とある白蛇と記憶のDISC 作:人間
東京都西部には四つの県を跨いだ巨大都市がある。そこはあらゆる科学の最先端であり、あらゆる未来の先駆け。
人口の約八割が学生であり、全てが能力者。
そこでは人から炎が吹き出るのも風が鋼鉄を切り裂くのも、全て日常茶飯事である。
その光景に心を馳せた少年少女達が毎年大勢引っ越し、やがて世界へ旅立っていく。
ここは学園都市、夢想が届く街。
しかしこの街にあるのは、なにも煌びやかな夢ばかりではない。
月の光も差し込まない雨夜に不良が一人、水溜まりを派手に踏みつけながら千鳥足で逃げていく。
日中には大勢の学生が賑わう大通りにも深夜となれば人気はなく、姿が見えるのは金髪の不良が一人だけ。
降りしきる雨が、跳ねた泥が一張羅を濡らし、汚していくのを気にも止めず、何処へ向かうわけでもなくただ走り抜けていく。
その背後から何者が一人 、男と同じ速度で付いていく。足音を立てず、かといって気配は消さずに彼から存在を認識されるよう一定の距離を、常に保ちながら背を追い立てている。
右に曲がろうと左に曲がろうと、路地に行こうが廃墟に逃げ込もうが、男はその何かの存在を鋭敏に感じていた。
どこへ行ってもどこへ隠れても見られているという感覚は決して消えず、見渡せば必ず溶けだしたような瞳孔が闇の中で二つぼんやりと浮かんでいるのだ。時には背後に、時には左右に。
そして今は。
「うわぁああっっ!?」
廃ビルの三階、打ちっぱなしのコンクリート支柱の影で男は絶望した。追ってくる存在から身を隠すために柱の裏で息を殺したのに、気がつけばそれは自分の目の前に立っていたのだ。
黒い肌に塩基配分が描かれた包帯状のライン、顔から足の爪先にまで及んでいる。特徴的な
尻餅をついた男はこれ以上逃げられないことを悟ると、途端に泡を食って叫びだした。
「わ、わかった。俺の負けだ、何が欲しいんだ? なんでも渡すよ。金だろうが女だろうがうちの人間だろうが! うちのチームはあんたに服従する! なんでもあんたの言うとおりにするよ! だから命だけは──」
命乞いの言葉は最後まで続かなかった。
終わるよりも早く、白樺の太い枝のような右腕が彼の頭に振り落とされ、顔面の正中線上に切れ目が入る。
斬ったのではない、切り口から血は出ていない。代わりに出てきたのは銀に輝く二枚の
その様はまるで音楽プレイヤーがボタン一つでディスクを排出するよう。
二枚のCDが地面へ転がると、不良は事切れたように柱に背を預け黙り込んだ。
顔面をパックリと割られたからでもない、不思議なことに傷は既に塞がっている。
行動するために必要な"魂"を削がれたからだ。心臓は動いていても、男は二度と喋ることが叶わなくなったのだ。
『──DISCを回収しました』
大男の手には不良から転げ落ちた二枚のディスク、それ以外は何も手に持っていない。
廃ビルの中には誰の気配もない。だと言うのに彼は喋った、独り言でもない。しかし誰かに報告するように。
大男がまた動き出す。彼へと直接届いたその指示通りに動くため、生きる死体を一瞥もせずに割れた窓から直接身を投げ出した。
重力に引かれることもなく、大男が宙に浮く。
まるで幽霊のように揺らめきながら、学園都市の闇へと消えていった。
今でこそ生きる死体となっているが、そもそも不良の男"中田陸斗"は『ギャザー』という巨大な暗部組織の頭目として君臨していた。
彼はカリスマ性を持ち合わせていたわけではないが、『
その能力は五百人を越える部下の命を守りながらも自らも殺されないような、そういう「戦えば負けることはないが勝つこともなく、必ず無駄な労力を強いられることになる」という面に突出していたこともあり、彼は多くの人間にリーダーとして認められる存在であった。
能力の名は『
『
肉体を思い通りに作り替えることが出来る能力と言えど、遺伝子レベルの変化を起こすことは不可能である。
それは『肉体過当』も変わらない、丸っきり別人になることや人狼になるといった遺伝子に存在しない情報を書き変えることは出来ない。
ただ『肉体過当』は元の形に戻そうと言う力が強すぎるきらいがあり、四肢を伸ばすことや増やすことは出来ても数秒で元に戻ってしまう。
しかしそれは同時に長所であり、言い換えればそれは強い再生能力を持っていることを意味する。
この能力の真骨頂は他者に使用して初めて絶大な効果を発揮する。
