「……マルプニ?」
「はい、マルプニです」
「……いや、まぁ、確かに丸くてぷにっとしてるけど、安直過ぎない?」
アイシャはすっかり警戒心が失せたようで、シェフィルが持っているマルプニを指で突く。
マルプニの軟らかな表皮は、アイシャの指を簡単に包み込む。突かれた瞬間ぷるるんとマルプニの全身が震えた。ちょっとした『攻撃』であるが、マルプニは怒った様子もなく、むしろ戸惑うようにぷるぷると揺れ動くだけ。
周りに天敵となり得る猛獣がいるので、アイシャの警戒が完全に緩む事はなかったが……少なくともマルプニを恐れるような気持ちは、完全になくなったのだろう。可愛らしく微笑んだアイシャは、更につんつんとマルプニを突く。
小さな生き物と戯れるアイシャ。その愛おしさをシェフィルもずっと見ていたくなるが、それをすると話が進まない。シェフィルは顔を横に振り、暢気な考えを振り払ってから話を続ける。
「おほん……名前は兎も角、マルプニが弱い生き物なのは違いありません。本当に弱いです。ウゾウゾよりへっぽこです」
「ウゾウゾより弱いって、そんなんで生き残れるの? あ、いや、生き残れてないから、絶滅しそう? でもそこまで弱い生き物が、この星の環境で一時でも種として成り立つ事自体が変というか……」
「まぁ、そこのところは進化の歴史を知らなければ分からないでしょう」
混乱した様子のアイシャを見て、くすりと笑いながらシェフィルは説明する。
マルプニという生物種が、かつては大繁栄を遂げていたという事実を。
――――まず、マルプニという生物の特徴を挙げよう。
外観を述べる言葉は数あれど、一言で言うなら『貧弱』に尽きる。手足すら退化し、機動力は皆無。小さな穴にしか見えない口は非力で、アイシャの柔肌に歯形すら付けられない。表皮は人間が掴むどころか、重力が加わるだけでも簡単に変形するほど柔らか。防御力、なんて表現がおこがましいぐらい軟弱だ。目や触角が見当たらないため、恐らく周囲の状況もあまり感知出来ていない。ちなみに外見からは分からないが、毒も持ち合わせていない。
こんな貧弱な身体では天敵に襲われた時、抵抗しようがない。実際抵抗出来ず、シェフィル達の周りでマルプニ達は次々と捕食者に食べられている。
あまりにも弱い。絶滅して当然だと思えるほどで、生存能力なんて微塵もないように感じる。
しかしマルプニ達の肉体は、決して下等な失敗作などではない。少なくとも一時期、ある環境下においては極めて適応的なものだった。それこそ他の生物を完膚なきまでに『駆逐』し、地域一帯を支配するほどに。
「かつて、この地には生き物が殆どいなかったそうです。母さまが言うには、ざっと三万年ぐらい前とか」
「生き物がいなかった? どういう事?」
「まず、気候変動で極めて寒い環境となり、生き物が暮らし難くなりました。それと地殻変動で周囲よりも盛り上がった地形になって、僅かな栄養分も外側に流出。石と砂ばかりの、枯れた土地になったそうです」
惑星シェフィルの生物は無からエネルギーを生み出せる。だが、その大半は惑星シェフィルに吸われてしまい、身体の材料や代謝として使われる事はない。よって何かを食べなければ、育つ事は勿論生きる事も儘ならない。
土壌に栄養分がなければ、生産者は生きていけない。生産者がいなければ消費者も生きられない。小さな消費者がいなければ大型の捕食者も生きられない。故に栄養分の乏しい土地は、生命が殆どいない寂れた環境になった。
それでも生命の数がゼロになる事はなく、細々と生き延びていた種が幾つかいた。僅かな有機物を食べて、ゆったりと循環する生態系。
ある日『そいつ』が生まれた事で、この穏やかな循環さえも終わった。
「ある日痩せていたこの地に、モドクーという生物が現れました。私達の足元に生える、この小さな生き物達です」
芝生型生物モドクーは小さな生き物であり、主に無機物から有機物を合成する……生産者の地位にいる生物だ。
草のような見た目だが、分類上はトゲトゲボーよりも、地上を歩く虫型生物であるアカタマ類に近い。証拠として地面に固定するために伸びている『根脚』と呼ばれるヒゲ状器官は、先端こそ枝分かれして無数に生えているように見えるが、根本の数は必ず六本(アカタマの脚の数と同じ)になっている。頭部や胸部は退化して小さくなり、外見から判別する事は出来ない。地上から伸びる草のような部位は発達した腹部。口器は退化・消失し、根脚から無機物を吸収する。
そして最大の特徴は、体内に蓄積した猛毒だ。
