023 前日前夜
結局、レトたち3人がベレルリの街についたのは9月14日の昼過ぎだった。
ある意味予定通りとはいえ、時間ギリギリになったのも違いない。
「間に合ったな」
「ええ、そうですね」
レトの安堵の声に、アイトも浅黒い肌が少し青ざめるような様子で頷いていた。
明日の暁騎士団長の最終選抜試験である決闘は、ルトゥ嬢の誕生祝いと成人祝いに花を添えるものとなる。それに参加出来ないとなれば、最悪のケースとして暁の騎士団の重役に取り立てられる話も白紙になりかねない醜聞だ。レトが緊張から息を吐いてしまうのも仕方ないと言えるだろう。
「それじゃあ、俺は俺の仕事をしてきます」
ぺこりと頭を下げて馬車を引き始めるアイト。彼は彼とてこれから顔なじみに挨拶回りをしなくてはならないし、早く馬車の荷を卸して捌かなくてはダメになってしまうものもある。アイトが自分の時間を持てるのはもう少し先になるだろう。
「アイト、明日の暁騎士団長選抜試験や、就任式を見物に来るんだろう?」
「ええ。ルトゥ嬢の成人のお祝いにも出るつもりですよ。タダ酒もタダ飯もたくさん振る舞われる予定なんでしょう? お得じゃないですか」
笑って答えながらアイトは遠ざかっていく。
それを見送るレトとベロンガだが、ベロンガの方が最後に大声を上げた。
「またな、アイト! 商売ミスって野垂れ死ぬんじゃなねぇぞ!」
「ベロンガさんこそ危なっかしい商売で身を持ち崩さないで下さいね!」
そう言って雑踏に消えていくアイト。
アイトの最後の声が耳に届いたベロンガは、つまらなそうに嬉しそうにぽりぽりと自分の頭を掻く。
「ったく。すっかり生意気になりやがって」
「ところでオレたちも仕事をした方がいいんじゃないのか?」
「おっと、そうでやんした。捕まえた賊もデレルレア公爵家に引き渡ししなければなりやせんしね」
レトの言葉に同意するベロンガ。
連れている牛車は3台であり、道の真ん中に陣取っている現在、普通に通行の邪魔である。迷惑そうな視線を向けてくる人も居たので、レトの方から声をかけたのだ。
荷物はワルリオン王国から仕入れた食料やお酒であり、卸先はデレルレア公爵家の執務館だ。
西北西の入り口から入った以上、南の方に位置する執務館へ行くには少々以上の時間がかかる。早めに動くに越した事はない。
牛車を牽いて歩き出す2人。
ゆっくりと進む中、街並みが見えてくる。相変わらず威勢の良い人々が街を作り、物を売り、そして助け合っている。
「――良い街だよな」
「同感ですぜ、旦那」
レトの独り言を拾うベロンガ。レトは明日にはこの街を守る騎士団の一員になり、ベロンガも騎士団の商団員になる事を希望している。
つまり、目の前の光景を守ったりサポートしたりするのも仕事の一つに含まれるのだ。
それを実感しつつ、街を縦断する二人の男だった。
執務館についたのは空も赤くなる頃。
流石に銀貨何十枚分もの食料などを買い込んだ荷物を持って、人通りの多い道を歩けば相応に時間はかかる。郊外の街道では多少急いでも周辺には誰もいない為に迷惑をかけることはないが、街中ではそうもいかない。
そうしてやがて執務館に辿り着いた2人だったが、そこは大騒ぎになっていた。
何か事件が起きたわけではないのは空気で分かる。ただ単純に、明日の祭りの準備の最終段階でてんやわんやになっているのだろう。
アレが足りない、アイツはどこだと騒動が起きているのだ。
「お帰りなさい、レト」
そこにしずしずと現れるルトゥ嬢。
一目でレトは気がついた。ルトゥ嬢の外見上は穏やかだが、内面はかなりイライラしている事を。なぜなら分かりやすく彼女の碧色の目が笑っていないからだ。
それでも他人の目がある以上猫を被っているのだろう。それに気がつかないベロンガがへらへらと笑いながらルトゥ嬢に挨拶をする。
「これはこれは初めまして、ルトゥ嬢。あっしはしがない行商人のベロンガと申しやす。
以後、お見知りおきを」
「ベロンガね。レトから話を聞いているわ。マンドの街までワルリオン王国の食料を取りに行ってくれたとか。
厚くお礼を申し上げますわ」
にっこりと笑ったルトゥ嬢は、ベロンガが次の言葉を紡ぐ前に指示を出す。
「見ての通り、本日は忙しいのです。牛車は裏手に回して、そこで荷物を卸していただけるかしら?
