「じゃあ行こっかお祭りっ!」
地元の小さな公園のブランコに座って涙と一緒に誰にも言えず抱えていた不安な気持ちを吐き出した夏休みの夕暮れ。6時のチャイムが鳴り終わってようやく泣き止んだ俺に、太陽みたいに明るい笑みを浮かべながら目の前に立つ雛姉は手を差し伸べた。
「…ごめん。俺また雛姉に」
「そんなことないっ。だって雛が行きたいんだから」
また気を遣わせてしまったという罪悪感が飛び出しかけた俺の言葉を遮って、雛姉は優しく叱って差し伸べた手を近づけた。ちょうどこのときの俺はバドのことで喧嘩していた恵介としばらくまともに口を利いていなかった時期で、心がかなり参っていた。もちろん蝶野家のみんながお盆を使って羽鳥家(※じいちゃん家のほう)に泊まりに来ることは1ヶ月以上前から決まっていたからどうにか自分なりに気丈に振る舞っていたつもりだったが、雛姉にはとっくに元気がないことを見抜かれていた。
まだ直接は聞けていないからわからないけど、雛姉が“バドを教えて”と言ったのも
「だから行こうよっ!思い出の最後は笑顔で終わったほうがいいじゃん!」
そう元気よく言って雛姉は差し伸べた手でほらとジェスチャーして、俺はその手を掴んで立ち上がった。
「おやつ食べてないからお腹すいたね」
「うん。そうだね」
「飛鷹くんはともかく雛は食べ過ぎに注意してよね。特に甘いやつ」
「も~わかってるってばお姉ちゃん」
その足のまま母ちゃんから2000円を貰って、俺は雛姉と麦姉の3人で地元の神社でやっている祭りに出掛けた。泣いた後だからか、先陣を切って歩く気力はなく楽しそうに屋台を眺める雛姉のすぐ後ろを麦姉と一緒に歩いていた。
「あっ、りんご飴ある!」
10軒ちょっとくらいの屋台の一角にあったりんご飴の屋台を見つけた雛姉が嬉しそうに指を指して立ち止まった。こういうときに先陣を切るのはだいたい俺で雛姉は麦姉と並んでお姉さんっぽく見守っているのが自分の中で当たり前になっていたから、ちゃんと末っ子になって我がままにはしゃぐ姿が、新鮮に映った。
「雛りんご飴食べたいけど飛鷹くんは何にする?」
りんご飴を見つけた雛姉が振り向いて、すぐ後ろを歩いていた俺に食べたいものを聞いた。あまりに楽しそうな笑顔を見て、俺は“同じやつがいい”と答えた。
「…俺も雛姉と同じやつがいい」
本当はりんご飴が食べたいからそう言ったんじゃなくて、まだ祭りを楽しめるほど心の元気が戻っていなかったから何でも良かった。だから“同じやつがいい”と言ったことを、きっと雛姉は知らない。
「……うま」
お腹が空いていたせいか、もしくは元気がなかったせいか……何でもいいって気持ちで生まれて初めて口にしたあの日のりんご飴の味は、5年が経とうとしている今でも忘れられない。
「ショックだ……栄明高校女子バドミントン部の1年生エースともあろうこの私が全外しなんて」
「まあこんな日もたまにはあるから気にすんな。たかがお祭りの射的だし」
「ただでさえ浴衣買ったせいで来月のお小遣いないから何としても500円分の元取りたかったのに…」
「さり気なく生々しいなおい」
射的で5発全て外して貴重な500円を無駄にしたおかげでガチ凹み状態の千木良と一緒に、花火が打ち上がるまでの時間を潰しながら人混みに溢れる屋台を歩く。
「ポッキーかじゃがりこのどっちかならやるけどいるか?」
「じゃあポッキーで」
「…しゃあねえな」
「大の甘党だったもんねひだっち」
「わかってて選びやがったな
ちなみに射的の結果は2発目と3発目で俺がポッキーとじゃがりこを撃ち落としたことでどうにか300円分くらいは取り返せたと思いたい。
「とりあえず何か食べますかね~」
「いますげえ口ん中がかき氷だけどもっとガッツリしたやつにするか?」
「いや、わがまま聞いてもらったからここはかき氷で」
「マジでいいん?」
「これでポッキーの借りはチャラで」
「優しさなのか現金なのかわからんわ…」
ひとまず景品のポッキーを譲ったら、あっという間に千木良は元気を取り戻したようだ。ぶっちゃけ甘いほうを取られたのは少し不本意だが、せっかくの親友同士での花火大会なのに隣でずっとしょぼくれられるのはさすがに気まずいからこれで良しとする。
「ひだっちは何味にする?」
「俺メロン」
「メロンか~、じゃあ私はイチゴ!」
ちょうど通りがかったかき氷の屋台の前について、各々で味を決める。
