007 南の大森林・森の民の大集落
朝である。
レトとしては眠っている間に神秘術がきれたら大惨事になることが目に見えているので、多少うとうととはしつつも半分以上は起きたままでの半徹夜。神秘術がきれそうになる度に聖句を詠いあげ、術を維持することに神経を使っていた。
一方のベロンガとしては眠る事に問題は無いが、そもそも本来は危険すぎる場所なのである。その上で昼間の緊張も引きずっており、昂ぶった神経のせいでほとんど眠れなかった。
仕方ない事とはいえ、2人はあまり体調のよくないまま支度を始める。
レトは再度神秘術をかけ直し、ベロンガが朝餉の準備を始める。今朝のメニューは野菜のスープとベレルリの街で既に蒸かし終えている冷めた白丸芋だ。
簡単に作られたそれを口にし、目をしゃっきりと覚ます。
「ところで旦那、目的地の森の民の集落とやらはどれくらいで着くでやんすか?」
「そうだな後半日ってところだ、日が落ち始める前には着くだろう」
「了解でやんす」
疲れた顔で首をぐるりと回し、気合いを入れ直すベロンガ。到着時間がなんとなくでも分かれば、そこまでは気力で持たせられる。
レトは剥いた白丸芋の皮をまとめて火に放り投げ、焼却処分とする。ここは大森林の中でも比較的安全性が高い場所だ。食べかすに寄せられた生き物に居着いて欲しくはない。
「じゃあそろそろ行くか」
「で、やんすね」
荷物を背負うレト。火を消すベロンガ。
そうして2人はまた歩き出した。
途中で腕ほどの長さがある毒虫が小動物に牙を突き立て、ドロドロに溶かした中身を吸っているのを見た。
地面から首だけ出た鹿が絶命しているのも見た。レト曰く、地下に落とし穴のような捕食袋を設置する食獣植物らしい。
しかしその中の全てがレトとベロンガに気を向けている様子はなかった。植物の方は分からないが、動物は間違いなくそうだった。
だからベロンガは油断していて、毛むくじゃらの猿人が向こうの木々の間からヌっと姿を現した時、視線が合って初めて知った。
レトの神秘術も完璧ではないのだと、感覚が鋭い相手には察知されてしまうという言葉は真実だったのだと。
「っ!!」
咄嗟に懐から短剣を取り出すベロンガ。しかしレトは動かない。
「旦那!」
「エ、エト・エス、タ!」
ベロンガが注意を飛ばすと同時に猿人がそんな単語を言った。聞き違えで無ければ、今のは。
「へ? えっと、今、レト・レスターって……? 旦那の名前を知っているって事は、つまり?」
「そう。彼らが森の民だ」
言いながらレトはさっさっと踊るような身振りをする。
それを見た猿人はニッと笑うと、同じように踊るような身振りを返した。
「……旦那、それは?」
「会話しているのさ。森の民は声を出すのが苦手なんだ。だから身振り手振りで会話をする」
言いながらまたも身体を動かすレト。どこか礼をするようなレトの仕草を見て、森の民は満足そうに頷いた。
そして着いてこいというような手振りをすると、木々の奥の方に向かって消えていく。
ふぅ、とため息をつくレト。
「もうすぐ着く、さあ行こう」
◇
ベロンガが初めて見る森の民の集落は圧倒的だった。少なくともこれは
森の中だが適度に木々が間引かれていて、日光もたくさん入ってくる。その周囲は木の柵で覆われており、彼我の領分というものを明確に示していた。
更には地面に小屋や小さい畑が出来ているのはもちろんだが、木々の上の方にも組まれた簡素な吊り橋や縄ばしごがあり、やはりというか小屋もある。
つまり森の民の集落というのは立体的なのだ。大森林という安全が確保し難い場所に置いて横に陣地を広げるのでなく、上に広げた結果がベロンガの目に映っていた。
その森の民の集落の中を、猿人たちが長い手足を使って木々の間に吊された縄や棒を掴み、移動している。
また一方で地面に座りながら食事をしている者達もいて、葉っぱを器状にしたものの中から炒められた蜘蛛のようなものをつまみ上げてバリバリと歯で噛み砕いている親子も見受けられた。
ここは正しく猿人たちの為の集落なのだ。
「エト」
と、集落に入ったレトとベロンガに向けて声をかける猿人が一人。
顔以外が毛むくじゃらで手足が長い、簡素なズボンを履いただけの猿人。こんな場所で出会わなければベロンガなどは敵だと思ってしまうような風貌だ。
(実際さっき、あっしも勘違いしやしたしね)
ぽりぽりと頭を掻くベロンガ。そんな彼をきょとんとした顔で見る猿人。
「ベロンガ、それごめんなさいって意味だぞ? 彼、カプリも困惑している」
「……あながち間違っていないのがなんとも。さきほどは剣を向けるなんて無礼を働いて申し訳ございませんでしたね、カプリさん」
