え、と驚愕の声が思わず、されど小さく口から漏れる。
それはあまりにも危険な提案だった。
何しろここから帝国へは遠く、険しい。
まだローズには早いのではないのか。
姉として、王位継承権第一位を持つ王女として。返答を決める。
立ち上がり、ローズのそばにしゃがみ込み、目線の高さを合わせる。
――そして、彼女の紅い目を見ながら話す。
「ごめんね、ローズ。気持ちはわかるけど今回は此処で待っててもらえる?何が起こるかわからないもの。何かが起こっている今、王位継承権を持つ王女がふたりとも城ではない、同じ場所にいるとなると……その、最悪の場合継承権を持つものが居なくなるの。だから、ローズ」
そこで一度言葉を切り、心を落ち着かせる。
すー、はー、と目を閉じ、深呼吸をして、再び目を開き、目を合わせながら話し始める。
「ローズはここにいて、私の帰りを待ってて。私はローズ、あなたのことが心配だからここにいてほしいの。どうか分かってちょうだい。不在の間に城を守る、というのも大事な仕事だもの」
届いてくれればいいのだけど。
その思いを胸に、言葉を紡いだ。
すると。
「イリス様のご判断は的確です。陛下がご不在の今、ローゼリア殿下が城に残られることは、王国にとっても重要な意味を持ちます。それに付随して、継承権を持つ者が両方とも来る、となると帝国に不安感を抱かせる可能性、危険性があります。そして何より、イリス様が安心してご出発できるよう、どうかご理解を……」
この声は……パトリシア、ね。
「仮にでも帝国との関係が悪化するようなことは避けたいですし、そうなったら仕事が増えますので、外務大臣としても、一人の人間としても同行は控えた方が良い、と存じます」
ローズは渋々、納得していません。といった様子だ。
「でも……ローズもね、ステラに久しぶりに会いたい!エストレラ首長連合を通るんでしょ?そこまで!そこまででいいから!お願い、お姉様!」
むー、とほっぺを膨らませたローズは久々に駄々をこねている。
私は絶対についていく!とばかりに。
ステラ、というのは隣国のエストレラ首長連合のエルフ族の少女。わたしたちの共通の友人……いや、親友と言ってもいいかも知れない。
確かに最近色々あってローズも、私も会えていなかったしローズが会いたい気持ちもわかる。わかるのだ。けれど――いざというときに私がローズを守りきれる保証は、ない。
私の魔術属性を示す瞳の色は青、それも澄み渡るような、空色。
それは、水の発展属性である氷の上位属性、雪の属性を意味する。
でも私はまだ雪魔術を使いこなすことができていない。
せいぜい雪を降らせて位置を把握することくらいだ。
氷魔術だって基本の氷槍や氷の魔力を固めて放つグリス・カノンくらい、しかもまだ多くの数を一度には使えない。
いざというとき。私だけならいいけれど、ローズも守る、となると……実力不足、としか言いようがないのだ。
……これは課題ね。どうにかしなければ。今まで忙しくてあまり練習できてなかったのが此処で裏目に出るとは。
それに加えて、ローズの属性はルビーのような紅色、すなわち火、もしくは発展である炎のどちらか。
上位属性である日はオレンジのような赤色なので除外する。
どちらにせよ水の系統である私とは相性が悪い。
これも連れていけないもう一つの理由である。
「それにね。ローズがステラに会いたいっていう気持ち、よく分かるわ。だけどね、今はこの国にとってとても大事な時なの。ローズがエストレラまで行って、帰って来るとなったらその分騎士団も二倍出さなきゃいけないし、エストレラまで行く間何があるか分からない、それが怖いの」
