「おっす。ちょっと遅れた」
「言い出しっぺが遅れんな」
「悪ぃ悪ぃ」
最初で最後の全中が終わった3日後の朝6時。恵介から溜息交じりに言い出しっぺの分際で1分の遅刻をしたことを叱られつつ、俺は集合場所にしていた近所のコンビニに着いた。
「で、今からどこまで走んの?」
「登山道の入り口」
「あーあそこね」
「てかマジでありがとな恵介。こんな朝から来てくれて」
「礼はいいよ。高校はスポーツ推薦使ってバド続けるつもりだから、逆にいい機会を貰った」
何も出来ないまま終わった1回戦から3日が経ち、やっとあいつとの試合を冷静に振り返ることができた。あのとき自分は何をするべきだったのか、何が足りなかったのか、なんてことを試合が終わってから丸2日考え込んで辿り着いたのが、
「…にしても、部活があるとき以外はほとんど練習だとか体力づくりとかしないで遊んでたお前がどういう風の吹き回しだよ?」
いま思うとナメてるとしか言いようがないのだけれど、一番調子に乗っていた中学時代の俺はいつもの部活さえ頑張っておけばどうにかなると本気で勘違いをして……というよりどうにもならなければそれまでと勝手に壁から逃げて、ロクな努力をせず文字通りセンスだけでバドをしていた。あいつに負けるまでの俺は“楽しさ”の意味を履き違えて調子に乗っていた。
「いやなんつーかさ、全中があんな感じで終わったあとずっと考えてたんよ……俺ってバドのことめっちゃ甘く見てたんだなってさ…」
そんなふうに天狗になって悪い意味で“エンジョイ勢”になっていた
「だから恵介からバドミントンっていうスポーツがあるってことを教えられたときに立ち返って
あれから季節が一周しようとしている今、俺はどれだけ前に進めたのだろうか……
「(…まだメッセがこない)」
梅雨の合間の空の色が青からオレンジへと変わり始めた帰り道。達成感と悔しさを噛みしめた足どりで蝶野家まであと5分ほどのあたりまで来たところで徐にスマホの画面を開いてみるが、1時間くらい前に雛姉へ送ったメッセージの返信はまだ来ない。
「(さすがに雛姉のことだから気付いてはいるだろうな…)」
“大会どうだった?”というメッセージを送ってから1時間経つが、既読すらつかない。いつもなら割とすぐに返信がくる雛姉が珍しい。
「(…未読スルーってやつ?)」
いやいや、雛姉に限って俺へそんな真似はしないだろうし、仮にするとしたら帰ってきたところでインターハイ出場が決まったことを伝えるためのサプライズとしてわざとシカトでもしているんだろう。そもそも高1で県1位、全国3位の実績を誇る栄明高校新体操部のスーパーエース・蝶野雛が、インハイ予選ごときで散るはずがない。
「(…まさか…)」
だけれどもし、
「(…だったらなんて声を)」
「おつかれちゃんっ」
「わっ!?」
突然のキラキラした明るい声と、ラケットバッグ越しで伝うドンとした背中からの衝撃。
「インターハイ目指すなら後ろからの攻撃にも備えないとね?」
「バドは前からしか攻撃は来ないっての雛姉…てかシンプルにどつきて」
「どつきじゃなくて労いの“エナジービンタ”ね」
「あんま変わってなくね?」
背中を叩かれ驚きと一緒に振り返った俺の視線の先には、明るい声色をそのまま表したかのようないつになく上機嫌な笑顔。もうこの
「結果どうなったと思う?」
「優勝。もうテンションでわかるわ」
「当然。私は蝶野雛さまぞ」
聞くまでもなくわかる結果を当てた俺へ、雛姉は嬉しさの隠し切れない表情のまま勝って当然と自画自賛して得意げに微笑む。
「マジでやったじゃん雛姉」
「まずは第一関門突破ってところね」
誰にも自分が努力しているところなんか見せないで、何食わぬ顔でしれっと県大会を優勝して当たり前のようにインターハイへの出場を決めてきた雛姉こと蝶野雛っていう人は、本当に超人と言っていいくらい凄い人だ。
「でも、大事なのはここからだから」
心の中で感心していると、1位になった喜びを噛みしめていた雛姉の眼がスッと8月のインターハイを見据え始める。俺だったらインハイ予選で優勝しようものならきっと次の日までは有頂天になるだろうけど、絶対にそうはならないのがこの人が当たり前のように全国の舞台へ行ける選手である所以だ。
