鷹と蝶   作:ナカイユウ

72 / 75
13×13メートル

 私のお父さんこと蝶野弘彦は、日本を代表する体操選手だった。

 

 

 『やりました!日本の蝶野弘彦!体操男子個人総合、初出場で悲願のオリンピック優勝をアテネの地で成し遂げました!』

 

 

 全6種目において隙のない強さを発揮するオールラウンダーで、技の安定感と“世界一”と称された着地の美しさを兼ね備えた体操を武器に初めて出場したオリンピックの個人総合で優勝。そして世界選手権の個人総合では日本人選手として初となる2連覇を果たした、言うなれば()()()()()()()()()と呼ばれても過言ではないほどの凄い人。

 

 

 「…カッコいい…」

 「(完全にお父さんというよりファン目線で観てるわねこの子…)」

 

 

 鍛え抜かれた筋肉質な身体と爽やかな甘いマスク、そして技の派手さよりも“美しさ”を追求した唯一無二の体操で日の丸を背負い世界のどこかで戦う姿をテレビ越しに観て、私は蝶野弘彦(おとうさん)という選手(ひと)に物心がついたときから憧れを抱くようになった。今にして思うと私が体操ではなく新体操に惹かれたのは、お父さんの“美しい体操”が心の中でずっと残り続けていたからなのかもしれない。

 

 

 『日本の男子体操のエース、蝶野弘彦選手の2度目のオリンピックはあん馬でのミスが響き惜しくも4位に終わり、連覇とはなりませんでした』

 

 

 だけど私は、()()()()にお父さんが金メダルを取ったところを一度も見たことがない。私が憧れとしてずっと見てきたお父さんは世界の頂点に君臨していた全盛期ではなく、他のスポーツよりサイクルが早い世代交代の波と技の完成度よりも技の難易度が求められていく時代の流れに抗いながら己の美学を貫き世界と戦い続ける、泥臭いベテラン選手の意地だった。

 

 

 『技の美しさを求める今のスタイルを変えようと思ったことはありますか?』

 『全くないです。だって体操は大技を決めることだけが全てじゃないですから』

 

 

 お父さんが世界大会で優勝したのはお姉ちゃんが生まれた年に行われた世界選手権が最後で、私にとって体操選手・蝶野弘彦の金メダルは生まれる前の遠い世界で起きた出来事だ。ルール改定でこれまで築き上げてきた体操が次第に世界で通用しなくなり、連覇が期待された2度目のオリンピックでメダルを逃してからのお父さんは何とか日本代表の座を守り切るも海外どころか同じ日本の選手に負けることも増えて、お母さんからいつか聞いた話によれば技の難易度より完成度に重きを置くそのスタイルに対して“時代遅れ”と否定的な意見をぶつけられることもあったという。

 

 

 「ねえ、どうしてお父さんは勝てないの?」

 「どうしてだろうね?演技は誰よりも綺麗なのにね?(やっぱりH難度以上の技を組み込まないとメダルも厳しいのよね今どきの体操は…)」

 「審判って人が“ばいしゅう”されてるんだよ」

 「ばいしゅう?」

 「こら麦、雛に変なこと吹き込まないっていうかそんな言葉どこで覚えたの?」

 

 

 オリンピック優勝と世界選手権2連覇の偉業をリアルタイムで目撃した人たちから見れば、全盛期を過ぎた落ち目の選手のように思えたかもしれない。確かにいま振り返ると、お父さんは台頭し始めていた下の世代の選手と比べたら見ていてあっと驚くような派手な大技は持っていなかった。

 

 

 「…お父さんの体操がいちばんカッコいいのに」

 

 

 だけど一つ一つの技は誰よりも丁寧かつ指先や足先に至るまで美しいくらい整っていて無駄な動きもズレもなくて、着地は誰よりもブレがなくテレビ越しでもスッて音が聞こえてくるくらい綺麗に両足で降り立っていた。

 

 順位なんて関係なく、そんなお父さんの“美しい体操”が私にとっては一番カッコよくて、ただただ綺麗で見惚れて、こういう体操ができる選手(ひと)になりたいと思える()()()になった。

 

 

 『決まりました!これが世界一と称される着地と技の精度!H難度の大技がなくとも世界で戦えることをオリンピックの舞台で証明して見せました日本の蝶野!』

 『最後までミスなくやり切ったのでもうメダルは間違いないでしょう!』

 『栄光のアテネ、失意の北京を乗り越えて、このロンドンで歓喜への風が吹いています!』

 