モドクーは有機物を代謝する際、ある毒成分を生み出す。生成プロセスとしては(アカタマの毒と同じく)老廃物なのだが……あらゆる生物に強烈な毒性を発揮した。モドクーはこれを蓄積する事で、天敵からの捕食を逃れるようになった。
誕生から数百年もすると、この地域はモドクーと毒素に覆い尽くされたという。
「モドクーが繁殖する事で、土地は更に痩せました。物質は有限なので、生物が増えればその分土地の資源は減りますからね。おまけにモドクーの身体は毒素を溜め込みますから、腐らず堆積する有様です」
「毒で汚染し、土地は更に痩せ、死骸は生態系の循環に還らない……最悪の生態ね」
「ええ。文字通り敵なしで、モドクーは更に何百年か繁栄を謳歌していました。ですが、やがてモドクーの毒素に適応した種が現れました」
それこそが、マルプニの祖先に当たる種。
マルプニの祖先はモドクーが栄えた土地に進出し、モドクーを食べるられる進化を遂げた。惑星シェフィルの土壌さえ汚染する毒素も、分解出来ればただの有機物。しかも他の生物は食べられないため、餌を独占するのは容易い。
おまけに天敵となる大型生物は、モドクーが撒き散らす毒素によって近付けない。天敵対策は必要なく、マルプニの祖先達は繁殖力に特化した進化を遂げた。手足をなくし、感覚器を退化させ、大きな消化器官を持つ事でモドクーから最高効率で栄養を搾り取るようになったのだ。
重たい消化器官は身体の動きを鈍くし、手足や感覚器の退化も身体能力を低下させる。一見無力になったように思えるが、しかしモドクーの毒のお陰で捕食者は自分の傍にやってこない。逃げたり戦ったりする必要はなく、そういった能力は全て無駄。むしろ退化させて多くの資源とエネルギーを次世代に投資出来れば、より多くの子孫を残せる。いや、投資しなければ
極端な繁殖特化の生態は、モドクーの支配域で大成功を収めた。しかもモドクー食に特化した事で、新たにモドクーを食べられる進化を遂げた新種がやってきても生存競争によって排除出来る。生存競争というのは単純な戦いではなく、資源の奪い合いによってどれだけ次世代を残せるかの勝負。たとえ新種にマルプニを殺せる力があっても、いざモドクーを食べ尽くした時、生き残り子孫を残すのはモドクーから最高効率で栄養を得られるマルプニの方なのだ。
マルプニとモドクーの生態系は、この大地を完全な形で支配した。だが、栄華は長く続かない。この星では特に。
今から二万五千年前。土壌に堆積したモドクーの毒素を分解出来る、細菌類が誕生したのだ。マルプニはモドクーに特化する事で生存競争に勝ち抜き、ライバルを排除したが、土壌の毒素までは利用していない。このため生存競争にならず、細菌達は土壌毒素を分解しながら大繁殖。土壌を浄化していってしまう。
毒素がなくなると、他の生物が入り込めるようになる。この時既に大繁栄を遂げていたトゲトゲボー類が進出し、モドクーと生存競争を始めた。毒素でライバルを排除する戦略で生き延びてきたモドクーは、繁殖力や栄養吸収能力では
モドクーが減れば、土地の汚染も急激に減っていく。やがてこの地に捕食者が入り込めるようになった。そして捕食者は、当時豊富に生息していたマルプニ達に容赦なく襲い掛かる。
天敵のいない環境に適応してきたマルプニ達には、抵抗する術がない。天敵がいない環境であれば『最強』の身体は、天敵がやってきた途端最弱へと落ちぶれてしまった。
勿論捕食圧が加わればより天敵に対抗出来る方が生き残り、子孫を残せるので、長期的に見ればマルプニ達も天敵から逃れる術を進化させただろう。だがあまりにもマルプニ達は弱くなり過ぎた。対策が進化するよりも、マルプニ達の減る早さの方が圧倒的に上。
大繁栄を遂げたマルプニとモドクーの繁殖地が崩壊するのに、百年と掛からなかった。
「かくして、今ではすっかり姿を消した訳です。ただ、完全に絶滅した訳ではありません。マルプニやモドクーには、耐久卵を生む能力が備わっていたからです」
モドクーとマルプニだけで完結していた生態系は、どちらの個体数も極めて大きく変動していた。というのもモドクーが繁栄すると天敵のいないマルプニは一気に増殖し、瞬く間にモドクーが食い尽くす。ところがモドクーがいなくなるとマルプニは大量に餓死し、マルプニがいなくなったので今度はモドクーが大増殖する。この繰り返しをしていたからだ。
兎に角環境が安定しない。このような環境でより多くの子孫を残す術として、耐久卵が進化した。一部の卵はすぐに孵らず休眠する事で、生き残るのに不利な環境をやり過ごそうというのだ。