それは自分の細胞を他者へ移植することで、能力の「身体を元に戻そうとする力」だけを発揮させることが出来るというものだ。
通常、免疫抑制剤も無しに他人の一部を体へと移植すると免疫機能が働き、拒絶反応を起こす。
内容は様々だが、最悪死に至ることもある。
しかし中田陸斗の能力から作られた細胞はあらゆる細胞に適合し、拒絶反応を起こさない。
移植された細胞は直ちに肉体から遺伝子情報を抜き取り更なる適合化を図り、もし身体に欠損が認められれば元に戻ろうと高速再生を行う。
それを一度植え付けることが出来れば半永久的に『
このレベルともなれば重度の火傷や片腕の欠損程度であればたった一日で全快し、多生の疲労はあれど少し多めの食事を取れば健康を阻害することもない。
つまり『ギャザー』の構成員は大多数が『
それこそが『ギャザー』であり、その親玉こそは中田陸斗であった。
中田陸斗は自分こそ無敵の存在であると思っていたし、勝てないまでも死ぬことはないと思い込んでいた。しかしそれは幻想に過ぎなかった。
まだ朝も冷え込む三月のこと、一人の青年の死体が廃ビルの中で見つかった。
身体に傷はついておらず、ホルマリン漬けにされる小動物よりも綺麗な身体であった。解剖をしても男の死因は判明されなかった。
身体のどこにも損傷はなく、薬物反応も検知されず、持病すら確認できない。中田陸斗は至って健康的な身体であった、突然死などあり得ない。
けれどここは学園都市、大抵のことは超能力で解決される世界。故に人の突然死も珍しいことではなく、やがてその存在は誰からも忘れ去られていった。
実に五年前の出来事である。
◆
七月二十一日。午後八時、第五学区。
そこは住人の半分以上が大学生という七区と比べて成年向けの施設が多い学区。
大通りは七区とそう変わらない光景が広がっているが、少し逸れて行けば通りにも負けない煌びやかな飲み屋街が広がっている。
多種多様な居酒屋はもちろん、怪しいバーから案内所まで。多くの大人達が飲み、騒ぎ、そして交わる。
青春の煌めきとはまた違った大人らしい鈍い輝きが、煙草の匂いと共に運ばれてくる。
飲み屋街を男女のペアが練り歩く。
一人は長身でがたいの良い黒髪の黒人、身長にして193㎝の男がこの場において最も不釣り会いな神父服を身に纏い先導している。
後ろから付いて歩く女性もまた黒い修道服を身に纏い、周りの雰囲気と似つかわしくない存在感を醸し出していた。
身長は神父より頭一つ分ほど小さい170㎝手前ほどで、ベールでは覆い隠せない黒い長髪を腰まで下ろしているのが特徴的であった。
前を行く黒人は周りの光景に何も思うところがないのか、それとも忌み嫌っているのか。誰に一瞥をすることもなく足を緩めることもせずにただ前へと進んでいく。
それとは真逆にシスターはしきりに辺りを見渡しては「おぉ~……」と興味があるともないとも言いきれない平坦なトーンの声を漏らしたり、店の前に出されている値段の看板を見ては何か思うところがあるにか眉を潜めたりしている。
そんな姿をどう思ったのか、一人の青年が彼女へと近づく。彼はキャッチだった。
「どぉもお姉さん、それコスプレ? ハロウィンにはまだ早いけど」
「コスプレ……やっぱそう見えるよなぁ」
意外と良い食いつき、これ幸いにと会話を繋げようと口を開きかけた所で続けざまに彼女が語り出す。
「これさ、ちゃんとした店で買ってきたんだよ。ドンキだとかラブホだかであるような薄いのじゃなく、しっかりとした布地で作られてる。わかるか? わかるよな?」
「は、はい?」
「コスプレ、コスプレだと? こちとら結構真面目にシスターやってんだ、どいつもこいつもやれイメプレだのやれ着せられてるだの、挙げ句の果てには爆笑までしやがってよ……っ!」
喋る度に彼女の顔が赤く染まっていく。
恥を感じているからではないことは、誰の目からも明らかであった。
あるわけもない角が見えるほどの怒りのオーラ、彼は自らの選択が誤りであったことを悟った。
今日シフトに入ったこと、シスターに話しかけたこと。そして最初の一言目が彼女にとっての地雷であったこと。
赤鬼に胸ぐらを捕まれ凄まれ、青年の血の気が引いていく。
「お前もそう思ってんのか!?」
「お、思ってないですっ! すいませんっ!」
「あ゙あ゙!? じゃあどういう意味で言って──」
「止めなさい」
シスターの動きがピタリと止まる。
いつ殴りにかかってきてもおかしくなかったほどの怒りも目の前で萎んでいく。