 

 “今年で最後”と決意し挑んだ3度目のオリンピック。お父さんは最後の最後まで()()()()()を貫き4年前の雪辱を果たす3位入賞で銅メダル獲得を果たし、同じ年の世界選手権での5位とエレガンス賞を花道に体操選手を引退した。5歳だった私はその両方をテレビで観て、体操選手としての最後の雄姿をこの眼に焼き付けた。

 

 

 

 あの日から私は、“お父さんが見ていた景色を見たい”という根拠も理論もない()()()()()()を抱くようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「お疲れ」

 

 1回戦の試合を終えて2階の客席に戻ってきた俺を、匡が軽く労う。

 

 「まずは初戦突破だな」

 「うん。でもファーストゲームは完全に相手のペースだったし、こっちが負けててもおかしくない試合内容だった」

 

 インターハイの初陣は、ファイナルゲームにもつれ込んでの辛勝。もちろん初戦と言えど勝てたことは嬉しいものの、ゲームの内容は決していいものではなかったから少しだけ悔しいのが本音だ。

 

 「次の試合も勝つなら、序盤からもっと相手にプッシュできるようにならないと…」

 

 立ち上がりが遅く、序盤は必ず相手にペースを持っていかれやすいというずっと課題にし続けている自分の弱点。少しずつ良くはなってきているけれど、この調子のままだと遊佐くんと当たる決勝までは到底辿り着けない。当然、そこまで進むような成績を残すことはいまの実力だと難しいのは誰よりも分かっているつもりだ。

 

 「…1年前の大喜だったらインターハイで1回でも勝てたらそれだけで喜んでたはずなのにな」

 

 自分への独り言を聞いた匡が視線だけ俺のほうに向けて返す。馬鹿にし過ぎだろと一瞬ツッコみたくなったが、きっとその通りだったと芯を突かれて腑に落ちる。

 

 「針生先輩に勝って、こうやってインターハイで試合をして気付いたんだよ……やっと俺は()()()()()()()に立てたんだなって」

 

 高1になったばかりのときは、ただ漠然とインターハイに出ることを目標にバドを頑張っていた。それが自分より先を走る先輩、インターハイに進んだ先を見据えた同い年のライバル、この背中を凄いスピードで追いかけてくる後輩との出会いを経て、ようやく俺も目指すべき場所が視えてきた。

 

 「それに自分の悪いところが視えてるのは、まだまだ自分に伸びしろがあるってことだって俺は思うから…」

 

 

 

 もちろん俺がこの体育館のコートに辿り着いたのは、どんなときでも朝一番にいつもの体育館でシュート練習をしている()()()()()()()がいたからだ。

 

 

 

 「先輩達たちはこの後準々決勝だっけ?」

 「そう。だけど次の相手はU19の代表選手だから、考えたくないけどもしかしたら次の試合が最後かもしれない」

 「…そっか」

 「次で最後なんてまだわからないじゃないすか」

 

 試合から戻った俺と入れ替わりでアップに向かった針生西田ペアの話題(はなし)をし始めたところで、匡の隣でコートを眺めていた飛鷹が俺たちの会話に割って入る。

 

 「たまに()()()()が起こるのがスポーツの醍醐味ってやつでしょ。針生先輩に勝ってインターハイの舞台(コート)に立ってる大喜先輩みたいに」

 

 俺と匡に笑いかけながら、飛鷹は得意げに言い切る。県予選で遊佐くんと1点を争うほどの試合をした後輩なだけあって、言葉の説得力は半端じゃない。

 

 「ははっ、そうだね。飛鷹の言う通りだ」 

 「何だか1年前の()()を見ているみたいで眩しい」

 「ひょっとしてディスってる??」

 「良い意味で言ってるから安心しろ」

 

 俺がインターハイの1回戦で勝てたのは、少なからず飛鷹と練習してきた影響もあると思う。羽根の軌道を瞬時に読んで相手が返しづらい嫌な場所へ必ずと言っていいほど返してくる試合勘の鋭さと、兵藤さんにも引けを取らないほどの威力と高さがあるジャンプスマッシュ。県予選で遊佐くんから1点とはいえ試合をリードできたのは飛鷹だけで、この前の練習でもデュースに持ち込まれた。選手としてもの凄いスピードで成長している飛鷹との差は、はっきり言ってほぼないに等しいところにまで来ているのかもしれない。

 

 「大喜先輩も頑張ってください」

 「分かってるよ。言われなくても」

 

