暁騎士譚ーレト・レスターの告白日ー   作:117

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026 レト・レスターの告白日

 

 026 レト・レスターの告白日

 

 呆然と、あるいは混乱したが為に。硬直していたその場だが、ベレルリの街の大広場から響いて来た歓声によって時が動き出す。

 ただし、急激にとはいかない。ゆるゆると、どうしたらいいのか分からない迷子のように。

「あ…」

 ニネエは混乱しながら、自分の手を握るアイトと湖を背にしたまま動かないレトを交互に見る。

 アイトは信じられないといった表情でニネエを見た後、少し離れた場所に居るレトを凝視する。

 レトはそんな2人を、呆気に取られながら視界に入れ続ける。

「…………」

 誰も彼もが慮外の事だった。こんな状況になるなんて想像もしていなかった。故に混乱の極みにいた。

 そしてその中で一番早く立ち直ったのはアイトであった。

「すまなかった、ニネエ」

 アイトはニネエの手を離すと、心底辛そうに謝罪する。

「俺が、待たせちまったから。5年も連絡を取らなかったから。そうだよな、生きているかも分からない男なんて、待っていられねぇよな」

「違うの!」

 5年も孤独に働き続けた、愛する幼馴染の慚愧の念が耐えられずにニネエは叫ぶように声を張り上げる。

「私は待っていた、待っていたの! けど……」

 そこでニネエの声が止まった。レトに告白されたのは事実。だけどレトに責任なんてない。告白するまではレトの自由だろう。

 そしてニネエは諦めてしまった。待つことに疲れたニネエは、自分を愛してくれる若い青年に心惹かれてしまった。自分の為に暁騎士団長にまで上り詰めた青年の愛に絆されてしまった。後たった数日待てばいいだけの約束を捨ててしまった。

 一因はレトにもある。レトは約束の破棄を待たずに婚約発表を公表してしまった。新しく現れたレトと、心に残っていた幼馴染みのアイト。間で揺れているニネエに気がついたレトが、焦りのあまりニネエを追い詰めるような急いた事をしてしまったのだ。

 ズレた歯車が致命的に噛み合わず、今この状況を作り出してしまった。時間は止まってくれず、空はすでに黒くなり始めている。レトとしては暁騎士団長としての立場もあり、混乱しているからまた明日ゆっくり考えましょう、という訳にもいかない。レトが企画した婚約披露宴はもう始まってしまっているのだから。

 どうしようもなく混迷したままのこの状態のまま、話を進めるしかない。

「問題は、ニネエの気持ちだ」

 レトは静かにそう告げる。簡潔に言えば1人の女性を2人の男が取り合っている状況が現在である。ニネエがどちらかの男性を選べばそれで済む話ではある。

 もちろん、選ばれなかった男性はタダではすまない。レトは恋した女性を失うだけでなく、ベレルリの街中に恥を晒す事になる。アイトとて結婚の約束をした幼馴染が居なくなれば、5年間も歯を食いしばった辛苦は何のためだったのかとなってしまう。

 そのどちらかを選ばなければならない子供たちの模範となるべき女性は、自身が喪わせてしまうものを想像して顔面を蒼白にしたままガタガタと身を震わせ始める。自身が受けるならどんな罰でも耐えられる。が、自身を無垢に愛してくれた人がそんな目に遭うのは耐えられない。ニネエはその恐怖に心底震えあがってしまった。

 自分の目の前で震えるニネエを見て、アイトは手をきつく握りしめながら、血を吐くように告げる。

「行け、ニネエ」

「……アイト」

 強張った顔を無理矢理笑みにしたグシャグシャな表情で、アイトはニネエに優しく声をかける。

「レトさんは、いい人だよ。ほんの数日しか一緒にいなかったけど、それは俺にも分かった。

 それに暁騎士団長だ、貴族だぜ? こんな幸運、もう手に入らない」

「暁騎士団長だからという理由で選ばれるのは納得できないな」

 自ら身を引こうとするアイトに、思わずレトが口を挟んだ。レトではなく暁騎士団長を選んでアイトを捨てたとなれば、きっとニネエは傷つくだろうという確信があった。

 それでもアイトは声を震わせながら言う。他の誰でもなく、愛したニネエの為だけに。

「産まれだけでなった暁騎士団長さまじゃないだろ、レトさんは。平民の産まれなのに、ルトゥ嬢の選抜試験をくぐり抜けて、そして今日にあの『黒のボドロ』に勝ち抜いて得た実力の証だ。なら、文句なんて誰にも言える筈がない」

