精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~ 作:忌野希和
信仰とは何だろう。
アイリス・ルトラは敬虔な地神教の信徒であった。
いや、現在でも信仰を捨てたつもりはなく、以前にも増して祈るようになっている。
それは罪の意識からくる贖罪であったが。
サーライトに騙され、穢され、強迫され、多くの罪を犯してしまった。
到底許されることではない。
神に背いたというのに、依然として神聖魔術が使える。
使えてしまう。
悪に堕ちた神官が力を失ったという話も聞いたことはなかったが、どうして失わないのだろう?
自分が当事者になって初めて疑問を覚えた。
いっそのこと神に見捨てられ、全て失ってしまえばよかったのに。
そうすればサーライトも迷宮には連れて行かず、何処かへ売り飛ばすか、慰み者として飼い続けただろう。
少なくとも冒険者を殺し続けるようなことにはならなかったはずだ。
ああ、神のせいにするなんて、なんて醜い性格をしているのだろう。
そんな性格を自覚していたからこそ信仰に縋った。
敬虔な信徒であろうと努力したが、それを一歩引いて冷静に見ている自分が常にいる。
他人が知ればそれは偽善だと罵るだろう。
幼馴染のティオラを、サーライトから救いたいという気持ちに偽りはなかった。
偽善なんかじゃない。
実家を頼ることはできず、ひとりで立ち向かうのは恐ろしかった。
でも、敬虔な地神教の信徒なら、幼馴染を決して見捨てたりはしないはずだ。
信仰を勇気に……いいや、言い訳にしたのだが、果たしてそれは正しかったのだろうか。
幸運にもシキ・エンフィールド一行に助けられたが、それは結果論だ。
これを地母神の思し召しだとは思えない。
結局のところ、アイリスは敬虔ではなかった。
なんて中途半端なのだろう。
ゼーレ様のようにどんな困難にも打ち勝つ、圧倒的な力が私にもあればいいのに。
そうしたら何も迷わないはず。
でも凡庸で愚かな私には、決して手に入らない。
中途半端な気持ちのまま、地母神を信仰していてよいのだろうか。
それとも他の何かを信じればよいのだろうか。
こんな不信心なことを考えても地母神からの罰はない。
どうして何も仰ってくれないのですか、地母神さま。
罰をください。
何をすれば罪滅ぼしとなりますか。
私を導いてください。
アイリス・ルトラの名を捨て、只のアリスとなった今でも彼女は迷い続けていた。
変貌を遂げた吸脳鬼の姿は、シルエットだけなら縦に伸びた巨大な蛸に見える。
ただしその足は白い歯が剣のように伸びたもので、本数も蛸の足より遥かに多い。
歯の数本を地面に突き立て体を支えると、残りのすべてが鞭のようにしなり、ゼーレへと襲い掛かる。
横薙ぎ、縦薙ぎ、袈裟斬り、そして突き。
あらゆる角度から襲い掛かる無数の歯を、ゼーレはたった一振りの剣で受け流す。
鞭のようにしなっていても歯の強度と鋭利さは健在のようだ。
残像が見えるスピードで動く剣と接触する度に、硬い金属音と火花が散っていた。
ゼーレの剣技は研ぎ澄まされたものであったが、それでも多勢に無勢というもの。
受け流しきれなかったものがゼーレに迫るが、それも軽やかな身のこなしで難なく回避した。
とても重厚な
「どうだ! 〈大敵〉の僕よ。これが支配者たる〈
「随分とお喋りだな。王都で滅ぼしたお前の同族は、喋る暇があったら全力で殺しに来ていたぞ。必死さが足りないんじゃないのか? 手抜きと思われて〈悪魔卿〉に怒られないか?」
「貴様如きがっ、偉大なる〈悪魔卿〉を語るな!」
吸脳鬼が激高し攻撃が激しくなる。
それでもゼーレは難なく防いでいたが、吸脳鬼は嗤うかのように目を細めた。
「馬鹿め!」
ゼーレの足元の地面から吸脳鬼の歯が飛び出し、喉元目掛けて突き上げてきた。
どうやらこっそり歯の一本を地中に潜らせていたようだ。
仰け反るようにして、紙一重でそれを躱したゼーレ。
しかしそのタイミングを見計らったかのように、今度は上から歯が槍のように降ってきた。
