パーティから数日経ったある日のこと。
日色君が何も言わずに音信不通となった。
ふむ、そろそろ俺の暗殺命令が出たか?などと考えながらスマホを手の中で遊ばせては見たものの。
少し探れば少々事情が異なっていることがわかってきた。
どうやら彼、日色ヒカルはスパイとしての身元がバレてしまったらしいのだ。
そのために組織から追われる身となり、やむを得ず音信不通となった、と。
まったく水臭い事務員君である。
こんなに優秀な事務員なのだから、言ってくれれば力を貸すぐらいしたのに。
俺だけになってしまった探偵事務所はいつものつもりで使っていたらたった一日で散らかりっぱなしになってしまった。
使いかけの食材がまだまだたくさん冷蔵庫で眠っているし、使い方のわからない小分けして冷凍してある料理だって残っている。
それを見るだけで、どれだけ彼がここに馴染んだかがわかるというもの。
つい先日、日色君が留守にする間を見計らってメアリーさんがやってきた。
そこで「私が代わりの事務員になる。どうだ、雇ってみないか?」と申し出てきたのだ。
やっぱり雑な色仕掛けとともに、ムスッとしてこちらに迫る姿に笑いを覚えたものだ。
今にして思えば、それは日色君の立場が危ういことを示していたのかもしれない。
あっ霊基がため息ついた!
「今更気づいたのか」とかうっせーな!そうですよ俺は凡人なんです!
ともかく。今は日色君のことだ。
本人には潜入捜査官であることを含め一切情報は打ち明けられていないが、ホームズの頭脳がこちらにはある。
彼の身元から今回のNOCバレの原因まで、まるっとこちらはお見通しなのだ。
ちなみに原因はおそらく、地元に帰って幼馴染に向けて下手なメッセージを残してしまったこと。
現場を見てないので確かなことは言えないが、実家の長野に寄った際に思い出の場所にでも行ってしまったのだろう。
最近彼の周りに下っ端が張り付いているから遠回しにやめろと言ったのに、まったく。
まぁ、潜入捜査官とはいえ人間だからな。
思い出に浸りたい時ぐらいあるだろうが。
まあ俺は分からないなりに霊基の指示で事前に動いてはいたから、そう大事には至らないはずだ。
MI6を通じて現在潜入中のMI6エージェントであるスタウトとコンタクトを取り、情報を共有。
万全の体制を整えた。
MI6には大きな借りが出来てしまったが、その代わり公安に大きな貸し一つ、ということで良しとしよう。
俺自身も霊基の指示で仕込みを少々行った。
逃走経路の予想は既についている。
俺はがらんどうの事務所の肘掛け椅子へと座り、両の掌をあわせて目を細めた。
細工は流流。あとは仕上げを御覧じろ、ってね。
数時間後。
豚の丸焼きみたいな姿でスコッチはこのホームズ探偵事務所へと連行されてきた。
爆発に巻き込まれたのか全身煤けている。
随分暴れたらしく、両手両足をぐるぐるに拘束され、屈強なMI6のエージェント二名に抱えられた姿はまさに焼き豚だ。
目隠しもされていて、完璧な拘束に少々罪悪感が誘われないでもない。
事情を説明してもいいって伝えてあったのに、MI6は面倒くさがって力づくで連行する方法を選んだらしい。
「っこの、離せ…!」などと隙あらば脱出しようとしている日色君が哀れでならない。
霊基は自分の計画がうまく行ったのを理解して、上機嫌でうんうんと頷くような気配を見せた。
ここ数日急に生活リズムが崩れたからな。
別に食事の内容には興味はないが、霊基は自分のペースを崩されたことにひどくご立腹だった。
ようやっと「最近お気に入りのいい肘掛け」が手元に戻ってきたみたいな感覚なのだろう。
別室に乱雑に積み上がった研究設備やら、科捜研などにも見られる高額な科学捜査機器をいじくりまわし、イライラを発散しようとすること数度。
それでも治らない憤りにコカインを求めて彷徨くこと数度。