「かき氷のシロップって実物と結構味が違うはずなのに口に入れるとめちゃくちゃそれっぽい味するよね?」
「そーいうのがかき氷の美味しさってやつだからな多分」
実はかき氷に使われているシロップは色と香りで誤魔化しているだけで味は全く一緒だってことを小2の自由研究で俺は知ってしまったが、そんな祭りの空気を壊すような豆知識は口にせず仲良く順番を待つ。
「そうだ。市販のかき氷のシロップは着色料と香りを変えているだけで味は全く一緒だってひだっち知ってた?」
「知ってたけど“エモい”の欠片もねえよ」
なんて祭りのエモさに浸ろうとするどうしようもない気遣いを、隣に立つ親友は容赦なくぶち壊す。クールな顔立ちに反して忙しい表情やムードメーカーらしい明るいテンションは学校や体育館で話す千木良と何ら変わらずの調子で、話しているだけでも退屈が消える。
「何気に初めてなんだよね~、家族以外の男子と2人だけでこういうお祭りに行くのって。どこかに行くのも初めてだけど」
目の前でかき氷が出来上がっていく様を見ながら、千木良が呟く。
「あ~、確かに家族とか親戚以外だと俺もないな」
その呟きに、言われてみればと俺も気付く。今まで1ミリたりとも意識などしたことがなかったけれど、考えてみれば同じ学年の女子と祭りに行くのは初めてだ。おまけに花火大会だからと気合いを入れて来たのか、今日の千木良は青色の花柄を纏った浴衣にいつもと少し違ったヘアスタイルとメイクのおかげでただでさえ端麗な容姿が余計際立っている。
「親戚は雛先輩?」
「とその
「えっ雛先輩ってお姉さんいるの?」
「実は末っ子なんよ雛姉って」
「へぇ〜ちょっと意外かも」
「そうか?(まあ麦姉のことはまだ誰にも話してないからな…)」」
俺にとって千木良は一番仲の良いクラスメイトだから特別に思っているわけじゃないけれど、今更ながら確かによく見れば千夏先輩や雛姉と比べられるほど学校で注目されるのも頷ける。さすがは芸能事務所にスカウトされた
「にしても女子とこういうとこに行くのは初めてだけど、いざ来てみたら普通に友達と行く感じとあんま変わんないんだよな」
だけど実際にこうやって2人になってみれば、今まで同じクラスや同じ部活の友達と一緒に行ってたときの感覚と何ら変わらない。別に周りから“美人”と言われている千木良のことを可愛いと思っていないわけじゃない。ただお互いが平常運転だからか普通に仲良い友達と祭りに来て、花火が打ち上がるまで話に花を咲かせながら屋台を巡ってお祭り気分に酔いしれて悪目立ちしない範囲ではしゃぐ。言ってしまえば学校で毎日のように交わしている日常の延長。
「何でだろうな?」
理解者の坂元と無頓着な晴人以外のバド部の同期がこぞって千木良と2人だけで花火大会に行くことを羨ましがっていたが、俺からすればそんな感覚だ。
「……それは私たちが
赤く塗られた“氷”の文字と波しぶきが描かれたカップの上に細かな粒が合わさり連なった小さな氷山が出来上がったタイミングで、千木良は左に立つ俺を横目で見て呟くように言葉を返してすぐさま視線をかき氷へ戻す。
「ハイ!まずは先にイチゴ味のほうね!」
「ありがとうございまーす」
「メロンもすぐ作るからね!」
「あざます」
言葉が返って来るまで、何だか妙な間があった。そして一瞬、嬉しいような
「うわぁ美味そ~」
「夏はやっぱかき氷だよなぁ」
なんてことは思い込みだと言わんばかりに、イチゴのシロップがかけられた400円のかき氷のカップを両手で持って元気な表情と声色で覗くように見つめる。さっき何気なく浴衣を褒めたときにも見た、ごくたまにこいつが見せるリアクション。今まで気になっていたことは気になっていたけど、大した意味なんてないだろうし聞くほどのことでもないとずっとスルーしてきた謎な一面。
「(あれか。浴衣を褒められたのが嬉しいってことか)」
まあ俺を花火大会に誘ってきたときも誕プレを渡してきたも、ただ純粋に親友の俺から言われて嬉しかったからそういうリアクションになったってだけだろう。本当に嬉しいとき案外リアクションが曖昧になるっていうのはどこかで聞いたことがある話だし。
「(…けどそんなに嬉しいもんなのかな?千木良からしてみれば)」
「……やっばい」
「どうしたのひだっちぼーっとして?」
さっきも見た不自然な沈黙のことを不意に思い浮かべていた意識に、千木良の声が入り込んで現実に戻る。
