「母、さま……」
【先程からその状態で待機していますが、大きな怪我でもしましたか? 先の戦いで生じた損傷は、既に大部分が再生しているように見えますが】
シェフィルがぽつりと声を出せば、母からそんな問いが投げ掛けられる。
アイシャを助ける方法が分からず呆けてから、先程からと言われるぐらいの時間が経っていたのか。
時間の感覚がなくなっている。こんな状態で、まともな作戦が思い付く筈もない。いや、母に声を掛けられて冷静になった今なら分かる。
自分の力では、アイシャを助けに行けない。
現実を理解したところで、目から、ボロボロと液体が溢れ出す。
それは、涙だった。
「え、え? なん、で」
シェフィルは、泣いた事なんて殆どない。赤子の時を除けば、まだ痛みの数値化が上手く出来なかったぐらい幼い頃、捕食者に腕を食い千切られた時以来か。
泣く、というのはシェフィルにとって理解不能な行為だ。泣いたところで何も状況は変わらない。水分やミネラルの無駄な排出であり、不適応ですらある。なのに何故か、人間は泣くという行為をしてしまう。
今だって、泣いても何かが変わる訳ではない。一体、自分の身体が何を求めているのか分からない。
【何故泣いているのですか?】
母にとっても同じだ。この星の生物は『泣く』という行動自体しない。泣くだけのエネルギーや資源があるなら、それを費やして現状の打開を行う。
シェフィルの『理性的』な頭脳も、そうすべきだと考えていた。そして困惑という形ではあるが、やや落ち着きを取り戻した彼女の頭は一つの知的な解決策を閃く。
母にアイシャの救出を頼むのだ。母であれば宇宙に行ける。自力で出来ないのなら、誰かに頼れば良い。
「か、母さま! アイシャが、アイシャが人間達に攫われて……!」
【どうやらそのようですね。詳しい状況は遠くから観測していたので、大凡把握しています】
シェフィルが頼もうとしたところ、母はそう語る。母は既に状況を把握しており、細かく説明する手間が省けた。
そして母はシェフィルが全てを語る前に、幾つかの『前提』を話す。
【まず、アイシャを攫った船はまだ近くにいます。地上から百五十万キロ地点に留まっているからです】
「えっ。留まっている……?」
【そしてそこには、他にも人間達の船が集結しています。数は五百。どうやら此度の攻撃のため、わざわざ追加で派遣してきたようですね】
母の話から、シェフィルは失念していた事を思い出す。
この星は、人間からの攻撃を受けていた。母は爆撃を行っていた人間の船と戦っている。そこでどんな戦いがあったか、どれだけの被害を与えたのか……どれほどの被害を受けたのか。アイシャの事で手いっぱいだったシェフィルは何も知らない。
まずはそれを確認すべきだった。人間達の『情報』を得なれば、アイシャを助ける事も儘ならないと言うのに。それに母が無事なのか、怪我などしてないかも分かっていない。今になって自分の失態に気付いたシェフィルは、大慌てで母にしがみついた。
「か、母さま! 母さまは怪我などしていませんか!?」
【ふむ。未だ混乱しているように見えますね。私自身に大きな問題はありません。ですが総合的な戦局は、あまり好ましくないのが実情です】
母がそう言って話し出した事は、この星が置かれている現状について。
――――人間達の攻撃は、惑星中で行われた。
生物的な被害はあまり大きくない。母の一族が総出で攻撃に出向いて人間達の戦闘艦を撃退または撃破し、生態系を形作る生物達はさっさと安全圏(地中や遠方など)に逃げたからだ。惑星の一~二割程度の面積が爆撃により焦土と化したが、数十時間もあれば元に戻るとの事である。
勿論それなりの数の生物が吹き飛んだ。トゲトゲボーのような、生態系の基礎となる生物が多数失われたのも悪影響が大きい。また生息数が少ない希少種の幾つかが絶滅しており、その種の生態にも依るが、長期的には生態系になんらかの影響が出るだろう。しかし生態系の空白は、いずれ進化と多様化により埋まる。長期的な目線で見れば、生態系へのダメージは十分修復可能だ。
