精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~   作:忌野希和

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130話 領域侵犯

「ねーガルくん。またシュヴァちゃんのところに遊びに行こうよ。お姉ちゃんがいなくて寂しがってると思うんだよね」

 

 今日も仕事である薬草摘みをサボって、狼人族の少女キルテは聖域を訪れていた。

 平たい大岩の上で横になり、頭の下には枕替わりにしている銀色の毛並みの腹が見える。

 

⦅そう言って目当てはちょこれーと味のしりあるばーなのだろう?⦆

 

 キルテの脳内に男の低い声が直接流れ込んでくる。

 

「そっちはついでなの」

 

⦅涎が出ているぞ⦆

 

「おおっと、じゅるり」

 

 味を想像していたのだろう。

 幼気(いたいけ)な少女らしからぬ、恍惚の表情を浮かべていたキルテが口元を腕で拭う。

 

 そんなキルテの顔を覗き込んでいるのは巨大な狼、神獣ガルムだ。

 伏せた姿勢のガルムの腹にキルテが寄りかかり寛いでいるのだが、そんな彼女を宝石のように透き通った蒼い双眸が呆れ気味に見つめている。

 

⦅そもそも遊びに行ったからといって、必ずシキ殿がいてしりあるばーをくれるとも限るまい⦆

 

「でもさー、何か行ったら必ずいるよね。シキお兄ちゃん。まるで来るのがわかってるみたいに」

 

 小型情報端末によって樹海の様子は常に監視されているので、キルテの勘は正しい。

 ガルムとキルテがシュヴァルツァの元へやってくる度に、シキは〈ユニット転送〉で移動してもてなしていたのだ。

 

「つまり行けば食べられるんだよ! ほらほらガルくんだって涎」

 

⦅……むっ⦆

 

 キルテを丸呑みできそうなガルムの大きな顎の隙間から、涎がぼたぼたと落ちていた。

 傍から見ると獲物の少女を前にして涎を垂らしている恐ろしい光景だが、真実はおやつの味を想像しているだけである。

 シキが見たら「パブロフの犬、いや狼か」と呟いていたことだろう。

 

「というわけで行こう!」

 

⦅いいや、先方にも都合というものがあるだろうから―――⦆

 

 音場の神の使いである神獣ガルムが、自身の部下ともいえる巫女のキルテを諭そうとした。

 その時、大地が割れたかのような大きくて低い音が響き渡る。

 

「ぴっ」

 

 実際に少し地面が揺れたため、普段は生意気全開なキルテも怖くなり、奇声を発しながらガルムにしがみついた。

 

⦅この衝撃の方向は、聖樹守りの近くか? 一体何が……これはっ!⦆

 

「ぐえ」

 

 急にガルムが立ち上がったのでキルテが大岩の上を転がる。

 

⦅キルテ。お前は狼人族の里に戻るんだ。両親も心配しているだろう⦆

 

「いたた、ガルくんはどうするの?」

 

⦅俺はこの揺れの起きた場所に向かう。たった今、音場の神より神託が下ったのだ⦆

 

 

 

 

 

 

 

『倒せたのはいいけど、俺たちの方が環境破壊しちゃったかなぁ?』

 

『うっ、すみません』

 

『ああごめん。ルミナを責めたわけじゃないよ。ありがとう。持ち場に戻すね』

 

 ムハイを倒したルミナを〈ユニット転送〉で防衛ラインに帰すと、シキは改めて周囲の状況を確認する。

 クレーターは直径100メートルほどの大きさで、その外側の木々も薙ぎ倒されていた。

 

 シアニスがクレーターの中央に下りると深さも相当あるようで、スプリガンのメインカメラからでは外側が見えない。

 

『近くに森人族の里があるし、衝撃音が聞こえていたら何事かと思うよね。後で説明しに行こうか。ガルムさんも狼で耳が良いから気付いているかも? このクレーターも整地して隠した方がいいかな』

 

『マスター、それであれば以前のようにアリエの―――』

 

 オルティエの声が聞こえなくなったかと思うと、シキは急に強烈な怖気(おぞけ)に襲われた。

 全身から血の気が引き、強烈な寒気を感じて体が小刻みに震える。

 

 視界が狭まると同時に色彩が失われ、焦点も合わなくなりぼやけてしまう。

 冷や汗が止まらず呼吸は浅くなり、早鐘のように打つ自分の心臓の鼓動だけがうるさく聞こえた。

 

 ここにいてはいけない。

 今すぐ逃げなければ恐ろしいことになる。

 

 生物としての本能がそう訴えかけてきたが、体が強張り身動き一つ出来ない。

 ここはスプリガンのコックピット内だとか、〈降機〉で脱出できるといった思考がすべて抜け落ち、逃げられないという恐怖でシキの心が埋め尽くされる。

 

「あ、あああああぁぁぁ」

 

 

 ―――大丈夫。

 

 

「ぁぁあ、あれ」

 

『精神汚染に抵抗(レジスト)しました。対処が遅れて申し訳ありません、マスター』

 

 気が付くとシキはオルティエに抱きしめられていた。

 全身を支配していた怖気が引いていく。

 

 スプリガンのコックピット内は狭く、立体映像のオルティエが実体化するスペースはない。

 だからオルティエは非実体のまま、下半身をコックピットに埋めた状態でシキを正面から抱きしめている。

 それなのに不思議とシキは温もりを感じた。

 

 対処が遅れたとオルティエは言ったが、シキが恐慌状態に陥っていた時間は一秒にも満たなかったようだ。

 コックピットの内外に変化はない。

 

 ……いや、オルティエがシキを抱きしめながら首を巡らせてモニターを見つめていた。

 そこにはかつてムハイであった汚泥の染みが映っていているが、染みの表面が波打っている。

 

『このエネルギー反応は!? シアニス!』

 

 シアニスが飛び退いて距離を取るのと同時に、汚泥から何かが飛び出す。

 それはムハイの触手が集まってできた腕で、一気に二の腕あたりまでが出てくると肘を曲げて手をついた。

 

 続けて肩と頭部が姿を現す。

 デッサン人形のようなシンプルな形状で、相変わらず無数の触手が蠢いているため気色が悪い。

 目の位置には窪んだ暗い穴があるだけだが、汚泥から上右半身を出した状態で周囲を見回した。

 

 そしてある一点で止まる。

 視線の先には()()()()()のシアニス。

 つまりこちらを見つめていた。

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