「いや……ちょっと気になったことがあってさ」
「ん?」
聞こうかどうか少し悩んだ末、装いがいつもより女子っぽい千木良を見て正直に思ったことを口にする。
「女子ってさ、こういう祭りで浴衣とか褒められたり可愛いとか言われたりするとやっぱ嬉しいもんなん?」
「どゆこと?」
「いや、さっき俺が可愛いって言ったときの千木良の顔がなんか嬉しそうに見えたからさ」
千木良のことを親友としてもっとちゃんと理解したいという堅苦しい気持ちではなく、ただ単純に片隅でずっと気になっていたリアクションと、いつもと同じように振る舞う中で見え隠れして伝わってくる微かな緊張感。
「…そんなに顔に出てた?」
「おう。見ててわかるくらい」
「あー…マジかぁ…」
さっきのことを話すと、千木良は小恥ずかしそうに視線を逸らして明後日の方角を見つめる。
「…そりゃ嬉しいに決まってんじゃん。だって、親友と花火大会行くからヘアメイクまでして来たんだし……そのせいで待たせちゃったけど…」
視線を合わせることなく、たどたどしく言葉を紡ぐように観念した千木良は珍しく緊張した面持ちで隠していた気持ちを静かに吐き出す。
「……」
そしてせっかく買ったかき氷を口にすることなく、どこに行くかも決めずに無言で歩くやや気まずい時間が流れ出す。本当にごく僅かな違和感だけど、やっぱり今日の千木良はどこかぎこちなくてちょっと変だ。
「…花火までまだ時間あるかな?」
「どうだろ?けどこういうのは5分前とかになったらアナウンス流れるっしょ」
「うん、そうだよね…」
いや……千木良が変とかじゃなくて、やっぱり俺がまだ千木良のことを全然わかっていないだけか。
「
「…何を言い出すかと思えば煽りすか?」
「煽ってねえって」
ようやくわかり始めた親友の新たな一面を見て自然と内側から出てきた小さな笑みに、珍しく揶揄われたせいかふくれっ面が返って来る。女々しさとは無縁な壁を作らない明るい人柄とも、バドになると人が変わったかのように真面目になる誠実な一面とも違う、いざ自分が友達から褒められたときに出てくる実は照れ屋なムードメーカーの綻び。
「けど、俺といるときは恥ずかしがらず嬉しいときは嬉しいって気持ちをそのまま表に出してみても良いんじゃねえの?まあ無理にとは言わないし
これが今まで千木良がたまに見せてきた不自然さの正体。雛姉のときとはまた感じる気持ちは違うけれど、親友のこういう知らなかった面白い部分を知れていくのは素直に嬉しい。
「…そう言うけどひだっちこそよくカッコつけるじゃん」
「言われるほどか?」
「じゃあ雛先輩に直接聞いてこよっ」
「それはやめろ」
「あはっ、すんなり認めたね」
親友としてのアドバイスみたいな気持ちを送った俺へ、千木良は嬉しそうに笑みを浮かべながら揶揄う。俺がいま感じ取ったことなんて知る由もないだろうが、ようやく祭りとは対照的な気まずい空気が抜けた。
「ってかき氷そろそろ食べないとヤバくない!?」
「うわそうだすっかり忘れてた」
それはそうと、せっかく買ったかき氷をまだ一口も食べていないことに気が付いた。
「いただきます」
人の流れから外れて、少しだけ溶け始めてきたかき氷を口に運ぶ。
キーン_
シロップが浸った氷の欠片を噛んだ瞬間、メロン風味の爽やかな甘味と一緒に頭の中にキーンとした衝撃がほど走る。こういう屋台や家で作る荒く削られた氷だから味わえるこの感覚が、まさに夏って感じだ。
「い゛っ!」
イチゴのシロップのかかったかき氷を口にした千木良が、堪らず顔をしかめてストローを持つ右手で口元を抑える。
「大丈夫か?」
「うん大丈夫。知覚過敏ってだけ」
「そっか。いや大丈夫なんかそれ?」
「余裕余裕っ。痛いのは最初だけだから」
「結局痛いんかい」
結構本気で痛がったものだからもしかしたら虫歯かと思って心配する俺に、“知覚過敏だから大丈夫”と慣れた様子で笑う千木良。何というか、思わぬ形でまたひとつ親友の
「つーか知覚過敏だったら先に言えば良かったのに」
「知覚過敏でも冷たいものは食べたい年頃なんすよ」
「年頃関係あるか?」
という心の内など知らないこいつは、知覚過敏をそこそこ本気で心配する俺を横目に揶揄うような素振りで余裕さをアピールしてイチゴ味のかき氷を口へ運ぶ。ついさっきまでの緊張が抜けて、やっと自然な笑顔が浮かび出した。
