精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~ 作:忌野希和
薄暮を迎えた貴族街の上空を、黒い影が飛んでいる。
と言ってもその影は実際に空を飛んでいるわけではない。
小さな放物線を何度も描いていて、それは屋根伝いに飛び跳ねて進んでいることを意味していた。
薄暗い夜空を音もなく飛び跳ねているため、気付いて見上げるような通行人もいない。
影は暫く進むと豪勢な屋敷の中庭に降り立つ。
全身を覆っていた外套が外されると、中からは漆黒の騎士と美女が現れた。
「屋敷の人々は無事だから安心するといい。まずはその身を清めることだ」
外した外套で薄着の美女を包みつつ、騎士が男の低い声で言った。
「身をもって経験したからわかるかと思うが、第二王子は邪人に魅入られている。身なりを整え次第、当主殿と合流し王城に……大丈夫か? まだどこか具合が悪いのか?」
説明している間も美女は呆けた様子で騎士を見上げている。
騎士の問いから十秒ほどして、ようやく我に返った。
「だ、大丈夫よ。ゼーレ……貴方は何者なの? 私はどうやって恩を返せばいいの?」
「すまないが俺の正体は今は明かせない。助けたことを恩に感じているなら、ペトルス伯爵邸の邪人の死体の保存と、事の顛末を王族に伝えてくれ。それが俺の望みだ」
「わかった。すぐに準備するわ」
美女の返事を聞いて、騎士は鷹揚に頷くと跳躍して屋敷の屋根に飛び乗る。
「また会える?」
その問いに騎士が答えることはなかったが、一度だけ振り向いて美女を見てから、夜の帳へと消えていく。
騎士が去った後も、美女は暫くその方向を見つめていた。
『ジーナさん、ぼーっとしてたけど本当に大丈夫かな?
『あの反応を見て本気で言っていますか? マスター』
珍しくオルティエに呆れ気味に言われて、漆黒の騎士ゼーレことシキはパワードスーツ〈GGT-117 ゼーレ〉の中で苦笑いを浮かべた。
『……だよね。俺もそこまで鈍感ではないさ。ちょっと確認しただけだよ』
『マスターが鈍感ではないかは微妙なところです。今回のように自覚する確率は50%程度ですから』
『えっ、それどういうこと?』
『ベリーズですが真っすぐ王城に向かい、レカールキスタ第二王子と合流しています』
オルティエが気になる発言をしたが、今は追及している場合ではない。
シキは目撃者がいないことを確認してから、王城の地下牢へ転移で戻る。
『ウル姉たちはどうする?』
『計画では明日が実行日でしたが、正体を知られたベリーズは今晩のうちに必ず動くでしょう。ルミナ、再登城の準備をお願いね』
『わかりました!』
ボイスチャット越しに、ウルティアたちに同行しているルミナの返事が聞こえてきた。
神託 〈第二王子に悪魔の影あり〉というのは嘘である。
内容は事実だが、それが神託でもたらされたというのが噓だ。
オルティエから偽神託で第二王子の真実を暴く計画を聞いた時は、さすがにウルティアも首を縦に振らないとシキは思った。
ところがルミナから計画を聞いて、ウルティアは二つ返事で承諾する。
過去に一度、アートリース伯爵領で偽神託を利用させてもらったことがあった。
非合法の〈隷属の円環〉を取り扱うライロー商会への、家宅捜索を促すための虚偽の神託だ。
相手は貴族でもない商会なので、もし神託が噓だという結果になっても致命的なミスにはならなかっただろう。
しかし今回は王族を糾弾する内容であり、神託の結果が噓となれば反逆罪に問われる。
大陸最大規模である地神教の聖女といえども極刑は免れない。
だから拡張画面越しに様子を見守っていたシキは、ルミナ経由で偽神託を使うことの危険性を説明し、再確認した。
それに対してウルティアは、
「私は救国の英雄であるシキを信じてる。神託が先にシキを認めているんだから、シキが神託を利用するのは構わない。それよりも王族が邪人に魅入られていることが大問題。あってはならないこと。早くどうにかしないと罪のない人々に被害が出る」
と言ってのけた。
それだけでなく、ウルティアの後見人であるボガード司祭まで巻き込んでしまう。
ボガード司祭もシキを信じるウルティアを信じる、というスタンスで全面的に協力してくれることになった。
アルネイズは……いつも通り苦々しい顔をしていたので、逆にほっとするシキである。
彼女は常にウルティアの安全を第一にしていた。
偽神託の内容を聞いて、腸が煮えくり返っていることだろう。
シキとしては嫌われたままで構わないので、しっかりウルティアを守って欲しかった。
『やりとりを聞いている感じだと、ベリーズが邪人だと第二王子は気付いていないみたいだね』
ベリーズは人の姿に戻り、第二王子にジーナが逃亡したことを報告している。
強力な麻薬を使って洗脳しようとしたところに邪魔が入ったと、噓の説明をしていた。
通常なら邪人は邪悪な魔力を纏っているため、近づいただけですぐにわかる。
それは間抜けな第二王子でも同じだ。
ところがベリーズたち
その能力でペトルス伯爵家を乗っ取り、第二王子に取り入り、王国の中枢である王城にまで侵入している。
『もしかしてベリーズ以外にも王城に吸脳鬼が潜入してる?』
『吸脳鬼の魔力の偽装パターンは解析済みです。改めて王城全域をスキャンしましたが、吸脳鬼はベリーズのみです。またペトルス伯爵邸でもスキャンしましたが、マスターが倒した四体とベリーズ以外に吸脳鬼の存在は認められません』
『そっか、とりあえず良かったかな? 人に化けられる邪人が沢山いたら大変だ』
ベリーズの失敗を聞いて第二王子は激高するかと思いきや、ぼんやりとした表情で聞き流している。
ジーナという手駒に逃げられたので新たな駒が必要。
今晩にでもエリンを薬漬けにしてくださいと言われて、その工程を想像しているのだろう。
第二王子は口の端から涎を垂らしながら、嫌らしい笑みを浮かべていた。
『あ……これはもうやられてるね』
『はい、やられています。マスター』
これは過度な精神干渉によって廃人になる一歩手前の状態と見ていいだろう。
『精神干渉によるダメージって治療薬で治せる?』
『脳を汚染前の状態に戻すことは可能ですが……』
シキの問いにオルティエが言葉を区切る。
『戻したところで、また同じ過ちを繰り返すため無意味です。馬鹿に付ける薬はありません』