鷹と蝶   作:ナカイユウ

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名前で呼んで

 初めて浴衣を着て花火大会へ行ったときは、何だかとても緊張した。

 

 「(……大喜と2人か)」

 

 今年は大喜と2人で行きたいと思っていたけど上手く誘えなくて半ば諦めていた。そしたらにいなは地元の子と一緒に行く約束をして、当日になって匡くんも熱を出して行けなくなって、思わぬ形で実現した。

 

 「それ、私にくれるの?」

 

 もちろんめちゃくちゃ嬉しかった。だからヘアアレンジもメイクも控えめに言っていつもの倍くらい、大喜から“可愛い”って思って貰うために頑張った。だけれどいざ直面したら、こんな格好するなんて初めてだったから似合ってないんじゃないかなとすら思えてきて、急に恥ずかしくなった。

 

 「(…緊張する)」

 

 私のことを見て欲しいけど、やっぱり見ないで欲しい。正反対なふたつの気持ちが行ったり来たりで、せっかく大喜と2人だけで花火大会に来れたのに全然会話が続かなくて、気まずい時間が流れた。きっとあのバドバカは知らないけれど油断すると頭が真っ白になりそうなくらい、私は緊張していた。

 

 「髪、雛が自分でやったの?」

 

 花火を観る場所を確保した後、いつの間にか蚊に刺された首筋にムヒを塗ってもらおうとしたとき、大喜が言った一言。

 

 「なんでこんな器用なことできんだなぁって」

 「バカにしてる?」

 「そうじゃねえって純粋に凄いなって」

 「それが煽ってるように聞こえるっ!」

 

 “お前ってこんな器用なことも出来たんだな”って馬鹿にされたみたいで、正直ムカッとした。こっちは“可愛い”って思われたくて目一杯気合い入れて来たのに褒めるとこそこ?って、何だかここまで勝手に気を張っていた自分が馬鹿に思えてきて、緊張感が一気に抜けた。

 

 「難しいのに頑張ってやったんだろ……()()()って思ったから褒めてんじゃん」

 

 思っていたのと違うリアクションが返ってきて捻くれ出した私に、目の前に広がっていた夜空へ視線を投げて大喜は“可愛い”と言葉にして褒めてくれた。

 

 「可愛い…?」

 

 まだ私の好きという気持ちに気付いていなかった大喜はただ何の気なしに思ったことをそのまま言っただけで、あんまり深くは考えていなかったと思う。

 

 「もう一回言って!」

 

 その一言を言われてどれだけ私は嬉しかったか……なんて、親友止まりの大喜はどうせ知る由もない。

 

 ドンッ_

 

 

 

 溢れ出した嬉しさを被せるように、私と大喜の頭上に広がる夜空に一輪の大きな花が轟音を響かせ煌びやかに咲き誇った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ハイ。りんご飴ひとつね!」

 「ありがとうございます」

 

 千夏先輩が来てるかついでに見てくると言っていた菖蒲ちゃんと一旦別れて、にいなと一緒に袋を片手に屋台に戻って花火見物のお供を選んで、〆のりんご飴。

 

 「雛ってほんとりんご飴好きだよね」

 「ずっと甘いものを我慢し続けた後に食べるお祭りのりんご飴は至福ぞ」

 

 こういうお祭りに行くと必ずりんご飴を買う私を、にいなは少しの呆れを含みながら微笑ましく言葉を掛ける。別になくても困らないし、寧ろ身体のことを考えると糖質的な意味で過剰摂取は禁物だから食べないで我慢するのも手だけど、当然こういうときのために普段から甘いものを我慢しているから、全然問題ない。

 

 「この前はとこくんとケーキ食べてなかった?」

 「あ、あれはもう1ヶ月前だし飛鷹くんの誕生日からはずっと我慢してるから一個くらい大丈夫だって」

 「はいはい」

 

 ただ飛鷹くんの誕生日にせっかくだからと一緒に買ったケーキを食べて、その日の夜に千木良さんが蝶野家にお裾分けしてくれたクッキーを食べてしまっているから、影響はないだろうけど余計に背徳感がすごい。

