鷹と蝶   作:ナカイユウ

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雛姉

 「よくここに公園があるって覚えてたね雛姉」

 「一昨年のお盆にこの公園でお姉ちゃんも入れて3人でバレーしたからね」

 「たまたま家にあったバレーボール使って何回パス繋げられるかってやつな」

 

  雛姉から“ついてきて”と言われて連れていかれたのは、じいちゃんの家のすぐ近くにある小3のお盆に麦姉も入れてバレーボールを使ったパスゲームをした、ブランコとすべり台と石材で作られた三角形のオブジェがある小さな公園だった。

 

 「そういや麦姉は?」

 「部屋で勉強中。埼玉で一番偏差値高い高校(がっこう)目指してるから」

 「受験まで1年以上あんのに偉いなぁ」

 「雛も見習わないとなぁ」

 

 埼玉で一番の難関と呼ばれている高校を目指していた麦姉が羽鳥家の部屋で勉強していた中、俺は雛姉と2人だけで公園の中に足を踏み入れた。ちょうどいいタイミングに来たのか、それとも公園で遊ぶような子供の数がいわゆる少子化的なやつで減っていたのかまではわからないけど、公園には誰もいなかった。

 

 「ブランコもあったんだここ!」

 

 俺と同じく手ぶらで来た雛姉が、ブランコを見つけるや駆け足で向かい、立ち漕ぎをして新体操で鍛えたバランス感覚の良さを俺に軽く見せつける。

 

 「どう飛鷹くん、すごいでしょ?」

 「さすがは新体操やってるだけあるわ雛姉」

 「ただやってるだけじゃなくてちゃんと全小出て結果出してるから♪」

 「マジなのがすげえよなぁ」

 

 このときから雛姉は、新体操において地元はおろか全国からも注目されるようになるほどの選手になっていた。もちろんそれはお父さんがオリンピックに出たことのある元日本代表の体操選手だったからというだけでなく、ジュニアの全国大会で上位入賞できるレベルの新体操の実力のおかげだった。

 

 「飛鷹くんも立ち漕ぎできる?」

 「立ち漕ぎなら俺も余裕よ」

 

 立ち漕ぎできるか聞かれて、俺も同じように雛姉から見て右隣で宙ぶらりんになっていた座板に立ってそのまま軽く漕ぎだす。本当は雲の上の存在と言ってもいいくらいに活躍しているのに、目の前でブランコを漕いでいるはとこはどこにでもいる小6の女の子で、見ていて少しだけ不思議な気分になった。

 

 「あのさ雛姉、スカートなのに立ち漕ぎとかして大丈夫なん?」

 「ん?なんで?」

 「いや…なんか風が吹いたりしたらワンチャン危なくね?ってさ。その、()()()()()()()で」

 

 ただそれよりもっと気になることがあったから、立ち漕ぎしながら俺は少し申し訳なさそうに聞いた。

 

 「…もしかして見ちゃった?」

 「見てないし見えてない」

 「よかった……ブランコあったからついテンション上がっちゃった」

 

 隣に立った俺から言われて、ハッと気づいた雛姉は恥ずかしそうな素振りで漕ぐのを止めた。

 

 「ていうか飛鷹くんってそういう心配してくれるんだ?」

 

 ほんの少しの間を置いて、その恥ずかしさを誤魔化すように雛姉が視線をこっちへ向けて悪戯じみた笑みで聞き返した。

 

 「そりゃだって雛姉は女の子だろ?だから多少はそーいうのに気を付けたほうがいいんじゃね……みたいな」

 

 別に変な意味ではなく、俺からすれば雛姉は仲良しなはとこであって女の子。だから思ったことをそのまま口にしたら、急に自分が恥ずかしくなった。今にして思えばこれが、俺が雛姉のことを明確に()()だと認識した瞬間だったのかもしれない。

 

 「…ぷはっ」

 

 スカートに下が露になってしまう心配をする俺を見て、雛姉は堪えきれずといった様子で笑い出した。

 

 「初めてだなぁ。飛鷹くんから女の子扱いされるの」

 

 そして女の子扱いしたことを揶揄っているとも、はたまた嬉しがっているとも捉えられる表情で雛姉は言った。もちろん雛姉のことは初めて会ったときから女の子だと心も含めて認識はしていたけれど、俺の中で雛姉は女の子である前に親戚(はとこ)だった。

 

