凍結惑星シェフィル   作:彼岸花ノ丘

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穏やかな日々10

 半分に千切ったマルプニの身体からは、とろとろとしたものが流れ出す。

 体液や粘液のようにも思えるそれは、マルプニの体組織だ。単純化を突き詰めた結果、マルプニの体組織はウゾウゾよりも脆弱な液状をしている。臓器と呼べるのは、モドクーの毒素を分解するために発達した消化器官だけ。これが体内の半分を占めている。

 これだけ単純なら普通は再生能力に優れるものだが……マルプニは再生も不得手。天敵のいない環境に適応したため、身体が傷付く事すら想定していない。余計な機能を退化させ、繁殖に多くのエネルギーを回すための進化だ。とはいえモドクーの毒素の分解に膨大なエネルギーを使うため、成長・繁殖力は同サイズの生物としては並だが。

 そして天敵がいないマルプニは、味さえも『退化』させた。

 

「ん、んんんうぅぅーっ!?」

 

 液状の体組織(マルプニの肉)を舌に乗せるだけで、思わず声に出してしまうほどの旨味が味蕾を刺激する。それに甘い。甘過ぎて、シェフィルはちょっとキツいと思ってしまうほど。

 旨味とはアミノ酸であり、甘さとは糖分や脂質などエネルギー源になるものに対する感覚だ。マルプニの肉はそうした味が極めて濃厚だった。恐らくモドクーを食べ尽くした後、次のモドクーを見付けるまで耐え抜くための『備蓄』が豊富なのだろう。

 尚且つ、マルプニの肉には苦味や渋味などの不快な味が全くない。

 惑星シェフィルの生物は、基本的に不味い。不味さ=毒の味を持つ事で天敵からの捕食を避けるためだ。天敵が殆どいない頂点捕食者や超大型種でもない限り、どの種も不快な味がする。

 しかしマルプニは天敵のいない環境で進化してきた。天敵がいないのだから喰われる心配なんてない。わざわざ不味い成分を作り出すコストすら勿体ないという環境下では、不味いという体質は不適応な形質。故に、不快な味を全く持ち合わせていないのだろう。

 

「す、凄い……! 味が濃過ぎるから不味いの域になってるけど、でも今後品種改良出来ればとんでもない事になるかも……!」

 

 その味わいは人類文明で美食の限りを尽くしたであろう、アイシャすら唸らせる。贅沢な人類文明では濃過ぎる味もマイナス評価らしいが、それでも今までにない好意的な感想だ。

 生態を考えれば、不味くはないとシェフィルも思っていた。だが、『美味しい』のは予想外。以前出会った時は(既に母が持ってきた獲物を食べた後だったので)食べられなかった事を、今になって惜しいと思ってしまう。

 許されるなら、この味を何時までも味わいたい。液状の体組織を口いっぱいに頬張り、舌で転がして楽しみたい。そんな衝動がシェフィルの胸中を満たす。

 

「ギシャアアアッ!」

 

「ウジュウゥリゥウウ!」

 

 ……ちなみに、マルプニの味を堪能しているのは人間だけ。周りにいる捕食者達は殆ど味わう事もなく、口が大きな種に至っては丸呑みにしている有り様だ。

 この美味を堪能しないとはなんと勿体ない事か。とはいえ楽しんでいるシェフィル達よりも、捕食者達の方が合理的な行動には違いない。

 モドクーが繁茂したのに合わせて大発生したマルプニ達だが、周辺地域の捕食者が集まって喰らえばあっという間に姿を消す。のんびり味を堪能して一匹しか食べられないのと、味など分からない丸呑みで二匹食べる事、どちらがより多くのエネルギーを得られるかは明白だ。当然、多く食べた分だけ成長し、多くの子孫を産み落とせる。

 シェフィル達も例外ではない。悠長にしていたら、マルプニ達はみんな他の生物に食べられていなくなってしまう。

 加えてシェフィル達は、満腹まで食べれば良いのではない。マルプニを家畜として飼うため、生きたまま住処まで連れ帰る必要がある。それも有性生殖をするため最低でも二体……なんらかの要因で繁殖前に死んでしまう可能性を考慮するなら、四体以上捕まえたいところだ。