体勢を崩していて剣も回避も間に合わない。
咄嗟に空いている左腕で庇うのが精一杯だった。
「「ゼーレ様!」」
ジーナとアリスの悲鳴と同時に、鋭い歯がゼーレを貫いて……
「は?」
勝利を確信していた吸脳鬼の目が、驚きで見開かれる。
何故なら吸脳鬼の歯が、ゼーレの左手の平でしっかり受け止められていたからだ。
「悪いな。実はお前の攻撃、躱す程のものでもないんだ」
吸脳鬼は止められた歯を引き戻そうとしたが、ゼーレにがっちり掴まれて動かせない。
それどころか驚異的な膂力で逆に引っ張られ、抵抗虚しく巨体が宙に浮いた。
釣り上げられるように引き寄せられる。
その先で待ち構えているのは、剣を両手に持ち替え上段に構えた漆黒の騎士。
「ふざけ―――」
「ふっ」
ゼーレによって真っ二つに斬り裂かれたため、吸脳鬼の罵倒は途中で途切れてしまった。
「ゼーレ様、お見事です」
「ああ。ジーナ嬢たちも無事で何よりだ。怖気対策の指輪も効いていたようだな」
オズワルドや奴隷たちは吸脳鬼が倒されると同時に気を失っている。
吸脳鬼の亡骸は燃え上がって灰になり、焼失しつつあった。
「これでガスレット子爵家の裏に邪人がいたことは判明したが、違法奴隷の痕跡は見つけられなかったな」
「それはオズワルドたちの自白に期待しましょう。目を覚ました時に洗脳が解けていればよいのですが」
「吸脳鬼につけられた脳への損傷が治るわけではないからな。最悪目覚めない可能性もある。その時は主の精霊の力を……」
⦅……死にたくない⦆
「!?」
ゼーレは咄嗟に剣を吸脳鬼の亡骸に向けたが、変な動きは見られない。
それはゼーレたちの脳内に直接響いた、吸脳鬼の残留思念であった。
⦅どうして助けてくれないのですか……こんなにも献身したというのに……一度ならず二度までも……〈大敵〉の抹殺に失敗したから……見捨てるのですか……⦆
「おい、その一度目というのは十年前のことか」
ゼーレが呼びかけるが、吸脳鬼の返事はない。
残留思念による独白が続く。
⦅信仰だけでは足りないのですか……成果が必要ですか……どうか力をお与えください……力さえあれば信じ続けられる……信じたい………信じさせて………導い………て、く………………⦆
吸脳鬼の体が完全に焼失するのと、残留思念が途切れたのは同時だった。
完全に沈黙したのを確認してから、ゼーレは剣を鞘に戻す。
「今のが吸脳鬼の思念ですか。魔術の《念話》に似ているけれど、禍々しい魔力ね。ジーナ様、大丈夫ですか?」
「大丈夫よティオ。少し気分が悪くなっただけ」
ジーナはかつて吸脳鬼に攫われ、脳を弄られる直前まで追い詰められている。
当時の記憶が蘇り顔色を悪くしていた。
「邪人も私たちみたいに信仰で悩んだり、絶望したりするのですね」
「烏滸がましい」
「えっ」
ぽつりと呟いたアリスの言葉にゼーレが反応した。
その強い語気に驚いて、兜に包まれた顔を見上げる。
「信仰に見返りを求めるなんて言語道断。褒められたい? だから力を貸せ? 導け? 何を偉そうに。信仰とは全身全霊をもって尽くすこと。自分の全てを捧げること。全力で取り組まないから迷いが出る。失敗して悔やむ。全力を出して失敗したなら悔いなんて残らない。悔やむ暇があったらもっと尽くす。罰を下すも許すも、主君が決めること。それを自分で判断するなんて」
ここでようやく三人の視線を集めていると気付いたゼーレが喋るのをやめた。
「失礼。信仰を我が主への忠誠と重ねてしまい、少し興奮してしまったようだ」
「さ、さすがゼーレ様ほどの方となると、主への忠誠も生半可ではないのね。ねぇアリス」
「そうか、すべてを捧げればいいんだ」
「アリス?」
何やら過激な方向でアリスの覚悟が決まってしまったようだ。
ちなみにゼーレ(プリマ)のセリフを小型情報端末越しに聞いていたシキも、
『いやいや、みんなもっと自分を大切にしてね?』
とボイスチャットで発言したが、聞いているはずのスプリガンたちからは華麗にスルーされていた。