大喜先輩と千夏先輩が付き合っている_
誰かが言い出したのをきっかけに、その噂が体育館の中を驚きや冗談半分の妬みと一緒に凄いスピードで駆け巡った。もちろん結と花火を観ていたのもあって1日遅れでビッグニュースを知った俺も初めて知った瞬間は例外なく周りと一緒に驚いたが、いざ想像してみたら案外容易くイメージが浮かんだからあっという間に腑に落ちた。
「大喜は努力の達人だ。バドで針生からインターハイを勝ち取ったように、恋愛でも努力した結果なのだろう」
と、部長の西田先輩が言っていたように、大喜先輩は1人の男として努力を重ねて好きな人の心を振り向かせた。ぶっちゃけると相手は“栄明のマドンナ”だの“栄明のヒロイン”だのと言われる人なだけあって多少は意外に思ったものの、そりゃ朝ドラのヒロインかってくらい美人な千夏先輩が相手となれば俺を含め栄明にいる大抵の野郎共じゃ誰だって嘘だろ?ってリアクションが一回は訪れるのが普通だ。敢えて“まあこの人ならあり得るか”と思える人がいるとすれば、針生先輩辺りだろうか。既にモデルの彼女さんがいるけど。
「(普通に似合うな、あの2人…)」
もちろん大喜先輩を選んだことは千夏先輩が見た目ではなくちゃんと中身で人を判断する人だということの何よりの証拠だから、羨ましいなんて感情は1ミリも湧かなかった。あと誤解を招かないように言っておくが、大喜先輩は見た目も含めて普通にカッコいいと俺は思っている。
「大喜先輩のことで持ち切りになってっけど、飛鷹も女バドの千木良さんと順調そうじゃん」
「順調っていうか、結とはいつも通りだわ」
「…あれ?お前って千木良さんのことそう呼んでたっけ?」
「昨日花火観てたとき名前で呼べって言われたからそうしてる。つってもまだしっくりこねえけど」
「飛鷹……大喜先輩に続いてついにお前も
「名前呼びにしただけだが?」
そして誤解と言えば、俺は俺で大喜先輩×千夏先輩カップルの話題の裏で坂元と晴人を除く同期の連中から結のことについて色々と言及された。ただあれはあくまでお互いに親友と一緒に花火大会へ行っただけのことで、2人の先輩とは全然違う。
「(…雛姉はどう思ってんだろう)」
なんてことより俺が気になったのは、雛姉のことだ。親友の大喜先輩に彼女ができたことを知って、雛姉は何を思ったのかがふと気になった。
「今日の練習終わったあと、時間ある?」
「うん。あるよ」
「じゃあさ、あの公園行こうよ」
そのことを聞くための口実として、俺はちょうど同じタイミングでインターバルに入った雛姉へ部活終わりにあの公園に行かないかと誘った。本当にダメ元だったけど、雛姉は二つ返事でOKを返してくれた。ちなみにインターハイの遠征に行く前に雛姉を公園へ誘ってそこでパワーを送るのは、花火大会よりも前に密かにやろうと考えていた。ついでに言っておくが俺が雛姉への気持ちを自覚したこととは、関係ない。
「そういやさ、大喜先輩と千夏先輩が付き合ってるっていうビッグニュースは知ってる?」
「うん。そうらしいね」
「いやリアクション薄くね?」
「だって昨日の花火大会の前から2人が付き合ってるの知ってたし」
「え!?……マジ?」
偶然にもこの日の朝に見た夢と同じシチュエーションで隣り合ってブランコに座りながら何気なく2人の話を振ったら、雛姉はあっさりと花火大会よりも前から知っていたと俺に打ち明けた。雛姉曰く、大喜先輩が16歳になった次の日に本人の口から知らされたらしい。普通に超が付くほど衝撃だしビックリするぐらい淡々としたテンションで打ち明けられたことで調子が狂って、結局これ以上は聞けなかった。
大喜先輩から彼女ができたって聞いたとき、雛姉はどう思った?
