002 黒真珠のルトゥ
アレクシア共和国にある城塞都市、ベレルリの街。そこにある最大の建物はデレルレア公爵家が所有する執務館である。
数多くの騎士団員が出入りするその館は建築技術の粋が集められており、5階建ての巨大なる威容を誇っていた。
そこの1階にある大広間で、5人の男達が誰も座っていない高椅子に向かって傅いている。一段高い位置に設えられたその椅子は公爵家の血筋が濃いものしか座ることが許されず、現在では3名の人間にのみ着席を許された高貴なものだ。
赤いビロードの生地がふんだんに使われた上で最高級の木材で組み上げられたその椅子はデレルレア公爵家の権威というものを明確に示している。
ふと、大広間の後ろにある扉が開き、一人の少女が当然の様子で現れた。
彼女の肌は光沢を持った淡く美しい黒色だった、アレクシア共和国では表現が難しい美しき黒だった。ある者はそれを、西にあるワルリオン王国で取れる真珠という宝石に例えた。海に面していないアレクシア共和国では極めて貴重なその宝石。しかし真珠というものは基本乳白色で、漆黒の真珠というのはあまりに数が少ない。ワルリオン王国ですら立派なものは国宝級の扱いがされているものが黒真珠という貴重品だ。
黒真珠のルトゥ。
デレルレア公爵家に産まれた、才色兼備の少女は誰ともなしにその尊称で呼ばれた。いつもにこやかに笑い、あまり感情を表に出すことのないたおやかな才女。そんな彼女がこの大広間に現れたのだ。
傅いている5人の男達に動揺はない。ルトゥ嬢が暁騎士団団長選抜の三次試験の説明を直々に行うという話は聞いていたのだから。
美しい黒い肌をより映えさせる為に彼女が身につけている衣服の色は純白で繊細な貝殻のよう。黒と白の対比を美しく見せながら、流れるような麗しい金髪には鮮やかな羽根飾りが差し込まれており、袖口や胸元にはカラフルな糸でほどこされた刺繍や様々な大きさや色の宝石であしらわれていた。
デレルレア公爵家の粋を結集したようなその少女はしずしずと高椅子まで進み、そして麗しき動作で座る。そして自分に向かって頭を垂れる5人の屈強な男達に向かって穏やかな笑みを浮かべながら口を開いた。
「この度は新たに創設される暁騎士団にご助力をいただけるとの事、強く感謝を申し上げます」
第三次試験の開始の宣誓はルトゥ嬢が謝辞を述べる事から始まった。
自分の為に、なによりベレルリの街の為に身を粉にして重職に就いてくれる覚悟に対する敬意を最初に表に出したのだ。
「もったいないお言葉です」
それに返事を返したのは5人の中で真ん中にいた男、髪に白髪が交じりつつもまだまだ精悍な様子を見せるボドロ卿だ。
彼はデレルレア公爵家が昔から擁する太陽騎士団で上位の立場にいた男だが、この度暁騎士団の団長試験に臨んだ。これはまだ幼いと言って良いルトゥ嬢に良い部下をつけてやりたいと考えた彼女の兄の采配だと知っている者は知っている。
ルトゥ嬢にとってボドロ卿は顔見知りである、気心の知れた人物である。ほんの少しだけ彼に微笑みを向けた彼女は、今度は5人全員に向かって声を出す。
「騎士団はもちろん体力仕事が多く含まれます。それを試すための一次試験。
その団長になるには当然ながら多くの知識や知恵が必要となる。それを確認する為の二次試験。
これらをくぐり抜けたあなたがた5人の資質を疑う事はありません」
そう前置きして、しかしと言葉を続ける。
「では三次試験では何を測るのか。個人の能力ではどうにもならないとも思える難題すらも克服できるという、総合力を測らせていただきます」
そう言って、ルトゥ嬢はイタズラ染みた笑みを浮かべた。
「銀貨、100枚」
言われた意味を、男たちはとっさに理解出来なかった。
ルトゥ嬢が産まれた時から彼女を見ていたボドロ卿だけは、無茶苦茶を言う時のルトゥ嬢のイタズラ顔を見て呆れた表情を隠していた。