「アイト……」

 その言葉に身を委ねてもいいのか。極限に追い詰められたニネエが短絡な答えに縋りつこうとするも、それは許さないとレトが更に口を挟む。

「暁騎士団長の称号に惹かれるほど安い女性じゃなかったよ、ニネエは。暁騎士団長だからといって媚びるようなことは一切しなかった」

 逃げ道を塞がれたニネエは唇を噛んで俯いてしまった。確かにレトの言う通りで、今更立場を言い訳にしてアイトを傷つけるなんて失礼極まりない。だけれども、アイトはそんなニネエこそ見ていられなかった。愛する女に優しさを与える事ができなかったアイトが声を荒げてレトを睨む。

「じゃあどうしろっていうんだ!? 今、この状況で! ニネエにこんな酷な判断ができる訳無いだろ! どちらを選んだって、絶対ニネエに消えないキズが心に残る!」

「判断ができればいいんだろ?」

 至極あっさりというレトに、アイトは激昂を収めて訝しげにレトに視線を送った。その視線を受けつつ、レトは淡々と説明をした。

「オレは神秘術の使い手だ。妖精神の加護を受けた術を使えば、人一人を酩酊状態にすることもできる。

 今のこの混乱を取り除いて、どちらを選ぶか心からの答えを導き出すこともできるんだ」

 妖精の神秘術は破壊するような影響を与える事は不得手で、ほとんどできないといっていい。代わりに幻惑や混乱を引き起こすような精神に作用することはお手の物で、レトが神秘術を使うだけでニネエの心が詳らかになる。

 その言葉を聞いたアイトは、いちおうの確認としてレトに問いかける。

「その神秘術でニネエの心を操って、お前を選ばせるようなことは無いんだろうな?」

「そうするくらいなら暁騎士団長の立場を理由にニネエを抱きしめているさ」

「……だよな」

 アイトは納得する。納得するしかない。レトの言う事がまさしく正しいのだから。黙っていればニネエが手に入った先ほどの状況で、わざわざ口を挟むのはニネエの心を大事にしている証左に他ならない。

「俺はそれでいいと思う。ニネエはどうだ?」

「……それで私の本当の心が分かるなら」

 一切の忖度なし。それで答えが導けるのならば、ニネエは頷くしかない。どちらかしか選べないこの状況で、どちらも覚悟が出来ているなら、もうそうするしかないのだ。いや、違う。自分の心を残酷に晒すことを彼女は選んだのだ。

 ニネエの覚悟が決まり、アイトも納得しているのならば。もう後は結果を開示するだけである。

「我に寄り添う妖しき化生、その残酷なる無邪気な業をここに顕せ」

 自分を寵愛する妖精神に語り掛けるレト。朗々とした口調で聖句を謳い上げる。

「酔わせよ、うたた寝、酩酊させよ。深謀なる知恵を沈め、真なる心を浮かばせ晒せ。『ティプシロン・リアル』」

 その言葉が終わって、数秒。ニネエの体がビクンと震え、目の焦点が虚空に合う。その様子を見届けたレトは、少しだけ躊躇った後でニネエに問いかける。

「ニネエ。君は、オレとアイト。どちらの方をより愛している?」

「私、私…は」

 ほんの少しだけ自分の中で答えを探したニネエは、止める理性もなく答えを口にする。

「私は、アイトが好き」

 息を呑んで茫洋としたニネエを見るアイト。そんな2人を無表情で見るレト。

 そして答えを出したニネエは、急速に自分の意識を取り戻していく。

「アイト、アイト! 私はあなたが、あなたの事が本当に好きなの!」

「ニネエ! 俺も、俺もだ! ずっとニネエだけを愛して生きてきた!」

 答えが見つかったニネエは、すぐ傍にいたアイトを抱きしめた。心からの告白と抱擁を受けたアイトは、その浅黒い頬に涙を流しつつ世界で最も愛した女性を抱き返す。

 理性の蓋が外れてワンワンと泣き出すニネエ。

「ごめんね、ごめんなさい! あなたが好きだったから、アイトの事が本当に好きだったから、そばに居ない事が辛くて辛くて仕方がなかったの! 忘れようとして、ごめんなさい!!」