「今年はせめて去年の3位は越えたいところよね~」
「全国で3位も十分すぎるくらい凄いけどな?」
「この私が3位ごときで満足するとでも??」
「そっすよねー」
同じインターハイでも、先にある
「とりま雛姉がインターハイで優勝できるように今日から毎日神様へ祈っとくわ」
「あははっ、ありがと飛鷹くん」
バドで例えるとするなら、遊佐兄か高3の千木良兄にいまの俺が試合を挑むようなもの……それぐらい、新体操選手としての雛姉は周りからすると別格の場所にいるのだろう。
「それで、飛鷹くんのほうはどうだった?」
止めていた足を家のほうへゆっくりと動かし始めながら、雛姉がバドの結果を聞く。
「さあ、どうだったでしょう?」
「んー、準決勝敗退」
「ってそれだと俺インターハイ逃しとるやないかーいっ」
「なぜ関西弁?」
とりあえず俺は負けじとふざけて結果をぼかしてみるも、虚しく普通に当てられてしまった。
「メッセの文脈で何となく分かっちゃったよ。だって飛鷹くん、もしインターハイに行けたら真っ先に“行けたわ”とか送ってきそうだし」
「おう。言うわ絶対(マジでエスパーかメンタリストじゃねこの人?)」
どうやら雛姉曰く、何気なくトークへ送ったメッセージひとつで俺がインターハイに行けなかったことを見抜いてしまったらしい。ちなみにもし本当にインターハイに進めていたら間違いなく雛姉に“行けたわ”と送る気だったことも見抜かれた。
「ま、先に結果を言うとベスト8でしたよ奥さん」
「なんか劇始まった?」
もうインターハイへ行けてないことはバレてしまったから、今日の試合結果を素直に話す。
「準々決勝に勝ち進むまではマジで順調に流れが来てたんだけど、そこで優勝候補って言われるくらい強い人と当たってさ……今までの俺の中で一番良いプレーが出来たんだけど、それでもベスト8が限界だったわ」
「そっか……けど一番良いプレーが出来たんだったら良かったんじゃない?」
「当たり前っしょ。全中んときの
「だったらもう悔いなしじゃない?」
「悔いはないよ。だって俺の全てをその人にぶつけることができたし」
遊佐さんとの準々決勝を振り返る俺へ、雛姉は1コ上のお姉さんみたいに温かく見守るかのような表情で小さく笑いながら聞き手に徹する。悔いはないんじゃない?という言葉に反して、車道側を歩く俺を横目で見つめる表情は“YES”と言い切ろうとする心の裏側をいとも簡単に見透かしている。
「だから悔いなんてないはずなんだけど……すっげえ悔しいんだよな」
準々決勝の試合自体に悔いはない。遊佐さんとの試合の中で、まだ自分はもっとやれることがあったんじゃないかなんて考えられないくらい、本当にいまの自分の全てを解放してあの結果だからどう足掻こうが未来は覆らなかっただろう。お兄さんも晴人も“スポーツにもしもはない”と言っていたから、本当に雛姉の言う通り、今日の試合は負けて悔いなしだ。
「あと一回勝てばインターハイへ行ける、その場所に俺がいなくてさ……でもってその場所でインターハイを賭けて戦ってる2人が俺より楽しそうに試合をしてて、それを見てたら時間差でめっちゃ悔しくなってさ…」
それでもこんなに悔しいのは……今までバドをやってきて初めて自分ではなく
「…ごめん雛姉。インターハイ行けなかったわ」
絶対行くと言っていた大会に、雛姉は行くことができた。なのに俺は、チャンスすら掴めずに負けた……
「しっかりせい」
「ったっ」
思わず心の内側から本音が出てきた直後、インターハイ経験者からの喝と共に
「まだ飛鷹くんは2回もチャンスが残ってるんだから、行けなかったなんて言わない。今年はインターハイへ行く
行けなかったと謝った俺の横で、同じペースで家路を歩く雛姉が優しく叱る。有言実行で目標を叶えた人を前にそれが出来なかった自分を比べてつい弱音を溢してしまったが、本当にその通りすぎて返せる言葉がない。
「行けなかったなんて私に謝るくらいだったら次へと心を切り替える。そうしないと叶えたい
