精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~ 作:忌野希和
ライカ・バイフ・ブレイルの母親は生まれつき病弱だった。
娘のライカを産んでからは肥立ちも悪く、ベッドから起き上がれない日々が続く。
虎人族を束ねるバイフ族は、七氏族の中でも特に強さを重んじる武術一族である。
屋敷の訓練場では一族の戦士たちが日々鍛錬していた。
病弱だった母親はもちろん、それから生まれたライカも一族からは期待されていない。
故に二人は屋敷の離れに押し込められた。
ライカは一族の評価なんてどうでもよかった。
しかしたった一人の家族である母親にだけは、元気な姿を見せて喜ばせたい。
四歳の誕生日を機に、見様見真似で武術の鍛錬をするようになった。
庭先で武術の型の練習をする合間に、ライカが「おかーさま!」と元気に手を振る。
すると窓越しに見ていた母親が、嬉しそうに手を振り返した。
ある日、屋敷に客人が訪れる。
なんでもその人族の女性は王子の命の恩人で、武術の達人だという。
屋敷へは武術指南のためにやってきていた。
最初にその女性を見たライカの感想は「なんか弱そうだな」である。
背は低く手足は細く、長い黒髪がさらさらと揺れていた。
儚げな微笑を湛えて佇む姿は、武術の達人どころか病弱な母親とそっくり。
一緒にやってきた王子と訓練場で対峙すると、まるで大人と子供のような体格差があった。
ところが、いざ組手が始まると立場は逆転。
武芸に優れ次期国王と名高い王子を、あっという間に叩きのめしてしまう。
その女性は強力な加護の持ち主だった。
小さい体で大きな相手を倒す光景は、ライカの子供心に眩しく映る。
訓練場の隅で驚いているライカに気が付いたようで、訓練終わりにその女性から話しかけられた。
拙い語彙と身振りで「すごい、すごい」と褒め称えると、女性は微笑んでライカの頭を撫でた。
女性と王子は週に三日のペースで屋敷を訪れて稽古をする。
期待されていないライカは稽古の対象外だ。
女性は休憩時間になるとライカたちの住まいである離れまでやってきて、こっそり簡単な稽古をつけてくれた。
母親とも話が合うようで、その時だけは静かな離れが賑やかになる。
それは楽しい日々だったが、一か月も続かなかった。
何の前触れもなく女性は屋敷に来なくなる。
屋敷の人間に聞いて回ったが、誰も理由を知らない。
母と子の二人きりに戻ってしまった。
三年後、母親が病で亡くなった。
最期の言葉は、
「私のために武術を続けてくれてありがとう。これからは自分のしたいことをしなさい」
であった。
母親の体に縋りつき、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらライカは考える。
自分のしたいこととはなんだろう?
武術しかしてこなかったので、それ以外に何があるかもわからない。
ライカには武術を続けることしかできなかった。
庭先で一人ぼっちで鍛錬していると、不意に寂しくなって涙が零れることがある。
そんな時はかつて母親がいた窓際を振り返った。
見えなくてもそこに母親がいて応援してくれているような気持ちになり、頑張ることができた。
半年ほど過ぎたある日、ライカは腹違いの兄に因縁を付けられる。
訓練場に連れ出され、稽古と称して暴行されそうになったが……あっさり返り討ちにした。
一度も誰かと手合わせしたことがなくわからなかったが、ライカには武術の才能があったようだ。
バイフ族は強き者を重んじる。
その日を境にして、手の平を返すようにライカの待遇が改善された。
ライカは激怒する。
母親を蔑ろにしてきたバイフ族が大嫌いだった。
だから本邸での生活を提案されたが拒否し、母親との思い出がある離れで暮らし続ける。
訓練場に立ち入ることが許され、他者と手合わせできるようになった。
怒りに任せて全員を叩きのめした。