 

 ついでに言うと、千木良さんが飛鷹くんへの誕プレとして買ってきたクッキーは冗談抜きで今まで食べたお菓子の中で5本の指に入るくらい美味しかった。

 

 「戦利品も揃ったことだし戻りますか」

 「その前に菖蒲ちゃんにメッセしないと」

 「そうだね」

 

 菖蒲ちゃんへ“シートのところに戻る”とメッセを送ろうとして、千木良さんと一緒に花火を観に行っているはずの飛鷹くんのことが脳裏をよぎる。さっき偶然にもバッタリ会ったときは千木良さんが遅れているって言ってたけど、さすがにもう合流して場所取りとか屋台とかを巡ってたりしてるのかな。

 

 「…あれってはとこくんと千木良さんじゃない?」

 

 なんて1学年下の親友コンビのことを考えながらメッセを打っていると、にいなが少し遠くへ視線を向けて私に呟く。

 

 「…あ」

 

 呟きに釣られて屋台の人混みの中から2人を探すと、ちょうど投げた視線の先で飛鷹くんと目が合う。隣には青い紫陽花の柄で彩られた浴衣を身に纏う千木良さん。

 

 「お疲れ様です!雛先輩と島崎先輩も来てたんですね!」

 「お疲れ千木良さん。ありがとうね飛鷹くんのこと」

 「いえいえっ。こちらこそ同じクラスの()()がお世話になってます」

 「三者面談の担任と親か」

 

 私たち新体操組を見つけるや、隣にいた飛鷹くんはそっちのけの急ぎ足で千木良さんがこっちに向かってきて、会釈をしながら元気よく挨拶する。浴衣に合わせるようにヘアメイクまでしているからか、ただでさえ美人さんだった見た目がもっと可愛くなっている。同じ女子の視点から言えば、1人で歩いていたら知らない男の人から声掛けられそうでちょっと心配になるくらいの存在感。

 

 

 「あの浴衣着てる女の人すげえ可愛くね?」

 「マジじゃん。ワンチャン芸能人かな?」

 

 

 というか本人と飛鷹くんは全然気付いてなさそうだけど、現に千木良さんが軽く注目の的になっている……まあせっかくのお祭り気分を壊すのも悪いから声を掛けられそうにならない限り敢えてここは黙っておこう。

 

 「浴衣似合ってて可愛いじゃん」

 「あ、ありがとうございます…」

 

 浴衣が似合っていると言われて、千木良さんは嬉しそう様子で照れながら感謝を返す。

 

 「千木良(こいつ)、普段は元気溌剌な感じですけどマジで嬉しいときはこんな感じになるんすよ」

 「ちょっ、あんまり言わないでそれっ!」

 「悪ぃ悪ぃ」

 

 その隣で照れる千木良さんを微笑ましい表情で見つめながら珍しく揶揄って左肩に親友からのグーパンチを食らう飛鷹くん。

 

 「こら飛鷹くん。千木良さんを揶揄わない」

 「おう…ごめん」

 「飛鷹くん(この子)、私がちょっとでもこんな感じに叱るとすぐこうなるから」

 「ちょっ、あんま言うなって雛姉」

 「だからもしこの子が泣かせるようなことをしたら私に相談してね。とっちめておくから」

 「わっかりました!」

 「(絶対女バドと新体操部は敵に回さないようにしよう…)」

 

 珍しく親友のことを揶揄うも千木良さんと私から倍で返されてタジタジになる飛鷹くん。互いの表情の綻びといいリアクションがそっくりなところといい、本当にこの2人は仲が良くてお似合いだってことを改めて私は感じ取る。

 

 「仲良いね2人とも」

 「みんなからもめっちゃ言われます」

 「こう見えて親友なんで」

 「「(どう見ても親友だけどね…)」」

 

 そして学校で注目の的になるくらいの美人さんが隣にいても、飛鷹くんは1ミリも揺らがずに親友の距離を平然と保ち続けている。

 

