いざその光を目前にしてみれば、シェフィルの頭の中は容易に真っ白となった。何がなんだか分からず、一切思考が働かない体たらく。
しかし身体が強張るには至らない。シェフィルの身体を動かすのは人間的な意思だけでなく、惑星シェフィルの生物に相応しい演算思考もあるのだ。身体で感じる電磁波の出力値を危険だと判断し、マールの顔前に生じた光の直線上から逃げるように身体が勝手に反れる。今も大事に抱き締めている、『繁殖相手』であるアイシャを守るようにしながら。更に足も意識せずに動く。
それは一瞬の出来事であり、動けた距離は数メートルもない。だが、数メートル未満でも動けたのは大きい。その移動で、至近距離にいたマールの背後へと回れたのだから。
もしもこれが出来ていなければ、今頃シェフィルとアイシャは放たれた光に貫かれていただろう。
「ぐ、ぎぅう……!」
「きゃあっ!?」
とはいえ光の放射圧までは避けられず、シェフィルはアイシャと共に遠くまで飛ばされてしまったが。肩から大地に落ち、骨にヒビが入った感覚を覚える。
更に着地時の衝撃で身体が跳ね、何度も大地に身体を打ち付けてしまう。四度目の激突でどうにか勢いが衰え、身を翻して姿勢を立て直せたが……何十メートルも飛ばされてしまった。
それだけ離れていても、マールが放つ閃光の眩しさはまるで衰えないが。
「(不味いです! 奴は、恐らく原種返り! だとしたら勝ち目なんてありません!)」
母が言っていた、祖先の力の一部を持ってしまった個体……ついに出会ってしまったその存在に対し、シェフィルは即座に逃走を選ぶ。
コイツを野放しにしたらこの地の環境は破壊し尽くされ、何百もの種が絶滅するだろう。だがそんなのはシェフィルにとって知った事ではない。この地が滅びるのであれば、別の土地に移れば良い。自分達が生き残るのが最優先だ。そもそもあんな馬鹿げた攻撃をしてくる相手に、どうやって勝てば良いのか。物理的な耐久性も不明な以上、反撃したところで致命傷を与えられる保証はない。いや、あの強烈な攻撃を平然と撃ち、反動を至近距離で受けながら平然としているのだ。生半可な攻撃は通用するまい。
逃げる以外の選択肢はない。尤も、見逃してくれるかは甚だ怪しいが。
「ムキュウゥーッ、プシューッ」
数秒程度閃光を放っていたマールは、やがて緊張感のない吐息を漏らす。合わせて閃光も消え失せた。
どうやらマールにとって、先の閃光は一息分の労力に過ぎないらしい。
ならば恐らく、体力やエネルギーの消耗は殆どないと考えるべきだ。次の攻撃を繰り出すのに長い間隔を開ける必要はない。
いや、間隔どころか連射する事さえ造作もないだろう――――シェフィルの予想通り、くるりとシェフィル達の方へと振り返ったマールは即座に次の閃光を準備し始めた。
「(これは、躱せませんね!)」
此度の攻撃は回避不可能と判断するシェフィル。先程の一撃は至近距離だからこそ、即座にマールの背後へと回る事が出来た。しかし今回は数十メートルと離れた状況。ここまで距離が離れていては、瞬時に相手の背後に回る事など出来ない。
そしてマールが放つ閃光は光速で飛び、幅数メートルの範囲であれば岩石さえも気化させ、数十メートルの領域では岩場すら粉砕する威力を持つ。発射までの数秒で全力疾走しても
無論立ち止まって防御しても、何もかも吹き飛ばす一撃によって跡形も残らないだろう。生き残るために必要な行動は、あのトンデモ威力の攻撃を撃たせないような立ち回りだけ。
何十メートルも離れているのに、立ち回り? シェフィルの中にある『人間的』な部分が鼻で笑う。この状況から生き残る術などないと、理性が絶望に屈する事を促す。
生憎、そんなものに耳を傾ける暇はない。
どうすれば生存が可能となるか。今の状況で出来る選択肢はあるのか――――
本能のまま思考を巡らせたシェフィルは、一つの案に至る。確実に成功するとは言えないが、だとしても現状他に手はない。ならばそれを選ぶ事に躊躇いなどない!
「アイシャ! 二手に分かれます! 兎に角全力で走ってください!」
「え? ひひゃああっ!?」
シェフィルは抱き締めて守っていたアイシャを、躊躇いなくぶん投げた!