 「ずっとしてたつもりなんだけど」

 「今までは“はとこ”って感じだったよ?」

 「…雛姉から言われたらそうかも」

 「雛が言うんだから間違いないよ」

 

 手に取るように言いくるめられた俺を見て小さく微笑む雛姉の横顔が、いつになくお姉さんらしく見えた。林檎のような色をした綺麗な赤い髪。色白で可愛らしい小顔と華奢な体躯。クリアでよく通る声と向けられるだけでこっちの気分も明るくなる太陽みたいな笑顔。このタイミングで?と言われてしまうかもしれないが、初めて俺は雛姉のことを親戚(はとこ)ではなく()()()と意識して見ていた。

 

 「お祭り楽しみだね」

 「だな」

 「そして今日は待ちに待った花火もあるし、ワクワクするねっ」

 「うん」

 

 

 

 

 

 

 生まれて初めて、雛姉のことを()()()と思った。

 

 

 

 

 

 

 「…元気になれた?」

 

 なんてすっかり油断していたところで、隣でブランコの座板に立つ雛姉が視線を前に向けたまま問いかけた。明るい声の裏側で、何かに勘づかれたような嫌な予感を俺は感じ取った。

 

 「なんで?」

 「だって飛鷹くん。雛たち来てからずっと元気なかったじゃん」

 

 予感を頭の片隅で抱えながら聞いた俺に、雛姉が視線と顔を右に向けてストレートに核心を突いた。せっかく会いに来ていたから、雛姉にはしんみりした気持ちになって欲しくない。こんな自業自得な仲違いのことで気を遣わせたくないし、雛姉を巻き込みたくない。

 

 ()()は俺が、全部背負って解決しないと駄目なことだ。例えそれで、今日まで友達だった奴が友達じゃなくなったとしても……

 

 「え…いつもと変わんなくね?」

 「だって飛鷹くんって雛とお姉ちゃんのこと見つけたらすぐ手を振って“久しぶり!”って元気いっぱいに声掛けてくるし、隙あらば雛とかお姉ちゃんを笑わそうとしてくるじゃん」

 「それは小3のときだし、母ちゃん言ってたけど反抗期なんだよ。俺」

 「反抗期って関係あるの?」

 「なくはないんじゃね?知らないけど」

 「ふ~ん。だったらいいんだけどさ」

 

 動揺する感情をバドで僅かにチャージされた元気で俺はどうにか誤魔化して余裕さを取り繕った。それを横で見ていた雛姉は、下手に掘り下げることはせずに一旦は納得した素振りを見せた。

 

 「…あ、でもさっきバドミントンやってたときの飛鷹くんはほんとに楽しそうだったよ」

 

 そうやってほんの一瞬気を許したタイミングで、演技なんかじゃない本物の笑顔と一緒にもう一度図星を突かれた。同時に、どうして雛姉がいきなり俺だけを公園に連れ出したのかを何となく理解した。

 

 「大丈夫。雛はもうこれ以上聞かないし、飛鷹くんが本当にただの反抗期なだけだって言うんだったらその言葉を雛は信じる……でも、これだけは雛さまからのアドバイスってことでちゃんと心得てほしいんだよね…」

 

 本当はここで無理にでも“反抗期のせい”にして貫き通して、雛姉をこっちの諍いに巻き込まずにお盆を乗り切りたかった。空元気でどうにかやり過ごそうとしたことを最初から見抜かれていたこのときでさえ、そのつもりでいた。

 

 「どんなに周りの人から尊敬されるような“超人”にも弱いところはいっぱいある……だからさ、飛鷹くんももっとみんなに()()()()()を見せてもいいんじゃない?」

 

 空でもないどこか遠くを見つめながら雛姉が言っていた“超人”が一体誰のことを指していたのか、このときはわからなかった。だけど“弱いところを見せてもいい”と真っ直ぐな感情で言われた瞬間、縛り付けていた茨が緩み枯れ落ちていく感触が胸の辺りを伝った。

 

 「俺……親友に最低なこと言った……」

 

 

 

 

 

 

 俺にとってこの世で一番嫌いな人間は、虚勢を張って親友との絆よりも勝手な我儘を選んで向き合うべき弱さから逃げ続けていた小5のときの自分自身だ。それは5年が経った今でも変わらないし、水泳が嫌いになった思い出(トラウマ)がこの心の奥で()となって残り続ける限りきっと俺はかつての自分を好きになることもない……だからと言って、そんな小5の自分を憎み責め立てられる筋合いなんて、俺にはない。

 

 

 

 

 