人間達にとって、これは満足のいく結果ではなかったのだろう。宇宙に多数の戦闘艦が集結しており、再攻撃が行われる可能性が高い。
そしてその攻撃は、今回よりも苛烈になる筈だ。そもそも今回の攻撃はあまりに大雑把で、ここまでの反撃を人間達は想定すらしていなかったようにも思える。次はより戦略的に、より安全に戦いを進めようとするだろう。戦う側としては厄介極まりない事だ。
「どうして、そこまでして攻撃を……」
【分かりません。私が落とした一隻に加え、他でも数隻の戦闘艦を落としています。こちらもいくらか被害は出ましたが、向こうとしてもそれなりには打撃となっているでしょう。それでも退かないという事は、少なくともこの攻撃は突発的なものではなく、明確な目的あっての行動と思われます】
「……アイシャを攫った事にも、理由があると?」
【恐らく。少なくとも単純に食べるためだとか、繁殖のためではないでしょう。戦闘中にやる行為としては、あまりにリスクが大き過ぎますから】
母の予測を聞き、シェフィルは正直『安堵』する。
そういった目的なら良かった、とは言わない。けれども食べられてしまう、つまりすぐに殺される心配がないのであればそれに越した事はない。捕まえる時に殺さず、あくまで気絶させていた事からそうだと思ってはいたが、母からもお墨付きをもらえて精神的に落ち着く事が出来た。
……繁殖のため、という部分には、何故か焦りを覚えたが。別段、誰と交尾しようとアイシャはアイシャのままなのに、想像するだけで凄く嫌な気持ちになってしまう。
交尾相手をころころ変えるというのは、野生生物では普通の事だ。というより同じ相手とばかり交尾して子孫を作っても、有性生殖のメリットである『多様な形質』を生み出せない。故に誰と誰が繁殖しても気にしないのが普通である。
何故こんなにも嫌な気持ちになるのか。これは人間であるアイシャに聞いた方が良いだろう。
そのためにも、アイシャを助け出さなければならない。
【いずれにせよ再攻撃が予想される状況です。シェフィルもこの状況を座視するつもりはなく、我々に対応、つまり積極的な攻撃を行うよう指示がありました】
「積極的な攻撃……という事は……!」
【はい。私達は宇宙に向かい、人間の艦隊を攻撃します】
母達は宇宙に行く。
ならば自分もそこに同行すれば、宇宙に行けるのではないか? どれかは分からないが、人間達の艦隊に肉薄出来ればひょっとしたら……
「か、母さま! 私も一緒に、その攻撃に参加したいです! アイシャを助けるために!」
力強い言葉で訴えるシェフィル。だが、内心は断られると思っていた。
母達は合理的だ。この星……その中核である『シェフィル』を守るために、最善の行動を行う。
人間との戦いにシェフィルを連れていく事は、果たして合理的な行動か? 否である。いくら宇宙空間で生きていけるシェフィルとはいえ、母とは身体能力があまりにも違う。赤子を丁寧に扱うように、シェフィルを運ぶ母はそれなりに気を遣う筈だ。気遣いの分だけ索敵は疎かになり、エネルギーは余計に消費する。ましてやシェフィルの戦闘力では、あの戦闘艦を落とす事など恐らく不可能。連れて行っても母に得があるとは思えない。
断られた上で、母の意向を無視して無理やり付いていけばなんとかなるのではないか。飛び立つ母の身体に自力でしがみ付き、宇宙船が近付いたら離れて飛び移る。当てはない上に願望交じり、無茶にも程がある作戦なのは自覚しているが、もう他に手がない――――
【いいでしょう】
そう思っていたシェフィルにとって、母の答えはあまりに予想外で。
「え?」と呆けた声を出した時、シェフィルは母が伸ばした触手でぐるぐる巻きにされた。ついでとばかりに触手の一本がシェフィルの口に捻じ込まれ、何か、液体状のものを流し込まれる。
どうやら栄養液のようだ。それもかなり高栄養なもの。先のダリウスとの戦いで消耗したエネルギーが、一気に回復出来た。治っていなかった目や内臓も完全に修復し、体長は万全……いや、むしろ戦う前よりも力が漲ってくるように感じられた。
しかし、何故母はこんな事を?
