってとこか…”
あらゆるショットを組み合わせながら、遊佐さんは俺を前後左右に動かして相手の体力を削っていく
キュッ、パァンッ_
俺も打ち返す度に必ずラインの内側に返ってくる羽根を同じように前後左右を不規則に狙いながら仕掛けるタイミングを伺う。『19―12』とコールされてから恐らくは30回以上、このラリーは続いている。
パァンッ_
ヘアピンからのクロスへ低めのロブ。それを遊佐さんはバウンダリー際を狙うクリアで打ち返す。いかにも“さあ打ってみろ”と言わんばかりのハイクリア。ここまでどうにか最大7点差で踏み止まってきた中で確信した。
遊佐さんもまた俺が
“…そりゃ、本気で戦えないと楽しくないよな…”
もしここで
タッ_
鋭い角度で天高く舞い上がった羽根を追う視界と意識の片隅で、どうすべきか考えを瞬時の判断で巡らす。狙う場所は前方か後方か。決めにかかるかまたラリーを続けて更に体力を削っていくか。
“いや、ここで守りに入るのは違う”
限りなく反射に近い時間の中で、俺は2択を選んだ。もちろん選んだのは、攻めだ。
“…そんなに見たいなら魅せてやるか…”
果たしてこの判断が正しいのか間違っているのか、それはこの試合が終わるまではわからない。だけどいま次の一手を打たなければ、試合の流れは変わらないと直感が訴えた。これは行けるという過信から生まれた欲ではなく、自分より強い人たちと一緒に3ヶ月間練習した中でやっと辿り着いた
“ただし、決まる保証はないけど”
能ある鷹は爪を隠す。その本当の意味は実力のある人ほどそれを見せびらかすことはしない……という意味だけではなく、自分の実力を見せつけるべきときにしっかりと見せつけて、己の弱みさえも逆手にとって獲物を狩る。ことわざとしては間違っているかもしれないが、勝負事においてはハイリスクを背負ってでも攻めなければいけないときがある。
「一本っ」
例え相手の思惑通りだとしても、俺にも
キュッ_
勝ちに行くと腹を決めて、俺はフットワークでバウンダリーラインの手前まで進めた右脚に力を込めて、力のある限りに身体を宙へと跳ばす。もう数え切れないくらいに何度もやり続け、何度も試合で流れを引き寄せてきたジャンプスマッシュ。羽根の軌道さえ読めれば、もう打つ寸前までは大して意識せずともほぼ正確に動かせるくらいにはこの身体に染み付いた武器。
「…っ」
明瞭な視界を妨げる
「……」
左手で距離感を測り、勢いと高度を落とし始めた羽根を捉えんと集中力を極限まで高める。研ぎ澄ませていた意識の向こうから微かに聞こえていた声援が消えていき、視界と意識が69.4平方メートルの世界だけになる。
“…
打ち返す場所を定めて、スローで近づいていく羽根をありったけの力を込めて放つ。緩み過ぎず、力み過ぎず、ガットにコルクが当たる瞬間をピークに持っていくよう冷静に、相手が反応さえできないほど豪快に、何より忘れていけないのは、正確に。
パァァンッ_
右コートへのクロスを打つ角度でラケットを振り、当たる瞬間に合わせて角度を変えて真っ直ぐ左コートを目掛けて羽根を放つ。今まで練習も含めて一度も成功したことがなく、ずっと温存していた本気の一発。
“……いったか?”
打った瞬間から、今までとは違う手応えを感じた。足元から指先にかけて、この身体の全てが自分の思い通りに動いている感触と、イメージ通りの軌道を描いて相手のコートへ鋭く速く落ちていく羽根。
キュッ_
クロスへ打つ体勢から放たれたストレートのスマッシュに惑わされほんの僅かに出遅れた遊佐さんが、バックハンドの構えを取って返そうと素早く反応して迫るスマッシュを拾おうとする。その動きを見て、スマッシュが決まることを願いつつ油断はせず俺も次に備えてセンターへと足を動かす。
「…きたっ」
一歩目を踏み出したのと同時に、ネットの向こう側で遊佐さんのラケットが空を切るのが見えた。もう間違いない。
「サービスオーバー。13―19」
主審がスコアをコールして、いまのスマッシュが俺の得点になった。初めて決まったショットに思わず我を忘れてガッツポーズをしそうになる気持ちをグッと抑えて、試合に集中する。まだ相手とは6点差。喜びを爆発させるにはあまりに早い。
「(落ち着け……楽しいのはここからだろ…)」
すぐに調子に乗ろうとする自分の心を無言で鼓舞させながら、俺はラケットで羽根を拾う遊佐さんの表情を見る。
パンッ_
拾った羽根を俺のほうへ優しく打ったとき、一瞬だけ遊佐さんと目が合った。
“やるじゃん。君”
と、果たして心の中で言ったのかは読心術がない俺には全くわからない。だけどパスされた羽根を受け取る相手のことをネット越しに見ていた遊佐さんの眼は、まるで俺に向かってそう言っているかのように小さく笑っていた。
「(…
初めて見せた
アニメ2期の主題歌、トラフィフになったらいいなぁ……あ、ちょっとフライングですが大喜くんハピバです。