更に半年ほど経った頃、族長から従者があてがわれた。
モアという名前の羊人族の少女だ。
最初は断わろうとしたが、モアが天涯孤独の身だと聞いて思い直す。
似たような境遇で共感したこともあり、二人はすぐに打ち解けた。
他者と手合わせを通して、ライカの実力は更に研ぎ澄まされていく。
十三歳の頃、武勇が認められ国王に謁見する機会を得た。
ライカ城に来たのは初めてだったが、国王には会ったことがある。
幼い頃、あの黒髪の女性を連れて屋敷を訪れた王子。
彼が現在の国王になっていた。
国王もライカのことを覚えていたようで、懐かしそうに目を細める。
てっきり女性の話も出るかと思っていたのだが、出ないまま謁見が終わりそうになった。
慌てて尋ねると国王は辛そうな表情を浮かべながら、
「冒険者である彼女は、迷宮〈祖霊の渓〉の祖龍に挑み……敗れたのだ」
と答えた。
国王の言葉を聞いて、ライカは思い出したことがある。
母親と女性の会話だ。
女性は遠い国からやってきていて、これまでに様々な経験をしてきたという。
一時期は冒険者を生業にしていたと聞き、母親は目を輝かせてあれこれ質問していた。
生まれつき病弱で碌に運動もできず、屋敷に閉じ込められていた母親は、外の世界に憧れていたのだ。
ライカは未だに自分のしたいことがわからない。
武術を続けているのは母親との思い出を忘れないようにするためで、したいことかと問われると微妙なところであった。
母親が憧れ、あの強かった女性が敗れるような迷宮に挑む冒険者という職業に、ライカは興味を抱いた。
母親のやりたかったことを、代わりにしているだけかもしれない。
だが、それでもいい。
今はまだ、母親を忘れたくない。
こうしてライカは冒険者となり、モアと共に迷宮〈祖霊の渓〉に籠るようになった。
対人戦では負けなしになっていたライカであっても、慣れない魔獣相手には苦戦した。
魔獣の形状や特性に合わせた戦い方が必要になるからだが、少しずつ順応していく。
迷宮の魔獣は人間よりも強い。
ライカは次第に強敵と戦うことに喜びを感じるようになる。
〈祖霊の渓〉は王族の圧力により他の冒険者は殆ど寄り付かない。
なのでモアとの二人パーティーのままだったが、ライカの才能をもってすれば、中層に到達するのは時間の問題だった。
迷宮に通い詰めること一年。
中層の安全地帯に到達したライカたちは、ついに下層到達が視野に入る。
これまでも多少の苦戦はあったが、停滞らしい停滞はなかった。
下層も攻略できるだろう。
それは決して油断ではなかったが、正しい認識でもなく……
「ごめん、判断を間違っちゃったみたい」
「お逃げください。ここは私が食い止めます」
ライカとモアは熊型の巨大魔獣と対峙していた。
魔獣は後ろ足で立ち上がり、少女たちを見下ろしている。
ライカたちの攻撃により毛皮には複数の切り傷がついているが、致命傷には程遠い。
迷宮中層の上位個体の分厚い皮下脂肪は貫けなかった。
「足を怪我したの。もう逃げられない」
「っ、そんな」
「だからあなたこそ逃げて」
「いいえ、私は最後まで姫様と一緒です」
「……ありがとう」
覚悟を決めた二人が魔獣を睨みつけるのと、魔獣が鋭い爪を振り下ろしたのはほぼ同時だった。
ライカの翡翠の瞳に、魔獣の爪が大きく映り―――
目の前から魔獣が消えた。
「「えっ」」
一拍遅れてすさまじい衝撃音がすると、魔獣が迷宮の壁にめり込んでいる。
魔獣を横から殴り飛ばしたのは黒髪の少年だ。
少年は正拳突きの構えを解くとこちらに向き直る。
そして一礼しながらこう言った。
「ブレイル獣王国、王位継承権第十一位のライカ・バイフ・ブレイル様とお見受けします。俺はシキといいます。是非貴女の王位継承のお手伝いさせて頂けないでしょうか」
ライカは驚きと共に幼い頃の記憶が蘇る。
黒髪の少年の姿と、あの小柄な女性―――エフェメラの姿が重なって見えた。