具体的には、マルプニは成熟するまでの間に一定時間以上の空腹を経験すると耐久卵を生むようになる。空腹になるという事は、モドクーの数が減少している証拠だからだ。卵は土中に産み付けられ、土壌に堆積した
モドクーの方は、常に一定量の卵が耐久卵として生み出される。マルプニの大発生が何時起きるかは、マルプニの個体数をチェックしなければ予測出来ない。しかし『生産者』……地球生命で言うところの植物……の生き方をするモドクーには感覚器がなく、マルプニの数を把握する事は不可能だからだ。またモドクーの場合は同種が大発生した時、大地が占有されて次世代の暮らすスペースがない事もあり得る。マルプニよりも不安定な生き方なので、常に備えが必要だ。
反面モドクーの孵化タイミングは明白で、土壌養分量が大きく増加した時に起きる。マルプニが飢餓により大量死すれば、その身体にある物質は土壌へと散らばり、土地を僅かに肥えさせる。土地の肥沃化=マルプニがいない=同種が食べ尽くされた後という証明となり、安全に成長出来るのだ。
この耐久卵のお陰で、モドクーとマルプニは生活環境が破綻しても地中深くで生き延びていた。幸いと言うべきか、どちらの卵の殻にも猛毒が含まれており、食べると大抵の生物は死ぬので避ける。マルプニの場合「殻の材料に好都合な物質」として使っているだけで、身を守るためのものではないが、結果的に生き残るのに役立った。
そして適した環境が訪れた時、一斉に孵化・繁殖を行う。これにより二種は今まで生き延びてきたのだ。
……とはいえ。
「今となっては、モドクーとマルプニに適した環境自体が中々生じません。この地の生態系は、マルプニ達が繁栄していた時期のものとは全く違います」
「あー……成程ね。春が来たらフカフカボー、夏になったらトゲトゲボーが大繁殖してる。土の中にはウゾウゾなどの生き物がたくさん。複雑な生態系では土壌が豊かになるほど生物の大量死なんて起きないし、起きたところで他の生き物があっという間に消費しちゃうから、モドクーが生えるような豊かな土壌は何時までも現れない」
「その通りです。そしてモドクーが繁栄しなければ、マルプニは誕生の機会すらありません」
今回の発生もイレギュラーなもの。あくまでもシェフィルの推測だが、原種返りの攻撃により土地が焼き払われた事に起因する。トゲトゲボー含めた生物の大量死により、一時的に周辺土壌の『
しかしこの繁栄も一時のものに過ぎない。これまではモドクーの撒く毒により、捕食者達もあまり近付けなかっただろうが……その毒を分解出来る細菌が遅れて大繁殖。ごく最近になって土地が無毒化し、捕食者が一気に押し寄せた、というのが今の状況と思われる。マルプニ達は捕食者に好き放題襲われ、一匹残らず食べられてしまうだろう。土地が無毒化すればトゲトゲボーも進出し、モドクーを生存競争で駆逐していく。
モドクーの方は、常に耐久卵を生むのでトゲトゲボーに圧倒された後も僅かに生き残る可能性が高い。将来この地の生態系がどうなるか、モドクーがどう進化するか次第だが、絶滅せずに子孫を残す可能性も僅かだがあるだろう。
だがマルプニが耐久卵を生むまで生き残る事はまずない。繁殖する前に捕食者に襲われ、食べられてしまうのが大半。モドクーと違い、こちらは本当に絶滅寸前だ。未だに生き残りがいた事自体驚愕に値する。
「比喩でなく、これがこの星で最後の個体群かも知れません。私達が出会えたのは、奇跡のようなものです」
「……そう、なんだ」
シェフィルの説明を聞いて、アイシャは少し俯く。ハッキリとした感情は読み取れないが、少し泣きそうな顔のようにも見えた。
滅びていくマルプニ達に、何か思うところがあるのだろうか。
シェフィルには分からない。この星の生物にとって、種の絶滅など珍しくもない出来事。シェフィルも生物種の絶滅を幾度となく見てきた。それと同じぐらい、新たに誕生した種との出会いを果たしている。絶滅も、繁栄も、生存競争という生命の営みの一つに過ぎない。それに今や殆ど生き残りがいないマルプニが絶滅したところで、この地の生態系には大した影響もないだろう。
アイシャの抱いているマルプニに対する感情が人間的感性によるものなら、未だシェフィルにはよく分からない。
しかし、この生き物が自分達の役に立つ事は考えられる。
「兎も角、重要なのはこの生き物が大人しくて、簡単に捕まえられるという事です! そして飼育だって出来ますし、襲われる心配もありません」
「……あっ! そっか、この子なら……」
「ええ、家畜に出来ます!」
危険性は皆無。警戒心はなく、脱出を行えるほどの身体能力もない。