投げられたアイシャは悲鳴を上げながら、手をバタバタと動かす。尤も空気のない世界でそんな動きをしても、体勢をコントロール出来る訳もない。アイシャは一メートル近い高さから落ち、顔面で着地した。
ただの人間だった頃なら大怪我確実の落ち方であるが、今のアイシャはシェフィルと同じく『この星の生命』である。この程度のダメージで怯むほど、軟な身体なんてしていない。何よりアイシャもマールの攻撃性を目の当たりにし、自分達の置かれている状況を理解している。べそは掻いていたが、泣き言は言わず。シェフィルからすればすっとろく見える動きで走り出す。
シェフィルも走る。アイシャとは反対方向に。
狙いを二手に分ける。これにより、相手を翻弄しようという作戦だ。こんな安易なやり方で相手が戸惑うのか? とも思えるが、可能性は低くないとシェフィルは読んでいる。
何故ならマールはトゲトゲボーのような、『動かない生物』を餌にしている生物だからだ。
「(原種返りだとしても、本質的には元の種と同じ筈です)」
原種返りは古代の祖先が持っていた力を得た個体。マールという『種』の強さが本来どの程度のものかシェフィルは知らないが、まかり間違ってもあんな閃光をバカスカ撃てるような存在ではあるまい。原種返りしたあの個体は、マールという種から見れば逸脱した強さの筈だ。
しかしどれほどの力を持てども、マールは本質的には『マール』のままであろう。先祖返りにより尻尾が生えた人間も、足が生えたクジラも、その種が備えている性質は他と変わらないように。
動かないトゲトゲボーを食べるマールにとって、逃げる相手を追い駆けるような機能は必要ない。
その種にとって不要な能力や器官を持つ事は、大概好ましくない。何故なら不要な能力を持たない個体は、その分のエネルギーや資源を別の事に使えるため、同種との競争で有利になるからだ。勿論その『不要な能力』が環境に適応していれば、優れた形質として多くの子孫を残せるが……大抵は淘汰されてしまう。
マールも同じ筈だ。いきなり古代種の能力をぽんっと渡されたところで、その身体は使いこなせるように出来ていない。
そんなシェフィルの思惑は、幸いにも的中した。
「ムキュ? ムギュ、キュー?」
シェフィル達が左右に走り出した途端、マールの動きが不安定になる。シェフィル達の動きを同時に把握しようとしてか、身体を左右に激しく揺らしていた。こんな追い方で二人の動きを正確に捉えられる筈もない。
尤も、この作戦の効果は数秒の時間稼ぎが限度だろう。何しろマールは惑星シェフィルに生息する生物の一種。淡々と演算すれば、この問題の解決策などすぐに思い付く。
敵が左右に逃げて狙いが定まらないのなら、薙ぎ払ってしまえば良い。
「ムゥ……!」
マールもそれに気付いたのだろう。閃光を維持しつつ、縮こまるような動きで頭を振ろうとした。
この瞬間をシェフィルは見逃さない。
そしてこの時のために、シェフィルは横方角へと逃げつつマールに近付いていた。
「っだあぁっ!」
即座にシェフィルは足下の石を蹴り上げる!
空気抵抗がないこの星で、蹴飛ばされたものは正確かつ減速せずに飛んでいく。シェフィルの蹴った石も同様で、狙った先――――マールの下へ、ぶれる事なく飛んだ。
石の存在に気付いたのかマールはびくりと身体を強張らせる。だが閃光は変わらず輝き続けていた。発射する時と同じように、消すにも『一呼吸』ほどの猶予が必要だからか。
その一呼吸の時間が経たないうちに、マールが生み出した閃光と、シェフィルの蹴飛ばした石が接触する。
――――シェフィルは、その閃光がなんであるかを知らない。
マールが生み出していたものは、高エネルギー電子の集合体である。
高エネルギー電子はほぼ光速で飛び、命中した対象の原子を破壊。原子核を素粒子レベルで粉砕してしまう。更に原子崩壊時に質量の一部が熱へと変わり、このエネルギーが周囲を膨張・破断させる。原子自体を破壊するこの攻撃に防御力は一切関係なく、直撃=消滅の必殺技と言えよう。
しかし一つ、弱点がある。
高エネルギー電子は、閃光を放っている時点で既に存在しているのだ。外部に露出させた状態で発射準備を行う必要がある。そして当然ながら、素粒子である電子に破壊すべき対象やタイミングなど判別出来る訳もない。触れたものは全て破壊し、熱と素粒子へと変換してしまう。
マールの傍であろうともお構いなしに。
「ム、ムキュ――――」
マールが声を荒らげた、次の瞬間に閃光が膨れ上がり。
マールの真正面で、大爆発が起きた!