そういうことかと、レトは身振り手振りでベロンガの言葉を通訳する。それを見た猿人カプリは歯を見せて笑うと返答。
「『気にするな』ってさ」
「へへへ。ようござんす」
さて、一通りの話が済めば、次は商売の話だ。カプリと呼ばれた猿人に連れられ集落の奥へ入ると、倉庫のようなところの前に連れて来られた。
その扉の前で止まったカプリは、レトの大きな荷物に視線を送りながら身振り手振りを使った猿人の言葉で語りかけてくる。
『今回は随分な大荷物だな、珍しい。お前が言っていた需要と供給とやらは大丈夫か? こちらとしてもベレルリの街の貴重品が高く売れなくなるのは困る』
それに対して返事をするレト。
『その差配をするのがお前の仕事でもあるだろ。上手く細く長く売り抜いてくれ』
『全くどんな心境の変化だ? こちらがたくさん卸してくれと言っても需要と供給とやらを説いて渋っていたくせに、こちらが諦めた後に大量の売り物を持ってくるとは』
『オレも金が入り用になってな』
『だと思ったぜ』
はははははと笑い声を上げるレトとカプリ。会話を読み取ることができず、ついていけないベロンガはきょとんとした顔だ。
『で、今回はどんな品がご所望で、どんな品を持ってきたんだい?』
「ベロンガ、そちらのご所望の品はなんだい?」
「へ? えっとですね、北のスラムの
後は西のアテ湖の太陽騎士団から、嗜好品とゴロルの樹液をたくさんとの申し入れがありやす。
それからルルン男爵家からはベツノ蝶の鱗粉を小瓶で1つ」
『――という訳だ。
オレからはいつものに加えて、チロンの花蜜と岩盤火炎ゴケ、それからルンザの牙を』
それを聞いたカプリは最後の言葉に難色を示す。
『他のはともかく、ルンザの牙はないぞ? ってかどうすんだあんなもん』
『注文したヤツに聞いてくれ』
ただただ立派なだけの牙で使い道がないのがルンザの牙だ。貴族が頼んでいたし、単なるハンティングトロフィーとして求めているような気がしないでも無いが、そこはレトの知った事ではない。
『まあ、ルンザを勝手に狩る分は構わないが。ただし肉はこちらで食うから持ってきてくれよ?』
『助かるよ、カプリ』
『それ以外のはこちらの倉庫にあるけど、量も多いからな。いつもよりもたくさんモノを貰うぞ。ちゃんとベレルリの街の貴重品はあるんだろうな?』
『オレの背中を見ての通りさ、倉庫の中に入れてくれたら広げるよ』
レトが背負った荷物を見せると、ニヤリと笑うカプリ。そのまま彼の背後にあった倉庫の扉をガラリと開ける。
壁際に色々な物が置かれた普通の倉庫、その中央には
『じゃあ見せてくれ』
そう伝えられたレトは荷物をほどき、中身を出していく。
「……旦那?」
出された荷物を胡乱な目で見るのはベロンガ。
それもそうだ、出されたものはベレルリの街では普通の物ばかり。ベレルリの街の西の穀物地帯で採れる小麦粉や米に、栽培した植物を集めて街中で織られる布。それから甘みが強い干しベリーに、貝貨の元となる数字が彫られていない貝殻の大きめのもの。などなど。
比較的安くもないが、そう高い物はそう存在しない。ベロンガやレトが求める物の売価を考えれば全く金額が釣り合っていない。
ベロンガはそう思ったが、カプリの反応は違った。自分の両肩を抱きしめブルブルと左右に震えている。
喜んでいる事はベロンガにも分かる反応だった。
「…………」
「オレたちに価値あるものが森の民に価値があるとは限らない。交易ってそういうもんだろ?」
「まあ、そりゃそうでやんすが」
「芋ならここでも育てられるが、米や小麦は育てられない。布地になるような植物もなかなかな。ここらで採れないこのベリーは森の民がとても好む甘味だし、そして貝殻」
ベロンガにとっては単なる貝殻しかないそれを一つ拾い上げてレトはニヤリと笑う。
「森の中だから、当然ここには貝がない」
「あ」
「当たり前過ぎて逆に気がつかないだろ? 綺麗な貝殻は、ここでは宝石と同じくらいの価値があるんだよ」
「え、じゃああっしが持っている貝貨も……」
「
レトの言葉になるほどと納得するベロンガ。貝貨は通貨だから、人々の手に渡る。大きく破損しない限り貨幣としての価値に変わりはないが、貝殻自体の美しさは下がっていく。そういう話だろう。それに貝貨としての価値を確保する為に彫られた数字も森の民の美意識としてはいただけないのか。貝貨そのものを用意していない辺りにそれがうかがえる。
ベロンガが納得するのと、カプリが落ち着くのはほとんど同時だった。
そして落ち着いた様子でレトとの交渉を開始する。
お互いにより得が出来るように、