 「2人はこれからどうするの?」

 「とりあえずそろそろ花火が上がりそうな時間になったんで花火観に行きます」

 「そっか」

 「雛先輩と島崎先輩もこの後花火ですか?」

 「うん。ちょうど戻ろうとしてたとこ」

 「じゃあ花火上がる場所まで一緒に行きますか?」

 「いやいや、ここは是非ともバド部の2人で」

 「お気遣いありがとうございます」

 「「(礼儀正しいなぁ千木良さん…)」」

 

 

 

 何だろう。2人のこの感じがちょっとだけ被るような……

 

 

 

 「…あ、りんご飴あんじゃん」

 

 屋台を後にしようと千木良さんと一緒に歩き出した飛鷹くんが、ふと何かを見つけて振り向きざまで立ち止まる。投げる視線の先には、ちょうど私たちの真後ろにあるりんご飴の屋台。

 

 「りんご飴かぁ……なんか言われたらめっちゃ食べたくなってきた」

 「食う?」

 「うん。食べる」

 「一個400円だってさ」

 「400円……なら大丈夫」

 「そういやお小遣い前借りしてるんだったわこいつ」

 

 数歩先で学校でもよく見る仲睦まじいやり取りをして、2人揃ってりんご飴の屋台へ吸い寄せられるように歩いていく。当たり前だけどあくまで2人は同じクラスの友達という関係だから、手を繋ぐ素振りはお互い一切見せない。

 

 「行こっか。私たちも」

 「うん」

 

 にいなの一声で、屋台の前でりんご飴を仲良く買う飛鷹くんと千木良さんの後ろ姿を静かに見送って、こっちはこっちと河川敷のスペースに敷いた自分たちのシートへ戻る。

 

 「…あの2人。実際どうなんだろう?」

 

 屋台の灯りを過ぎたあたりで、口にするつもりのなかった独り言が出た。

 

 「気になる?」

 「一応親戚(はとこ)のことだし、多少は気になるよ」

 

 当人同士が本当のところどうなのかなんて分からないし、飛鷹くんの邪魔になるようなことはしないと決めているからこっちから聞くなんてこともしない。ただ普段なままの飛鷹くんと浴衣を着た千木良さんを見て、つい大喜と2人で行った花火大会の思い出が重なりかけた。

 

 「ま、気にしたところで私から飛鷹くんに言えることは何もないけどね」

 

 

 

 

 

 

 1()()()()()と千木良さんのことを重ねてしまいそうになった自分が……嫌だな。

 

 

 

 

 

 

 「はとこくんもりんご飴好きなんだ?」

 「私と一緒で甘いものに目がないのよあの子は」

 「それより守屋さんにメッセ送るんじゃなかったっけ?」

 「あ、そうだ」

 

 まだ書いている途中で止まっていたメッセを菖蒲ちゃんに送って、私はにいなと一緒に河原のシートのほうへ足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ほんとに良かったん?来月小遣いないんだろ確か」

 「大丈夫大丈夫っ。お金とか普段あんまり使わないから」

 

 お揃いのりんご飴を買って、屋台を後にしてひだっちと同じペースで花火がよく見える河川敷の遊歩道へ向かって歩く。似合っているかどうか自分でも恐かったこの浴衣を見て可愛いと言われたときは心臓が飛び出そうなほど緊張して頭が真っ白になりかけたけど、こうやって一緒に屋台を巡るうちにすっかりいつもと変わらない調子に戻れた。緊張のせいでいつもは必ず2発以上は当てていた射的で初の全外しをしてしまったのは、ぶっちゃけ悔しいとして。

 

 「こういうときに食べる物があるといま食べるか夜空に上がった花火観ながら食べるかでめちゃくちゃ迷わない?」

 「花火が上がるなら花火観て食う派かな俺は」

 「ふ~ん、そうなんだ」

 「俗に言う“エモい”ってやつよ」

 「なんと、あのひだっちが“エモい”って言葉を使いこなすとは…」

 「さすがに千木良が何回も言うから覚えたわ」

 

 最後のデザートを食べるタイミングを聞く私に、左を歩くひだっちは前を向いたまま即答で答える。“エモい”の三文字を口にした横顔を軽く揶揄うと、視線を瞬きの合間で右に投げてやれやれとしたその顔が小さく笑う。大丈夫だ、私はちゃんと話せている。