霊基の悪癖にはほとほと困り果てたものだ。
科学実験が趣味な霊基のために用意した設備なのだが、こんなんなら無い方がよかったか。
あとコカインは俺の名誉にかけて接種を阻止した。もちろん購入も断固阻止してある。
ホント碌でも無いなコイツ。
まあ、何はともあれ日色君だ。
俺は前に立って目隠しを外してやれば食い付きそうなほどの鋭い視線が俺とかちあった。
にっこり笑って、まず最初の一言。
「よく帰ってきた事務員君!!」
「………は?」
目一杯溜めたあと、豆鉄砲食った鳩みたいな顔をして日色君はポカンと口を開けたようだった。
まず話すなら今後のことだろう。
ひとまず説明を、ということで疑問符を飛ばしまくる日色君を無視してペラペラと喋り出す。
「君はこれから緑川唯という探偵になる。それで、1ヶ月後ここの事務員としてアルバイトの募集を受けたという形に持っていく予定だ」
「え、は、……えっ?」
「1ヶ月置くのは君と緑川唯の関係を出来る限り遠くするための処置だ。無論、君の本巣である公安の許可はとってある」
立板に水、その情報洪水に日色君は見事な宇宙猫と化してしまったようだ。
手足を縛られた焼き豚ポーズのまま床に転がって、日色君がパチパチと瞬きする。
俺は少しだけ静かに、言葉を続けた。
「君、諸伏景光は死んだ。これは公安のデータベースでも、各種日本政府による正式な書類でも認められている」
「!!!」
「だが私としては優秀な事務員君を手放したくなくてね」
ウインクしてやれば、やっと飲み込めたらしい日色君───本名、諸伏景光君が少しだけ目を細めたようだった。
そして諸伏君は困ったように笑って、口を開く。
「少し、乱暴なやり方だったな。死ぬかと思ったぞ」
「ライヘンバッハは好みではないと?」
「はは。俺はホームズじゃないからな。というか、俺はほとほと名探偵ホームズの称号を舐めてたってことだな」
彼の声色に自嘲の響きが入っている。
どうやら本巣に俺が連絡を入れたこと、本巣の側から伝えられていなかったらしい。
彼の隠すような態度からそうだろうとは思っていたが、こういう情報伝達が滞るのは公安の悪いところだよな。
「俺が組織員だってことを通り越して、公安警察であることまで丸裸にされるなんて。どこで気付いたんだ?」
「ふむ。あんなところに私の探偵事務所の求人貼り紙があるのは不自然だったろう?」
「………つまり最初から釣りだったと。参ったな」
手足の縄を解いてやれば、それを見て任務完了として頷いた黒服たちが素早くミニバンに乗って去っていく。
MI6のエージェントたちのはずだが、なぜかメン・イン・ブラックみたいな黒服集団なのが渋いよな。
「じゃあ風呂にでも入って着替えるといい。事務員君の新しい門出を祝って、今だけは私が料理を振る舞おうじゃないか」
「えっ、ホームズって料理できたのか!?」
「できるとも。やらないだけで」
霊基の好きなローストビーフとプディングだけは時々自分で作るのだ。
やる気は出ないが、身体が動かなくなるほど重くもならないからギリギリできる範疇である。
まぁそこまで頻繁に作るわけでも無いが、俺も自炊ぐらいなら人並みに出来るからな。
そんなわけで。
俺は諸伏君に生存おめでとう祝いの料理を振る舞ったのであった。
何か悩ましい心残りのようなものを香らせる彼の様子もまた、霊基の計算通り。
バーボン、ライ、スコッチ。
今回の配置でおそらく三つ巴になったであろう三者が今後どう動くか。
ただ冷徹に、霊基はそれを睥睨している。
・ライ
スコッチのことを死んだと思っている。
ややバーボンに恨まれた。
・バーボン
スコッチのことを死んだと思っている。
第三者勢力と銃撃戦してたら廃倉庫に残ってたガスに引火して爆発した。
一晩中燃え続けた火と爆発により、スコッチの遺体は出なかった。
親友の骨一つすら、残らなかった。