 容赦なく先輩たちの背中を脅かしてくる後輩からの、インターハイに出られなかった悔しさが微かにつまった笑みとエール。言われるまでもなく、点差なんて関係なく決着がつくまでは諦めないで羽根を追い続ける。

 

 「あと、雛姉も大喜先輩のこと応援してましたよ」

 「それ昨日俺のとこにメッセで来た」

 「へぇ~なんて言ってました?」

 「“初めてのインターハイ。猪の如く突っ走って砕けてこい”って」

 「ぷはっ、雛姉らしいっすね」

 「いくらなんでも負ける前提なのは酷くね?(冗談だとしても)」

 「勝ちゃいいんすよ勝ちゃ」

 「随分簡単に言ってくれるな…」

 

 その流れで、ダブルスの試合を待つまでの話の中身は雛のことにすり替わる。確かあいつも、今日が出場する個人種目の日だった。てことはもう向こうも試合が始まっているころだろうか。

 

 「…“砕けてこい”って言われたからには負けてられないですね?」

 

 同じく今日が本番の雛のことを思い浮かべた俺に、匡を挟んだ隣から飛鷹が悪戯で挑発的な笑みを浮かべて発破をかける。何だか良くも悪くもまたひとつ、(あいつ)に似てきた気がする。

 

 「おう。当然だろ」

 

 

 

 

 

 

 いま考えることじゃないけど、雛は飛鷹に()()()()話しているんだろうか……

 

 

 

 

 

 

 『只今より、男子ダブルス準々決勝の試合をコールします_』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『女子リボン、45番。埼玉県・栄明高校。蝶野雛』

 

 拍手が鳴り終わったあとの少しの静寂から、私の名前のコールがアリーナ全体に響く。その声を合図に姿勢を正し、ふっと息を吐いて表情を作り、右手にリボンを持ちながら体幹を意識した足取りでフロアの外側からフロアマットへ歩を進める。

 

 「「雛ーっ!」」

 「「ガンバーっ!!」」

 

 フロアに足を踏み入れた瞬間に視界の外から聴こえてくる私へ向けられる仲間からの声援。ついさっきも聞いたばかりだというのに、この声が背中を押してくれるおかげでまたひとつ気合いが入る。ただここで気持ちを入れ込み過ぎると冷静さを欠いてミスへと繋がるから心だけは冷静にして、フロアマットの上に足を踏み入れたところで一旦立ち止まって観客と審査員に向けて両手を広げ挨拶代わりの一礼をして、演目を始める開始位置へ姿勢を正し再び足を進めつつ右手に持って纏めていたチェリーピンクのリボン解いて持ち替えながら感触を確かめる。

 

 シュルッ_

 

 束になることなく、スティックを伝ってチェリー色のリボンが意のままの放物線を描いてゆらりと身体の周りで踊るように(そら)を舞う。観客席から聞こえてくる拍手と応援の声、視線が少しずつ遠くなって視える世界が狭まり、身体の中心から一本一本の指先足先に至るまでの感覚が一歩踏み出すごとに研ぎ澄まされていく。

 

 ドッ_

 

 段々と鮮明になっていく、この身体を一定のリズムで動かし続けている心臓の鼓動。そのリズムは練習のときと何ら変わらない。今になって、インターハイだというのに恐いくらいに落ち着いている自分自身に少しだけ驚きそうになりかけて、余計な感情が外に出る前にそれを内側へと飲み込んで位置につく。この競技は己との戦いと心得ているから、視線が向けられていることへの緊張感やプレッシャーはない。

 

 「……」

 

 位置についたところで最後の慣らしに軽く宙に放物線を描いたあとに、束にならないよう意識しながらスティックでリボンの先端から3分の2までを床の上で折り重ねて、天井へかざした左手とスティックを持つ右手、立ったつま先から頭が全て綺麗な線になるように姿勢を作り、静止させる。静かになっていた視界の外から聞こえる音が途切れて、一瞬だけ宇宙にでもいるかのように何も聞こえなくなる瞬間が生まれる。

 

 “これ”が合図だ。

 

 「…っ」

 

 

 

 1. 天辻凛桜(兵庫・日浦) ボール:27.050

 2. 蝶野雛(埼玉・栄明)  ボール:26.300

 