 

 「ひだっちも成長したね」

 「多少な」

 「謙遜しないっていうね」

 

 なんて1分に1回は言い聞かせないといつもの自分を保てないくらい、実はかき氷を食べた後もずっと気が気じゃない心境なのだけど、隣を歩くひだっちはさすがに気付かない。まあ、私としては気付いてくれないほうが嬉しいのが正直なところ。

 

 「…ひだっちってりんご飴好きなの?」

 

 会話が途切れないように、右手に持ったりんご飴を見て話題(はなし)を繋げる。

 

 「おう。こういうときしか食うことないから祭りがあったらいつも買って食べてたわ」

 

 同じくりんご飴を片手に、ひだっちは答える。言うまでもなく、どこか淡々とした口ぶりには緊張もカッコつけも一切ない。

 

 「あと俺、甘党だし」

 「それは知ってる」

 

 聞くまでもなく、ひだっちは私のことを嘘偽りなく親友(ともだち)だと思って今も接してくれている。私に初めて同じ家に住む親戚のことを話した時に無意識で見せた()()()()()()()がなくて堂々としているのが、何よりの証拠だ。

 

 「後は?」

 「後って?」

 「りんご飴が好きな理由だよ」

 「めっちゃりんご飴で掘り下げてくるやん」

 「いいじゃんウチら親友なんだし♪」

 

 後はないかと聞く私に、少し困った感じで笑うひだっち。ずっと前のほうを見ていた瞳が、今度は意図せずに右を歩く私のほうに一瞬だけ向いた。1年B組の中で一番面白いクラスメイトとの4ヶ月間でわかった、親友の癖。

 

 「…まあ、いっか」

 

 歩きながら少しばかり考え込んで、“親友”というワードに折れたのか半ば諦めるようにひだっちは呟く。

 

 「小5の夏休みに俺の実家に泊まりに来た雛姉とそのお姉さんの3人で地元の祭りに行ったことがあって、そこで初めてりんご飴を食べてさ……あれが上手く説明できないけどすげえ美味しくて、そっから好きになった」

 

 

 

 やっぱりそうだ。ひだっちにとって雛先輩は、いつだって1()()()()()なんだ。

 

 

 

 「…やっぱり雛先輩じゃん」

 「“やっぱり”って何だよ」

 

 聞く前から何となくそんな気がしていた答えが嬉しそうな表情と一緒に返ってきて、つい心の声がそのままの形で口から出てきた。

 

 「だってひだっち。りんご飴買うときちょいちょい雛先輩がいた後ろのほう気にしてたし」

 

 最後にりんご飴を買ったとき、無意識にひだっちの視線が後ろのほうを何回か向いた。そしてりんご飴を買って振り返り、雛先輩が一緒にいた島崎先輩と一足早く花火を観に行ったことに気付いて、一瞬ひだっちが少しだけ寂しそうな表情を浮かべたのを私は見逃さなかった。

 

 「そりゃ同じ花火大会に親戚いたら気にするだろ普通」

 「ひょっとして見惚れてた?」

 「は?いやいや相手はとこだぞ?」

 「ふふっ、冗談だよ冗談」

 

 別にそれが何だって言われたら何もないで済む話だけれど、雛先輩の話題になったら私といるときよりほんの僅かだけ表情と目つきが嬉しそうになるのを横で見ていたら、必死に隠そうとしていた心の動揺を見抜かれたお返しをしたくなった。

 

 「確かこの辺りまで来たら花火がちょうど真正面くらいで観れると思う」

 「てか人めっちゃ多いな」

 「ここの花火大会って県外の人も観に来るくらい有名だからね」

 「来年(つぎ)くるときはシート持ってきて座って花火観てえわ」

 「いいね最高」

 

 ひだっちに対して怒っているとか、雛先輩に嫉妬したとかでは全然ないけれど……せめて今だけは私のことを()()に思って欲しいと思った。

 

 「…千木良」

 「ん?」

 