そう言って、雛姉は俺の前へと足早に進んでターンをして振り返り、颯爽とした表情で微笑む。
「君の挑戦はもう始まっているんだから」
恵介と喧嘩してバドをやめてしまおうか本気で悩んでいたときも、初めて大喜先輩と試合して自分の未熟さを改めて痛感したときも、俺が弱るたびに雛姉はこうやって目の前に立って、
「ははっ……そうだよなぁ」
本当に俺って奴は、雛姉にどんだけ救われてきてんだよ……
「…また助けられちゃったよ。雛姉から」
あれだけ気合いを込めてインターハイへ行くと言っておきながら、終わってみれば小5のときと何ら変わらない距離感のままな自分への自虐が口からつい零れる。
「なに言ってるの?もう飛鷹くんは私がいなくても立てるくせに」
「それもう5年も前の話だっつの」
「ふふっ、ちゃんと分かってるじゃん」
懲りずに自虐を吐き出した俺の前で、雛姉は相変わらずな1コ下のはとこの様子をどこか微笑ましそうに見つめながら、5年前の思い出を重ねて“もっと自分を誇れ”と告げる。とりあえずはこれで、ネガティブな感情は一旦出し終えた。
「…もう前は向けた?」
「さっきから前しか向いてないぜ俺は」
“前は向けた?”と、後ろで手を組み雛姉は優しく問いかける。もちろん5年前を知るこの人は、周りが思っている以上にマイナス思考に陥りやすい性な俺がどうやったら立ち直れるかを知っている。試合中に相手から1点を奪われた瞬間から前を向けるようになるのが理想だけれど、それが最初から出来ていたならとっくに遊佐さんともっと白熱した試合ができるような
「こうなったらいっそ思い切って来年はインターハイ優勝を目指すとするか」
「おぉ、若くていいねぇ飛鷹くん」
「若いって俺ら3,4ヶ月ぐらいしか変わんないんだけどな?」
だけどそれができるほどの器用さも心強さもないから、雛姉の前で絶対に行くと誓ったインターハイには届かなかった。そういうところも含めて、俺だ。
「…ありがとう雛姉。おかげでイイ感じにまた燃えてきた」
初めて自分のためではなく誰かのために戦ったことで知った、今までにない負けたときの悔しさ。勝たなければいけない試合に負けはしたけれど、それを知れただけでも俺は前に進めた。そう信じたい。
「今度こそは“不撓不屈”の精神で本気で目指すよ。インターハイ」
「うん。その調子でがんばれ1年生」
自分が信じた強さを証明するために、雛姉がすぐ隣にいるうちに……絶対にインターハイへ行ってやる。
「…ところでさ、 “ふとうふくつ”って何?」
「“強い意志をもってどんな苦労や困難にも挫けないさま”って意味の四字熟語」
「へぇ~覚えとこ」
「知ってる感じのリアクションなのに知らなかったんかい」
「そんな難しい言葉知らないわよ」
「というかこれで大会が終わったらすぐ期末テストなんだよなぁ。別に勉強は嫌いじゃないけどさすがにだりぃわ~」
「期末テスト………ないよそんなの」
「現実逃避しても無駄だぞ雛姉」
「だって大会明けにいきなりテスト期間とか部活ガチ勢に“赤点取ってください”って言ってるようなものじゃん!」
「さっきまでの
止めていた足を再び前へと動かして、俺は雛姉と一緒に期末テストの話をしながら真っ直ぐ家路を進んだ。
チャポン_
心地の良い絶妙な熱さを伴う40℃の湯舟が、大会終わりで少し疲れ気味なこの身体を優しく包み込んで落ち着かせる。いい試合ができて舞い上がっている日も、そうでない気分が落ち込んだ日も、家に帰って湯舟に浸かればリラックス効果で自然と心がリセットされるから、私はこの時間が結構好きだ。
「(ほんとに凄い試合だったなぁ…)」
湯舟から見えるバスコートの灯りに照らされたツピダンサスをボーっと見つめていたら、無意識に今日のことが頭に浮かぶ。ただ観客席から見守って応援しているだけなのに、“私も今すぐ試合したいな~”って衝動に駆られるくらい心が熱くなった、ふたつの試合。もちろんひとつはハリー先輩と大喜先輩の試合で、もうひとつはひだっちと遊佐さんの試合だ。
「(…ああいう試合、私もできるようになりたいな)」
