凍結惑星シェフィル   作:彼岸花ノ丘

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絶対凍結気候13

「ただいま帰りました! アイシャ!」

 

 元気よく明るい声で、シェフィルは横穴内にいるアイシャを呼んだ。

 答えは返ってこない。当然だ。シェフィルが外へと飛び出す前から、アイシャは殆ど死に体になっていたのだから。状況が悪化する事はあっても、良くなる事はないだろう。

 実際、家の壁に寄り掛かるアイシャの姿はほぼ死体のようだった。ぴくりとも動かず、顔は真っ青。エネルギーが枯渇したと一目で分かる姿であり、普通の人間ならばもう助からない状態だ。

 しかしシェフィル達は『普通』の人間ではない。

 シェフィルはアイシャの傍に寄り、頬に触れる。じっと、その奥底に意識を向けてみれば……微かに、奥底から電磁波を感じられた。とても弱々しいが、間違いなく生命活動によるものだった。

 

「(無意識に、活動する細胞の数を減らして飢えに耐えていますね。アポトーシス(細胞自殺)もやっています)」

 

 生命活動に不可欠な部分 ― 脳や心臓など ― だけを動かし、腕など『不要』な部位の細胞を分解して栄養にしている。アイシャの身体はどうにかエネルギーを捻出し、生き続けていた。

 とはいえこの状況から復活するのは、極めて難しい事である。これは自分の手足を喰いながら生き永らえているようなもので、いざ目の前に食べ物が落ちても、その時には身動きも出来ないのだから。また脳の活動を限界まで抑えている所為で、()()()()()()もほぼ不可能だ。目覚めるには大きな刺激が必要であろう。

 つまるところ単身ではこのまま死ぬだけの状態である訳だが、此処にはシェフィルがいる。強力な電磁波を流し込むなり、顔面を一発殴るなりすれば、きっと覚醒する筈だ。

 問題は、ここで起こすと確実にアイシャは死ぬ事だが。

 

「(覚醒にはエネルギーが必要ですからねぇ)」

 

 休眠状態の細胞が活動状態へと戻る時、たくさんのエネルギーを一気に消費する。寝ている状態から立ち上がるのに、身体に力を入れるのと似たようなものだ。

 アイシャの身体は今、自分の手足を細胞レベルで喰らうほどに飢え、弱り果てている。ここで大きな消費が生じれば、エネルギーの枯渇により肉体全体が死んでしまうに違いない。

 では、どうすれば良いのか?

 要はエネルギーが足りないのが問題なのだ。だからエネルギー源を補充すれば、全ての問題は解決する。

 そのために、シェフィルはダラダラの腹の脂を持ってきたのだ。両手に握り締めている量はほんの数百グラム程度であるが、全て喰らえば相当なエネルギーを生み出す。飢えた身体を満たすには全く足りないが、意識を呼び覚ます事は出来る筈だ。

 

「待っててくださいねアイシャ、今食べさせますから」

 

 シェフィルは脂肪の塊を指で千切り、爪ほどの大きさの塊にした。

 それをアイシャの口許に運び、そしてふと思う。

 どうすればアイシャはこれを食べてくれるのだろう?

 

「……?」

 

 最初、シェフィルはこてんと首を傾げた。

 

「……………」

 

 次いで無言のまま、ぐりぐりとアイシャの唇に脂を押し付ける。

 

「……え、あれ? あれ!?」

 

 やがて狼狽を声に出し、あからさまに右往左往。

 そう、シェフィルは失念していた。

 自意識すらない今のアイシャは、自分の力で食べ物を飲み込む事が出来ないと。

 

「えぁ、あっ!? ど、どうしましょう、これ……!?」

 

 ついにシェフィルは動揺を露わにした。モージャと出会った時にもここまで狼狽えはしなかったというのに。

 母がいれば即座に助けを求めただろう。されど此処に母はいない。冬が終わるまで戻ってくる事もない。

 アイシャを助けるには、自分で考えるしかないのだ。

 

「(お、落ち着くのです。何が問題なのかを考えましょう。原因が分かれば、解決策も閃く筈です)」

 

 慌てふためく自分を自覚し、胸に手を当てながら言い聞かせる。

 まず、何故アイシャは折角の脂肪を食べられないのか。

 言うまでもなく、意識がないからである。そして意識を覚醒させる訳にいかないのは、先程考えていた通り。つまり起こさずに、アイシャに食べ物を与えなければならない。

 

「(思い出すのです! 私だって、意識が朦朧としていた時は一度や二度ではありません!)」

 