まさに鶴の一声、気がつけば胸ぐらにあった手も離されていた。
彼女を止めたのは神父服の男であった。命拾いしたことに安堵の息を混じりに荒い呼吸をするキャッチに、神父は語りかける。
「もう行きなさい。次は手が出る前に止められるかわかりません」
目の前で起こった恐怖体験に青年は言葉を返すことは出来なかったが、一度二度三度と首を縦に振るとそのままどこかへと走り去っていった。
「未成年が未成年を客引きするなんて……相変わらずここは度しがたい」
「……悪ぃ、神父様」
その謝罪からは先程の怒髪天の姿とはまるで真逆、少しの力も感じられなかった。
まるで牙を抜かれた虎のように、ただ神父の言葉を待っている。
「君は謝る前に反省が出来ている。なら私から言うことは何もないよ、次に活かせば良い。いいね?」
「……うん、分かった」
彼はふっと笑うと、ベールの上に手を置く。
五年前から変わらぬ、親愛の証。
シスターは少し嬉しそうにした後にはっとしてその手を払いのけた。
「や、やめろって人前で! オレもうすぐ十八なんだから!」
「さぁ行こう。ここでは流石に目立ちすぎてしまう。これが終われば、帰りに何か美味しいものでも食べようじゃないか」
「マジ!? やりぃ! ……じゃねぇよ神父様っ! 選挙権だってあるんだ! 子供扱いすんなよな!」
怒る姿は赤鬼のよう、牙を抜かれた虎はじゃれつく猫のように。
それを見る目はころころと変わっていく。今大人達の目に移ってる彼女は、まるで兄と遊んで嬉しそうにしている妹そのもの。
暖かい視線が彼らの背に集まる。
振り返らずに歩く神父と、怒りながらも着いていくシスター。大人の街にこそ、たまにはこういう話が必要なのだ。
そうして十分が過ぎた頃、彼らの姿は薄暗い路地裏にあった。
光が入りにくいそこには泥酔しているであろう大人達がちらほらと寝転がっており、中にはごみ袋に背を預けて寝ている者も。
気にすることもなく更に奥へと歩みを進め、また数分。
立ち止まった場所には何もなかった。
ビルの裏口があるわけでも、誰かが立っているわけでもなく。あるのは手入れのされていない排気口と、忙しなくファンを回している室外機だけ。
神父はただ黙って封筒から一枚のメモを取り出し、何かを確認すると壁の一部をまさぐり始めた。
手の平は当てず五本の指を立て、滑るようにコンクリートを撫でていく。
やがて確認が終わったのか、一点に人差し指を押し当てるとその一点が僅かに沈み込む。
確かな手応えな後、壁がまるでカメラのシャッターのように開かれていく。
「(何やってんだと思ってたけど、探してたのはスイッチか……)」
非常に静音性に優れた作りをしているのか動作に無駄な音は一切無く、もし音が出ていたとしても排気口と室外機の音で書き消されてしまうようなごく僅かな音。
扉の先は階段となっており、随分と深くまで通じているようだった。この先が今日の目的地、取引現場となる場所。
まるで虎穴のような不気味な入り口を前にしても、神父の動きに迷いはなく、それに付く彼女にもまた迷いはなかった。
最低限の明かりで照らされた階段を一段、また一段と下っていく。
「(しかしDISC一枚に、三十万。
──
その最中、前を行く背中を見ながら彼女は考えに耽っていた。
「(あれはそんじょそこらのCDとは違う。神父様だからそんなに苦労はしなかったけど、もっと吹っ掛けたって罰は当たらねぇだろ。……でも、それが神父様の良いところでもある。少なくとも、オレ達はそれに救われたんだから)」
階段を下り、その先の通路を進む。
通路は一本道となっていて、それ以外に通じる道はシャッターのようなもので封鎖されている。
シスターの脳裏に袋小路という単語が過り始めたのは、指定された部屋の前にたどり着いてからであった。
彼は封筒からカードキーを取り出し、それを機械に通すと重厚そうな扉は呆気なく開く。
個室の中に居たのは、受取人と思わしき一人の男だけ。
「よう神父様、お会いできて光栄だ」
黒いスーツを着た男が軽薄そうな笑みを浮かべながら、歓迎の意を込めてか両手を広げている。
その仕草に眉をひそめる者と、ただ無表情を貫く者。
男は首を振るとつまならさそうに両腕を下げた。
「依頼人ではないようですが、貴方は?」
「俺は代理人さ、あいつが急に来れないって言うんでね。頼まれてきたんだ」
「そうですか。彼は今どこに?」
「知らねぇなぁ。そこら辺で遊んでるんじゃあないか?