「そ、れは……そうだけど、でもローズもなにかしたいの。お姉様は外交で、アッシュ兄様とエルム兄様は書類仕事。じゃあローズは?って考えたらね。ローズ、何もしてないなって。ローズはまだ教えてもらってないから書類はできないから、お姉様の手伝いなら、出来るんじゃないかって、思ったの。……寂しいのも、あるけど」
ローズが、そんなことを考えていた、だなんて。
考えてもいなかった。
まだ早い。まだ早い。
そう思っていて、肝心のローズをよく見れていなかった。
「そう、だったのね……それで、この提案を?」
「うん。ローズも、王位継承権を持ってるもの。それに、ローズだけ何もしないのは、嫌だから」
「でも、どうして急に?」
「だって、みんな忙しそうにしてるのにローズだけ何もしてないの、仲間はずれみたいに思っちゃって」
「そう……ならローズ。こうしましょう。私がローズに大事なお仕事を、ローズにしかできないお仕事をあげる。それで、いい?」
そう言うと納得したのか、静かにコクリ、と頷いてくれた。
「……今回はどうしても連れていけないの。だから、ね。ローズには……城で。――ここで、この場所で。わたしたちが帰るまで此処を守ってて?私がいない間、代わりに国民を安心させてほしいの。そうしたら私も安心して帝国に行けるから。その代わりに、私が帰ったらステラたちと会う機会を設けようと思うわ。それで今は我慢してくれない?とっておきのマカロンと……そうね、ステラもローズも好きなタルトタタンも用意するから。これがローズのお仕事。どうかしら」
「むぅ……わかった。ローズ、お仕事頑張るね」
「ありがとう、ローズ。……そうだわ。先触れを出しておかなきゃ行けないわね」
こういうときに、すぐに連絡できる手段があればいいのに、と思う。
今だとどうしても遅れが生じる。
その遅れた情報を下に動くから、着いたときにはもう手遅れ、ということも珍しくもない。
それを解消するにはどうしたらいいのか、……これは、次回考えましょう。
――今は、帝国のことに集中しなければ。
「あー、話がまとまったようで。それで――ローズ殿下はこちらに残る、ということでよろしい、ですか?」
暫く経ってから、宰相のロイドがそう声をかける。
「うん。ここで帰りを待ってる。お城を守る。国民のみんなを安心させる。それが、ローズにしかできないのなら」
「頼もしいですな。――イリス様。帝国に向かわれるときの護衛は如何致しましょうか」
何故かゴルドルフがそう聞く。
「ええ、お願い。けどあちらをあまり警戒させていもいけないから、そうね……少人数がいいと思うわ」
「承知いたしました」
「イリス様。外務大臣として申します。今のうちに先触れとなるものの選定。もしくは彼、あるいは彼女に持たせる通知書に記載する文章を考えておいたほうがよろしいかと」
「ええ、そうしましょうか。……アッシュ兄さん」
「うん、分かったよイリス。……では、これより次の議題に移る。議題は先程パトリシアの提案した通知書の内容についてだ」
「内容について、ですか……ジャックの言葉によるとあちらもトップがいない様子。ならば混乱しているでしょうし、刺激しないのが吉、と考えます。穏便な内容でよろしいのでは?」
ルナがそういう。
そう、ね……私としてはこの異形について共同戦線、あわよくば同盟も組みたい、と考えているのよね。――ならば、言うべきことは。
「私、は……友好的にいくべき、と考えます。
理由としてはまず、これはあくまで『こちらが帝国へ向かう』という内容を伝える通知書であり、敵対的な意図はないことを明確にするべきだからです。
