006 南の大森林・妖精神の神秘術
レトとベロンガが着いたウィム大橋の対岸。
そこには木こりが寝泊まりする小屋が並び、そして切り出した木を保管する倉庫がたくさん。
大森林の中に入るのは危険でも、端にある木を切り出すだけならば安全性は大きく違う。森の外まで出てくるはぐれの野獣などほとんどおらず、居たとしても木こり達が囲んでしまえば普通のはぐれ野獣の1体くらいは始末できる。
そして起きだしてきた木こり達が、大森林に向かうレトとベロンガを見て何とも言えない顔をしていた。
大森林の中に入ると言うことは、今言った事がそっくりそのまま人間に跳ね返ってくる。周りを敵に囲まれて、援軍もなく、狩られるだけの存在。
一攫千金を狙って大森林に入る者は居る。だがしかし、ほとんどの者は大森林の狭間にある闇に呑まれて帰らぬ人となる。
「っ…」
ゴクリと生唾を飲み込むベロンガ。
その闇に呑まれて人知れず消えていく自分を夢想したのだ。巨大な蛇に丸呑みされる最期か、それとも凶暴な鳥たちに共に死して腸を貪られる最期か。
「いい恐怖だ」
それを感じ取ってレトが気楽に言う。
「行く先が戦場以上の地獄だって分かっている。
「た、頼りにしていますぜ、レトの旦那」
ベロンガがレトを頼りにしているのはこの上ない本心だ。危険な大森林から帰還できる人間は戻れるだけの理由、言い換えれば帰還技術がある人間と言うことになる。
ベロンガにそれはなく、おそらくレトにそれがある。その事実が、見えない命綱がつけられているような心細いそれのみが今のベロンガの寄る辺だった。
「絶対とは言えないが、まあ任せておけ」
気楽に答えるレトは、口調そのままの足取りで大森林の中へと入っていく。おそるおそるそれに続くベロンガ。更にはそんな彼らを表現しにくい表情で見つめている木こり達。
ギャーギャーという鳥の声がどこからともなく聞こえてくる大森林に足を踏み入れて少し、木こりたちから完全に見えなくなったところでレトはぴたりと足を止めて、腰に帯びた双剣を抜く。
「だ、旦那?」
唐突なそのレトの行動にベロンガが引きつった顔をしてチラリと背後を確認した。すぐに逃げれば木こりたちの元に待避できるだろう。
そんな用心深いベロンガを満足そうに見たレトはにっこりと笑いながら頷き、心配が無いことを示す。
そして抜いた双剣を自分の眼前で十字に組むと朗々と聖句を詠いあげた。
「我に寄り添う妖しき化生! その残酷で無邪気な業をここに顕せ!!」
「! 神秘術っ!?」
思わずと言った様子で声を出すベロンガ。
この世界には八百万の神々がおり、そのどれかの神に気に入られた人間は神に芸術を捧げる事で神の持つ奇跡を扱う事が出来る。
芸術と言っても様々だ。レトが行っているように聖句をその度に詠いあげるのが一般的であるが、それだけに留まらず神が認める芸術であるなら何でも良いというのが通例である。
しかし何せ相手は神々である。どのような条件を満たせばいいのかと聞ける訳がなく、多くが謎に包まれた技術が神秘術なのだ。
ベロンガの驚きはさておき、レトの口は続けて聖句を紡ぐ。
「違和を隠せ、常に隠せ。気づかれずに悪行を嗜む我にひとしずくの恩寵を。
『サイレント・プレセンス』」
たゆんとした何かがレトとベロンガを包み込む。その感覚もすぐに馴染み、何事もなかったかのようにその場に佇む2人。
「レトの旦那、今のは……?」
「ま、オレの神秘術で正解だ。他者からの認識をズらす神秘術ってとこだな。
これで余程鋭い獣じゃなければオレたちを認識できない。奇襲される心配は大幅に減ったって訳だ。
これをこまめに使いながら大森林を進むぞ」
その言葉を聞いたベロンガはなるほどと心の中で納得した。
大森林は木々が生い茂っているせいで視界が悪いし、音や匂いも豊富過ぎて襲ってくる相手を察知するのは困難だ。一方で向こうの獣などは自分の陣地な訳であり、襲撃するにも慣れたものだろう。
そこでレトが取った手段は『そもそも認識されない』ことだった。獲物がそこにいると気がつかなければ襲われる事もない。そういった理屈。
「ただ、油断するなよ」
安心しかけたベロンガにレトは言葉を添えた。
「必ず破られない類いの術じゃない。オレの神秘術の隠蔽よりも鋭い感覚で見つかる事もあるし、そもそも設置型の罠タイプの脅威を避けるものでもない」
「設置型?」
天然の大森林では聞くと予想していなかった単語にベロンガが聞き返す。
そこでレトは左前の方を指さす。果たしてそこには四脚獣の後ろ脚だけが宙に浮いていた。
「……は?」
理解が及ばなかったベロンガはその光景をよくよく見る。花の蕾のようなものが下を向いており、そこから四脚獣の後ろ脚だけがだらんと垂れていていた。
その周囲にはいくつかの花が下を向いて咲いている。2人分の人間の高さくらいで花開いており、下に向かってツタがいくつも垂れ下がっていた。
「食獣植物だ。ツタで獣を絡め取って花の中で溶かして骨になるまでむしゃぶりつくす。
