「失恋したんですよ。そいつ」
花火大会で大喜と千夏先輩が付き合っているという事実が広まっても、私の心はほとんど痛まなかった。当然あれはもう
「彼女がいるってハッキリしなければ、浮かれてても許されるのかなって…」
ただの憧れと言葉では口にしながらその気持ちが本当なのか分からないと打ち明けた兵藤さんが、大喜と千夏先輩が仲良く話しているところを初めて見たときの自分と少しだけ重なって見えた。気に病むほどじゃないけど、なんだか心の奥がモヤってする感覚。
「もし少しでも引っかかるなら、自分の感情に他人から名前を付けられないようにした方がいいんじゃないかな?」
気持ちが分かってしまったから素直に諦めたほうがいいなんて言えなかった。代わりに私は、兵藤さんに“いま感じている気持ちの正体が分かるまで色んな気持ちに“こんにちは”って挨拶すればいいんじゃない?”と伝えた。自分でも何言ってんだろうって途中から思ったけど、私から言える精一杯のアドバイスだった。
「いやぁ初々しいねぇ」
「言うて先輩一つしか変わらないじゃないすか?」
「あはっ、そうだった」
なんて身勝手に近い先輩からの助言を真に受けてご丁寧にお辞儀までして感謝を告げてコートへ戻って行った兵藤さんを、バド部の後輩くんと一緒に見届けた。スッと肩の力が抜けた背中を見て、私は心の中で“がんばれ”と声を掛けた。
「さっ、戻るとしますか」
それと同時に、向けられた言葉を疑いもせず純粋な気持ちで真っ直ぐ受け止めて前に進める兵藤さんのことが、少しだけ
「あの」
「?」
「
「サンクス。来てくれて」
「いいってことよ」
午後の練習が終わり、私は帰るときにたまに立ち寄るいつもの公園に駆け足で向かっていた。理由は飛鷹くんから“時間ある?”と意味あり気に呼ばれたからだ。
「今更だけど冷静に考えたら雛姉の貴重な自主練の時間奪う形になってるなこれ」
「用があって雛さまを呼んだんだったらこっちのほうが大事でしょ」
「マジ感謝です」
一足早く着いていた飛鷹くんが、ブランコの前にある腰掛けほどの高さの手すりに寄りかかりながら少し遅れた私に早速謝る。別に部活が終わった後に演目の振り付けの確認をする時間が減るのは私からすれば本当にさほど大したことじゃないのに割と本気な感じで生真面目に謝ってくるのが平常運転すぎて、それだけでこっちはほっこりする。
「とりあえず座るか」
「うん。ちょうど誰もいないし」
周りにブランコで遊びたがっていそうな子供がいないことを目視で確認して、私と飛鷹くんは仲良くブランコに座る。部活終わりという時間帯も相まって、飛鷹くんが初めて栄明での練習に参加した日のことを思い出す。
「…そういや俺が初めて
「そうね。呼んだのは私のほうだったけど」
「呼んだっつーか連れてってくれた感じだけど」
「確かに」
どうやらそれは飛鷹くんも同じだったみたいで、初めて練習に参加した日のことを隣で静かに思い出しながら右隣で軽くブランコを漕ぐ。まだ4ヶ月半しか経ってないのにまるでその倍以上の時間が経ったようにも感じるし、つい昨日のことのようにも感じる不思議な感覚。
「あぁ、あと俺と雛姉の座ってる位置も逆だったわ」
「よく覚えてるねぇ君(何気に記憶力がとんでもないのよねこの子…)」
さすがに座っている位置が逆だったことは言われてみればそうだっけ?ぐらいしか思い出せないけど、春休みから夏休みになる間だけでも色んなことがあったんだなってふと思う。
「それはそうと、本日はどんなご用件で?」
「いや…何となくこうやって雛姉と公園のブランコに座って話したくなった。的なやつ」
「ひょっとして
「ビンゴ」
「ふふっ、やっぱり」
それはそれとして練習終わりに呼び出した理由を畏まった口調で聞く私に、飛鷹くんは5年前の夢を見たからとここでブランコに座って話をしたかったと答える。ブランコを軽く漕ぐ横顔から覗くほんの僅かな困惑の色が、何を話すかロクに考えて来なかったんだろうなということを私に伝えてくる。
「……そういやさ、大喜先輩と千夏先輩が付き合ってるっていうビッグニュースは知ってる?」