 必死に記憶を辿り、思い出すは過去の、極めて幼い頃の記憶。

 当時のシェフィルは物心が付いたばかりで世界の危険性も知らず、母は母で人間の子供がどれだけ死にやすいか知らず。お陰で通りすがりの猛獣に、身体の三割ぐらいを喰われてしまった。喉笛も喰い破られ、しかも腸を引きずり出されてしまった。全体的に殆ど死んでいる状態だった。

 それでも母の細胞のお陰で一命は取り留めた。だが手足の骨も折られ、内臓も出ていて、喉まで使えない有り様。これでは自力でものを食べられない。食べられなければ回復のためのエネルギーや資源を得られないので、本来ならばどの道死んでいただろう。

 なんとか回復出来たのは、母が手厚く介護してくれたからだ。

 あの時のシェフィルは意識を保っていたが、自力で食べられない状態なのはアイシャと同じ。あの時母がしてくれた事を真似れば、アイシャを助ける事が出来るに違いない。

 では、母はどうやって自分を助けたか?

 

「(ええっと、母さまがやったのは喉に空いた穴に触手を突っ込んで、直接消化器官に食べ物を入れてきたような)」

 

 【胃に入ればみんな同じなのです】という言葉と共に、やられた事を思い出すシェフィル。極めて合理的な介護のお陰で、「もう二度と母さまの手当ては受けない」と思ったのはここだけの話。

 なんにせよ、あのやり方のお陰でシェフィルは助かったと言える。無論シェフィルの身体には触手など生えておらず、母と同じ事は出来ない。

 しかし母が言っていたように、要は胃に入ればみんな同じなのだ。結果的に流し込めればそれで良く、やり方などは参考程度に留めておけば良い。

 

「(指で押し込む? いえ、いくら脂質とはいえ凍ってますし、このまま押し込むのはあまり良くないでしょう。体温で溶かせば……それだと指じゃ入れられませんか)」

 

 あれでもない、これでもない。進むべき道は見えても、その歩み方が分からない。うんうん唸りながら考えて――――

 

「あっ、ああすれば良いですね。簡単簡単」

 

 妙案を思い付き、こくりこくりと頷いた。

 次いで、指で摘んでいた脂身を口の中に入れる。

 しかし食べはしない。舌の上で転がし、じっくりと噛んでいく。ダラダラの脂はウゾウゾとは比較にならないほど美味で、思わず飲みたくなるが、それはぐっと堪える。

 やがて脂身は溶けた油分に変わった。

 そしてシェフィルはアイシャの顔を掴むと、自らの口と、アイシャの唇を重ねる。

 唇と舌でアイシャの口を押し広げる。唇はすっかり冷えていて、もう凍り付いているようにも思えた。口の中も冷たく、折角溶かした脂が冷えて固まりそうである。そこでシェフィルは舌を入れ、念入りに舐め回すようにしてアイシャの口の中を温めた。

 ある程度温まったところで、シェフィルは口の中にある脂を流し込む。

 口移しで食べ物を与える。これがシェフィルの考えた介護のやり方だった。

 

「……ぷは。意外と口移しって難しいですね」

 

 口の中が空になったところで、シェフィルはアイシャから離れる。今度はもう少し大きく脂身を噛み、溶かし、またアイシャの胃に送り込む。

 これを何回も行う。

 一回一回にとても時間の掛かる工程だ。けれどもシェフィルはこの行いを、嫌だとか、面倒だとは思わない。シェフィル自身、少し驚きを感じてしまうほどに。

 

「(なんでしょう。こう、胸がざわざわすると言いますか……)」

 

 挙句、今まで感じた事のない妙な気持ちまで込み上がる。

 何故かアイシャを見てると心がざわめいて、冷静な思考が出来ない。一体この気持ちはなんなのだろうか。繁殖相手を欲しているとも考えたが、しかし今感じている気持ちは、衝動と呼ぶには弱過ぎるし、何かをしたいとも感じない。本能というのはもっとシンプルな、特定行動を強烈に促す衝動だ。こんな貧弱で、詳細不明な感覚ではない。

 この胸のざわざわは、人間ならば誰もが感じた事のあるものなのだろうか。自分だけのものなのか。アイシャも感じた事があるのか。

 答えを知りたいと、シェフィルは思った。

 ……丁度そのぐらいで、ダラダラの脂身を半分ほどアイシャの胃に流し終えた。手でアイシャの腹に触れてみて様子を探れば、胃腸はゆっくりとだが動き、栄養分を身体に取り込んでいる。

 身体が目覚めるには、十分なエネルギーが吸収された事だろう。

 

「そりゃー」

 