それに、今回の襲撃について帝国と共同戦線を張り、可能であれば同盟を結びたい、と私は考えています。
確かに、帝国はかつて異種族の国として幾度も排除されてきました。ですが、そのたびに退け、今も強大な実力を持ち続けています。
彼らを敵視する理由はなく、むしろこの混乱の中で協力すべき相手でしょう。
今は国際協調の時代。
仮に帝国を挑発するような内容を送れば、責められるのは我が王国の方やもしれません。
"かつてのように正義の勇者が悪しき魔王を討つ"――そんな昔話のような論理は、もはや通用しないのです」
そうだ。帝国は古くから魔王とその庇護下にある魔族・魔獣が支配する領域だ。古代はそれのせいで攻められていたそうだ。でも今はそんな建前など通じない。今は協調の時代だ。争いの時代ではないのだから。
ふむ、と大臣たちが考え込む。そんな中、エルム兄さんが声を上げた。
「大まかにはイリスと同じ意見だ。だけど……そうだな、確かにあまりにも強気すぎてもいけない、だが弱気すぎると逆にこちらが侮られるやもしれん。だから、な……結論を手っ取り早く言おう。あまりに回りくどいのは嫌いだし要らぬ誤解を生むからな。簡潔に、かつ単調に。これがよいのでは、と思う」
珍しい、と思った。
あんまり長い文を話さないエルム兄さんが長く話しているから。
そしてそれと同時になるほど、とも思った。
確かに変に回りくどく書くよりも簡潔に書いたほうが良いだろう。
そもそもこれは通知書なのだから。
回りくどく書いてしまうと誤解を起こし、もしかしたら目的とすることが伝わらないかも知れない。
それは本末転倒というものだろう。
エルム兄さんが先程の言葉に続けて言う。
「しかし、そうだな。ある程度は強気でもいいのかも知れない。毅然な態度という形だが。そのほうがこちらの格も下げず、場合によってはあちらを立てることが出来るかも知れないからな」
毅然な態度が……あちら。すなわち帝国を立てることが出来る?
一体どういうことなのだろう。
「エルム兄さん、それって、一体……?」
わからないので、素直に聞いてみることにした。
「ああ、それは簡単だ。あまり弱気すぎても強気すぎでもあちら、この場合は帝国だな。そこに悪印象を与えてしまう。毅然な態度、というものはそれを防ぐだけではなく、我々王国の威厳、格……そういうものを保ち、対等にすることが出来る。しかもそれは相手を尊重するものだから、本来の目的も達しやすくなるだろう。もちろん一定の敬意を持つことも重要だがな。それに毅然とした態度を取れば、帝国も無碍にはしないだろう」
な、なるほど。
兄さんの言うことは的を射ている。
「つまり……毅然な態度を取ることで、王国の格を保ちつつ、帝国に対する敬意も示せる。結果的に帝国側も王国を軽んじず、対等な立場として扱いやすくなる、ということ?」
「ああ、そうだ」
確かに、余りにもへりくだり過ぎたら舐められるかも知れないしかといえ強気にしすぎると反感を買う恐れがある。
ならば兄さんの言う通りだろう。
「ありがとう、エルム兄さん。その方向で考えます」
「……一助になったなら、いい」
「伝令役は俺……いや私にさせてください」
そういったのは私達に状況を教えてくれた騎士、ジャックだった。
「自分なら帝国の方に会ったことがありますし、ある程度は道もわかります。それに……同じ小隊のみんなの安否も気になります。仲間も自分のことを心配してると思うので」
ジャックの言い分は理に適っている。
しかし……それは危険でもある。
下手にすれば刺激するかも知れない。
やはり此処はきちんとした外交官を派遣するべきではないのか?