同じくらいの勢いでブランコを漕ぎながら次は何を言い出すんだろうと悟られない程度に身構えていることおよそ5秒。飛鷹くんが沈黙を破る。もちろん2人が付き合っていることは花火大会で騒ぎになる前から知っているから、何だかちょっとだけ拍子抜けした。
「うん。そうらしいね」
「いやリアクション薄くね?」
「だって昨日の花火大会の前から2人が付き合ってるの知ってたし」
「え!?……マジ?」
拍子抜けしたテンションのまま普通に付き合った直後から大喜と千夏先輩の関係を知っていたことを明かすと、飛鷹くんは漕ぐのを止めて分かりやすく驚いた。そういえばまだ2人のこと、この子には言っていなかったな。
「いつから?」
「大喜が16歳になった次の日に本人の口から」
「大喜先輩の誕生日っていつだっけ」
「1月15日」
「…つーことは1月15日にはお付き合いしてたってことか」
「うん。大喜は優しいから親友の雛さまにちゃんと教えてくれたよ」
「…そっか。なんかよくわからんけどすげえな」
実は大喜が16歳になった次の日から知っていたことを続けて打ち明けると、飛鷹くんはあからさまに動揺を隠せない様子で何とも言えない笑みを浮かべる。
「そこまで驚くことかな?」
「いや、あの2人がそんな前から付き合ってたとか知らんし普通に驚きだわ」
「ふふっ、それもそうだね」
何も関係のない飛鷹くんがめちゃくちゃ驚いていて、逆に当事者の私が平常心のままなのが何だか可笑しくて、でも冷静になって考えてみたらそれもそっかと納得してつい笑いが零れた。
「意外だった?」
驚きの事実を知った余韻が抜ける前に、話を続ける。
「……んー、何だかんだお似合いなんじゃね?」
「いまの
「半年以上も付き合ってるのは意外だったって意味」
「あーそういうやつね」
意外に見えるか聞いた私に、少し空のほうを見ながら考え込んで飛鷹くんは“お似合いだ”と答える。
「ぶっちゃけ大喜先輩と千夏先輩が付き合ってるって聞いたときは“マジかおい!?”ってなったけど、大喜先輩の人柄は俺も知ってるから割とすぐに納得したんだよな…」
そっか。
「…つーかなんでインターハイも雛姉の試合と日程丸被りだし」
「どういう文脈?」
何気のない正直な一言で人知れず感傷的になり出したところで、右のブランコに座る飛鷹くんが急に
「まあ遠征の日程はしょうがないよ。そもそも会場も全然違うし」
大喜と千夏先輩の話から唐突にインターハイの話になったことに戸惑いつつ、私は中身を理解して飛鷹くんに合わせる。いま話しているのは、私と飛鷹くんの遠征のスケジュールについてのこと。昨日の夜にも軽く遠征の話をしたけれど県予選に続いて私が出場する新体操の女子個人とバドミントンのシングルスとダブルスの日程が丸被りになったせいで、またしてもお互いの応援に行けなくなってしまった。もちろん今年のインターハイに飛鷹くんは出ないのだけど。
「せめてバドのほうが1日早かったら雛姉の応援に行けたのによぉ」
「言っとくけど新幹線使っても3時間くらいかかるからめちゃくちゃ朝早く起きる羽目になるよ?」
「早起きは大得意分野だから余裕ですよ先輩」
「さいですか」
1日早く終わっていればと、まあまあ本気で悔しがる飛鷹くん。ただどっちにしろ開催地が家から新幹線を使っても3時間はかかるくらい遠い場所にあるから親戚の身分としてはあまり無理はして欲しくないのが本音で、飛鷹くんからすればちょっと残酷な話だけどギリ安心が勝つ。
「行けない代わり私の分まで大喜のこと応援よろしく」
「おう。
「あはっ、親友代行ってなに?」
「そのままの意味ってとこよ」
代わりに親友のことを応援して欲しいとお願いする私に、飛鷹くんは得意げな表情を浮かべて“親友代行”を名乗って自分の拳で左胸を軽く1回叩く。ボケなのか本気なのかは置いといて、ここまで真っ直ぐに応援されるのはやっぱり心地が良い。
「…私は飛鷹くんの分までインターハイを楽しんでくるよ。競技は違うけど」
