精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~ 作:忌野希和
厳密に言うとそれは霧ではなく、粒子レベルまで小さくなった黒い結晶の集合体であった。
黒い粒子は逃げようとしたフェリデアを包み込むと、瞬時に再結晶化する。
形状は縦長な巨大クリスタルだが、真っ黒で死者を納める棺にも見えた。
フェリデアを閉じ込めるとその棺は縮小を始める。
オルティエは動かない。
長い銀髪を夜風で揺らし、冷ややかな銀の双眸で戦況をじっと見つめていた。
最初のうちはクリスタルの内部からトンファーで叩く音がしていたが、縮小が進むと聞こえなくなる。
やがてフェリデアとほぼ同じ大きさまで縮まった。
中世の拷問器具のように中身を締め上げる。
行き場を失った血液がクリスタルの隙間から噴き出した。
……かに見えたが、それは血液ではなく、赤く発光する二つの刃だった。
50センチほどの長さの双刃が、クリスタルの表面を回転するように動き出す。
回転は一気に加速し、赤い竜巻となってクリスタルを内側からズタズタに切り裂いた。
実体を保てなくなったのだろう。
クリスタルは再び細かい粒子へと戻っていく。
赤い竜巻も消えると、その中から独楽のように高速で回転していたフェリデアが現れる。
フィギュアスケートの演目のフィニッシュのように、跪いた姿勢でぴたりと動きを止めた。
トンファーの肘側の先端から、赤い刃が伸びている。
これがクリスタルを切り裂いた刃の正体で、その輝きは〈SG-068 アリエ・オービス〉の
「仮称:ルトラ伯爵夫人の消滅を確認したわ」
「ああん? これで終わりか? こっちはスプリガンで第二ラウンドをやるつもりだったんだがな」
フェリデアが立ち上がり周囲を見回すと、霧散した黒い粒子の殆が既に消滅している。
残された僅かな粒子も、今まさに空気に溶けるようにして消えた。
「
「そんなもんか。パワーとスピードはあったが、それだけだったしなぁ。ちぇ、不完全燃焼だぜ。もう少しこう、技を競い合いたいんだけどな」
「ふふっ」
そう言って唇を尖らせるフェリデアを見て、オルティエが口元を隠して笑う。
野性味ある顔つきには少々不釣り合いな、可愛らしい仕草だったからだ。
「なに笑ってんだよ」
「なんでもないわ。これからブレイル獣王国の調査も始まることだし、技を試す機会はあるんじゃないかしら」
「おっ、それは楽しみだねぇ」
こうして外様の神〈
魔力総量が少ないとはいえ、神気を纏った眷属は十分脅威である。
もしレドーク王国のみの戦力で戦えば、亜神ベリーズほどではないにしても、相応の被害が出ていただろう。
翌朝、拡張画面に映るメインメニューの新着情報を見て驚いたのはシキだ。
「えっ、無償チップを取得してる!? 起きて、起きてよオルティエ」
王都の宿の狭いベッドで同衾していたオルティエの肩を揺する。
「う……ん……ふわぁ。おはようございます。マスター」
シキに抱き着いて眠っていたオルティエが、ゆっくり目を開けた。
〈スキン変更〉で花柄の可愛らしい、少女趣味全開のパジャマに着替えている。
大人びた美貌のオルティエが着ると違和感が凄いが、流石に慣れた。
上半身をベッドから起こすと、主張の強い胸元に引っかかっていた銀髪が流れ落ちる。
尚、ベッドが狭いのはシングルベッドにオルティエが潜り込んでいるからで、決して宿の質が悪いからではない。
またオルティエは質量を持つが立体映像なので睡眠は不要だ。
つまりは全部、シキと同衾するための演技である。
「おはようオルティエ。寝ている間に無償チップを取得しているんだけど、何かあった?」
「はい。ありました」
ベッドから降りて一瞬で普段の軍服姿に戻ったオルティエが、真夜中の出来事をシキに伝える。
「ふうむ、ということはあの絵画には悪霊が二つ憑りついていたのか。当時のルトラ伯爵と、〈流離う彷徨い〉の眷属が」
「サマンサの手稿によると、この眷属の呼称は
「便利だなぁ、サマンサさんのモンスター図鑑。日中の時点で囁く闇結晶には気付いていたの?」
「微弱なエネルギー反応は探知していましたが、確証はありませんでしたので、小型情報端末を一機配置して監視していました。報告が遅れて申し訳ありません」
「ううん、いいよ。色んな所で諜報活動をしてるから、全部報告となると大変なんだもんね?」
「はい。報告する情報の選定についてはお任せください」
実はシキが想像する諜報活動の範囲と、実際のそれとでは激しい乖離があるのだが……知らぬが仏である。
事の顛末はこうだ。
遥か昔、外様の神〈流離う彷徨い〉はアトルランの大地に隕石に偽装した眷属を落とした。
隕石は外様の神の神気を少なからず含んでいたため、神々は隕石を迷宮に作り替える。
この迷宮とは〈星屑の迷宮〉のことだ。
脅威は去ったかに思われたが、隕石は落下の際に分裂していた。
本体と比べると砂粒程度の規模のそれは、数十キロ離れた丘に落ちる。
それから数百年は何も起こらない。
黒い隕石は密かに、大気中に微かに漂う神気を取り込み続けるだけだ。
いつからか丘はルトラ伯爵領の墓所になっていた。
今からおよそ五十年前、隕石に魅入られたルトラ伯爵は、自らが描いた絵画に隕石の欠片を混ぜ込んだ。
死後、悪霊となり絵画に憑りついたルトラ伯爵は人間を襲い、封印されることになる。
そして昨晩、封印が解かれたことにより隕石の欠片は元の場所へと帰り、伯爵夫人の姿となって復活したのであった。
「ルトラ伯爵が人を襲っていたのって、神気を少しでも早く貯めるためだったのかな?」
「はい。そう推測されます。神気の割合を綿毛羊と比較した場合、大気中からは一年で0.5%、一般人からは一人につき3%の回収が可能です」
「それは……綿毛羊が凄いね?」
シキの脳内で白いもこもこたちが「Maaaaaaa」と鳴きながら柵を飛び越えた。
「これも推測ですが、ルトラ伯爵は囁く闇結晶に唆されたのでしょう。神気を集めれば、伯爵夫人と再会できると」
機棲骸は惑星外生命体である。
その姿形は多様であり、微小な規模であっても知性を宿し、人の精神に干渉した。
「名前の通り囁いてきたのか。しかし自分は悪霊になった上に、伯爵夫人もその隕石の擬態なんでしょ? まんまと騙されてるわけで。救われないなぁ」
「気持ちはわかります。万が一、いえ億が一もありませんが、もしマスターを失い他に選択肢がなければ、私もルトラ伯爵と同じことをしたかもしれません。まぁ兆が一もありませんが」
「小数点以下がどんどん増える」
「でも確率をゼロにすることはできません。それが天文学的な数字だとしても起こり得るのであれば、私は怖い……。マスター、死なないでくださいね? 代理構成体や意識の電脳化は最終手段ですから」
「あっはい」
物騒な単語だけでなくオルティエから漂う黒いオーラを幻視して、シキは即答した。