「私は飛鷹くんの分までインターハイを楽しんでくるよ。競技は違うけど」
というより、雛姉のことを考えたら急に恐くなって聞けなくなった。何せ相手は週末にインターハイを控えている超が付くほど重要な局面にいるから、こんな変なことを聞いて万が一でモチベーションを乱してしまったらというイヤな感情がよぎって、俺は聞くのをやめた。
「…俺もちょっと、応援行けない代わりに今から念じるわ」
聞きたかったことを心の奥へとしまい込み、俺はブランコから立ち上がって雛姉をお姫様に見立てて砂地にひざまづきお返しの
「やっぱ雛姉の手はあったかいな」
「飛鷹くんもね?」
雛姉は俺の握った手を暖かいと言っていたけど、あれは緊張のせいだ。はとことしての思い出が
「ありがとう。君からのありったけのパワー、確かに受け取った」
相手の感情を乱さぬように、
「意外だった?」
ただ敢えて振り返るなら、あの2人が似合っているか聞いてきたときの雛姉の表情に、本当に一瞬だけど俺は
「(インターハイって、やっぱり空気全然違うな…)」
8月らしい晴れ渡った青い空の下で、全国高等学校総合体育大会・バドミントン競技大会、通称“インターハイ”は昨日から始まったダブルス戦に続いてシングルス戦を迎えた。
「1年ぶりだわこの感じ」
「飛鷹も初めてだろインターハイは」
「全国大会は2度目だぜ」
「うわそうじゃんこいつ」
外の空のような爽やかさと全国大会ならではのピリッとした緊張感が入れ交じって、アリーナの中に足を踏み入れた人たちへ熱気となって押し寄せる。残念ながら初めて迎えるインターハイでの自分の居場所はコートではなく客席だけれど、県大会では体感できないこの独特な空気を味わえるだけでも価値はある。と思う。
「…ぶっちゃけ俺さ、イメージが湧かないんだよな」
「何が?」
「自分がインターハイに行くってイメージ」
他校の試合前練習が始まったコートを見下ろして、隣で自前のラケットバッグを席の前に置いた同じく応援要員の坂元が俺に呟く。
「そりゃ俺だってインハイ出られるようになりたいわけよ。けど大喜先輩と針生先輩の試合を観てたら来年とか再来年の俺が果たしてああいう試合できるくらい強くなれてんのかなって思ってさ。ま、俺ごときのレベルが語んなって話だけど」
「そんなことないっしょ。坂元だって1年ん中じゃ強いほうじゃん」
「
「ごめんて」
自虐と若干ガチそうな妬みを交えながら、席に座った坂元はインターハイに出られる人とそうでない人の差を吐き出す。
「実際んとこ俺も中3で最初で最後の全中に出れるってなっても全然実感湧かなかったし、何なら試合会場着いてもまだ“夢なんじゃないか”って浮かれてた。そんでもって初戦で惨敗してコートを出て、やっと“出てた”って実感が湧いてきて、湧いたと思ったらもう俺の出番はとっくに終わってた…」
思えば俺も中3で初めて全中に出るまでは、自分が全国大会に行くイメージなんてまるで持てなかった。
「…自分がコートじゃなくて
だけど全中でのボロ負けとこの前の遊佐さんとの試合を経て、インターハイへ行くために必要な
「飛鷹はいまそう思ってるってこと?」
「おう。なんでトーナメント表んとこに俺の名前が載ってねえんだって気分」
「そんなに悔しいなら書き足してこいよ」
「失格どころかクビになりかねないから却下」
「真面目か」
年に一回。チャンスは三回。本当に限られた人しか手にすることのできない片道切符を掴んだ強者だけが行ける場所が目の前にあって、同じ熱気の中に俺はいる。だけどこの体育館のコートの中で試合をする権利は、持っていない。
「…飛鷹ほど思いは強くないけど。俺も出られる
県1位でインターハイでも優勝候補の1人として数えられている人とあわやな試合をした俺だったら、くじ運次第じゃ2,3回戦までは行ける自信があるのに……とまでは思わないが、なんでラケットまで持ってきているのに俺はコートに立って試合をする権利がないんだろうと、そう本気で思ってしまうくらいには出られる人たちのことを羨ましく思う。
「イメージ出来てんじゃん」
「どこが?」
「大喜先輩みたいな人を見て憧れじゃなく羨ましいって思ってんだったら、坂元もインハイ行ける確率は十分あるでしょ」
「だと嬉しいけど」
雛姉は今ごろ、試合会場に着いて最後の練習してんのかな?
