019 薫り高き少女の部屋で
大広間の後ろから出た先には、短い廊下に2つの扉が並んでいた。それを短い言葉で補足するのはボドロ卿。
「控え室だ」
躊躇いなく左の扉を開けて中に入るルトゥ嬢と、それに続くボドロ卿。最後に中に入ったレトはパタンと静かに扉を閉めた。
中の部屋は明るかった。内部の部屋である為に窓はなかったが、いくつものロウソクが灯されて光源が確保されている。
それらのロウソクは部屋を揺らめきながら照らしていた。それは例えば壁に飾られた鮮やかに描かれた風景画であったり、純白を損なう事無く削りだされた翼を持つ女神の大理石像であったり、にこにこと楽しそうな黒真珠の少女に扱われる香具であったり、老騎士によって傾けられた金属製の上品なポットであったり。中に入った青年の紅い髪も例外なく揺らめき照らしている。
「さ。とりあえず今日のところのレトはお客さんだわ。座って座って」
「果汁で薫り付けをした水だ。お茶も悪くないが、暑さが残る本日では冷たい飲み物がよかろうて」
真ん中に置かれたテーブルに、3人分のコップを置くボドロ卿。彼はレトと一緒に椅子に座る。
一方でルトゥ嬢は香具の中に刻んだ木の実を入れて、その上に熱された石を置いて蓋をする。すると香具の隙間から仄かに甘い香りが漂い始めた。
「私の趣味なの、薫りを楽しむのは」
クスリと笑いながらレトに向かって微笑むルトゥ嬢。
鼻をくすぐる甘美な薫りに、レトは表情を緩めて笑い返す。
「リラックスできる、いい薫りだね」
「気に入って貰えて嬉しいわ」
そこで話を区切り、今までのような幼い様相を捨て去るルトゥ嬢。ただしデレルレア公爵家としての格調を高く持つといった雰囲気でもない。素のまま真面目に、といった感覚で口を開く。
「9月15日、私の誕生日。そのお祝いの席で、私が率いる暁騎士団長の任命を行います」
「最初の候補として名前があがったのはワシだったが、懸念も多かった。ワシはルトゥ嬢が幼い時から面倒を見てきた身。暁騎士団長になった後、情で判断を誤つ可能性があった」
継ぐのはボドロ卿。単に自分の地位や名誉より、ルトゥ嬢によりよい未来を掴んで欲しいという親心がそこにはあった。
それを敏感に感じ取ったルトゥ嬢は、少しだけ恥ずかしそうにこほんと咳払いをする。
「まあ、そういう訳でこの度、新たな人材を見つける為に暁騎士団長の選抜試験を行ったわ。
ボドロは試験の中から参加者を監視する役で、ボドロの目に適った人材の1人がとうとうここまで、私の目の前まで来てくれた」
手を組んで、その上に自分の顎を乗せるルトゥ嬢。そして上目使いに、にっこりと笑いながら見上げて笑いかける。
「貴族でないにも関わらず、貴族よりも良い成績を出した者。名は、レト・レスター」
ベレルリの街の最高権力者であるデレルレア公爵家、その才女に己の名を謳いあげられる。その事実にレトの背筋にぶるりとした快感と緊張が走った。
「しかし、お主がワシよりも上である保証はまだない」
そのレトの自己陶酔に冷や水をかけるボドロ卿。この老騎士としても、自分よりも上等な相手であるならルトゥ嬢を任せるに異存はないのだが、彼はまだ見極めを終えていない。レトよりも自分の方がマシだと思うのならば、暁騎士団長の座は当然のように己が得ようとするだろう。
ボドロ卿も最終試験まで来ている事は事実なのだ。無茶な理屈では全くない。
「つまり、どう証明する?」
「決闘だ」
端的に言い切るボドロ卿。自分でいれた果汁入りの水を一口含み、ニヤリと笑う。
壮年の騎士の笑みに、レトも心のどこかで昂揚を感じていた。
「我らが決闘を行い、勝った方が暁騎士団長となる。単純だろう? これがワシの提案する暁騎士団長就任式のアイディアという訳だ」
「ちなみに場所はベレルリの街の大広場を使います。昼間にあなた方が決闘をして、夕方からは食事とお酒を振る舞ってお祭りのムードを出し、そして私の誕生祝いと暁騎士団長の就任式のフィナーレ。こういった段取りになりますね」
補足を入れたルトゥ嬢も香りある水を含み、ふぅと息を吐いた。
そこでイタズラっぽい笑みを浮かべてレトを見る。
「こういった話ですが。レト、あなたには何か就任式に花を添えるアイディアはありますか? 予算はあなたが稼いだ銀貨50枚分です」
「1つ、確認なんだが」
少し悩んだ顔をしたレトは答えではなく、疑問を口にする。
「オレとボドロ卿で決闘をして、負けた方はどうなる?」
「もちろん死ねばそれまでだが」
しれっと言うボドロ卿は、視線をルトゥ嬢に移す。ルトゥ嬢はレトの方を見てにこりと笑った。
「あなたの事も、ボドロ卿の事も私は高く評価をしております。