「ぎゃんっ!?」
「うぐぅ……!」
アイシャは爆風(気化した固体酸素などの集まりだ)によって転ばされ、シェフィルも身体が痺れるほどの衝撃で呻く。身体の自由が利かず、シェフィルの力でも一歩と前進出来ない。
シェフィル達は何十メートルも離れている。なのにここまでの衝撃を受けた。いや、爆発したのはマールが撃とうとした閃光。発射すれば一直線に数百メートルを消し飛ばすほどのエネルギーがあるのだ。一ヶ所に集まっている状態で爆発すれば、これぐらいの威力があってもおかしくない。
無論、爆心地にいるマールは、シェフィル達とは比にならない威力の爆発を受けている。
これならば確実に殺せている筈だ……とは言い切れない。何しろ相手は『原種返り』。母からは【まかり間違っても、あなた如きが勝てるなんて思ってはならない】とまで言われている。
爆発で吹き飛ばした。だから確実に殺せた。
これは正に「勝てると思っている」状況ではないか。母の言う事が正しければ、こう考えたら死ぬ。故に勝ったとは思わない。
普通の人間ならば、中々難しい判断だ。事前に警告されていたとしても、自らの常識を元に判断を下してしまうものである。しかしシェフィルの頭はそのような非合理な判断をしない。
母からの忠告は最優先の判定指標。自分の『願望』を完全に排除する。勝っていないのだから、マールはまだ生きている筈だ。爆発が煙幕代わりになっている今のうちに、逃げるための行動を起こす。
「アイシャ! このままあっちに逃げましょう!」
「へ? え、あ、う、うんっ」
シェフィルはアイシャが走っていた方を指差し、更に走るように指示。アイシャは爆発を目にして立ち止まり、逃げる事に少し怪訝な様子だったが……やや躊躇いつつもシェフィルが指差した方に走り出す。
アイシャの後を追い駆けるように、シェフィルも全力で走る。爆発の煙が晴れるまでどれぐらい掛かるか分からないが、爆炎さえもやがて凍り付くこの星では長くとも数十秒かそこらだろう。
今のうちに少しでも遠くへ――――
シェフィルはそう考えていた。そしてこの判断は何も間違っていない。あの強大なマールからは、死力を尽くしてでも逃げねばならないのだ。
ただ、死力を尽くした程度で逃げられるほど『自然』は甘くない。
「っ!? アイシャ危ない!」
「きゃっ!?」
アイシャのすぐ後ろまで来た時、シェフィルは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
そしてシェフィルは咄嗟にアイシャの背中を突き飛ばした。無意識の行動であり、シェフィルも自分の行いに少なからず驚いたが……理由はすぐに思い知る事となる。
自分の腕が切り落とされた、という形で。
「――――っ、が、く、うぅぅ……!」
ぼとりと、前腕の真ん中辺りから腕が落ちた。断面から走る刺激にシェフィルは顔を顰め、出血を少しでも抑えるため片手でぎゅっと圧迫する。
「いたっ!? しぇ、シェフィル!?」
「問題、ありません……この程度なら回復します……!」
駆け寄ってくるアイシャに、シェフィルは平静を装いながら答える。
事実、腕の傷自体は大した問題ではない。この前は肩から先を食い千切られたぐらいだ。既に断面部分の全血管を収縮させ、出血を抑え込んでいる。
ここまですればもう処置は不要。よって別の優先事項に意識を傾ける。
言うまでもなく、それは「どうして腕が切断されたのか」という原因の事。そして答えは簡単だ。
「全く……光線以外にも、ちゃんと技があるんですね……」
「ムッキュー」
シェフィルの悪態に、答えるような鳴き声が聞こえてきた。
未だ漂う爆炎の中から、ゆらりと獣が姿を表す。
マールだ。至近距離で閃光……高エネルギー電子の爆発を受けたにも拘らず、その身体には欠損どころか傷一つ付いていない。動きに不自然な部分もなく、疲労さえしていないと窺い知れた。
そしてマールの傍には、光の『刃』が二つ漂っている。