 第一種目のボールを終えて、私の順位は0.75点差の2位。初出場の1年生が上級生の選手たちを上回るスコアをいきなり叩き出して種目別1位を獲ったことで会場は衝撃と騒然に包まれたけれど、凛桜ちゃんの強さを知っている私からすれば超えてくることは想定の範囲内だった。もちろん想定していたからといって、確かな手応えがあったボールで1位が獲れなかったことは普通に悔しい。

 

 “…この点差ならいける…”

 

 ただ第二種目は、新体操の演目の中で私が最も得意としているリボン。得意だからと慢心はしないが、今日のために最後まで完璧に演りきれば確実に優勝を狙える演技構成を仕上げてきた。点差は1点以内で留まっているから、逆転するには十分だ。

  

 

 

 「楽しみにしとるよ、明日」

 

 

 

 新体操の中で一番好きなこの演目は……誰にも譲らせない。

 

 

 

 ポーン_

 

 演目の始まりを告げる()()が鳴るのと同時に、演目の曲が流れ出す。フロア全体に響き渡るストリングスに身を委ねて、数を数えるのも億劫になるほど繰り返して沁み込ませた身体の記憶のままに指先で弧を描き、舞う。ここからの90秒間は、ほんの僅かなボタンの掛け違いすらも許されない。

 

 「(パンシェターン……1…2、ここで回して…3…4反らしながらリボンを右から左に替えて、起こして…シザーで飛ばすっ……多分この辺に落ちて…よしっ、悪くない)」

 

 頭の中で演技構成を復唱しながらも流れる音楽と一心同体になって全身を淀みなく動かして四方の中を舞い、審査員に考え事をしながら演じていることを悟られぬよう表情を作り、己を調和させ続ける。たかが90秒と言えど常に姿勢を乱さず身体と手具の動きに一体感を持たせ、手具を落としたり操るリボンが絡まぬよう気を配りながら自己を最大限に表現するこの競技は、一見すると華やかだが想像以上に過酷だ。

 

 そして言うまでもなく、フロアの中にいるときは華やかさの裏側なんて表側にいる人には絶対見せてはいけない。

 

 「(右に持ち替え……転回)」

 

 演目中にこれだけ自分のことを冷静に俯瞰しながら演技が出来るようになるまで、10年以上の月日がかかった。というより、4歳からこの競技をやり続けてきた中で今が一番というだけで、まだ私は新体操の選手としての()()()()()には辿り着けていないし、それが果たして何処なのかも視えてすらいない。

 

 

 

 

 

 

 「素晴らしいわ蝶野さん!このまま日本一を目指して一緒に頑張りましょう!」

 

 

 人に努力してるところを見せるのも見られるのも好きじゃないから、周りから褒められたりするとつい図に乗って天才(それ)っぽく振る舞うことがあるけれど、私は全然天才なんかじゃない。ただ周りの人より少し早く新体操を始めた経験値を持っているってだけで、ここまで本番で何度も失敗してきたし、失敗したら次が恐くなって萎縮して昨日まで当たり前に出来ていた技も出来なくなったこともあって、そんな自分の不甲斐なさに涙を流したことだって一度や二度なんかじゃない。

 

 

 「そういえば3位だったよ。インターハイの結果」

 

 

 やがて時間が少し経てばショックが和らいで、どうして自分が失敗したのかが見えてきて、次に何をするべきか自分と向き合って、辿り着いた答えを試して上手く行けばその方法を覚えて、壁にぶち当たったら別の方法を自分なりに考えて、根気強く耐えながら実践……そういうのをひたすらに繰り返して、どうしても耐えられなくなりそうになったときは敢えて新体操のことを考えない時間を作ったりして……その中で新しい友達ができて、生まれて初めての()もして、人生史上最大の痛みを味わって、暫しの時間を経て何とかそれを受け入れて、形は違えど私のことを一番に応援してくれる人が現れて、影響されて……とにかく色んなことを10年以上かけて経験した先に、いまの蝶野雛(わたし)はいる。

 

 

 「雛……新体操は楽しいか?」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()はまだまだ果てしないほどに遠くて、自分の中で出来ることが増えていく度にその偉大さを痛く思い知る。追いつこうと努力すればするほど、幼かった自分が煌びやかな世界の表だけしか目を向けていなくて、焦がれていた夢がいかにぼんやりしていて浅はかなものだったか、上には上がいるという現実が突きつける。

 

 

 「うん。すっごく楽しい」

 

 