「そうだ。温かいやつも一緒に買わない?」
「ちょうどいま見えてんのはイカ焼きとじゃがバターと牛串あたりだけどとりまどうする?」
そうだよな。せっかく年に一回の花火を観にきたわけだから難しいことは考えないで、今はお互いに祭りの空気に酔いしれるに限るよな。
「んー、イカ焼きで!」
「はいよっ」
「ははっ、いまの“はいよ”の言い方めちゃくちゃ屋台の人っぽかった」
普段とは雰囲気が違う親友の一面に触れて心の奥で僅かな戸惑いを感じつつも、俺は千木良と一緒にしばし屋台を楽しんだ。
「大喜…先輩?」
一緒に花火を観る約束をしている結月ちゃんと穂花ちゃんの2人を待ち合わせ場所で待っていたら、ふと目の前に大喜先輩の姿が映り心の中で留めるつもりがつい声を出してしまった。
「…あかりちゃん」
名前を呼ばれて、頭にひょっとこのお面を掛けた大喜先輩がこちらに振り向く。まさかこんな場所で会うとは思わず、声を掛けたところで何を話せばいいか全く考えていなかったせいで心に緊張が走る。
「1人?」
「あっ、バド部の友達と!」
「そっか」
どうにか平然を装って、私は言葉のキャッチボールを返す。それにしても大喜先輩は誰と来ているんだろうと次の言葉が頭に浮かぶも、どういうわけか聞くのが恐くなって喉の奥で言葉が出てくる前につっかえる感覚がする。
「大喜先輩は…」
「…えっと…」
それでも恐れずに思ったことを聞こうとすると、今度は大喜先輩のほうが言葉を詰まらせる。その表情を見て、女バドの友達(※主に結月ちゃん)から大喜先輩が気になっている“ひみつのお相手”がいるということを聞いている私はこの人が
「大喜先輩はどこら辺でっ、花火観られますか!?」
本当は誰と来ているか聞こうとしたけれど、咄嗟の判断で私はやめた。
「え?」
「“ひみつのお相手”と来てるんですよね?任せてください!バレないみんなを近づけないようにするのでっ!」
結月ちゃんが言うように、私は大喜先輩のことが気になっていると聞かれたら、答えは多分“イエス”になる。でも気になっているっていうのはあくまで同じ競技の先輩として尊敬しているからであって、決して
「ただ……少し噂になってしまってるといいますか…」
だからそんな私が
「恋愛話なんてものは私たちの年頃の人には興味のある話題で…」
私はあくまで、大喜先輩に憧れているってだけ。真似して朝練に早く行くようになったのも大喜先輩みたいに強い人になりたいっていう、純粋な尊敬ってだけ。
「…お相手のことを守りたいなら、少し距離感を考えたほうがいいかもしれません…」
「ごめん。言えない」
「ってすみません!でしゃばりましたっ…」
はっと我に返って、私は大喜先輩へ謝る。本当に私は何を言っているのか。というか単なる後輩が出しゃばりすぎだぞって話だ。
「ううん、俺は全然」
「では私はこれでっ」
居たたまれなくなってしまった私は、大喜先輩に頭を下げて逃げるように足を進める。浴衣を着ているせいで走れないのがもどかしい。
「…はぁ」
人混みで大喜先輩の姿が見えなくなった辺りで急いでいた足を止めると、どっと溜息が零れた。もちろんこの溜息は、自分に向けての気持ちだ。
「(何やってんだろ……私…)」
秘密にしているお相手の人と来ている大喜先輩のことを思ったつもりが、振り返れば振り返るほど自分の言動が意地悪で傲慢じみたように思えてくる。そもそもたかが後輩その1ですらないような人が“相手のことを守りたいなら少し距離感を考えたほうがいい”なんて言うのは何様なんだって言われたら、返す言葉もない。
「……」
でもちょっとだけ。本当にちょっとだけ……白黒がハッキリしない今なら
「あかりっ!」
自分の言動を振り返っていたところに、少し遠くから結月ちゃんの声が飛び込む。
「ホントごめんっ!待ち合わせ場所間違えたっ!」
「ううん大丈夫」
「私は違うと思うってずっと言ったんだけどね〜」
「誘った分際で遅刻したお詫びとして今日はあかりに好きなもの奢ります」
「えぇそんな大丈夫だよっ!ていうか逆に申し訳ないからっ…!」
少し遅れて約束していた3人が揃い、私は大喜先輩のことを記憶の彼方へ一旦追いやり屋台のほうへ足を運んだ。
あかりの大喜への呼び方を猪股先輩のままにするか大喜先輩にするかで悩みましたが、いつの間にか呼び方が大喜先輩になっていた原作通りで行くことにしました。