008 南の大森林・狩猟と帰還
ルンザとは、鋭い牙を持つジャガーである。
ネコ科のしなやかさを持ちつつ、爪も凶悪な武器となっている。
大森林では木の上から獲物を見定めて強襲する事もあり、旅をする人間には脅威となる生物であった。
そんな種族であるルンザの背後で息を殺しながら、大地の上で寝転びあくびをするターゲットを見るレト。
(恨みはないが、害獣だしな)
レトとしてもルンザの牙の納品を頼まれている以上、狩らない選択肢は存在しない。いちおう、大森林は森の民の領分であるから彼らの許可を得ずに狩りを行うのはよろしくないが、今回はカプリの許可が取れている。今はベロンガを森の民の集落に置いたまま大森林を忍び歩き、獲物のルンザを見つけたところだ。
現在レトは妖精神の神秘術である『サイレント・プレセンス』を使い、他者から存在を気取られ難い状態となっている。
しかし昨日森の中でカプリに気取られたように、これは誰にも絶対に気がつかれないような便利な術ではない。むしろ多くが狙われる対象の中で自分だけが外れるといった程度で、相手の命を狙うべく行う狩りにつかうような術では無いのだ。
何故ならばレトが狩る時にはターゲットとなる獲物は1体。たった1つの己自身の命を狙われているのにも関わらず、危険を察知出来ないような生物はこの大自然の中で生き延びる事は極めて難しい。それが例え神秘術で感覚が鈍った状態であったとしても、だ。
案の定と言うべきか、ピクリと耳を動かしたルンザはうなり声を上げながら自身の後ろを振り返った。そこには双剣を抜き終わって、中腰で草むらに隠れながら様子をうかがうレトがいる。
レトとしても奇襲が成功するとあまり期待をしておらず、万が一成功すれば儲けもの程度の考え方。
こうなる事こそが予定通りだと言わんばかりにレトは立ち上がり、腕をダランと垂らした自然体の構えでルンザを見据える。
「ゥゥゥゥゥ……」
ルンザとしては逃げる選択肢もなくはない。しかし、この武器を持ったイキモノは明確にルンザに向かって悪意を振りまいていた。ルンザを殺す、その意思が伝わってくる以上、逃げても逃げても追ってくる可能性は非常に高い。
ならば次、奇襲される可能性を危惧するよりも。今ここで追っ手を殺して自分の安全を確保する。その判断をしたのは不合理とは言えないだろう。
「ガァ!!」
ルンザは素早く身を翻すと、たんたんたんと軽快にそばにあった木の幹を蹴り上げ、自分の身体を樹上に置く。そしてそのまま高さによる落下速度と威力を確保しつつ、頭上から牙と爪を剥き出しにしてレトへと襲いかかった。
「っ!!」
ほんの数秒で自分の何倍もある高さから落ちてくる、体格の立派なネコ科のルンザ。
レトは咄嗟にその場を飛び退き、ルンザの一撃を躱す。
着地したルンザと、その場を退いたレト。一瞬だけの時間を使って自分の体勢を立て直したそれぞれは、足下の土を後ろに蹴り出すようにしてお互いに飛びかかる。
「ガァァァァァ!!」
「はぁぁぁぁぁ!!」
ルンザが牙を剥いて噛みついてくる。レトは力任せに右の剣を振るい、ルンザの牙に合わせた。棒状の金属をそのまま顔にぶつかる訳にはいかず、ルンザは
ガキィという硬質な音が大森林に響く。この一瞬は互角であり、残る武器はルンザの両前足の爪とレトの左手の剣。
野生の本能に従うルンザは躊躇いなくその両前脚を振るう。その先についた爪で敵を引き裂く為にただただ素早く、相手が動く前に振るおうとする。
一方で人間の叡智を持つレトは、この状況で野生がどう動くかを読み切っていた。今この瞬間の位置に合わせてルンザは爪を振るうだろう、と。
だからこそ冷静にレトは右の剣を捨て、一歩だけ前に出る事だけに集中していた。ルンザの爪先が先ほどまでレトがいた場所、今レトがいる場所の一歩後ろを空振りする。