なので敗れた方には暁騎士団の副団長として採用したいと思っているわ」
「つまり、形としては貴族になれるって事だな?」
「……ええ、そうなりますね」
少しだけルトゥ嬢の眉が歪んだ。欲を否定はしないが、貴族でないレトを見出したのは立場を見たのではなく才能があるからだった。そのレトが地位にこだわるのが少しばかり気に入らなかったのだ。
潔癖症と言えるかも知れないまだ幼い少女に向かって無感情な視線を向けながら壮年のボドロ卿はレトに話を促す。
「それで、貴族になれるからなんだね?」
「――好きな女性がいるんだ」
レトの唐突な告白に、一瞬呆気に取られた2人だったが、即座に立て直す。ボドロ卿はフラットな心持ちに、そしてルトゥ嬢は興味津々な他人の恋話を隠すように。
「ふぅん。それで、好きな女性が居るから、なぁに?」
「ルトゥ嬢、もうちょっと出歯亀精神を隠しなさい」
しかしながら、隠そうとしても隠しきれないを通り越してあからさまな他人の恋話への興味。流石にボドロ卿が一言物申すには十分な失礼さだった。
てへ、と笑うルトゥ嬢。そんな彼女に苦笑いを向けるレト。そんなレトが言葉を続ける。
「立派な男になったら告白しようと決めていたんだ。それでだな、貴族になったら立派だと、胸を張れると思ったんだ」
「それはそうね」
「それはその通りだ」
「だから、オレは暁騎士団長の就任式を、婚約発表の場にしたいと思う」
力強く言うレトに、楽しそうに笑うルトゥ嬢。
「素敵、いえ、面白いわね。私の暁騎士団長か副団長の、伴侶も同時にお披露目。いいじゃない」
「ルトゥ嬢がそう言うなら構わないが、相手方の了承は取っているのか?」
「これから取るさ。どちらにせよ貴族になれる目処はついたんだ。
もし振られたら、その時にまた考える」
レトのあっさりとした言葉に、ならば構わないだろうと頷くボドロ卿。
一方で楽しそうな顔から一転、考えを巡らせるルトゥ嬢。
「なら、素直にもっと大きな規模のお祭りにするのがいいかしら? レトもたくさんの人に祝ってもらえる方がいいでしょう?」
「そうだな」
軽く頷くレトを見たルトゥ嬢は、視線を鋭くボドロ卿に飛ばす。
「見世物はあなたたちが決闘をするからいいとして、レトの銀貨は食事やお酒を準備する方に回すのがいいかしら?」
「そうですな。ただ、ベレルリの街の備蓄は予定分の放出を超すのは不安が残ります。マンドの街か、ムオナの街で食料を仕入れられればいいのですが」
「ムオナの街は遠いわね。往復で15日以上かかるでしょ?」
「その通り。となればやはり、マンドの街が有力候補でしょう。あそこなら歩いても片道5日で行けます。
問題は伝手の方ですな。銀貨50枚分の食料をいきなりデレルレア公爵家が買い付けると角が立つ可能性があります」
さてどうするか。髭をしごきながらボドロ卿が考えるが、それを割り込むようにレトが口を開いた。
「ベロンガという行商人がいる」
「ベロンガ?」
聞き覚えのない名前に首を傾げる2人に、解説を加えるレト。
「西のテペス村とベレルリの街を行き来して稼いでいる行商人だ。軽く話をしたがワルリオン王国とも繋がりがあり、マンドの街にも顔が利くらしい」
「ほう。ああ、思い出した。テペス村のコレレン卿が言っていたな、強かなベロンガという行商人がいると」
ふとボドロ卿の記憶が開いた。いつだったかは忘れたが、コレレン卿と酒を飲み交わした時に愚痴染みた話に一度だけ名前が出た男だった。
どんな形であれコレレン卿の記憶に残るくらいの才覚があるなら問題が無いだろう。そう結論付けるボドロ卿。
「マンドの街にはオレが直接行こう。祝いの席に振る舞う、酒と食事。それを仕入れて来る」
そう言って果汁入りの水を飲むレト。爽やかな酸味が舌を通り、喉を抜ける。爽快感の後にやってくるのはルトゥ嬢が焚いた香草の甘い香り。
その複雑な感覚の快楽に、思わずレトの瞳が丸くなった。
レトのその表情の変化を見て、嬉しそうに笑うのはその仕掛けをしたルトゥ嬢。
「この繊細さが分かるなら良い感覚をしているわね、レト」
「いや、素晴らしい」
手放しに褒めるレトの言葉に、更に機嫌をよくするルトゥ嬢。
脱線しかけた話を咳払いで戻すのはボドロ卿。
「話はまとまったな。ワシとルトゥ嬢はこのまま15日に向けて決闘と祝いの準備をする。
レトはマンドの街に買い出し。それでいいな?」
まとめに入るボドロ卿に、レトとルトゥ嬢は頷いて返事をする。それを満足げに見たボドロ卿は水をまた一口。
「では、少しゆっくりして行こうか」
にっこりと笑うボドロ卿に、水を口に含む事で答えるレトだった。