「すまなかった、すまなかったよニネエ! 立派になることばかりを考えて、お前の辛さを無視してしまっていた。俺の方こそすまない、本当にすまない!!」

 思いのたけをぶつけ合う2人。レトが愛した女性と、その女性が心から愛した男性。その光景を寂しそうに見た後、レトは2人の邪魔にならないように歩き出す。

 暗くなった丘を下る道を、たった一人で。

「仕方、ないよな」

 誰にも聞こえない場所で、孤独に呟くレト。ぽっかりと胸に穴があいたような喪失感を抱えたまま、レトは足を動かし続ける。

「ニネエはアイトの方が好きだったんだから」

 レトにはニネエの心が透けて見えていた。アイトに別れを告げたあの時、彼女の心はアイトのものだった事もちゃんと見えていたのだ。

 それでもニネエに諦めの感情もあったのだ。あのままアイトが現れなければ、いつかはニネエの心はレトに傾いたのだろう。

 現実では都合の良い()()()は起きなかった。そもそもとして、レトがテペス村で琥珀の取引をしなければ、アイトは儲けが足らずに船を買う事が出来なかった。アイトが買いすぎた荷をマンドの街でレトが買い付けなければ、その処理に追われてアイトは今日という日に間に合わなかったはずだった。その間にニネエがレトの婚約者になってしまえばニネエに未練が残ったとしてもレトの事を愛したのだろう。

 何のことはない、アイトとニネエを巡り合わせてしまったのはレト自身に他ならないのだ。

「仕方ない、よなぁ」

 そして何よりも。この結末をレトは心のどこかで祝福してしまっていた。ニネエが最も愛した男と結ばれる事を、心の底で喜んでしまっていたのだ。

 結局のところ、ニネエを奪ってでも幸せにしてやると思えなかった時点でレトの負けだったのだろう。ニネエが一番に愛した人と結ばれるなら、ニネエの心が一番に晴れ渡るのがアイトと結ばれる事だったら。未練はありつつも受け入れざるを得ない。

 それはいい、それはいいのだ。残る問題はただ1つ。

「婚約発表の場、どうしよう……」

 だんだんと大広場へと近づき、それに伴って大きくなっていく騒ぎ。

 それを耳にしながら、足取り重く前に進むレト。

「いっそ、辿り着かなきゃいいのに……」

 実に陰鬱としながらレトは嫌々と足を進める。

 そうすれば目的地に近づくのは当然で、レトの目の前にはかがり火が焚かれて照らされた大広場がもう目の前に迫っていた。

 夜の闇に負けない程に食べて飲んで騒いでいる陽気な声が、レトを暗鬱とした気分にさせていく。

 とはいえ、レトがなんとかしなければ収まらないだろう。ルトゥ嬢の成人の祝いはともかく、暁騎士団長叙勲式とレト自身が口にした婚約発表の話は自分で始末をつけるしかなく、どんちゃん騒ぎの中にレトは入っていくしかない。

「お、レト・レスター卿だ!」

「我らが暁騎士団長、レト・レスター!」

「レト・レスター万歳! 暁騎士団万歳!」

 浴びるように酒を飲んでいる人々はようやく姿を現したレトを見つけると、大きな声ではやし立てる。

 そこにはデレルレア公爵家が用意したベレルリの街で産出されたアレクシア共和国の料理や酒と、そしてレトが遠くまで仕入れにいったワルリオン王国の香辛料が利いた料理と黄玉豆を醸造した高い酒精を持つ酒が混在していた。