その真っ直ぐさが大喜と似ているところが、玉に瑕なのだけど。
「…俺もちょっと、応援行けない代わりに今から念じるわ」
自分なりの決意を聞いた飛鷹くんは、僅かに緊張しているようにも聞こえる口ぶりでそう言うといきなり座板から立ち上がって私の前に立つ。
「雛姉。左手と右手どっちでもいいからグーの形にして前に出して」
まるでいつかの私を真似するかのように目の前に立った飛鷹くんが、ブランコに座ったままの私に告げる。栄明に来て初めての総当たり戦であの後輩くんへ喧嘩を売ったというこの子へ、前の日に私が“パワー”を送ったときのお返し。
「何だろうと思ったら、
「おう。借りた恩は必ず形にして返すのが俺の美学ってやつよ」
「ぷはっ、君に恩を貸したつもりはないんだけどなぁ」
企みを見抜いた私を前に、いっちょ前な態度でカッコつける飛鷹くん。喜ばせようとしているのが見え見え過ぎるところが身体と
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
そんなはとこの言葉に甘えて、私は右の手のひらをグーの形に握って差し出してみる。
「では。こちらも」
私の口調を真似て、飛鷹くんは左の膝を砂の地面につけてひざまずいた体勢で差し出した手のひらを少し大きな両手で優しく包み込むようにギュッと握り締める。いやいや、プロポーズじゃないんだから。
「いやいや、プロポーズじゃないんだから」
心の声がそのまま漏れた。
「こうすれば雛姉が前に手を出しただけで掴めるじゃん」
「ていうか膝痛くない?」
「大丈夫。つけてるように見えて1センチだけ宙に浮かせてっから」
「ぷっ、そういう問題じゃないでしょこれ」
ツッコまれてもお構いなしに、飛鷹くんはいつになく私を笑わせようとしてくる。どうせ借りを返しにきたと言うなら真面目にやって欲しいなんて、無自覚な親友とは
「…やっぱ雛姉の手はあったかいな」
「飛鷹くんもね?」
「俺だって強くなるために日頃からパワーを蓄えてるからな」
「そのパワーを私にあげちゃっていいの?」
差し出した右の拳を握る両手に、少し力が加わる。5年の月日を経て随分と大きくなった飛鷹くんの両手は暖かくて、アスリートらしくガッチリとしている。本当に君は、いつの間にこんなにも逞しくなったのか。
「いいよ。ほんの少しでも雛姉の力になれるなら」
私の手のひらをひざまずいた姿勢で握ったまま、見上げる飛鷹くんが呟くように返す。真っ直ぐに見上げる視線と表情は笑みこそ浮かべているけれど1秒前までのふざけた態度が嘘のように真剣で、私のことを心から応援しているという気持ちがひしひしと伝わってくる。
「どうか雛姉が……いや、
どんなに自分に自信が持てるようになっても、目標にしている舞台が近づけば近づくほど少なからずプレッシャーは大きくなって身体を強張らせていくはずなのに、
前に
「っし!とりあえず県1位と死闘を繰り広げたこの俺のありったけを込めたから優勝は間違いなしっしょ!」
この手を握ってから体感でだいたい20秒から30秒。“ありったけを込めた”と自信満々な笑みを私に浮かべて飛鷹くんは握っていた両手を離す。暖かくがっしりした両手が離れて差し出していた右の手のひらが少し軽くなって、飛鷹くんの
「言っとくけど部内戦と違ってインターハイは甘くないよ?」
「知ってる。だから気持ち長めにチャージしといた」
だけどこれだけで勝てるほど甘くないと敢えて軽く釘を刺す私に、これまた飛鷹くんは自信満々な口ぶりで言葉を返して立ち上がり、手すりに座るような姿勢で寄りかかる。今更ながら、なんで遠征に行く前日でもないこのタイミングでこういうことをするのかふと気になった。
「…わざわざ今日にしようって思ったのも夢のせい?」
「前の日とかのほうが良かった?」
「ううん。タイミングなんか関係ないよ」
試しに聞いてみたら普通にビンゴだった。どんなにバドが強くなっても、考えていることが手に取るように分かりやすいところだけはほとんど変わらないままだから、様子を見ているだけでも微笑ましい。