 

 「そっかぁ……それはしんどいね」

 

 今まで溜めていたものを全て吐き出すように、座板に座り込んで俺は出涸らしの空元気を解いて水泳をやめた理由も恵介と喧嘩したことも全部話した。途中で口を挟むことはせず、雛姉は最後までただ黙って頷きながら聞いてくれた。

 

 「でも、友達に酷いことを言っちゃったならもう一度ちゃんとその友達に謝らないとだね」

 「うん。そうだね」

 

 “お前と親友になんてなるんじゃなかった”という最低な言葉を恵介へぶつけた俺を叱るでもなく、隣に座って雛姉は優しく諭した。怒ったりガツンと言って欲しかったわけではないが、その優しさが逆に罪悪感となって身体を巡った。

 

 「その友達のことは全然知らないから決めつけたりするのは良くないけど、多分友達(そのひと)は飛鷹くんが本心で言ったわけじゃないことはとっくにわかってると思うよ……案外ただ負けず嫌いでそっちはそっちで意地になってるってだけかも」

 「…ほんとに?」

 「あくまで雛さまが思ってることだから期待は禁物だよ?最後は飛鷹くんの力でどうにかすることなんだから」

 「うん。わかってる」

 

 ずっと謝りたいと思いながらも未だ残り続ける不安を、恵介(あいて)はただ負けず嫌いなだけであの言葉が本心じゃないとわかっていると和らげようとする雛姉。結局は元気に笑っていて欲しい親戚(はとこ)に、俺は余計な思いをさせてしまった。

 

 「わかってる……」

 

 バドのことなんかどうでもいい。最も優先すべきは雛姉の言うように恵介が俺のことを許そうとも、許さず友情が壊れようとも、俺は親友に対して一番言ってはいけない言葉をぶつけてしまったことを心の底から謝らないといけない。そんなことなんて言われなくたってわかっていた。

 

 「……っ」

 

 

 

 

 

 

 この期に及んでも俺は()()()()()()。そんな自分(おれ)が、生まれて初めて自分で自分を本気でぶん殴りたくなるくらい嫌になって、一気に感情が外へと弾けた。

 

 

 

 

 

 

 

 「…飛鷹くん。泣いてる?」

 「…自分に……腹立ってっ」

 

 次の言葉を詰まらせていたところに、雛姉の声が届いた。俺はブランコに座ったまま泣いていた。

 

 「ほんとは水泳やめたときのこと、ちゃんと恵介に言いたかったっ……でも、決めつけみたいなこと言われたからって、クソなプライド張って意地になって……んな分際で、こうやって後悔してっ、関係ない雛姉にまで迷惑かけてっ」

 「迷惑とかちっとも思ってないよ。親戚(はとこ)なんだし」

 「違うっ!……俺がっんなんなってるっせいでっ、雛姉っ…雛っ姉がっ…!」

 「飛鷹くんっ!一回深呼吸しよう!泣きすぎると呼吸が浅くなって逆に吐き出したい気持ちも吐き出せくなるっておばあちゃんが言ってたからっ」

 「ぐっ……ごめんっ、ほんとっごめん…」

 「ううん。大丈夫大丈夫」

 

 泣きすぎて呼吸をするのもままならなくなり出した俺の背中をさすって、“大丈夫”と優しく雛姉は声を掛けてくれた。自業自得の分際で勝手に苦しんでいる自分に腹が立った。それを今更後悔して泣きじゃくる自分に腹が立った。抱え込んでいたものをよりによって関係のない雛姉にぶつけている自分に腹が立った。楽しい思い出を作りに来た雛姉にこんなことをさせる自分に腹が立った。

 

 「…どう?落ち着いた?」

 「……うん。何とか」

 

 どれくらい声にならない声で息を紡ぎ泣いたかは覚えていないけれど、雛姉が優しく声を掛け続けてくれたおかげで俺はどうにか落ち着いて呼吸ができるくらいに正常を取り戻した。一体どれだけ、この日だけで俺は雛姉に迷惑をかけてしまったのだろう。振り返り考えるだけで、自分の情けなさを今でも痛く感じる。

 

 「…こんなところで泣いてる場合じゃないのは、わかってるんだよ……でも……恐いんだよ……水泳のときみたいにみんなが離れていくのが……バドでもそうなって、また楽しめなくなったらって……」

 

 それでも、心が一番苦しかったときに“可哀想”という言葉を軽くしてくれた存在が手の届く距離にいたから、今まで親友はおろか両親(おや)にさえ打ち明けられなかった本音を内側から外へと出せた。