 なのでシェフィルはずどんっと、アイシャの胸の真ん中に拳を一発叩き込む。無論加減はしているが……心臓に直に伝わるダイレクトアタック。

 

「ごぶべぇっ!? ががばばがばば!?」

 

 叩かれたアイシャが変な声を出し、四肢をバタつかせながら苦しむのは当然だった。

 そう、当然なのだ。生きていれば。

 

「アイシャ! 目覚めてくれましたね!」

 

「げほっ! ごほっごぼ、げほっ! な、何? なんなの? え? あれ?」

 

「あなた、あともう少しで死ぬところでしたよ? 危なかったですね!」

 

 満面の笑みを浮かべながら、死から逃れた事を伝えるシェフィル。本当に良かったと思っているので、子供のように純朴に微笑んでいる。

 だが今まで半分凍り付いていたような状態のアイシャに、自身がどんな状態だったかなど知る訳もなく。

 

「……はぇ?」

 

 キョトンとしながら青ざめたアイシャは、直後、暢気なシェフィルの肩を掴んで揺さぶりながら問い詰めるのだった。

 ……………

 ………

 …

 

「この星の環境、地獄過ぎない?」

 

「他所の星の冬なんて知りませんけど、今回の冬は特に過酷でしたねー」

 

 自分がどんな形で死ぬところだったか、それを聞かされて顔を引き攣らせるアイシャに、シェフィルはご機嫌に微笑みながら答えた。

 今のシェフィルは、外出前アイシャに着せていた自分の服を着ている状態だ。今まで裸で外を出歩いていたので、妙に暖かく感じる。或いは、目覚めたアイシャと一枚の毛皮の中で身を寄せ合っているからか。どちらにしても計算よりも温かい気がする。

 原因はよく分からないが、温かいなら問題はなく、何より気分的には良い。だからこそシェフィルは笑みを浮かべているのだが、どうしてかアイシャの顔は暗くなっていた。

 表情が悪くなるという事は、何かが不快だという事。不快さは身体にとって好ましくない状況の現れだ。平時なら兎も角、ほんのついさっきまで死にかけていたアイシャの場合無視する訳にはいくまい。

 

「どうかしましたかアイシャ。何やら苦しそうですが、不調でもあるのでしょうか?」

 

「え? ……ああ、うん。ちょっと……お世話になりっぱなしなのが、情けなくて」

 

「情けない、ですか?」

 

 アイシャの言葉にシェフィルは首を傾げる。

 確かに、情けないかどうかで言えば、アイシャは情けないと思う。

 しかしシェフィルには、それの何が悪いのか分からない。今までアイシャはこの星で暮らしておらず、まだ何も知らない身だ。しかも母の細胞で蘇生してから日が浅く、今の身体にも慣れていない筈。何事も上手く出来ないのは当然であろう。

 そもそも、誰かに頼る事の何が問題なのか。自然界は過酷であり、一人だけではどうにもならない事など珍しくもない。誰もいないなら一人でどうにかするしかないが、誰かいるのなら頼った方が良い。そうした方が生存率が高いのは、計算するまでもない。

 シェフィルも頼れる状況ならば他者を頼る。今回の冬越しでも、立ち寄った母から冬の情報と食べ物をもらっているぐらいだ。アイシャがシェフィルを頼っても、それは極めて合理的な判断としか思わない。

 何より、アイシャを助けたのはシェフィルが勝手にした事である。

 

「情けない事の何が問題なのです? あなたを助けたのは私がしたかった事であり、あなたがどうこう考える必要はないでしょう?」

 

「……ふつーの人間はね、そうは思わないの。情けないと、そのうち見捨てられるかも知れないじゃない」

 

「そりゃまぁ、あんまりにも無能なら見捨てるでしょうが。ですが頑張った結果見捨てられるのなら、それは仕方ない事ですし、今からあれこれ考えても仕方なくありません? 大体、私はあなたが無能か有能かなんて考えずに助けたのですが」

 

「……ふふっ。そっか。確かに、努力もしないうちにあれこれ言っても仕方ないし、努力した上で見捨てられたならそれも仕方ない話よね。うん、仕方ない」

 

 アイシャは明るく笑う。

 急に機嫌を良くした理由は分からないが、アイシャが楽しそうならシェフィルとしてはそれで良い。シェフィルもニコニコと笑う。

 そうして笑い合っていると、アイシャは不意にきゅっと引き締めた、真面目な表情を浮かべた。

 

「ううん、でもやっぱり私の気が済まないわ。何かお礼させなさいよ」

 

「お礼ですかぁ? 別にいらないんですけど」

 

「良いから良いから。命の恩人なんだし、なんでもするわよ」

 