――待て。一旦落ち着け。
落ち着いて、思考を纏めろ。
メリット・デメリットを比較しろ。
「なるほど、理に適っています。正式な外交官を派遣するという手もありますがその場合急ぎである今回には合いません。護衛も必要ですし必然的に遅くなります」
そう言いながらも、どう言うべきか、と私は言葉を迷っていた。
「しかし、あなたを派遣するリスクもあります。いくらあなたが帝国の者と面識がある、道を知っているとはいえ、です。帝国も気を張っているはずですし道中に何があるかわからない。もしかしたら捕らえられるかもしれない。そのような、リスクが」
そう迷いながら告げる。もしかしたら声が震えているかも知れない。
するとジャックは強い覚悟を伺わせる声色でこう返してきた。
「それは既に……入団したときから、否、入団したいと思ったときから覚悟しています。それに自分を派遣しようが外交官を派遣しようが捕らえられるのなら変わりません。承知の上です。それでも自分が行くべきです」
彼の覚悟に息を呑む。
そんな中。ルナがスッと手を挙げる。
そして口を開く。
「……覚悟は分かった。けど、それだけではどうにもならない時がある。それは理解してる?」
「はい、もちろんです」
「なら、いい」
それだけ言うと口を噤む。
ああ、そうだ。分かった。私が本当に言いたかったことが。
「ジャック」
名前だけ、呼ぶ。
「何でしょうか、イリス様」
「……危険だと思ったら、無理をしないで。私はあなたの意思を尊重するけど、無理に直接渡さなくても良いのよ。それを忘れないで」
ジャックはそれを聞くとすぐにこう答えた。
「心得ました。――肝に銘じます」
それを聞いた私は、ホッと息を小さく吐いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ん゙ん゙っ。伝令役が決まったのは良いが、肝心の内容が決まっていないぞ」
そういえばそうだった。
ロイドのおかげで思い出せたが……すっかり忘れていた。
「そうだったね。じゃあ本題に戻ろうか」
アッシュ兄さんがそう仕切り直す。
それについてだけど、考えたことがある。
「その、内容についてなのだけれど。一度私が書いてみてから、その……忙しいだろうけどパトリシアに見てもらう、というのはどうかしら。そのほうが誠意を示せるでしょうし、これは私自身の言葉で伝えたいことだから」
「……イリス様がお書きになるのは良いことかと。ただ、ある程度の形式、様式がありますのでその点のみご留意していただきたく存じます」
「ありがとう、気をつけるわね」
そう言って、一拍置き、確認を始める。
「――それでは、内容を整理しましょう」
イリスは静かに口を開く。
「一、帝国の現状を憂慮し、王国としても協力の意思があること。二、私自身が親書を持って帝国へ向かうこと。三、帝国側と情報共有をし、今後の方針を協議したいこと……以上」
大臣たちは頷く。
「異論はありません。慎重かつ友好的な内容かと存じます」
パトリシアが淡々と確認する。
「では次はこれを届ける方法について、ですが」
ジャックが口を開き、こう言う。
「それなら自分一人で大丈夫です。帝国から此処まで来た道のりをなぞるだけですし応戦は出来るので。それに自分は足の速さに自信があるので」
少し心配だけど、確かに此処まで一人できたのだ。信用してよいだろう。
「でも何があるかわからないよ?来た道が使えないかも」
ローズがそう話す。
確かにそれも一理ある。
私は少し考えてからこう言った。
「それなら……二人護衛を付けましょう。それなら安心できる。単独よりかは良いでしょう」
言いながらもジャックの方を見る。
彼は少し考えた後口を開いた。
「了解しました。多大なる配慮に感謝を」
「うん。確認は終わったようだね。じゃあもうそろそろお開きにしようか」
アッシュ兄さんがそう言うと誰もが静かに頷いた。
「――では。王国緊急会議は今この時を持って閉会とする。……みんな忙しいのに集まってくれてありがとうね。じゃあ、解散」
ふう、と小さく息をつく。
ついさっきまで、激しく議論が交わされていた会議室は、今や静寂に包まれている。
それはまるで、嵐が過ぎ去った後のようだった。
椅子を引く音が響き、大臣たちはそれぞれの持ち場へと戻っていく。
パトリシアは手元の書類を整理しながら、私の方を見て軽く微笑んだ。
「イリス様、お疲れさまでした」
「ありがとう、パトリシア。それと……先ほどの助言も」
「いえ。まだこれからが本番ですよ」
くすっと笑いながら、彼女は会議室を後にした。
私も立ち上がる。
緊張のせいか、少し肩がこっている気がする。
だが、今はそれを気にしている場合ではない。
私たちはもう、動き出してしまったのだから。
会議室の扉を押し開く。
廊下に出ると、窓の外に広がる景色が目に入った。
いつの間にか、空は橙色に染まりつつある。
日輪が地平線へと沈み、長い影が城内を覆い始めていた。
これは、王国のための決断。
ローズのための決断。
そして――私自身の決断でもある。
そう、これは始まりに過ぎない。
私は拳を軽く握りしめ、まっすぐ前を向いた。
新たな運命が、今、動き出そうとしている。