「もしまだ足りないなって感じたらまたパワー込めるよ。つっても遠征行ってる間はさすがに無理だけど」
「大丈夫。これだけ貰ったら十分乗り切れる」
「待てよ念じればワンチャン行けるか…?」
「その願いは大喜や針生西田ペアに使いなさい。せっかく応援に行くんだから」
私は“絶対”という言葉を基本的に信じていない。たかが手を握って“この人が試合で負けませんように”なんて思いを込めたところで、相手に物理的な力が宿るわけじゃない。でもこうやって手を伸ばせば触れられるほど近い
「ありがとう。君からの
「飛鷹くんなら絶対大丈夫だよ……だってこの蝶野雛さまがついてるんだから」
って、私も同じことをいつかの
「あそこのブランコで靴飛ばし対決しようぜ!」
「待って誰かいる」
公園のブランコで2人だけになっていたところに、小学生くらいの男の子の声が響く。耳に入ってきたやり取りからして、このブランコを使いたいらしい。
「俺らお邪魔っぽいけどどうする?」
「そうだね。じゃあ帰りますか」
「だな」
後ろのほうを一瞥した飛鷹くんの一言を合図に、私はブランコから立ち上がる。もう話すことは全部話せたみたいで、飛鷹くんは小さく頷いて手すりのところに置いていたラケットバッグを背負ってこっちが歩き出したのに合わせて出口のほうへ同じペースで歩き出す。今朝この子が見たであろう夢のときは私のほうが先を歩いていたし、目の前にブランコで遊ぼうとする子もいなかったけど。
「「ありがとうございます!」」
「ううん!私たちちょうど帰るところだったから」
「あんま危険な乗り方しないようにな。ブランコから落っこちるとマジで痛えから」
「はーい!」
「「(元気だなぁ…)」」
小学生ならではの真っ直ぐさにまたひとつ力を貰いながら、ブランコ目当てのちびっ子2人組に手を振って一旦止めた足を前に進める。何となく聞こえたけど、ブランコで靴飛ばし対決するにはそれなりに体幹が必要になってくると思われるわけだが、果たして大丈夫だろうか。
「先攻後攻のジャンケンしようぜ
「あんなもんちゃうやん。雛ちゃんの実力は」
「……」
「?どした雛姉?」
「飛鷹くん。将来はいいお父さんになりそう」
「え?何で?」
「ブランコの乗り方ちゃんと注意したりするところとか」
『~♪』
今日の練習で上手くいかなかった振り付けの箇所を意識しながら、スマホから流れる曲に合わせて最後のポーズ。
「…ぼちぼちやな」
ホームジムの中じゃ天井が低いせいで手具を宙へ上げることは出来ないから所々はエアーにせざるを得ないものの、振り付けの出来栄えはひとまず及第点と言える手応えを覚え、つい独り言が口から出てくる。部活の練習がイマイチな手応えで終わった後に1人で自主練したいってなったとき、家に帰るとこんなふうに練習できるスペースがあるのは割と本気でありがたい。
おとんとおかんに植え付けられて
「(…もう一回やるか)」
「
「んー…まだちょっと心配やからあと一回だけ通しやった後でええ?」
ぼちぼちと言えどしっくりこないから夕飯前の締めでもう一度だけ本戦でやる演目の通しをしようとスタンドに置いたスマホに触れようとしたところで、夕飯ができたとおかんが我が家の練習場と化している部屋に入ってきたから、あと一回だけ演目の通しをしていいかと軽く目を合わせて許可を取る。
「インターハイ近うて熱心なのはええけどほんまに一回だけな?」
「ありがとうおかん」
すっかり
「(そりゃ熱なるやろ。初めてのインターハイやし…)」
けど、つい気持ちが熱くなってしまうのはもう自分ではどうすることもできない。だって週末には待ちに待っていた初めてのインターハイが迫っているから、心が昂ってしまうのも無理はない。
「(…2年ぶりに
1年遅れでウチも晴れて高校生。ほんで迎えるインターハイ……やっとや。
「…待っとってね……
例によって遠征のスケジュールや開催地は完全にこちらの独自設定となっていますのでご了承ください。
そして最後に雛と面識がありそうな新キャラが出てきたところで、次回より新展開突入です。