「そういやこの前、飛鷹の友達がいる高校もインハイに進んだって言ってなかったっけ?」
「ああ。
ふと雛姉のことを考え出した意識を、坂元が現実に引き戻す。
「今年は俺らと同じ応援要員だけど、そこに中学んときダブルスでペア組んでた
ちょうど栄明の応援席から見て反対側の位置で、坂元の言う長野代表の高校の人たちが席を確保している。俺の地元がある長野県では屈指の強豪として知られる千曲高校。特にシングルスでは“優勝候補”と呼ばれている3年生が出場するから、
「ほら、あそこ」
「遠すぎて見えん」
「左から3人目」
「人類がみんな視力2.0あると思うなよ?」
もちろん
「てか飛鷹のことだから話かけたりしに行くだろうなって思ったけどしないのな?」
「声掛けにいきたいって気持ちはめっちゃあるけどな」
「ライバル校だからか?」
「ライバル校っつーか、俺って
「あっ、マジで気まずいやつや…」
とは言っても、監督が直々に家に訪問までしてきたのを断って栄明のバド部に入った手前、気分的にこっちからは声を掛けづらいのが本音だ。というか千高のところに何食わぬ顔でノコノコと挨拶にいこうものなら最悪“
「それに
別に次に会うのはインターハイのコートだとか、そういうカッコつけみたいな決意も特にない。ただ俺たちはこの体育館に地元の友達同士ではなく、他校のライバルとして来ている。だから開会式のときに見かけたときも、俺は恵介に敢えて声を掛けず気付いていないフリを貫き通した。
「いつか……もしいつかまた
距離が離れたわけじゃない。俺たちは互いに違う目標を抱えて同じコートに立つ瞬間を目指して、本気でバドミントンを楽しんでいる。
『只今より、全国高等学校総合体育大会・バドミントン競技大会、男子シングルス1回戦の試合を開始します_』
「雛。お疲れさま」
試合前の
「ありがとうお父さん。今日から合宿なのに来てくれて」
「雛が気にすることはないよ。親が子を応援するのは当然のことだから」
「お母さんとお姉ちゃんは?」
「もう2階席のところにいる」
「そっか」
大学の体操部が今日から毎年恒例の夏季合宿に入るにも関わらず、私が出場する女子個人の試合のために無理言ってスケジュールを調整して応援に来てくれたお父さん。体操選手を引退してからもかつて所属していた体操部の監督や准教授の仕事もあって普段から忙しく遠征や合宿で何日も家を空けることも珍しくないからか、必ずスケジュールを作って応援に駆けつけてくれる全国大会が私にとって一番“お父さんの存在”を近くに感じることができる瞬間だ。
「ウォームアップはどうだった?」
「バッチリ。照明の位置も頭に入ったし、それに合わせて大まかな動きもチェックできたから」
「身体の動きは問題ないか?」
「緊張でガチガチどころか飛べるくらい軽い」
「手首は?」
「大丈夫。全く痛みなし」
「なるほどな。コンディションは最高ということか」
「うん。去年は初めてのインターハイで若干力んでたけど、今日は全然」
「ただ状態が良過ぎると稀に身体が自分の想像を超えた動きをすることがあるから、本番まで今のコンディションをキープしつつも入り込み過ぎには注意するように」
「うん。OK」
ウォームアップの調子を伺うのをターニングポイントに、私に話しかけるお父さんの眼つきと表情が父親から“
「それと、今から最後の演技が終わって審査員に一礼してフロアを出るまで、自分がここにいる誰よりも高いスコアを出して表彰台の一番高いところで笑っている未来を頭の片隅で絶えずイメージし続けろ。
家のリビングにいるときより低い声のトーンと強い口調に比例して、普段の温厚さが嘘みたいに眼つきも表情も現役時代のようにギラついている体操バカのお父さん。家族って考えたらこういう関係性はあまり良くないのかもしれないけれど、お父さんに新体操のことは“厳しく見て欲しい”と頼んだのは私のほうだ。
「分かってる。1年のときと違って、今日の私は勝つ自信しかないから」
お父さんが時に心を鬼にして接してくれるからこそ、私は両親やお姉ちゃんに甘えることなく新体操と向き合えて蝶野の名に恥じない成果も一応出せているから、これで更なる高みにいけるというなら私は余裕で耐えられる。
「それじゃあ、調整の時間を邪魔するわけにはいかないから
自身の現役時代からの座右の銘を引用したアドバイスを送り、お父さんは上に戻ることを私に告げる。自分の呼び方が
「今日までの自分を信じて行ってこい。雛」
コーチをしているときの鋭い眼差しはそのまま、力強くも暖かな口ぶりでお父さんはエールを送る。私にとっては家にいるときの滅多に怒らない優しいお父さんも、こと体操になれば父親ではなく指導者として厳しく私の演技を評価するお父さんも、どっちも本当のお父さんだ……って、それは当たり前だけれど。
「うん。ありがとう」
「雛は大人になったら、どんな人になりたい?」
「…“全ては思った通りにしかならない”…」
スマホを耳に当てて誰かと電話しながらお母さんとお姉ちゃんがいる2階の客席に戻っていく背中を見送り、お父さんから言われた言葉を復唱する。お父さん曰く高校時代に出会った恩師が口癖のように言っていたという、
「(…そんなに現実は甘くないってずっと外側だけ捉えてたけど、私もやっと言葉の
一昨年の4位と、去年の3位。成績も内容も、着々と良くなってきているのは自分でも分かる。ただ1位に届いていないのは、“優勝は目指すもの”という考えが抜け切っていないから。自分を最後まで信じ切れない自分がまだいるから。
「……」
私がよく知っている
「…勝つのは蝶野雛さまぞ」
不安を消し去る自己暗示をかけて、“人”という漢字を掌の上に3回書いて、飲み込む。力んではいない。かと言って慢心もしていない。緊張と平穏が絶妙な均衡を保ち、身体を駆け巡る。いまの感覚を最後まで保って、頭の中で浮かび上がった
「オリンピックとか世界選手権で優勝できるくらいの新体操選手っ!」
難しい話じゃない……ただ終わりまで、自分が1番になることを信じ続けた尊敬すべき
「いい演技してな。雛ちゃん」
メイクをする前に2年前の全中のときにもやっていたルーティンを済ませ堂々とした足取りで控室に向かう雛ちゃんへ死角から聞こえない程度の大きさで声を掛けて、ウチも後を追って自分の控室へ足を進めた。