私の理想は、かつてのお兄のように、ハリー先輩との試合に勝った大喜先輩のように、自分より上の相手だろうと怯まずに立ち向かって、そして勝てるようなプレイヤーになること。だけど私はまだ
「(ひだっちも、あとほんのちょっとだったのに…)」
2回戦が終わり、こっそりと応援に来ていたお兄の前で涙と一緒に沈んだ感情を吐き出したけれど、やっぱり悔しくてモヤっとしていた繊細なくせに強がる意地っ張りな心。それを強く揺り動かした、ひだっちの準々決勝。試合の順番だとか、大喜先輩が準決勝でかなり体力を使ってしまった影響だとか、そういう要因を全部ひっくるめても、今日の大会で誰よりも遊佐さんに近づくことができたのはひだっちだと私は信じている。
チャポン_
「ぶっちゃけ千木良がくれた試合映像が一番これからの為になったし」
試合を終えたばかりのひだっちから言われたとき、本当に嬉しかった。私がひだっちのためにできたことは戦術を教えてくれたお兄や試合相手になってくれた慧と比べたら些細なものだったけれど、面と向かった表情と瞳が明るく燃えるように生き生きとしていたのを見て、私もちゃんと力になれていたんだなってことに気付いて、ほんの少しだけどまたひとつ親友として近づけたような気がした。
「…それと俺さ。小っちゃいときからずっと憧れ続けてる人がいるんだよな」
ひだっちがハリー先輩と大喜先輩の試合に目を向けながら呟いた、憧れの人。その人が雛先輩だっていうのは、すぐにわかった。学校では千夏先輩と並んで学年の枠を超えて羨望されている新体操部のエースで、1年生のときからインターハイで3位になったりと実力もカリスマ性もあって、私にとっては
「ありがとね千木良さん。飛鷹くんと仲良くしてくれて」
そんなスターのような人が、ひだっちから親戚同士だと打ち明けられた日に私が挨拶へ行ったとき、これから練習を始めるっていうタイミングだったのに嫌な顔ひとつしないばかりか明るく私に感謝まで言ってくれた。新体操で誰もが目を見張るような成績を残しながら、その偉大さをおくびにも出さない振る舞いと謙虚さ。こういう人が
「とにかく……その
でもどうしてか、ひだっちが“憧れの人のおかげでここまで来れた”と言ったとき……5秒間だけ胸のあたりがズシリと重くなって、空気が薄くなる感覚がした。
“…
「同じスポーツやってるお前から“絶対できる”って言われるとそれだけで心強いわ」
家族以外でここまで
「悪い……俺、一番に大切にしたい人がいる」
「来年は一緒にインターハイ行こうよ。誰にも負けないくらい私も強くなるから」
「…おう。一緒に行こうな」
でも……ひだっちが雛先輩へ抱いている気持ちが、
ザバッ_
「…っ!?…はっ……はぁっ……やっばっ死ぬかと思った…」
急に苦しさが意識を支配して、本能に従い湯舟から顔を出してありったけの酸素を取り込んで呼吸を整える。どのくらい湯舟の中に潜っていたのかなんて考えてないからわからないけど、気が付いたら我を忘れて頭まで浸かりながら耽っていた。
「(ていうか私、さっきからなに考えてんだろ…)」
酸素が身体中に行き届いたところで、湯舟の中で目を閉じて見ていた記憶が蘇る。本当に私は、何を考えているんだろう。こんなの冷静に振り返れば自意識過剰なただの思い込みだし、雛先輩はひだっちのはとこで尊敬している憧れの人で、ひだっちと私は同じスポーツをしている同じクラスの親友。たったそれだけのこと。
「……」
こんなありもしないことを考えてる自分が意味わかんないし……というか、こんなことを考えて危うく死にかけた自分が馬鹿すぎてシンプルにめっちゃ恥ずい。
「…早く出よっ」
とりあえずは明日もダブルスの応援があるからと、私は湯舟から上がりさっさとシャワーで雑念を洗い流してそのままバスルームを出た。
ひとまず飛鷹のインハイ予選も終わりましたので、これで1年生編は次のフェーズへと進んでいく感じになります。
思えば今まで遊びなんかそっちのけでずっとバドをやっていたので、そろそろアオハコっぽいことをしていこうかなと考えたりしてます。