 まだマルプニ達の姿は見られるが、悠長にしている暇はない。

 

「アイシャ。美味しいものを味わいたい気持ちは分かりますが、あまりゆったりしていると他の生き物がマルプニを全て食べてしまいます。美味しい事は分かりましたし、今は持って帰る事を優先しましょう」

 

「へ? ……あっ!? そ、そうよね。味を楽しんでいたら、みんな食べられちゃうわよね!」

 

 シェフィルが行動を促すと、アイシャは呆けた声を漏らし、続いて我を取り戻す。パクパクと慌てて残りを食べ、液状なのだからそのまま飲み込める筈なのに、名残惜しそうに噛んでから飲み込んだ。

 どうやら随分とマルプニの味に魅了されていたらしい。

 少し前なら、自然界で油断するアイシャに呆れもしただろう。しかし今のシェフィルの中には、呆れの感情もあるが……それ以上にポカポカとした暖かな感情が湧き出す。

 アイシャには、もっと美味しいものを食べてほしい。

 それは『つがい』や子供を養うための本能か、或いは愛がもたらす感情なのか。シェフィルにとってはどちらでも良い事だ。そうしたいと思うがために、シェフィルはアイシャのお腹と舌を満たしたい。

 想いを抱けば、身体に力が滾る。後はそれを行動に移すだけだ。

 

「そうです。ですから早速、何匹か連れていきましょう。途中で死んでも良いように、最低四匹は持ち帰りたいですね」

 

「分かったわ。持ち運ぶのは、さっき持った感じからして問題ないと思う。ただ大きいから……」

 

「たくさん抱えるのは難しそうですね」

 

 頑張れば、片腕に四匹ぐらい抱えられるかも知れない。その場合シェフィルだけで一度に八匹運べるだろう。

 しかし大きさ二十〜三十センチのものを二つ以上抱えるのは、頭で思い描くだけでもかなりキツい。

 普通の死骸などであればちょっと大変なだけで済むだろう。だがマルプニは極めて脆弱だ。アイシャが愛情表現で抱き締めただけで死ぬほどである。落とさないようにぎゅっと脇を締めたら、恐らく一瞬でくたばる。

 死んだところでシェフィル的には悲しいなんて思わず、死骸は後で美味しく食べれば良い。とはいえ道中で大量死された場合、足りない分を補充しに戻らなければならない。

 シェフィルが再びやってきた時、この地にマルプニが残っているだろうか? 正直、期待は出来ない。捕食者達の数と食欲(という名の繁殖衝動)は無尽蔵で、マルプニ達は瞬く間に食い尽くされてしまう。生け捕りにするチャンスは、この一回しかない筈だ。

 安全かつ確実にマルプニを家まで持ち帰らなければならない。ならば無理して大量に運ぶよりも、少数を大事に扱う方が良いだろう。

 

「まぁ、軟らかいですし、頭とかに乗せたら案外上手く運べるかもですが……とりあえず二体ずつにしましょう。余裕があったらもっと、という感じで」

 

「おっけー」

 

 四匹持ち帰るという方針を決めて、シェフィル達はマルプニ捕獲を始めた。

 尤も、驚くほど貧弱なマルプニを捕獲するのに苦労などある筈もない。

 

「ほいっ。ほいっ」

 

 シェフィルは近くでもぞもぞしている(移動しようとしているのかも分からない)個体を掴み、素早く脇に抱える。

 『捕食者』としてそこそこ優秀なシェフィルは、二匹のマルプニをすぐに捕まえる事が出来た。

 早速脇に抱えて、押し潰さないように優しく確保。それでいて落とさない程度にはしっかり持たねばならない。正直、こんな脆弱な生き物を扱った経験がないので、思った以上にどう扱おうか悩む。とりあえず走って落とす、何かに驚いて締める事がないよう、丁寧に持ち方を模索しておく。

