003 銀貨同盟
至福の時間だった。
濃厚な貝と牛乳の旨味が舌の上で踊り、一緒に煮込まれた根野菜もほろほろと口の中で崩れて味が広がっていった。
共に供された芋も選び抜かれたものだったらしく美味。サラダに使われた葉野菜も新鮮で、使われたドレッシングも手間暇かけて調理された事が一口で分かる繊細さだった。
この後にある支払いの時間さえ無視すれば、最高の時間だったと言えるだろう。
「うむ、変わらずに美味だ」
口元をぬぐうボドロ卿。奢りの食事はさぞ美味かろうと、レトは恨めし気に老騎士を見る。
それを柳に風と受け流し、食後のお茶を口にしつつ。ボドロ卿は鋭い目をレトに向けた。
「で、だ」
食事で弛緩した空気を仕切り直すように、厳しめの口調でレトに向かって問いかけるボドロ卿。
「ルトゥ嬢が無理難題を仰っているのがそもそも想定内だとしよう。
だが、レトの予想が正しければその無理難題をこなす事を目的とされている。そうである以上、銀貨100枚を持ってくる事はまったく譲られない。
そう考えてしかるべきだろう?」
「ボドロ卿の言う通りだ。オレたちはルトゥ嬢に銀貨100枚を見せなくてはならない。これは絶対条件と言えるだろう」
頷いて返事をするレトに、その認識が曇ってないことを確認してボドロ卿も頷き返す。
では、どう銀貨100枚を調達するのか。
「オレは南にある大森林に出入りする事ができる」
その言葉に驚きの表情を見せるボドロ卿。
ベレルリの街から渓谷を挟んだ南にはどこまで広がっているか分からない大森林がある。
その端っこで木を切り倒して木材を仕入れている商会は少なくないが、大森林の中に入って素材を収穫できるものは稀だ。
そもそもとして少し奥に入るだけで方向感覚が狂い、ベレルリの街に還って来られなくなる。その上で大森林には凶暴な獣や、人さえ喰らう植物もいる。土地勘がある程度で踏み入っては、命がいくつあっても足りない。
一方で大森林の中で採れる素材は高級品ばかりだ。例えばある木の実から取れる果汁は食べるには適さないが、加工する事で深い色合いのインクとなる。最高級品のそれはデレルレア公爵家に卸される御用達の品だ。
こんなものばかりが大森林で採れる為、大森林に入れるということは平民が大金を稼ぐに適した才覚があると言えるだろう。
「本当に大丈夫なのか? 慣れた者でも危険なのが大森林だろう?」
「命の危険があるのは事実で、オレも入らない事を選べるなら出来うる限り入らないが。命を賭けずに手に入る暁騎士団長の地位ではないだろう? 特に平民出身となればな」
それにボドロ卿は何も言えなかった。
彼自身、この年齢になるまで太陽騎士団の中で何度も命懸けの仕事を繰り返して生き残ってきた。今、暁騎士団長に最も近い場所にいるのもその下地があってのもの。
何十年もの下積みが成功してこの場所にいるのだ。それを飛び越えようと思ったら、命の一つや二つを懸けるのは当然であるとも言えた。
「だが、それでも銀貨100枚は無理だと思っている」
レトの覚悟に感じ入っていたボドロ卿だが、彼が口にした言葉に我に返った。
いくら貴重品だとはいえ、乱雑にたくさん納めれば多くの銀貨が払われる訳ではない。需要と供給、必要とされなければ対価が払われる事はないのだ。
更に言えば大森林に入れるとはいえ、狙いの素材を確実に持って帰れるとは限らないのだろう。先ほどの例で言えばインクになる木の実が金になるとはいえ、見つからなければお話にならない。
「どこかの大きな商会に顔が効くのか?」
「ベルガー商会とは懇意にさせて貰っている。他の商会とはあまり、な」
「ベルガー商会のみか……」
それなりに大きい商会ではある。勢いのある商会でもある。だが、5ヶ月の間にレトが銀貨100枚を手に入れる取引を十分に行えるとは思えない。
レトもそれは分かっているのか、難しい顔をしながら計算をする。