 ルトゥ嬢がその辣腕を振るって成立させたこの宴は、2つの文化を組み合わせた高い完成度を以て民衆を盛り上げている。

 それを本当に、本当になんとも言えない曖昧とした笑みで受けながら、レトは中央でにこやかに待つルトゥ嬢の元まで歩みを止められない。

 そんな中、レトを見て酔っぱらい達がよくないからみ方を始めた。

「おっと暁騎士団長殿、シラフではないですかい?」

「このめでてぇ席でシラフなのはよろしくないですぜ、旦那。これ、芋の焼酎でやんす」

 差し出された木彫りのコップを受け取り、なみなみと注がれていた焼酎をグイと飲み干す。体には良くない飲み方ではあったが、今のレトはそんな飲み方をしたい気分だった。

 一息で飲み干したレトは一気に酔いが回り、目が据わり始める。

「よっ! いい飲みっぷり!」

「さすが暁騎士団長殿!」

 酔っ払いのテンションで騒ぐ周囲。遠くにいる酒を飲まない人々は少しだけ煩わしそうに彼らを見ているが、たまにしか飲めない酒の席で野暮なことは言わない。

 苦虫を噛んだような顔で酒のお代わりを要求する、暁騎士団長の姿を見ればなおさらだ。事情はよく分からないが、今のレトに絡みに行けるのは酔っ払いだけだろう。

「もう一杯くれ、ベロンガ。……ベロンガ!?」

「へへへ。あっしも酒を頂戴していますぜ、旦那」

 酒を差し出した小男の顔を二度見すれば、そこに居たのはこの婚約発表の立役者でもあるベロンガ。彼は酒で顔を赤らめながらレトに焼酎の追加を差し出していた。

「で、旦那の未来の花嫁はどこでやんすか?」

 悪気なく急所を踏み抜かれたレトの表情は無となる。もう一口焼酎を口にして、ベロンガの質問に答える事無く大広場の中央へと向かった。

「旦那? だ、旦那!?」

 そのレトの様子に何かおかしいと気が付いたベロンガだが、もうレトは振り返りもしない。そのままへルトゥ嬢の元へと向かっていく。

 もう既に成人の儀を終わらせたルトゥ嬢は、表面だけはにこやかだったが。あまりに遅いレトにやきもきしながらそこでもう一人の主役を待っていた。

「遅いですよ、レト」

「ああ、すまん」

「……あなたの婚約者は?」

「ああ、すまん」

 無表情のままのレトに、まさかという思いがよぎるルトゥ嬢。

 しかし成人したばかりの祝いの席だからと飲まされた酒が彼女の正常な思考回路を奪っており、まさかという思いの先まで考えが巡らない。

 混乱するルトゥ嬢をさておいて、レトは大広場の中央に立って声を張り上げる。

「みんな、楽しんでいるか!!」

『オー!!』

 酒が入ったノリでレトに返事をする民衆たち。思う存分食って飲んで騒いでいる人々のテンションは最高潮に達している。

「今日はオレの婚約発表の場に来てくれて感謝する!」

『オー!!』

「そんなオレの愛した婚約者だが!!」

『オー!!』

「実はな、居ないんだ!!」

『オー…?』

 レトが何を言っているのか理解できず、人々は困惑の声をあげる。この宴の名目の一つがレトの婚約発表の場である事と、その為にレトが銀貨50枚という大金を投じた事は伝えられていた。それなのにレトの婚約者が居ないという意味が分からない。

 そしてその答えを口にするレト。

「つい! さきほど! オレは! ふられた!!」

『…………』

 沈黙が広場を支配する。先ほどまであちらこちらで騒いでいた人々も、貴賓席で宴を楽しんでいたコレレン卿やボドロ卿たちも、あまりに気まずいレトの大声に沈黙するしかない。

 ぱちぱちと、かがり火が弾ける音のみが響く。

「――ぷ」

 と、そこで沈黙を破る小さな声。全員がそちらを見れば、大広場の中央でレトを迎え入れたルトゥ嬢が小さく体を震わせていた。

 その震えは大きくなり、やがて我慢ができなくなったルトゥ嬢が爆発する。

「あはははははは。あは、あはははは!

 ここまでの苦労をして、大きな宴会を開いて、主役がフラれる婚約発表の場! 最高よ、レト。あなた、本っ当に最っ高!!」

 今まで限られた者しか見たことがない無邪気な令嬢の大爆笑に、レトはニヤリと笑って手に持った酒を呷る。

「という訳で、今夜の宴はオレの婚約発表の場改め、失恋慰安会に変更だ!」

「失恋慰安会! レトの失恋を慰める為にこんな大騒ぎをしているのね! あははははは、あははははは!!」

 笑うルトゥ嬢に、調子に乗るレト・レスター。

 暁騎士団の総帥と団長が楽しそうにしているのを見て、人々は調子を取り戻していく。

「乾杯っ!」

『乾杯っ!!』

「暁騎士じゃなくて失恋騎士ね。失恋騎士レトに乾杯よ!」

『失恋騎士、レト・レスター! 失恋騎士、レト・レスター!!』

 響く大合唱に、続く宴。

 レトが画策し、ある意味で大失敗し、またある意味で大成功となった宴。

 その宴は夜遅くまで、盛況のまま続いたという。

 

 ―――――

 

 後年、9月15日は『レト・レスターの告白日』とされている。

 年若い少年少女がその想いを意中の人に伝える愛の日であり、恋人成就の一大イベントでもある。

 この日には大人たちは宴会の準備をする。告白がうまくいった2人はそのままに、フられた人々をなぐさめる為に宴会を開くのだ。

 愛を伝えるべく緊張する若者に、人々は口々にこう励ます。

 

『失敗しても気にするな。あのレト・レスターでさえフられたことがあるのだから』

 

 偉人として永く語り継がれる事となる、レト・レスターという男。

 彼の物語の始まりは、失恋のエピソードとして人々に親しまれている。

 

 ~FIN~

 

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