 

 「雛姉……もし俺がバドも楽しめなくなったら……どうしたらいいんかな?」

 

 

 

 

 

 

 俺はただ……周りのみんなと同じように、同じ気持ちで俺が好きだと感じたことをしたい。あいつは俺より弱いとか強いとか、そんなの気にせず好きなことを好きなままの気持ちで楽しみたい。それだけだった。

 

 

 

 

 

 

 「…そんなの。絶対大丈夫に決まってるよ」

 

 初めて誰かへ口にした本当の気持ちを聞いた雛姉はブランコから下りて、俯き気味な俺の真ん前に立った。

 

 「雛たちが来てからずっと空元気だった飛鷹くんが、雛にラケットの持ち方とか羽根の打ち方を教えてるときだけは本当に楽しそうで元気な顔してた……だから飛鷹くんは絶対にバドミントンのことを嫌いになんてならないし、喧嘩しちゃった親友とも仲直りできるって雛さまが保証する!」

 

 見上げた視線の先で、雛姉は自信満々な満面の笑顔で絶対に大丈夫だと大きな声で言い切った。よくよく考えてみれば恵介のことなんて1ミリも知らない親戚(はとこ)の何一つ根拠なんてない、ただ落ち込んでいる俺を励ましたいってだけの気遣いだった。

 

 「飛鷹くんなら絶対大丈夫だよ……だってこの蝶野雛さまがついてるんだから」

 

 だとしても、弱い部分(ところ)を曝け出せるくらい心を開いた人からここまで真っ直ぐに“大丈夫”と言われたら、不思議と本当にどうにかなりそうな気さえして、心が一気に軽くなった。

 

 「誰かがピンチで泣いているときに現れる。それが()、蝶野雛さまぞ」

 

 何より一番嬉しかったのは、雛姉の口から“絶対にバドミントンのことを嫌いになんてならない”という言葉を聞けたことだった。

 

 

 

 

 

 

 それだけで……抱えていたトラウマも不安も全てがどうでも良くなった。

 

 

 

 

 

 

 「……雛姉ぇ゛っ」

 「うそ、また泣いちゃった?」

 

 俺の感情は、雛姉の“大丈夫”というストレートな言葉と思いに触れて堪えられずまた決壊した。記憶が正しければ、少なくとも夕方6時のチャイムが聞こえる頃まで俺は雛姉から頭を撫でられたりしながら泣きじゃくって、泣き止んだその足でそのまま麦姉と合流して祭りに向かった。

 

 

 

 「じゃあ行こっかお祭りっ!」

 

 

 

 

 

 

 これが、()()()()()()()()()()()()()()の思い出だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「飛鷹くーん。今日練習あるけど起きなくていいのー?」

 「……?」

 

 遠くのほうから少し大人っぽくなった雛姉の声が聞こえてくると、6時前の夕焼け空が急にぼやけ出して、入れ替わりで直視するには明るすぎる白い光が視界に入り込み、深層心理を漂っていた意識がゆっくりと(うつつ)へ引き戻されていく。

 

 「あ、やっと起きた。7時になっても全然部屋から出てこないから雛さまが起こしに来たぞ」

 「…ふぁぁ」

 「寝坊してるのに呑気だなぁ」

 

 明かりがついた白色の天井をぼんやり見つめる俺を見下ろして、やっと起きたとパジャマから着替え終えた()()()()()がやれやれと微笑む姿が見えて、ようやく夢と現実の境界線を抜け出して欠伸と共にベッドから身体を起こす。やけによく眠れたせいか、瞳の中が涙を流したあとのように熱い。

 

 「あれ?ちょっと泣いてる?」

 「……小5んときの夢みてた」

 「あー、それは泣いちゃうね」

 「マジで全米が泣くレベルだからなあれ」

 「さすがに大袈裟じゃない?」

 

 いや、これはつい2,30秒前まで見ていた思い出(ゆめ)のせいだと、夢の中にいた雛姉と同じような真っ直ぐな視線を向けられ気付く。昨日の花火大会終わりの夜は結局、神社から蝶野家に戻る途中で気まずい空気にならないか心配しまくりだったものの帰ってみれば雛姉は何事もなかったようにいつも通りで、雛姉より少し早いタイミングで帰っていた弘彦さんやリモートで繋いだ麦姉も交えた蝶野家全員と一緒にインターハイの遠征のことについて話し合って、一日が終わった。