牙を使い、爪を外したルンザは隙だらけだった。少なくともこの一瞬だけ、レトが1度だけ攻撃できるこの時間だけは。
レトは前に進んだ推進力を消さないように、また一歩前に出る。2歩分の前進した力。それを全て左の剣に合わせ、なめらかな動きでそれを振るう。
形としてはすれ違いざまという事になるだろう。レトは左の剣をルンザの首筋に当てて、するりと撫でた。
また一歩、レトが前に出る。ルンザは動かず、否、動けずにその場でレトに撫でられた首筋から赤い血を噴水のように噴き出した。
そこまで来てようやくルンザは攻撃した身体の硬直が解けて動けるようになる。しかしそれが何になるだろうか。のた、のたと2歩ほど前に進んだルンザはそのまま倒れて地面を軽く揺らした。
瞳は信じられないといった驚愕の感情を表したまま凍り付いており、ダラダラと首筋から流れる血こそルンザがかつて生きていた証だった。
レトは自分が殺した獲物を冷静に見やり、地面に落とした右の剣を拾う。そうして左右の剣を腰にしまい、ぽつりと一言。
「ハンティング、成功だな」
◇
森の民の集落に仕留められたルンザが運ばれたのはそれから少ししてからの事。
この狩りはカプリの許可の元行われたものであり、つまり森の民の集落の中では狩られたルンザの所有権はカプリにこそある。
カプリは自分か苦労せず手に入った獲物に手を叩いて喜び、手際よく解体していった。
『てっきり幼体を仕留めるかと思っていたが、こんな立派なルンザを仕留めるとはな』
『依頼主は立派なルンザの牙を望んでいたみたいだからな』
『いや凄い。まさかレトがここまで腕の立つヤツだったとは。牙は持って行って良い約束だったが、それだけじゃあこちらの気が済まない。オマケをやるよ』
そう言ってカプリは自分の倉庫の片隅にあった壺から黄色い球体を2つ取り出す。
『森の琥珀だ。綺麗だろう? ルンザの肉や毛皮の礼だ』
『ありがとう、カプリ』
身振り手振りで会話をした彼らだがそれもそろそろ終わる。
到着したのは昨日で、一晩だけ森の民の集落で夜を過ごしたレトとベロンガ。今朝早くからレトが狩りに出て、帰ってきたのが昼前。
(今からここを出れば、明日の夕暮れ前にはベレルリの街に着けるな)
「ベロンガ、帰る準備は出来ているか?」
「へへへ、もちろんでさぁ。旦那も時間がない身でやんすからね。
時は金なり、分かっていやすぜ」
飲み込みと物わかりのいいベロンガに対して満足そうに頷くレト。
『色々と急ぐ身でな、今回はこれで失敬するよ、カプリ』
『分かっているさ。こちらも助かった』
『とはいえ、しばらくは頻繁にここに来そうだ。また値の張るものを持ってくるからよろしくな』
『了解了解。こちらも品を充実させておく、レトに売ってもらったものを捌くのにも教わったとおりに価値が崩れないように注意するよ』
どんな貴重品でも一気に量が増えれば値段が下がるのが経済の道理。それをレトに教えられたカプリである。
一般的な人間には分からない、しかし森の民をよく知るレトには分かる悪い笑みを浮かべるカプリに苦笑いをするレト。
その後、姿勢を正して深く礼をするレト。Win-Winの関係を築いてくれている同盟者に対する敬意の表れだ。
そしてそれはカプリの側も一緒。慣れない口を動かしながら、レトに向かって語りかけるカプリ。
「じゃ、な。エト、エス、タ」
その声ににっこりとした笑みを返し、レトはカプリの倉庫を後にする。彼に続くベロンガもレトのマネをして大仰な礼を残してその場を辞する。
そしてそのままの足で森の民の集落を後にした。
向かうのはベレルリの街。
たっぷりの荷物を持ち、レトとベロンガは危険な大森林を往くのだった。