 その間も、シェフィルはアイシャから視線を逸らさないようにしていた。誰もがマルプニに夢中とはいえ、一応危険な生き物が大勢いるので。

 

「よーし……もう一度捕まえるわよ……」

 

 アイシャは新たに見付けたマルプニに背後から近付く。警戒心なんてないマルプニ達が逃げる事などないので、わざわざ背中から向かう理由はないのだが、気分的にそうしたいのだろう。

 或いは、一度自分の腕で絞め殺してしまったので色々警戒しているのかも知れない。周りにはまだまだマルプニの姿が見られるが、無駄に失敗するのが嫌なのか。

 適当にやっても失敗する事はないのだ。慎重であれば、尚更捕まえ損なう筈もない。

 

「やった! 二匹目ゲット!」

 

 後ろから両手で掴み、アイシャはマルプニを持ち上げる。

 ……マルプニは地面を這うように動いている。それを捕まえようとすれば、アイシャは身を屈める形になり、視線は地上を向くだろう。

 そして持ち上げれば視線が上がり、前を見る。

 つまりアイシャはマルプニを捕まえてから姿勢を正すまでの、ほんの僅かな時間で目の前に来ていた『猛獣』の存在は今まで視界に入らなかったという事だ。

 

「へ? ふひゃああっ!?」

 

 驚きから悲鳴を上げ、アイシャは勢いよく後退していく。

 もしもこれが何時もの平原なら、今頃アイシャは八つ裂きになっていた。

 アイシャの前に現れた猛獣……アシアシは極めて凶暴な生物だ。甲殻質で細長い、長さ五メートルにもなる身体を持つ。身体の幅は十センチ程度と細いが、頭にある牙状の大顎は人間の指よりも太く、人間相手でも首を噛めば動脈ぐらいは食い千切るだろう。おまけに大顎の先には強烈な神経毒があり、掠めただけでも身体を痺れさせる。触角は硬質の角のようで、後ろ向きに長く伸びていた。

 脚は五メートル近い身体に等間隔で並んでいて、総数は二十六本。脚の長さは優に二メートルを超え、表面は甲殻に覆われているが、多節構造のため自由に動かせる。先端は極めて鋭い棘状で、人間の身体ぐらいは容易く貫くだろう。腹部末端には尾角と呼ばれる小さな触角状器官があり、これが感覚器として働くため背後からの攻撃にも敏感だ。

 非常に攻撃的な外見通り、アシアシは積極的な捕食を行う種である。優れた身体能力で次々と獲物を狩り、時には自分と同程度のサイズの生物すら襲う。

 身体が細いので大きさほどの体重はないが、それでも五十キロ程度はある。アイシャ(人間)であれば獲物と認識される可能性は低くない。積極的な捕食を可能とする、優れた身体能力はシェフィルであっても苦戦を強いられる。強力な毒を持っている事も考慮すれば、正直不利な相手だ。

 出来れば相手などしたくない。けれどもアイシャの前に現れたなら、死力を尽くして戦わねばならない――――と、普段なら考えるような相手だ。だが此度のシェフィルはあまり気にしない。

 アシアシがアイシャを攻撃する可能性は、ほぼないと分かっているのだから。

 

「ひ、ひぃあああ……」

 

「……………キキキキ」

 

 怯えながら後退りするアイシャを、アシアシはじっと見つめる。大顎を何度も開閉させ、獰猛な性質を露わにしていた。

 しかしシェフィルが睨み付ければ、アシアシは動かず。

 それどころかしばらくすると、アシアシは身を翻してこの場から立ち去っていく。てっきり襲われると思っていたのか、アイシャは呆けたように固まってしまう。

 

「……あれ? 襲って、こない……?」

 

「そりゃあアイシャを襲うより、マルプニを捕まえる方が楽ですからね。あとマルプニはまだいるのですから、誰かが捕まえたものを奪うよりも、新しく探す方が合理的でしょう」

 