「銀貨100枚を、ここに持ってきなさい。それが三次試験の内容です」
「なっ……」
絶句した声を出したのは果たして誰だったのだろうか。
市民が通貨を使うときは貝貨であることが一般的で、銅貨を使う事も少ない。なのに、その上の通貨である銀貨を100枚も。
ここにいる男達のうち、レト以外の4人は貴族である。アレクシア共和国に於いて貴族という事は統治者側であるという事であり、統治者側であれば銀貨を扱う事もあるだろう。しかしそれでも自分の財布の中にある銀貨の数で3枚を超える事はそうそうない。
故に100枚の銀貨という数字に絶句する一同だが、ルトゥ嬢は素知らぬ顔で言葉を続ける。
「本日は3月30日です。期間は5ヶ月、8月30日の正午にまた時間を取ります。
そこで銀貨100枚を私の前に出せた者を三次試験の通過者とします」
綺麗な顔でエグイ事を言うルトゥ嬢。ちなみにアレクシア共和国の1ヶ月はちょうど30日であり、季節の間に1日の休みと年始の休日が1日ある。
日数に直すと、翌日にある春夏の休み1日と。5ヶ月で150日に、夏秋の休みの1日。合計で152日しかないという計算になる。
「質問がなければ解散します。何か聞きたいことはありますか?」
見た瞬間は美麗だったルトゥ嬢の顔が、今では悪魔の微笑みにしか見えないのは心境の変化というものだろう。
誰も言葉を発する気力もなく、この場は解散となるのだった。
まずルトゥ嬢が颯爽と大広間を去り、肩を下げた男が1人2人3人と去る。
残ったのはレトと、ボドロ卿。
「君は行かないのかな?」
「そうだな。ボドロ卿とこの後の時間が取れるならもうここに用はないんだが」
真っ直ぐに貴族を見つめてくる平民の青年に、少なくない興味を持つボドロ卿。
ボドロ卿には些細な用事が無いと言えば嘘になるが。レトという貴族で無い青年が、同じ暁騎士団長選抜試験に出ている者にどんな用事があるのかという事は重要な気がした。
「まあ、いいだろう。とは言え、ここに留まるのもよくない。
場所を移すが、構わないだろう?」
綺麗に伸ばしたこちらにも白が混じっている髭をしごきながら、ボドロ卿はレトの返事を待つ。
にっこりと愛嬌よく笑ったレトは頷いて答えた。
「もちろんだ。場所は任せるよ」
「良かろう。着いてきなさい」
ここはデレルレア公爵家の執務館、この街の政治の中心だ。比例して機密情報も多い。もちろんちょっとそっとで漏れるような扱いがされるわけでも無いのだが、やはり貴族の人間としてはこの館に長居をされる事の方がよろしくない。ましてここは大広間であり、先ほどのように謁見の間である事を兼ねる場所だ。
つまり貴族のボドロだけでなく、デレルレア公爵家としても長居はして欲しくない場所なのである。
ボドロ卿は足早に大広間の出入り口へと向かい、レトはそれに着いて行く。
そのまま執務館も出ると、周囲は活気のある街並みが広がっていた。ベレルリの街の執務館があれば、その周辺に様々な商店の事務所などが居を構えるのも当然。一種のビジネス街となっているそこは、そこに務める文官を当てにした飲食店も賑わしてくるもの。
足の向くまま、ボドロ卿はお気に入りのレストランに足を運ぶ。
「ちょっと高いが、君がワシを誘ったんだ。もちろん奢ってくれるんだろう?」
「容赦はしてくれ」
茶目っ気のある視線を、成人したばかりである大分年下のレトに送る老騎士。それを受けて苦い表情を浮かべるしか無いレト。
店の中に入り適当な席に座ると、ボドロ卿はメニューも見ずに近づいてきたウエイトレスに注文をする。
「貝のクリームシチューを2つ。それからランチセットを」
「かしこまりました」
丁寧にお辞儀をして戻っていくウエイトレス。それを見送ったレトはジト目でボドロ卿の事を見る。内陸の町であるベレルリの街では、肉以上に魚介は高級品なのだが、なんの迷いもなく貝のクリームシチューを注文した事に対する抗議の視線だった。