大きさは十センチほど。極めて強力な電磁波を発しており、更に周囲の空間が僅かに歪んでいた。ほんの少しだが、刃の方に引き寄せられる感覚をシェフィルは覚える。
超高密度の
あの刃が飛んできて、腕を切断したのか。自分の身に起きたであろう事を推測し、シェフィルは思わず笑ってしまう。攻撃力どころか防御力も技もあるなんて、付け入る隙がまるでない。これほどの力さえほんの一部に過ぎないという『原種』とやらは、一体どれほどの強さを持っていたのか。そんな力で繰り広げられる生存競争は、何処まで過酷なものだったのか。
時間があれば、思索を巡らせて知的な暇潰しをしたいところだが……マールは猶予を与えてくれない。
「ムキュゥゥー……」
可愛らしい声ではあるが、しかしその身体から明らかな敵意を滲ませるマール。
どうやら先の爆発は、ダメージこそなかったがマールの怒りを買ってしまったらしい。余計な事をしたか、とも思うシェフィルだが、こうでもしなければ逃げる暇さえなかっただろう。
選択は間違いでなかった。ただし許されなかっただけ。小さな虫がどれだけ必死になろうとも、人間の手から逃れられないように。
しかし『虫けら』にも意地はある。
「アイシャは逃げてください。私は一人でどうにかします」
「無理よ! あんな化け物相手に一人で挑むなんて死ぬようなものじゃない!」
「あなたがいても邪魔なんです! さぁ、行って!」
「だ、駄目! 一緒に逃げるのよ!」
シェフィルは傍に来たアイシャを突き飛ばし、逃がそうとする。だがアイシャは言う事を聞かず、シェフィルを引きずっていこうとする。
当然、マールはそのノロマな動きを見逃してはくれない。ゆっくりと動く光の刃に力を溜め込んでいく。ただでさえ強烈な電磁波が、一層強まっていくのをシェフィルは感じた。恐らく今度は腕と言わず、余波だけでシェフィルもアイシャも粉々に吹き飛ぶだろう。
もう逃げたところで間に合わない。攻撃を防ぐだけの頑丈さもない。破れかぶれの一撃を食らわせようにも、あの爆発を耐え抜く甲殻に傷を付ける術もない。
しかしシェフィルはまだ諦めるつもりなんてない。攻撃の瞬間、石や雪を単眼に引っ掛ければ一瞬怯ませられる、かも知れない。
死ぬその瞬間まで生存方法を模索する。シェフィルは湧き出す恐怖を克服し、冷静に知性を巡らせる。だがマールが刃に込めた力は、その努力と奮闘を嘲笑うかの如く圧倒的。そしてマールはこの発射を躊躇うような慈悲など持ち合わせていない。
力が十分に溜まり次第、マールは光の刃を撃ち出そうとした
「ムッ!」
が、間際に攻撃の手を止める。
代わりにマールの身体を包むように、光り輝く『膜』が現れた。物質的でない力にシェフィルは驚くも、解析する事は出来ない。
その前に、マール目掛けて
「ム、キ、キュウゥーッ!?」
どす黒い閃光を受けて、マールは初めて悲鳴染みた声を上げた。踏み止まる事は出来ず、マールの身体は数百メートルもの距離を一瞬で飛んでいき、墜落の衝撃によって大地を砕く。
大地を覆う岩は衝撃で粉微塵になり、濛々と舞い上がる。具体的なエネルギー量は分からないが、舞い上がった煙の大きさは……マールが自爆した時よりも一回りも二回りも大きい。シェフィルが身体で感じた衝撃も、その威力の大きさを物語る。
即ち先の黒い閃光の攻撃力は、マールが放つ閃光すらも大きく上回る事を意味していた。
出鱈目という言葉でも足りない、桁違いの攻撃。少なくとも火力の面では、間違いなくマールを上回る脅威だろう。アイシャもその事実を理解したようで、顔を青くしてガタガタと震えていた。
対して、シェフィルは笑う。
シェフィルは知っている。この攻撃が誰のものであるかを。誰にも負けない、この星で最強の存在が来てくれたのだと。
「もう……遅いですよ。母さま」
顔を上げ、シェフィルは母を呼ぶ。
【少し探索に手間取りました。ですがもう安心なさい。コイツは私がただちに処分します】
そして何時の間にかシェフィルのすぐ隣にやってきていた母は、娘からの言葉に堂々たる佇まいで答えるのだった。