 新体操のことが嫌いになりかけた瞬間は、何度かあった。でも“やめよう”とは思わなかった。嫌うくらいだったらもっと好きになってやろうと、耐えて次に繋げてきた。憧れた人が苦しみすらも血肉に変え前に進み続けて()()()()()に立ったように……なんて張本人に言ったら“甘い”と叱られるだろうけど、私だってそれぐらいの意気込みで新体操に時間を捧げてきた。

 

 

 

 「雛姉は新体操の選手としてどこまで行きたい?」

 「もちろん。()()()()()()()()

 

 

 

 少なくともゴールが視えるようになるまで……私は1()3()×()1()3()()()()()()()()で生きることをやめないだろう。

 

 

 

 

 

 

 『♪~…』

 

 フロア全体に響き渡るストリングスの音源が最後の一小節を奏でる。それに合わせるように、(そら)からひゅるりと落ちてきたリボンを右手で拾い大きく綺麗な弧を描いて、最後のポージング。

 

 ワァァ_

 

 一瞬の沈黙を挟んで、遠くから歓声混じりの拍手の大群(おと)が押し寄せる。徐々に大きくなる拍手と、比例して広くなっていく視界。ゆっくりとゾーンが解けていき、小さな世界の外側がようやく視えた。

 

 パチパチ_

 

 鳴り止まない拍手の中で、絡ませないようにリボンを素早くかつ美しく纏めて、姿勢を正して自分の演技を見守ってくれた客席の人たちと審査員にこの場所で演目をさせてもらったことへの感謝を笑顔とお辞儀で伝えて、笑顔を保ったまま最後に客席へと手を振り、綺麗な姿勢をキープしながら拍手が鳴り止む前にフロアを立ち去る。

 

 「(あ、いた…)」

 

 フロアマットから下りて、最後に客席へ笑顔で手を振ったところでにいなたちから少し離れた場所で見守っていた家族の姿が目に留まり、ようやく応援に来てくれていたことを実感する。だけど新体操はフロアから自分の姿が見えなくなるまで演目は続くから、気持ちが感傷的になる前にフロアの内側と外側を隔てるコーチゾーンへ戻る。

 

 まだ私の後ろには出番を控えている選手(ひと)がいるから、全てが終わるまで気持ちは切らさない。

 

 「ビューティーフル&パーフェクト!最高の演技だったわ蝶野さん!」

 「途中でリボンの落ちる位置がほんのちょっとズレたところがあってそこが心配ですけど、ひとまずノーミスで演れました」

 「側宙のところよね。姿勢も全く乱れてなかったからそんなの心配しなくても大丈夫よ!」

 「ありがとうございます(いつも演技自体はちゃんと見てくれるのよねこの人…)」

 

 コーチゾーンに戻ると、ここまで演目を見守っていた褒め上手(というか基本褒めてばかり)のコーチが私の演技を手放しで褒めちぎる。正直に言って振り返るとリボンを落とす位置が演技に影響を及ぼさない範囲でズレたところが一か所あるのが微かな不安材料だけど、こういうときに“大丈夫”と不安を和らげてくれる今のコーチがいるから私もここまで堂々と自信を持って本番でも演技ができるんだって思う。ただ、もうちょっとだけでいいから技術的なアドバイスも欲しいかな…と思うこともそれなりにあるものの、それは代わりに“研究材料”として試合を撮っているお父さんが後日にしてくれるだろうから結果的にいいバランスになっていて何やかんや満足はしている。

 

 「(もちろん。油断なんて全然できないけれど…)」

 

 コーチとのコミュニケーションを終えて移した視線の先で、白銀色の髪を夜会巻きで纏めた“スーパールーキー”の1年生が青色基調の衣装とリボンを持ち、始まりを待つ。囲いの向こうから聞こえてくる拍手の音が、彼女を出迎えるかのようにサッと静まり、聞こえなくなる。

 

 「ふっ」

 

 

 

 私より僅かに大きな背中が、ふっと息を吐き出した。その一息でフロア全体の空気が変わる()()を、私は感じた。

 

 

 

 『女子リボン、46番。兵庫県・日浦高校。天辻凛桜』




原作勢の人はもうお分かりかと思いますが、飛鷹が練習相手になった影響で原作だと初戦敗退だった大喜が初戦突破しています。大喜のパートについては準拠で行こうか正直かなり悩みましたが、この通りになりました。

そして雛パパに関しては原作の時系列的にアテネ五輪から北京、あるいはロンドン五輪辺りの時期に活躍していた選手だろうと解釈し、雛パパのキャリアはちょうどその時期に活躍していた“とある選手”を一部参考にしています。
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