 という身勝手極まりない我儘な気持ちが通じたのかはわからないけど、ちょうど花火がよく見えそうな場所まで歩いたところで急にひだっちが私の名前を呼んだ。

 

 「やっぱせっかく花火大会誘ってくれた親友と一緒に来てんのに、たまたま来ていた雛姉のこと気にすんのは違うよな。ごめん」

 

 そして何を言い出すかと思ったら、私の目を見てさっきのことについて謝り出した。口ぶりこそ軽いけれど、私を見る瞳は真面目な眼つきをしていた。

 

 「…あははっ!」

 「人が謝ってんのに笑うとかひどくね?」

 「いやいやっ、ひだっちが謝る理由ないでしょこれ」

 

 バドも勉強も器用にこなす親友がたまに見せる愚直な不器用さに、ここまでの緊張が一気にほどけて私は堪えきれず笑ってしまった。

 

 「なんか俺が屋台で雛姉のこと探してたの気にしてるぽかったからさ」

 「全然気にしてないし私だって身内がいたら目で追うよ」

 「そっか。なら良かったわ」

 「不器用だなぁ」

 

 続けて私がさっきの屋台のことをずっと気にしていると思い込んだひだっちが、不器用に釈明する。強いて言うなら多少は気にしていたけど、こんなの自分がひだっちだったとしても同じように目で追いたくなるものだから仕方ない。

 

 「というか、たまにはバドのこと忘れて祭りを楽しむのもいいな」

 「四六時中バドばっかだと疲れちゃうからね」

 「その言葉晴人に聞かせてやりてぇ」

 「ハルって来てるの?」

 「今ごろ家に戻ってランニング」

 「それはまたストイックなことで」

 「まああそこまで努力できるのも凄いことだけどな。俺って頑張るの苦手だし」

 

 なんてことよりも、ひだっちが今は一番に私のことを考えてくれていることがただただ嬉しいと思う自分に、また緊張がぶり返しそうなほどに驚いている。

 

 カリッ_

 

 ハルの話をしながら隣に合わせていた視線を花火が上がるのを待つ人たちが座る川辺へ移したら、何かをかじる音がした。横を見るとまだ花火が打ち上がる前なのにりんご飴を一口かじるひだっち。

 

 「花火観ながら食べるのがエモいって言ってなかった?」

 「一口二口くらいはいいっしょ」

 「…美味しい?」

 「地元(むこう)の祭りで売ってたやつよりこっちのほうが果肉の酸味が若干強い気がするわ」

 「ははっ、なんかソムリエみたい」

 

 実家がある長野のお祭りで食べたりんご飴の味を思い出しているのか、得意げにソムリエみたいなことを言い始めるひだっち。本当にひだっちといると、ただ話しているだけでも退屈な瞬間が1秒もないから楽しい。

 

 「…ひだっち」

 

 ()()()()を言うなら今しかないと、息を深く吸って親友の名前を声に出す。ひだっちを花火大会に誘って二つ返事で“OK”を貰えたときから、絶対に言おうと心に決めていた一言。

 

 「ん?」

 

 何気のない些細な相槌が左隣から返ってきて、落ち着いていた心拍数が再び上がり始める。親友として次に進むためのたった一言を口にするだけなのに、恐いくらいにこの心は緊張している。

 

 

 

 「同じスポーツやってる千木良(おまえ)から“絶対できる”って言われるとそれだけで心強いわ」

 

 

 

 「憧れが“ありのままでいい”と教えてくれたから、俺はここまで来れた…」

 

 

 

 どうして私は、()()()()を繰り返してしまうんだろう……

 

 

 

 「……私のこと…()()で呼んで」

 

 相槌から深呼吸1回分の間が空いて、言おうと決めていた言葉が出た。ひだっちと親友になってから、たったこれだけのことがどうして言えなかったのか。自分の臆病さを酷く痛感する。

 

 「名前って…いつも呼んでるだろ」

 「“千木良”じゃなくて、これからは下の名前で私のこと呼んでよ……なんかこっちのほうが親友っぽいじゃん」

 「別に呼び方が苗字でも俺たちが親友なのは変わんなくね?」

 「それは仰る通りなのですが…(あれ?ここにきてまさかのダメなパターン??)」

 