強いて難点を挙げるなら、餌集めに苦労する点か。モドクーはトゲトゲボーのようなライバルが生えていない環境でなければ生きていけない。そしてモドクーは身体から染み出した毒素で周辺環境を汚染する性質がある。餌のモドクーを育てるにはトゲトゲボーが生えないよう土壌を毒で満たす必要があるが、そうするとシェフィル達の生活空間が汚染されるため非常に危険だ。この問題をどうにかしなければ、マルプニの飼育はリスクが大き過ぎる。
ところがこれは、簡単に解決出来る可能性がある。
マルプニの解毒能力は非常に強力なため、トゲトゲボーの毒も難なく分解出来るかも知れないのだ。トゲトゲボーを餌に出来れば、量の確保や生活空間の汚染を気にしなくて良い。
ただしトゲトゲボーは棘だらけで硬く、そのままだと非力な顎しかないマルプニには食べられない。なので人間がトゲトゲボーの棘を取り除き、丁寧に磨り潰すなどの世話をする必要がある。毎回やるのは中々面倒だ。そしてマルプニがトゲトゲボーを食べられるというのは、あくまでも推測。与えてみたら、呆気なく中毒死する可能性もなくはない。
それでもやってみる価値はある。
「ちなみに、繁殖力は?」
「それなりですね。ウゾウゾほど爆発的には増えませんが、大型動物ほど遅くもない。あと他の生物と同じく雌雄同体ですから、二体いれば繁殖は勝手にしてくれます」
「良いわね。ほんと理想的」
シェフィルの話を聞いたアイシャは、きょろきょろと辺りを見回す。あまり慎重とは言えない探し方で、普通の小型種相手なら気配を気取られて逃げられてしまうだろうが……マルプニ相手ならその心配はない。
一体のマルプニが、のそのそと暢気にアイシャの横を通ろうとしていた。アイシャがそっと手を伸ばせば、マルプニは逃げも隠れも怯えもせず、あっさりと捕まる。大して重くもないので、呆気なく抱きかかえられた。
抱き上げたマルプニを、アイシャはぎゅっと抱き締める。マルプニは容易に変形したものの、アイシャの手加減もあって潰れるところまではいかない。
アイシャはその後も感触を確かめるように揉み……こくんと大仰に頷く。
「……ちなみに、一匹だけペットとして飼うのは?」
「まぁ、止めはしませんが」
余程感触が気に入ったのか、ペット化を目論んでいるようだった。子供を育てられるか不安になっていた割に、別の負担を抱え込むのは非合理ではなかろうか。
とはいえシェフィルもちょっと前まで、楽ではない生活の中でペットを飼っていたのだ。アイシャだけ駄目だと言うのは不公平であるし、こちらの生活を過度に圧迫するような生き物でもないので止めさせる理由もない。
強いて言うなら、マルプニはとても弱いので――――
「やった!」
そういった諸注意をしようとするシェフィルだったが、アイシャが動く方が早かった。シェフィルからの許しが出ると、アイシャは満面の笑みを浮かべながらマルプニを強く抱き締める。
強くと言っても、アイシャなりに加減はしただろう。マルプニぐらいの大きさの生き物なら基本的には死なない、いや、万が一にも傷付かない程度に。これまで色んな生き物と触れ合ってきたのだから、アイシャにもそのぐらいの力加減は出来る筈だ。
しかしそれは、普通の生き物に対するもの。マルプニに対して適切とは言い難い。
「オゴポボォオオ」
抱き締めた次の瞬間、マルプニは口から肉の塊を吐き出す。
勢いよく出たそれはべちゃべちゃと地面に落ち、マルプニの中には戻らず。そして吐き出し終えたマルプニは、もうぴくりとも動かない。
……アイシャの顔が引き攣っている。認められない、という拒否感の現れ、ではなく呆れているように。言わんこっちゃない、とシェフィルは思ったが、まだ言ってなかったのでその気持ちは抑え込む。
ただ、事実はちゃんと伝えるべきだと思うので。
「マルプニは本当に弱いので、大事に扱わないとすぐ死にますよ?」
「いやこの弱さは予想外なんだけど!? 抱き締めただけで死んだんだけど!? 子犬だってもう少し頑丈よ!」
愛着が沸く前だからか、アイシャは悲しむよりも前に驚きを露わにする。
或いは単純に、死んだら食べれば良いやと、シェフィルと同じ考えなのかも知れない。
「まぁ、一応ここで味見もしておきたいと思ってましたから、これはこれで良いでしょう。次は気を付けてくださいね」
「……うん。扱いに慣れるまで、ペットにするのは止めとく」
落ち込みながらも賢明な判断をするアイシャの頭を撫でてから、シェフィルは死んだマルプニの身体を預かる。
そして猛毒である胃の中身を取り出すため、その身体を素手で引っ張り、真っ二つに千切るのだった。