 捕食者は殺しを楽しむ生き物ではない。あくまで生きるために、食べ物として殺しをしている。だから楽に捕まえられる、効率的な獲物がいればそちらを狙う。

 ましてや他の捕食者が捕まえた獲物を奪うのは、ただ狩りをするよりもリスクが大きい。負ければ死ぬかも知れないし、勝ったとしても多くのエネルギーを消費する上、大きな怪我をする可能性だってある。横取りというのは効率的に見えて、失敗時の損失が極めて大きな戦略なのだ。

 もしもライバルを前にしても、傍に獲物がいるなら奪い合っても旨味がない。そして野生生物には『プライド』や『意地』なんてなく、目の前で獲物を奪われてもどうとも思わない。より合理的な選択肢を選ぶだけ。

 このため獲物に溢れている状況であれば、どれほど獰猛な捕食者でも『共存』が可能だ。無論この共存は獲物がたくさんいる時限定であり、尚且つ絶対のルールでもない。稀に合理的でない行動を取る個体もいるため油断は出来ない……が、基本的には遵守されるものと思っていい。『合理的』でない生物なんて、この星で生き残る事は出来ないのだから。

 

「それより、マルプニは無事ですか?」

 

「え? ……あ、うん。大丈夫。潰してはいないわ」

 

「それは何より。じゃあ、二匹目を捕まえといてください。そしたら家に帰りましょう」

 

「うん。分かった」

 

 アイシャはもう一匹のマルプニを捕まえに行く。それは容易に達成出来、脇に抱えた。身体を揺するようにして、位置を調整している。

 シェフィルも持ち方を工夫し、更に持てるようにする。両脇に抱えるよりも、身体の前面で抱きかかえるように持つ方が楽だ。それにこの持ち方なら二匹だけでなく、四匹は運べそうである。

 一つ欠点を挙げるなら、脇に挟むよりも両手の自由が利かない事か。そのためこの状態でマルプニを新たに捕まえるのは少々難しい。

 しかしそれは、一人であればの話だ。

 

「アイシャ〜。捕まえた奴をこの上に積み上げる感じに乗せてくれませんか?」

 

「ん? ああ、それならもっと持てるわね」

 

 アイシャが積み上げるように、今し方捕まえた個体を渡してくる。

 身体の前面で抱え込むやり方は、考えた通り四匹まで積み上げる事が出来た。勿論シェフィルの筋力であれば、四匹と言わず何十匹と持てるだろうが、それをするとマルプニの身体の方が耐えられない。下にいる個体が潰れてしまう。

 また、これ以上積み上がるとシェフィルの視界を塞ぐ。前が見えなくても電磁波を感じ取れるので歩けはするが、視界が遮られている状態では電磁波も見え辛いのでハッキリとは分からない。

 この状態でトゲトゲボーの茂みを歩くのは危険だ。捕食者がシェフィル達を襲わないのは、マルプニだらけのこの周辺だけ。トゲトゲボーがひしめく普段の森の中なら、容赦なく襲われるだろう。マルプニの『予備』は多ければ多いほど良いが、それで行動に支障が出るのは問題だ。

 元より、予備含めて四匹もいれば十分と考えていた。予定よりも二匹多く連れ帰れるのだから、成果としては十分である。

 

「私が四匹で、アイシャが二匹……予備は四匹。これだけいれば十分でしょう」

 

「うんっ。それじゃあ、そろそろ帰る?」

 

「ええ。もう此処に用はありません。早いところ家に戻りましょう」

 

 『家畜』を手に入れ、シェフィルとアイシャは互いに微笑みながら帰路に就く。

 この家畜達で生活が安定するのか。はたまた大変なだけで大したメリットはないのか。まだそれは分からない。

 けれども希望があると感じるだけで、シェフィルの中に自然と嬉しさが込み上がる。自分とアイシャの間に出来る家族が、この家畜達で元気に育ってくれると思うと……胸が踊る。

 浮ついた足取りになりそうになるのを抑えるのに苦労して、シェフィルは一瞬転びそうになってしまうのだった。

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