精霊仕い ~それは精霊ですか? いいえロボットです~ 作:忌野希和
「えーーー! ミレイユって貴族様だったの!?」
横でローナが騒いでいるが、ミレイユは頭の中が真っ白でほとんど耳に入ってこなかった。
真っ先に思ったことは「引き取られたくない」だ。
母親がマトリカ男爵家の娘だなんて初めて知った。
父親も教えなかったということは、その必要がないということ。
両親もしくは男爵家、あるいはお互いが敬遠しあっているのだろう。
世間的にもマトリカ男爵家の評判は悪い。
男爵領は水捌けの悪い土地で水害が多く、その影響もあって特産品のようなものもなかった。
水害対策を理由に税を重くしているが、男爵家が実際に対策をしているところは誰も見たことがない。
見かねた王族が干渉して特に酷い水害地域の工事に手を貸した。
それなのに折半した費用すらのらりくらり言い訳を連ねて、支払いを渋っているという噂だ。
ちなみにその工事を仕切ったのが、現在エンフィールド辺境伯領の運営を支えているガラテア・ウォルトである。
ガラテアは貴族令嬢としてのキャリアを捨てて、レドーク王国内の未開発領地の発展に尽力してきた経歴を持つ。
それが評価されて〈豊穣姫〉という二つ名で呼ばれていた。
マトリカ男爵家に引き取られたら自分はどうなるのだろうか。
これまで平民の娘として生きてきたのに、急に貴族として生きろと言われてもできない。
そもそも貴族の娘として扱ってくれるのだろうか?
見ず知らずの貴族の家に放り込まれるなんて不安しかない。
折角生きる希望を見出したのに。
救ってくれた皆に恩返しができると思ったのに。
エンフィールドに残りたいと言わなければ。
でもどうやって説得する?
貴族の言葉は絶対だし、シキにはミレイユを庇う理由がない。
それを覆せるほどの説明が自分にできるだろうか?
ミレイユは必死に考えれば考えるほど、焦ってしまい言葉が出てこない。
極度の緊張で心臓の鼓動が早鐘のように鳴っている。
それでも何か言わなければと口を開く。
乾燥してひりついた喉は、浅い呼吸を繰り返すのがやっとで―――。
「大丈夫」
不意に背後から抱きしめられ、ミレイユは現実に引き戻された。
ローナが諭すように耳元で囁く。
「領主様は優しいから、私たち平民の話もちゃんと聞いてくれるわ。だから一旦お茶を飲んで落ち着こうか」
「ローナ、さん」
俯いていた顔を上げると、テーブル席の対面に座っているシキと目が合う。
彼はこちらを安心させるかのように、ゆっくりと大きく頷いた。
ローナに促され紅茶を飲むと、少しずつ緊張が収まってくる。
ぽつり、ぽつりとミレイユは語った。
それは母親の思い出から始まる半生だったが、シキもローナも黙って耳を傾ける。
次第にミレイユの語りも滑らかになり、言いたいことが言えるようになった。
「―――ですから、私はマトリカ男爵家のことは何も知りませんし、今更貴族として生きることなんてできません。私はエンフィールド辺境伯領に返しきれない恩があります。それに恩だけじゃなく、このエンフィールドが好きなんです。皆さん優しいですし、日々発展する街並みを見るのが楽しみなんです。だから、どうか、このままここで働かせて頂けないでしょうか」
「うん。いいよ」
「よかったねー」
「……え?」
あまりにもあっさり承諾されたので、一瞬呆けてしまうミレイユ。
信じられず慌てて確認する。
「本当にいいんですか? 家族を返せと言っている男爵家の要求を拒絶することになります。領主様のご迷惑になりませんか?」
「迷惑なんかじゃないさ。というか実はね、マトリカ男爵家は昔からミレイユさんの存在を知っていたんだ」
「えっ」
「ミレーヌさんの病が悪化した時点で、お父さんがマトリカ男爵家に連絡していたんだ。でも娘はもう勘当した身だから知らない。治療費も出さない。そう突き放されたそうだ」
これは商会の従業員遺族の、とある老婆から聞いた話だ。
邪人被害を調べる中でミレイユの無事を伝えると、その老婆は大層喜んでいた。
そして見舞金の話になると、ミレイユの父親から聞いていたマトリカ男爵家との確執を教えてくれたのだ。
「そのお婆さん曰くマトリカ男爵家は金の亡者だから、ミレイユに見舞金が出ると聞いたら引き取ると言い出すかもしれないってさ。で、実際言い出してきたと」
「うわぁ、キモ」
横でローナが顔を顰めていた。
「はっきり言うとミレイユさんがマトリカ男爵家に戻ったとしても、碌な待遇にはならないだろうね。でも、男爵家がお婆さんの言う通り金の亡者なら、ミレイユさんを子爵家か豪商の元に嫁がせると思う。そうしたら政略結婚ではあるけど、そっちではそれなりに裕福な暮らしはできるんじゃないかな。だからもう一度だけ聞くね。ミレイユさんはどうしたい? 俺はミレイユさんの意思を尊重するよ」
シキの黒い瞳がじっとミレイユを見据えた。
確かに政略結婚も一つの道だろう。
平民からすれば貴族に仲間入りして贅沢に暮らせるなんて、夢のようである。
ペトルス伯爵領にいた頃のミレイユだったら飛びついていたかもしれない。
けれど今は……。
心の中の天秤は、一瞬で一方に傾いていた。
「ここにいたいです」
ミレイユの答えを聞いて、シキは嬉しそうに頷いた。
「わかった。そういうことなら任せてよ。(エンフィールド辺境伯領を)好きだと言ってくれるミレイユさんを全力で守るよ」
「ひゅ~。もうそれは告白なんだよなぁ」
「いやそういう意味じゃないし」
「序列は守りなさいね。ミレイユ」
「うわぁ! 急に出てこないでよオルティエ。あ、あと折を見て元ペトルス伯爵領には里帰りするといいよ。友人や商会の家族に元気な顔を見せてあげなよ」
「はいっ。ありがとうございます! 領主様」
こうしてミレイユは正式にエンフィールド辺境伯領の住人として迎え入れられた。
なお序列入りについては頑なに明言を避けているミレイユだが、その表情は満更でもなさそうである。