「容赦をしてくれって言わなかったか?」
「なぁに、執務館でもこの店の貝を含めた魚介のメニューは人気でね。たくさん売れて廃棄が少ないから、他で食べるより安いのさ」
そう嘯くボドロ卿だが、ちらりとレトが値段を確認すれば、2人で銅貨1枚弱の出費は覚悟しなくてはならないだろう。銅貨1枚とは、成人男性が1日で稼ぎ出す額に近い。
仕方ないとため息をついて受け入れるレト。ここでボドロ卿の協力を得られなければルトゥ嬢の提示した条件をクリアできるとは思えないのだから。
「しかしルトゥ嬢も無茶を仰るものよ、銀貨100枚を見せろとは」
運ばれてきたお冷を口にしながら苦笑いを浮かべるボドロ卿。普通なら水の1杯も有料なのだが、このレベルのレストランでは水はサービスらしい。
1食で銅貨を取る店としてはお冷をサービスしたとしても十分に元が取れるという事だろう。レトも喉を潤しながら口を開く。
「ルトゥ嬢が言った通り、無茶を通せる実力を計りたいんだろう」
「ほう」
レトの物言いを聞いて楽しそうに目を細めるボドロ卿。
「その心は?」
「そんな難しい事じゃないさ。一次試験と二次試験は優秀な誰かを残す試験だった。
云わば上位5名を残す相対評価の試験だ」
「ふむ」
ほぼ正鵠を射る発言をした年若い青年を値踏みするように見るボドロ卿。強いて言えばボドロ卿だけは通過が確定していたので、4人の上位者を選ぶ試験だったのは確かだった。
それを知るボドロ卿は本質を見抜いたレトの資質を正しく計ろうと話の続きを促すように視線を向ける。
レトはボドロ卿の様子を見て、肩をすくめながら答えた。
「暁騎士団長選抜試験を設けたのに、一次試験や二次試験で誰も通らなかったら良い笑いものだ。新しく暁騎士団の総帥になるルトゥ嬢の名に傷がつく。それを許すデレルレア公爵家じゃないだろう。
一方で騎士団長になろうというのに、無理難題を解決できなきゃ実力不足と言われても仕方がない。
そう言って、もう一度水で喉を潤すレト。
ふぅと息を吐きつつ、ボドロ卿の目を見て言い切る。
「ここからが本当の暁騎士団長選抜試験だ」
「……なるほど」
正解を見抜くその慧眼に感服しつつ、ボドロ卿はレトの事を見る。
目つきは柔らかく、優しい印象を与える青年だ。紅い髪を清潔感をもって整え、肌の色はここらでは少なめの
最初は際物だと思っていた。幼少の頃から武術の稽古をつけられ勉学に励まされる貴族たちの中で、たまたまデキのいい平民が現れただけだと。
しかしことここに至れば、レトの才覚を無視する事は出来ないだろう。唐突に「銀貨100枚を持ってこい」と言われ、動揺するよりも先に冷静に状況を判断するその能力は天賦の才と言っていい。
3人の優秀な貴族が頭を抱えて肩を落として謁見の場を去った中で、自分と同じく冷静さを保っていたボドロ卿に声をかけるその胆力。
(……掘り出し物だな)
「お待たせしました。貝のクリームシチューとランチセットでございます」
そこでウエイトレスが食事を運んでくる。大きなお椀にたっぷりと盛られたクリームシチュー。ちなみに土地が限られるアレクシア共和国では乳牛も数が限られる為、牛乳も貴重品の分類に入る。
牛乳や貝といった貴重品のそれらをふんだんに使ったシチューに、思わずレトの喉が鳴る。まず間違いなく、今まで食べた事がない御馳走だった。
それに加えてアレクシア共和国では主食である蒸かされた白丸芋が2つ皮を剥いて出され、しゃきしゃきの野菜を使ったサラダにオレンジのドレッシングをかけたものが副菜として出される。
「これこれ、これが旨いんだ。冷める前にいただこう」
ボドロ卿の言葉を聞いて、レトは我慢できずにスプーンを手に取ってお椀の中に突っ込むのだった。