 

 「……てかいまって何時?」

 「7時。もう朝ご飯はできてるよ」

 

 眠気が覚めていくのと比例して頭が回り出し、なんで俺より遅い時間に起きる雛姉がこの部屋にいるのか、なんでいつも以上によく寝た感覚があるのか、段々と状況が理解できてきた。

 

 「うわやったなぁこれ…」

 「雛さまがいて命拾いしたね?」

 「マジで感謝です」

 

 寝坊したことにようやく気が付いて、反射的にスマホを開く。いつも6時にセットしているはずのアラームがセットされていなかった。誰しもが一度はやったことがあるであろう、“アラームをセットしたと思い込んでいたらセットしていなくて起きた瞬間に地獄を見る”パターンのやつだ。とにかく同じ家に寝坊をしても起こしてくれる人がいたのが不幸中の幸いといったところか。

 

 「でも珍しいね。飛鷹くんが寝坊するの」

 「中1の正月ぶりだわ」

 「それはレアなことで」

 

 珍しいと何だか嬉しそうに、雛姉は起き上がった俺を見て微笑む。当たり前だけど、さっきまでの夢の中の景色にいた小5の自分(おれ)は、高1になってたった1人で長野(じもと)を飛び出してこうやって雛姉と同じ屋根の下で毎日笑い合いながら言葉を交わす一日を送っているなんて、夢にも思ってなどいなかった。

 

 強いて言えば、次に雛姉と会うときもバドを楽しんでいたいと思っていたくらいで、5年後の未来なんてロクに想像すらもしていなかった。

 

 「先にリビング下りて食べてるね」

 

 

 

 まさか、1学年上の親戚(はとこ)がたった1人の()()()()になっているなんて、あの頃の自分(おまえ)はいま俺が見ているこの景色を夢で見ても信じないだろう。

 

 

 

 「…雛姉」

 

 一足早くリビングに戻ろうとする雛姉を、俺は呼び止める。林檎のような色をした綺麗な赤い髪。色白で可愛らしい小顔と華奢な体躯。クリアでよく通る声と向けられるだけでこっちの気分も明るくなる太陽みたいな笑顔。

 

 「雛姉がいなかったら恵介とも仲直り出来なかったし、水泳と同じようにバドミントンも楽しめなくなって、多分諦めてた…」

 

 俺と負けず劣らず甘いものが好き。新体操の実力は言わずもがな全国トップクラス。ただし勉強はやや苦手。すこぶる機嫌が良いときに鼻歌を歌うことがあるけどその歌が超絶に上手い。さりげない仕草から垣間見える体幹の良さ。たまに人生2周目かと言いたくなるほど深いことを言う。本当は血の滲むほどの努力をしているはずなのにそれを他の人には一切見せないで、サラッと全国大会に進んでそこでも確かな結果を残すカッコよさ。弱った心に迷わず手を差し伸べられる優しさと、現在地(いま)に満足することなく痛みも恐れず羽ばたくことをやめない心強さ。

 

 「…だからありがとう。あのとき俺に“絶対大丈夫”って言ってくれて」

 

 

 

 

 

 

 もちろん俺が蝶野雛のことを好きになったのは……可愛らしい外見(みため)じゃなく内面(ひと)に惚れたからだ。

 

 

 

 

 

 

 「…ぷはっ」

 

 さっきまで見ていた夢の続きのままにバドを続ける理由(きっかけ)をくれたことへの感謝を告げると、口元に手を当てて雛姉が小さく笑う。

 

 「私がいてもいなくても君は()()に恵介くんと仲直りしてたし、バドミントンも諦めないで続けてたよ」

 

 そして素直に喜んでいるとも照れ隠しとも揶揄っているとも取れる絶妙な笑みでそう返して、雛姉はこの部屋から出てリビングへ下りていった。昨日の今日でまだ気持ちを完全に受け止め切れていないせいか、時々見せるどんな感情なのかわからない微笑みの破壊力がいつになく凄く感じて、眠気は完全に吹き飛んだ。

 

 「……そんなに強くないよ。俺は」

 

 

 

 生まれて初めて経験する、()()()()がいる一日。とりあえず今の心持ちを言葉にするなら、慣れる気配が全くしない。




ペース配分でめちゃくちゃ苦労しましたが、ひとまず飛鷹の過去はなんとか当初の予定通り3話で収めることができました。

てことでここから展開をどうしようかめっちゃ悩んでます。
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