「多分だが、無茶しつつ大森林に入ってベルガー商会と取引をしても、得られる銀貨は5ヶ月で30枚程度だろうと思う」
「目標の3分の1ではないか」
「そうだ。その上で新しい販路を見つけたとして、追加で得られる銀貨は10枚か15枚か」
「それでも半分に足るか足らんか、か」
残り半分をどうするのか。視線で問いかけるボドロ卿に、にっこりと笑って答えを出すレト。
「そこで、だ。ボドロ卿、銀貨を合わせないか?」
「……は?」
何を言っているのか分からず、ボドロ卿は不思議そうな顔をした。
無論これで分かってくれるとはレトも思っていない。銀貨100枚を要求したルトゥ嬢にもどこか似た、イタズラっ子のような笑みを浮かべてボドロ卿にその作戦を伝える。
「つまり、オレもボドロ卿も銀貨50枚ずつを集める。ルトゥ嬢の前でそれを合算させ、銀貨100枚を見せる」
「そ、れは……」
「ルトゥ嬢は『銀貨100枚を渡せ』とは言わなかった。『銀貨100枚を持ってこい』としか言わなかった。
1人ずつとも条件を出してはいない。2人合わせて銀貨100枚でも問題ないはずだ」
「う、むむむ……」
ルトゥ嬢の言葉を思い出して難しそうな顔をするボドロ卿。確かにルトゥ嬢の言葉を思い返せばレトの言っている事も間違いでないように思う。
だがこれを呑んでいいものかどうか。ボドロ卿は唸りながら考え込んだ。
悩むボドロ卿を見て、レトは降参するように手を上げた。
「強制する気は全くないが、ボドロ卿とて5ヶ月で銀貨100枚を集めるのは至難の業だろう? 口先で半分になるなら賭ける価値はないか?」
「むぅ。しかしそれはルトゥ嬢への侮辱にあたるのではないかと……」
「ただのイエスマンを欲するなら、暁騎士団長の試験は平民にまで広く門戸を開けるべきではないはずだ」
ボドロ卿の弱さをレトは一刺しにする。
驚いた顔をするボドロ卿に、レトは真面目な顔で見つめながら言う。
「自分に忠実な貴族のみから選別すればいい。それをしなかった以上、ルトゥ嬢は騎士団長には正しいと思う提言ができることを求めているのだと思う。
ならばこの程度、舌先でルトゥ嬢を丸め込むくらいはできなくてはいけないという事だろう」
「なるほどな」
今度は納得の表情を見せながら髭をしごくボドロ卿。
おそらく老騎士のクセであろうそれを見ながら、レトは返事を待つ。
「……まあ、食事も奢ってもらった訳であるし」
ちらりと目の前で空になった食器を見る。
決して安くない金額であるそれを支払わせる話ではあったように思う。
ならば行動は迅速に。
「よかろう。その話、乗った。ただしルトゥ嬢を舌先で丸め込むのは貴殿の役目だ」
「快諾してくれて感謝する」
真面目な言葉で頷くボドロ卿に、にっこりと笑ってその言葉を受け取るレト。
その内心は。ほっとした、と表現できる心境であった。
いくらなんでも5ヶ月で銀貨100枚を集めるのは不可能だった。しばらくは暁騎士団の団長選抜試験にかかりきりになるだろうと予想したレトが貯めたお金はおおよそ銀貨5枚分。これでも他に収入が無ければ5ヶ月程度で生活が出来なくなる額ではあるが、今まで何年も地道に貯金を繰り返して貯金した銀貨2枚に、選抜試験前に無理矢理追加で貯めた分で銀貨3枚。
銀貨100枚ならば単純にその20倍の労苦が予想されるのだ。それが10倍で済む目処がたったとはいえ、まだ想像するだけでくらくらするような絶望的な数字だと言える。が、何はともあれ半減したことは間違いない。
頭を抱えるのは後でいい。そう思ったレトの側にウエイトレスが寄ってくる。
「お会計です。貝貨で40枚の食事が2人分、合計で80枚の貝貨をいただきます」
「…………」
やっぱり今頭を抱えたい。
そう思いながらも表情を崩さずにレトは銅貨を1枚ウエイトレスに差し出した。
じゃらじゃらと戻される貝貨20枚分のおつりを、妙に軽く感じたランチタイムだった。