 一方で私の心情なんてつゆも知らないひだっちは予想外に今までの苗字呼びに拘り出す始末ときたから、こっちもちょっと拍子抜けしそうになる。いや、別にひだっちが苗字のままのほうがいいのならそれでもいいんですよ私は。だって友情は“相手の呼び方=仲の良さ”では測れないことぐらい私だって知ってますから。ていうかひだっちって意外に頑固なところあるな。

 

 「でもさ。苗字よりもお互いに名前とかあだ名で呼び合うほうが、今までよりもっと打ち解けたって感じしない?」

 

 だとしても、せっかく親友になったんだから下の名前で呼ばれたいっていう気持ちに嘘はつきたくないし、折れたくない。

 

 「って、押し付けるのも良くないよね~」

 

 なんて我儘を突き通せていたら、きっと親友になったその日から言えた。何ならひだっちと親友になろうって思うより前の私だったら、これぐらいの我儘なんて躊躇なく言えた。

 

 

 

 その一言が今日まで言えなかったのは……

 

 

 

 「……()

 

 花火を待つ祭りのざわめきに混ざって、私の名前を呼ぶ声が左側から小さく聞こえた。本当に一瞬だけ、この世界から私とひだっち以外の人がいなくなったような感覚がした。

 

 「…えっ」

 「やっぱちょっと慣れねえなまだ」

 

 振り向いた先で、“結”と呼んだひだっちが少し恥ずかしそうな顔で首の後ろあたりに左手を当てて夜空を見ながら愚痴るように呟く。その表情を見て、心の中は試合に勝ったときとも違う達成感と安堵感に包まれて、舞い上がった。

 

 「…ありがと()()

 

 ドンッ_

 

 初めて下の名前で呼んでくれたひだっちに私もそっくりそのまま下の名前で呼び返したら、最後の二文字に被せるように目の前の夜空に大きな一輪の花火がドンという衝撃と轟音を響かせながら打ち上がった。

 

 「うわ近くで見るとでけえ」

 「遠くで観るのも綺麗だけど近くで観たらもっとだよね」

 「音が身体中に響くわ~」

 「ね~」

 

 夜空へと打ち上がる花火を、かじりかけのりんご飴を片手にひだっちは純粋無垢な男の子みたいな表情で見上げる。バドをしているときともまた違う、小学生のときに戻ったかのような初めて見る横顔。

 

 「…すげえ綺麗だ」

 

 いつもみたいに写真に残しておこうとスマホを入れたポーチを開けようとして、その手を止める。初めて“結”と呼んでもらえた今は、この光景(けしき)をフィルターじゃなくてキラキラと夜空を彩る花火と一緒に自分の眼で焼き付けたい気分だ。

 

 「うん……そうだね」

 

 ()()()()をしたことがあって、だから今までずっとこの気持ちが本物だと認めたくなくて、“これは友情だ”と言い聞かせ思い込み続けてきた。それが出来なくなった今は、花火を見上げる横顔にピントを合わせてシャッターを切るほんの10秒さえも無駄にしたくない。だから私は、自分の眼でこの瞬間(いま)を見届ける。

 

 

 

 

 

 「今日から親友としてよろしく」

 

 

 

 

 

 

 “名前で呼んで”……その一言が今日まで言えなかったのは、ひだっちと親友になったあの日から、私にとって羽鳥飛鷹という人が友達ではなく()()()()()()()()()()()()から。

 

 

 

 

 

 

 「そういや花火上がる前に何か言ったか千木良、じゃなかった結?」

 「ぷはっ、どっちも私だけどね」

 「なんかしっくりこねえんだよな下の名前で呼ぶの」

 「それは早く慣れてください」

 「つか女子のこと下で呼んだのも久々だわ」

 「雛先輩いるじゃん」

 「身内はノーカンだろ」

 

 同じ屋台で買ったりんご飴を片手に、私はひだっちの隣で同じ花火を見上げながら痛みを伴う感情を静かに受け入れた。




5月ってこんなに暑かったっけ?
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