「……」
その雰囲気の機微に気付いたのは、シスターだけだった。
更に目の前の背中からは、うっすらと見え隠れしている白い布の装飾品。
代理人を名乗る男は何かを感じ取ることもなく、ただ話を続けた。
「さぁ話は終わりだ、俺も忙しい中来たんでね。三十万はここにある」
「……確かに、問題なく揃っているようですね」
「当然だ。次は神父様だ、ディスクを渡してくれ」
「断る」
空気が変わり、言葉から敬語が消える。
「……あ? どういうことだ……話が違ぇだろ」
「私が話をしたのは彼にだけだ、
「はぁ? 何言って──」
「懺悔室で彼はこう言った。『どんな形でも良い、死んだ彼女が何を思っていたのか知りたい』のだと。それに対して『見せることが出来るかもしれません』とだけ返した」
「……」
「私からの質問は一つだけだ。
どこで"DISC"について知った」
数秒の睨み合いと沈黙、先に吹き出したのは黒いスーツの男だった。
「あー、駄目だ。どーも口が滑る。人間の癖ってよぉ~、ど~にかして治そうとすればするほど、染み付いて取れなくなっちまうんだよなぁ」
「……」
「神父様って話を聞くのが仕事なんだっけ? じゃあ聞いてくれよ俺には困った癖があってよぉ……
叫んだ男が懐から取り出したリモコンを操作する。
壁から飛び出した分厚いガラスによって個室は半分に仕切られ、天井からはいくつかのスピーカーと黒々とした機関砲三門が姿を表し、それらの銃口は全て一人の男へ向けられていた。
「教会でぴーひゃら歌ってるような神父様はご存知ないだろうけどさ、俺らの間じゃこの部屋は『
「……」
「俺には聞こえないけど、そっちにはよぉーく響いてるだろ? 最近付けたっつー能力者に能力を使わせない音がさぁ。
俺は『
醜悪な笑みを浮かべ、スピーカー越しに得意気に解説を続ける男と対照的に、神父の顔色はやはり変わってはいなかった。
先程と何も変わらぬ無表情で、じっと目の前の顔を見つめている。
「神父様、あんたがあの『
神父様さぁ、生きたいだろ? 当然だよな、誰だってガトリングで挽肉にされたくないよな。
後ろの女も含めて俺のために能力を使うって土下座するなら──「『舌は火である、不義の世界である』──ぁあ?」
「新約聖書……ヤコブの手紙三章、第六節の言葉だ。聖書を読んだことがないのか? 地獄で読んでおくと良い、今日の事をよく悔やめるようにな……」
「……舐めてんじゃねーぞ、カビくせぇ本読み上げるだけクソ野郎が……!」
神父の見つめる目はどこまでも冷ややかで、侮蔑的だ。
ギチリ、と拳の握られる音がする。男の顔が赤くなっていく。
「地獄で後悔すんのはてめぇの方だぁーーッ!」
操作を確認したリモコンは、直ちに電波を三門の機関砲へ送信した。
起動せよ、と命じられたもの達が回転を始め、寸分の狂いもなく同時に発砲。毎分4000発の連射速度で放たれた弾丸達は目標の身体を無慈悲にも抉り取る。
──その前に、業火が全てを蒸発させていく。
「は?」
ゴウッッ! と燃え盛る紅炎は寄せ来る弾丸を全て焼き払いガトリング砲ですら融かし始めた。
融点は4000度以上と言われている学園都市製の鋼はその形を曲げ、タールコールのように床へと流れて落ちる。
やがて炎はスピーカーを融かし、壁の一部すら融かし、対能力強化ガラスすら徐々に熱で変形を起こしている。
「な、なにが」
「手ぇ出しやがったな」
地の底で唸る鬼の声、ガラスで隔たれている男の耳には届かない。
だがその気迫、圧倒されるほどの純粋な怒りはガラスなどでは隔たれない。
地獄の釜が開かれたのだ。
「オレ達の神父様に、よくもッ!」
感情の発露によって、より一層燃え盛る様はまるで太陽を迸るプロミネンス。
熱気流によって立ち上るベールと黒髪、シスターの動きに追従する炎。両腕から燃え盛り纏まった姿は巨大な手のよう。
炎腕が振り上げられる。
「(逃げ、なくては)」
獣が火を怖がるかのように、人は火を見ると落ち着く。これは遺伝子に刻まれた本能によるものである。
そんな話をどこかで聞いたことがあったのだろう。男の脳は今更になってそんな話を引っ張り出してきた。
今ならば分かる、そんな話は嘘っぱちだと。目の前で赫々と燃え盛るものを見て、安心できる人間なんているはずがないのだから。