下を見て見ろ、白い粉があるだろ? 骨がカスカスになるまで吸収された成れの果てだ」
「…………は」
今度は理解が及んだからこそ笑うしかないベロンガ。想定していたつもりだったが、予想を超える捕食者を見せられて唇が引きつるのが止められない。入ってまだ15分も経っていないのに、とんでもない歓迎を受けてしまった気分である。
それを見つつ、食獣植物から離れるように右前に進むレト。
「オレより前に出るなよ、普通に死ぬ。後、気を抜くな、それでも死ぬ」
「へ、へぇ。合点承知でさ、旦那」
おそるおそるしかしそれでもレトに置いて行かれないように必死についていくベロンガだった。
◇
半日も歩き、ようやく足を止めたレト。
「今日はここで野宿にしよう。火熾し、任せていいか」
「お、お任せ下さい、旦那…」
慣れない大森林の行進を命懸けの緊張感の中で歩んでいたベロンガはへとへとだったが、神秘術を維持し続けていた上に警戒を続けていたレトの方が大きい負荷を背負っていたのは理解していた。
レトが見繕った、彼らが十分に休めそうな木々の間のスペースで、夕焼けが近くなってきて赤く染まる空を感じながらベロンガは火を熾す。
ほんの数歩歩いて集められる範囲にあるたくさんの小枝を集め、木々の間の真ん中に簡単な囲いを作って、そこで火打ち石を使って着火。小枝から更にはここまで歩いている中でレトの指示によって集めていた薪を組んで、簡素なキャンプファイヤーを熾し出す。
その間にレトはまた同じ神秘術を使って気配を隠す。
1日で4度ほど、危険な猛獣の鼻先を通過することを経験していたベロンガはその性能をもはや疑っていなかった。巨木の幹に巻き付いてチロチロと舌を出していた大蛇や、あくびをして地面に寝転がっていた豹など。極彩色に溢れた世界で不意に見た己を喰らうモノたちが自分たちに気がついた様子もなかったのだ。もしもレトの神秘術がなければ既に4度死にかけていたといっても過言ではないだろう。
そのお礼というわけではないが、雑事の多くはベロンガがやる。熾した火の上に鍋を通し、持ってきた貴重な水を注ぐ。お湯になるのを待ち、小さな香りの良い花を入れて煮出す。花茶と呼ばれる、ベレルリの街ではちょっと奮発したお茶だ。
「旦那、花茶と干し芋でさぁ」
「何から何まで悪いな」
「あっしの命の価値に比べればなんのその、ですぜ」
しししと笑いながら簡素な夕食を渡すベロンガは屈託の無い笑みを浮かべる。
それを受けてレトもにっこりと愛嬌のある笑みを浮かべながら花茶を一啜りし、ほぅと息を吐く。
「美味いな」
「タフな一日やしたからね」
ベロンガも干し芋を囓りながら言うが、ふと根本的な事に気がついてレトに問いかける。
「そういや旦那、あっしらはどこに向かっているんですかい? 採集はどこでもしていやせんでしたが、目的物の群生地でも目指しているんですかい?」
「? 言ってなかったか?」
「ええ、聞いておりやせん」
きょとんとしたレトの声に、真っ直ぐな言葉で返すベロンガ。
ぽりぽりとバツが悪そうに頬を掻いたレトは思い返して確かに言っていなかった事を思い出す。
「オレの、故郷」
「……は?」
レトの意外な言葉に今日何度目かの思考の停止がおこるベロンガ。
ちょっとだけ言いにくそうに、しかしイタズラがバレたような顔ではっきりと言うレト。
「大森林の中にある森の民の集落。捨て子だったオレは、そこで世捨て人である人間の義父に育てられたんだ。
オレたちが向かっているのはそこだよ」
「……つまりあっしらは採集に向かっているわけじゃなく」
「そう。交易に向かっているのさ」
そう言って自分の荷物を指さすレト。確かに採集するには荷物が多いと思ったが、そうならそうと最初から言って欲しかったベロンガである。
「っていうか、あっしは交易品を持ってきておりやせんぜ? あっしの希望の品は買えないんですが、それは」
「心配するな。ベロンガの分はオレが買う。それをベロンガに譲り、ベレルリの街でお前のルートで卸してくれればいい。儲けは半分だ」
「…………まあ、辻褄は合うからあっしはいいでやんすけどね」
どこか納得がいかない表情をするベロンガだが、レトは申し訳なさそうな顔をするだけでここは譲らない。
「すまんが森の民は別にベレルリの街と融和的な人種じゃないんだ。オレが窓口にならないと絶対に話がこじれる」
「ちょっと待ってくだせぇ。人種?」
聞き逃せない単語が聞こえたので尋ねるベロンガ。
それに簡単な様子で言葉を返すレト。
「ああ、人種。言葉もまともに通じないから、集落についても安全だと思わない方がいいぞ。
命の危険は少ないと思うが、文化が全く違うからな。トラブルの芽は育てないに限る」
「思ったよりも難儀なお話のようで」
「でも、当初の想定よりも楽そうだろ?」
「違いない」
ハハハと軽快な笑い声が大森林の夜闇に溶けていった。
いつの間にか時間は夜、空には星や月が輝く時間帯となっていたのだった。