触手が引き抜かれた後も、シェフィルは呆けてしまう。そんなシェフィルに母は淡々と説明する。
大地が、激しく揺れ始めた中で。
【少しでも戦力が欲しいと思っていたところです。撃墜には成功しましたが、こちらも被害を受けたように戦闘能力はほぼ互角……いえ、単純に数値化すれば人類側の方が勝っています。宇宙空間での戦闘は、向こうの方が慣れている点も考慮すべきでしょう。奇襲攻撃を成功させ、我々が全滅するまで戦っても、良くて相手を半壊させるのが限界かと思われます】
「え!? か、母さま達でも勝てないの、ですか……?」
原種返りとも対等以上に戦える母達でも勝てない相手。人類文明とは、今回集まってきた戦力とはそれほどまでに強大な存在なのかと、シェフィルは驚きを覚える。
何より、結局負けてしまうのではその後どうするのか。
被害に慄いた人間達が諦めてくれれば良いが、母達が全滅しているのなら、人類文明を止められる戦力なんてこの星にはない。半壊とはいうが、まだ半分残っているなら戦いは続けられるだろう。母達の守りをなくしたこの星を爆撃するのは容易だ。人類文明の狙いが不明なため、何をされるか分からないが……仮にシェフィルがアイシャを取り戻したとしても、また連れ去られてしまう可能性が高い。
これでは意味がない。しかし意味がない戦いをするほど、母達は『非合理的』ではない。
【いいえ、問題なく勝てます】
ましてや根拠なく、揺るぎなく断言する訳がない。
「か、勝てるのですか? でも……」
【人類文明側の戦闘能力は、先程の爆撃で大凡把握出来ました。今までに傍受した通信内容の解析から、文明が保有する総戦力と技術も算出しており、なんら脅威足り得ないと想定しています。ただ……】
「ただ?」
【今のシェフィルはデリケートな状態です。人間達に殺す事は出来ませんが、邪魔されるのも好ましくありません】
母達にとって重要なのは起源種シェフィル――――この星の中核に位置する生物だ。起源種シェフィルに害がなければ、極論他の事はどうでも良い。そして起源種シェフィルも自分以外のものには興味がなく、地上で大量絶滅が起ころうとも、トゲトゲボーやウゾウゾがたくさんいて、エネルギー生産量に大きな変化がなければ特段気にしないだろう。
しかし起源種シェフィルは今、本格的に繁殖活動をしている。
この繁殖行為は繊細なもので、想定外の刺激を受けると失敗する可能性がある。人間達の攻撃で起源種シェフィルが死ぬ事はないが、繁殖行為の失敗はないと言い切れない。『シェフィル』にとって重要なのは自らの遺伝子を増やす事。それを邪魔する可能性は、どれほど小さなものでも許せない。
【よって我々は人間達に対処します】
母のその言葉に呼応するかの如く、大地の揺れは更に強くなる。
しかも振動源は一つではない。十か、二十か、それ以上か。一体何が起きているのか分からず、シェフィルは困惑してしまう。尤も、答えはすぐに明らかとなった。
母が力強く空へと飛んだ事で。
シェフィルもまた空を飛んだ。母の触手が自分の身体に巻き付き、自分を連れていったがために。直後凄まじい加速度、それに伴う慣性がシェフィルの身体に圧し掛かる。優れた身体能力を誇るシェフィルだが、あまりの慣性に吐き気を催し、声である電磁波すら出せなくなってしまう。
それでもすぐに、数秒もすれば慣性は収まり……気持ち悪さを抑え込みながら、シェフィルは辺りを見回す。
周囲は、一面の星空だった。
足元に地面はない。重力の感覚もない。つまりここは宇宙空間だという事。
どうやら母は通常の飛行で宇宙に飛び出したらしい。以前と違って量子ゲートワープを用いなかったのは、エネルギーを節約するためか、或いは移動の兆候を人間達に捉えさせないためか。理由はどうであれ、一瞬で宇宙に飛び立つほどの運動エネルギーを生み出したなら、離陸時の衝撃の凄まじさは想像に難くない。
そして先程感じた大地の揺れは、母の離陸と『同じ事』が起きていた事の証だろう。
シェフィルは辺りを念入りに、注意深く見渡す。そうすれば自分の、いや、母の周りに無数の黒い姿が見えた。それらは母と同じ速さで宇宙空間を駆けており、徐々に母の近くに……或いは母がそれらの近くに……集まってくる。
気付けば辺りは、無数の母の一族だらけになっていた。何百何千という数がいるのだろうか。無数の触手を蠢かせ、泳ぐように無重力空間を進む。発光器官はなく、漆黒の身体は宇宙の色合いによく溶け込んでいる――――いや、むしろ目立つ。宇宙よりも濃い暗黒は、星々で輝く世界で浮かび上がって見えた。