ああ、レトは私に着いて来なさい。明日のことについて話があります」
有無を言わさぬそれに、一瞬だけ言葉に詰まったベロンガはうなだれながらルトゥ嬢の指示に従った。出来れば顔を売っておきたいところだったが、仕事の指示を出されれば従わなくてはいけない。それはベロンガがどうこうというよりも、ルトゥ嬢というデレルレア公爵家が偉すぎる為だった。最上位者であるデレルレア公爵家に逆らえる気骨がある者はほとんど居ないし、第一今はそれを発揮する場所でもない。
すごすごとその場を後にするベロンガを見送り、ルトゥ嬢はレトの方に向き直る。
「ではレトは私に着いて来なさい」
「御意にございます、ルトゥ嬢」
まだ人目がある。猫を被ったままで声を出すルトゥ嬢。それに真面目くさって従うレト。
彼女と彼は、執務館の中を進み。そしてやがて一つの部屋に辿り着く。暁騎士団長選抜試験、第三試験が終わった後にこの2人とボドロ卿を含めた3人で集まった部屋だ。
バタンと後ろを歩いていたレトが入った扉を閉めた途端、ルトゥ嬢が本性を現す。
「ああ、疲れた!!」
お転婆な淑女の様子のそのままで、部屋の中央にあった椅子に近づいて雑に座る。
それを見つつもレトは部屋の端にあるポットからお湯を拝借し、ワルリオン王国から輸入したお茶を淹れてルトゥ嬢の前に差し出した。
自分の前に差し出された真っ黒な液体を見て、ルトゥ嬢がさらりとその正体を言い当てる。
「あら、コーヒーじゃない。ワルリオン王国からの?」
「そうです。豆を煎って抽出した、独特の豆茶。通称コーヒーです」
「ありがとう、いただくわ」
ちょっとだけ嫌そうな顔をしつつルトゥ嬢はそう言った。そしてカップを傾けてその液体を口に入れた途端、その顔に浮かぶ嫌そうな色が濃くなる。純粋に苦みが得意でなく、コーヒーが好きでは無いのだろう。
失敗したと思いつつ、レトも着席して自分の分のコーヒーを口に運ぶ。逆にレトはこの苦みが気に入った方なのだが。
そこで一段落をつけた2人。ほぅと息を吐きながらルトゥ嬢は自分の本性を知るレトに愚痴を零す。
「祭りの手配って大変ね」
「…………」
その仕事をしたことがないレトは頷く事しか出来ない。
本当に忙しいのか、ルトゥ嬢は香具に手を伸ばす事はしなかった。前回は木の実を焚いていたが、今は趣味の薫りを嗅ぐ余裕がないのだろう。
(時間の余裕というより、心の余裕かな)
多少の憔悴はしつつ、しかしちゃんと身だしなみは整えているルトゥ嬢にレトはそういった感想を持つ。
観察されている事に気がついているのか。ルトゥ嬢はため息をしつつもレトに声をかけた。
「今までは机の上で計算をして、その紙を他の人に投げればよかっただけだったのに。
今回は私が成人するからって、現場での差配を任されたのよ」
「人を使うことの難しさ、か」
レトはどちらかというと一匹狼に近い。個人で南の大森林に行って森の民と交易をして、その品を卸す。またはベルガー商会で受けた荷運びの仕事を一人でこなす。なのでベルガー会頭などが人を使うのを見てきたから大変だと言うことは分かるが、言うなればそれだけの範囲しか分からない。
「何を他人事のように。レト、あなたも騎士団の上に立てば人を使うのですよ」
ルトゥ嬢の言葉に他人事のように笑っていたレトの顔が引きつった。
それを無視してルトゥ嬢はここ数日の業務を思い出して憂鬱そうな顔をする。
「でも、本当に。資材の準備から、人々に振る舞う為の料理の手配、料理人への手回し。
やることはたくさんあるのに、私が指示を出してもどこもかしこもトラブルが発生してばかりだわ。
適切な予算を割り振るのは得意だったつもりだけど、お金を都合するだけじゃあどうにもならない事が多過ぎよ」
「今回のオレの食料品についてもか」
レトの言葉に、嫌々ながら頷くルトゥ嬢。
「滅多に食べられないワルリオン王国の食料を振る舞うという発想は我ながら悪くないと思うのよ。
だけど、珍しい食材って事は料理できる人も少ないのよね。調理法も手間がかかったりするし。
後から料理人へ話を通したら、予定を大幅に変えなくていけませんって言われちゃったわ」
「そして、その予定の変更のしわ寄せを一番くらうのは、総責任者であるルトゥ嬢という訳だな」
神妙に頷くルトゥ嬢。彼女はレトが旅立っていた数日、本当に頑張っていたのだろう。帰ってきたばかりのレトをひっ捕まえて愚痴を零したくなるくらいには。
だからこそか。もちろん愚痴も言いたかったのだろうが、こちらを言うのがルトゥ嬢の本命なのだろう。
「レト」
「ああ」
「明日は必ず成功させなさい。
決闘も、私の成人のお祝いも、あなたの婚約発表も」
真剣なルトゥ嬢の言葉に、真剣に頷き返すレト。
気がつけば夜の暗さが迫る時間だった。部屋の中では外の景色は分からないが、それだけの時間が経っていた。
そして屋敷の中からはそんな時間でも騒がしい声が漏れてくる。明日の為に夜を徹して最後の準備を行うのだろう。
祭りの前夜はそうして更けていくのだった。