緊急スイッチを押すつもりだった。
それを押せば床に穴が開き命は助かることが出来る。ポケットに手を入れ、それを掴もうと。
『KUAAAAA…………』
背後から寒気。
『「
おぞましい誰かの声がした。神父とシスター、二人ではないもう一人の声。
振り返る間も無く、その一手は振り落とされる。
弾き出されるのは一枚のDISC。
『オマエは磔刑だ』
灼熱が吠えた。
ガオウッッッ!! と放れた一撃は強化ガラスを融かし尽くし吹き飛ばす。男はもちろん、背後の壁すらも。
その日、第五学区では震度二の揺れが計測された。
一撃の後、男の痕跡は何一つとして残ってはいなかった。燃え尽きたのか逃げ延びたのか、その判断は難しい。
しかし神父にはハッキリと分かることもある。それは「ここで燃え尽きた方が痛みを感じる間もなく逝けただろう」ということだ。
「『舌は器官の一つだが、全身を汚し、生存の車輪を燃やし、自ら地獄の火で焼かれる』……まさにその通りとなったな」
二枚の小さなDISCを懐から取り出すと、彼はそれをなんの躊躇いもなくシスターへと差し込んだ。
彼女はCDプレイヤーではないというのに、その身体はなんの抵抗もなくDISCを取り込んでしまう。
「お、戻った」
「ありがとうシスター、助かったよ。私まで燃やされるんじゃないかとヒヤヒヤしたけどね」
「オレがそんなこと、神父様にするわけないじゃん。あー……
その言葉に苦笑いを返すと、神父は自らの懸念が全てその通りになったことを思い返し、その不満を露にする。
「念のために君の聴覚を抜き出しておいて正解だった。能力を阻害する機械が、まさか本当にあるとはね」
「それに取引現場がここを指定してきたってことは、依頼人もグルなんだろうな」
「ああ、悲しいことにね」
黒炭となった個室を去り、入り口も能力で消し炭した後。
一通の電話が届く。
「私だ」
『侵入は成功。目標は全員沈黙っス』
「そうか。
『それも確保済みっスよ。恐らく首謀者はこいつっスね。尋問は……』
「必要ない。首だけあればいい」
『その方が手っ取り早いっスね』
話す言葉はコンスタンツに、より短い言葉でより伝えるために。
電話口の向こうからは人ぐらいの重さをした者が床へ倒れ込んだような音、作業は終了したようだった。
「ご苦労。合流したら何か食べに行こう」
『いやいや、私血の匂いが付いてるっスから……』
「頼むよ、私が焼き肉奉行に向いていないのは知ってるだろう?」
『ハァ~……しょーがないっスね~。これだけ置いたらそっち行くっスから』
「ありがとう。いつも助かるよ」
『ほんと、ちゃんとオラ離れしてほしいもんっスね』
通話が切れた電話を懐に仕舞い、一息。どうやら乗り切ることが出来たらしい。
いくつか残っている問題はあったが、今日一日で解決仕切れる量でもないだろうと神父は確信していた。
今は目の前の危機を消すことが出来た、その事を喜ぶべきだと考えを改めた。
「神父様! 今日焼き肉食えんのか!?」
「ああ、たまにはそれぐらい贅沢してもいいだろう。見ての通り、収入もあるしね」
神父が手に持っているのは報酬であった紙束。どさくさに紛れてもう一人の自分に男からこっそりすり取らせたものだ。
金に善悪はなく、燃えてしまうのは勿体無い。
この街に来た十年間で彼が学んだことである。
「今日は本当にありがとう。
助かったよ、
「いいって。何回も言われると照れ臭いしさ」
後頭部に手をやる仕草、どうやら本当に照れてしまっているらしいことに気づいた神父は微笑ましそうにしながら彼女の肩に手を置いた。
「さあ、そろそろ行こうか。あまり遅いと
◆
この街にはいくつもの都市伝説が流れている。
「クローン」、「脱ぎ女」、「制裁指導」、「幻想御手」。そして「奇妙なDISC」。
曰く、能力者の能力を一枚のDISCに変えることが出来る能力者が居る。曰く、『無能力者』にDISCを差し込み能力を与えることが出来る。曰く、能力を取り出して一般人に戻してくれる。
曰く、その正体は神父である。
一人の男の話をしよう。現実を認められない、愚かな男の話を。
男の名は"ロベルト・プッチ"。天から力を授かった『無能力者』の男である。