母の一族が大群を成す光景にシェフィルは言葉を失う。それでもどうにかこうにか絞り出した声で、母に感動を伝える。
「か、母さま! 凄い数です!」
【総数三千六百七十四体。我々の全てがここに結集しています。とはいえ全てが戦闘個体ではなく、戦闘用の個体は七百四体のみ。その中でも私に匹敵する実力者は百体もいません】
驚き興奮するシェフィルに対し、母は冷静に情報だけを伝える。言われて、シェフィルも我に返る。母は端から自分達だけでは勝ち目がないと言っていた。どれだけ此処に集まった戦力が多くとも、既に戦いの『結論』は出ているのだ。
同時に、どんな結果になろうと必ず「勝てる」とも母は言っている。
【この戦いは時間稼ぎです。シェフィルの繁殖活動が一段落すれば、後はシェフィル自らが脅威を排除します】
「シェフィル……星の中枢が、動き出すのですか!?」
【はい。こちらに敵意を見せた以上、殲滅対象です。戦闘能力を鑑みて、シェフィル自らが対応する事となりました。ですが人間側が何か奥の手を隠している可能性も否定出来ません。計算より早く我々が壊滅し、人間が何かしらの方法でシェフィルを掌握する事態も考慮する必要があります】
「……そう、ですね。油断は禁物です」
【その通り。不確定要素がある以上、計算結果を信頼する事は出来ません。より確実に我々が勝つためには、戦力の追加投入が必要です。そのためあなたを連れてきました】
「私を?」
【シェフィル。あなたを人間の戦闘艦内部に送り込みます】
どういう事か? シェフィルが抱いた疑問に答えるように、母は説明する。
曰く、人間達の最大の脅威はその統率力であると母達は考えている。言語による緻密なコミュニケーション、高度な戦術行動、多角的な状況把握……それらを駆使する事で、個々の戦闘能力を大きく超える活躍が出来る。
言い換えれば、統率力が失われれば人間達の戦闘能力は大きく低下する。そして墜落した船の中に大量の人間がいた事から、戦闘艦は大勢の人間が協力して動かしている筈だ。
ここでシェフィルの出番となる。母がシェフィルを戦闘艦内に送り込む。シェフィルは船の中で暴れ回り、内部の指揮系統を滅茶苦茶に引っ掻き回す。人間達はシェフィルや内部の損傷で手いっぱいになり、戦闘艦の操縦が疎かに。
すると戦闘艦の動きが乱れ、艦隊に乱れが生じる。乱れは他の戦闘艦を邪魔して、全体の戦闘能力を大きく低下させる効果が見込めるだろう。
無論母達にそれが出来れば、自分達でやる。しかし母達が普段用いている『瞬間移動』こと量子ゲートワープでは、戦闘艦内部に入り込む事は出来ない。量子ゲートワープは重力で空間を歪めているだけで、物理的にはただの直線運動。移動先に壁があれば普通にぶつかり、事故となるだけ。
量子変換運動と呼ばれる技を使えば、壁をすり抜けて内部に入り込める。だがこの技は質量が大きいほど安全な移動が困難になるため、巨大な母達自身に使うのはリスクが大きい。
しかしシェフィルぐらいの大きさであれば、安全な運動が可能だ。シェフィルであれば内部から破壊工作を行える……
【という建前であなたを連れてきました】
と真面目に語ったところで、いきなり軽い言葉が混じる。
話の緩急に付いていけず、シェフィルは呆けてしまう。
「へ? 建前?」
【作戦行動に対する有益性がなければ、あなたを連れてくる事なんて出来ません。そもそもあなたがいたところで大した戦果は期待出来ません。ないよりマシな程度でしょう】
「な、ならどうして私を連れてきたのですか?」
【あなたはアイシャを助けに行きたいのでしょう? そしてそうすれば、微々たるものですが我々の得になる。理由などその程度の事で十分ではないですか】
母の言葉は淡々としていて、あくまでも合理的であるように聞こえて。
つまるところ、あの時に訴えた
「か、母さま……!」
【さぁ、無駄話はそろそろ終わりにしましょう。相手が見えてきましたよ】
感極まるシェフィルの言葉を、母は感情のない言葉で遮る。
果たしてそれは照れ隠しか、はたまた実際に艦隊が目前に迫ってきたからか。
問い質す暇はなく、問い質す意味もない。母の答えはどうせ決まっていて、後はシェフィルがどう思うかというだけの事。無意味な問答に時間を費やす意味はない。だからシェフィルはそれ以上母には問わず、前を見据える。
愛しいアイシャが待っている、人間達の宇宙船を睨み付けるために――――