「ふーむ。なんでもですか」

 

 そこまで言うなら、というつもりで復唱すると、アイシャは「あっ」と声を漏らす。顔を真っ赤にし、何かを言うためか口をパクパクと喘がせていた。

 

「じゃあ、頭でも撫でてください」

 

 尤もその面白い動きは、シェフィルが要求を伝えると呆けたものに変わったが。

 

「……え? それだけ?」

 

「他に何か出来るのですか?」

 

「いや。その、こういう時は身体でも要求するのかと。アンタ私と繁殖したいって言ってたし」

 

「身体の要求? ……交尾の事ですか? そりゃしたいですけど、アイがないと子供は作れないのでしょう? ならやるだけ無駄です。それともアイが出来て、繁殖出来る状態になったのですか?」

 

「いや、ううん、なってない。撫でる方にするわ」

 

 顔を真っ赤にしたアイシャはいそいそと手を伸ばし、シェフィルの頭を優しく撫でる。

 頭を撫でられるのは、初めての経験ではない。母もよくやってくれた事だ。シェフィルが乗ってきた宇宙船のデータにあった、人間が誰かを褒める時にする行為らしい。

 子供の頃は母がよくやってくれた。大人になったらあまりしてくれなくなったが……アイシャに頼めば、やってくれるかも知れない。シェフィルはそう思い要求してみたのだ。

 それにしてもアイシャは頭を撫でるのが上手い。触られている頭だけでなく、胸の奥からポカポカとした気持ちになる――――

 極上の感覚に浸るシェフィルだったが、アイシャの手は不意に止まり、離れていく。まだ撫でられ足りないと訴えようとしたシェフィルだったが、アイシャの顔を見て言葉が詰まる。

 真っ赤にし、瞳を潤ませたアイシャの顔を。

 

「……これは、サービスよ」

 

 アイシャはそう言うとシェフィルの顔に近付き――――

 啄むように、シェフィルの唇に自身の唇を重ねた。

 

「……ああ、何してんのかしら私。いくら恩人とはいえ女の子に、これじゃあまるで……本当に顔は良いんだから……魔が差すに決まってるじゃないこんなの」

 

 唇が触れていた時間はほんの僅か。すぐに離れたアイシャは、今まで以上の赤さに染まる。ついでにぐちぐちと独りごちていた。

 シェフィルはぼんやりしながら、自分の唇に触れた。間違いなく、アイシャの唇と自分の唇が触れていた。

 つまり今のは口付けだ。

 何故アイシャは自分に口付けをしてきたのか。理由を考えてもみれば、シェフィルはすぐ答えに辿り着く。

 

「なんだ、お腹が空いたのですか。それならそうと言ってくださいよー」

 

 ただし正しい答えとは限らないが。

 

「……ん? え、なんの話?」

 

「待っててくださいね。今次の食事を用意します」

 

 そう言ってシェフィルは、残っていたダラダラの脂身を全てを口に放り込む。

 ざっと五十グラムはあるであろう脂肪分を、くちゃくちゃと噛み潰して液状に。意識がない時はもっとしっかり噛んでいたが、アイシャの意識が戻った今回はそこまでする必要はないだろ。

 どろどろとした半固形物状態にしたら、次いでシェフィルはがちりとアイシャの頬を両手で掴む。しっかりと固定して離さない。

 何故離さないかと言えば、暴れるから。意識がある時に口移しなんてすれば、噎せてバタバタと暴れるに違いない。だからといって病み上がりのアイシャに、自力で食べろというのも酷。

 口移しが一番合理的な食べさせ方だ――――そう思ったので、シェフィルは自分の行動が間違っていると思わず、それ故に躊躇わない。

 

「んー」

 

「え、ちょ」

 

 顔を近付けるシェフィルに対し、アイシャが何かを言おうとしている。しかしシェフィルは待たない。何かを話したら口いっぱいの脂が溢れてしまうし、それにこれは『生存』のために必要な事。アイシャの言い分を一々聞く必要はない。

 ――――シェフィルは知らない。口付けが人間文明の中で特別な意味を持つ事など。

 知っていても彼女は口移しを躊躇わないが。互いの口をくっつけるだけ。そこに何故意味を見出すのか、さっぱり理解出来ない。それよりも命を保つ事が大事である。

 そもそもにしてシェフィルはアイシャが『好き』であり、繁殖相手にしたいのだから、口付けを嫌がる筈もなく。

 

「〜〜〜!?!?!!?!?!!???」

 

 何故か暴れるどころか固まってしまうアイシャをしっかり押さえ付けながら、シェフィルは容赦なく口移し(栄養供給)を行うのだった。

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