ヒカルがもしも碁をやめたままだったら   作:カトタンバ

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第二話 ノイズだらけの運命

 

「なぁ越智、もうちょい楽しそうな顔しろよ。お前がこういうとこに来たことないって言うから連れてきてやったんだぜ?」

 

 活発そうな雰囲気の青年の言葉に、越智と呼ばれた眼鏡の少年が呆れたように反発する。

 

「誰も連れて行ってくれとか頼んでないんだけどね。というか和谷が遊びたかっただけでしょ」

 

 和谷という青年はそれを無視し、新たなコインを機械に投入する。すると再びチープな単音メロディが流れ始めた。

 たかがクレーンゲームに何千円費やしているのやら、と越智は思う。

 

 

 ここは日本棋院の近くにあるゲームセンター。

 電子音が奏でるごちゃ混ぜなメロディに加えて、どぎつい光彩に溢れた異空間は、越智からすれば何が楽しいのか全く分からない場所だった。

 そもそもここに来ることになったのは、お互い今日の対局を終えて何も予定が無いという話になった時、和谷に誘われたからである。

 

『なんかお前、最近やけにイライラしてるみたいだからさぁ、オレの行きつけのゲーセンに連れてってやるよ』

 

 少なからずイライラしていたのは事実。それを見抜かれたことには正直驚いた。

 我ながら普段の周りの人間への態度は、お世辞にも愛想が良いとは言えないようなものだからだ。それ故イラついて少々誰かに冷たく接した所で気付かれることはないと思っていた。

 和谷とも別に仲が良いわけではないのだが、何だかんだ院生時代からの仲間として、更に言えばプロの同期として、付き合いがそれなりに長いだけあって自分のことを意外に熟知しているのかもしれない。

 

「よっしゃー!!」

 

 和谷が歓声を上げる。

 ガコンと落ちてきたフィギュアの箱を仰々しく取り出し「見たか!」と満面の笑みで越智を振り返る。称賛も共感も無く、冷めた眼差しを向けられようともこの男は全く意に介さないようだ。

 越智としてはこんな下らないことよりも早く本題に入りたかった。

 ただ、何となく改まった雰囲気にはしたくないという思いもある。壁にもたれて他愛無い世間話のような形で話したいのだ。

 

「進藤のことなんだけどさ、あんな奴のことを何でどいつもこいつもさっさと忘れないのかな?」

 

 聞きたいのはもう一人の同期の話。

 

「ん〜……そりゃまあ才能のある奴だったからじゃねえの?」

 

「幾ら才能があろうとサボり魔なんて論外だと思うけどね」

 

 越智とて碁の道に生きる者としての矜持は持ち合わせている。

 長期間に渡って手合の無断欠場を繰り返す進藤の行いは、囲碁界ひいては囲碁そのものへの冒涜に他ならない。先月正式に除名処分となったのも当然のことと言える。

 どんな事情があるのかは知らないが、碁を軽んじている人間でなければ決してそんな真似はしないだろう。手を差し伸べるような価値のある人間だとは到底思えない。

 ところが伊角は一昨年夏、中国棋院での特訓から帰った時にはわざわざ進藤の家を訪ねたという。日が暮れるまで待たせてもらっても進藤が帰宅することは無かったので、その日は仕方無く諦めたらしい。

 そして進藤の家に再度行ってみるべきかどうか今なお悩んでいるのだと言うからお笑い種だ。もしあの日進藤が自分を避けていたのならば、下手にしつこく押しかけて進藤を傷付けたくないと言うのだ。

 勝手に自ら堕落した人間のことであれこれ悩むなんて実に馬鹿馬鹿しいではないか。

 

「お前がいきなり進藤の話するなんて何かあったのかよ?」

 

 和谷からすれば越智が進藤の話題を口にするのはあまりに予想外だった。

 

「……和谷は見た?この前の塔矢の名人戦のインタビュー」

 

「ああ、アレか。結局負けちまったらしいけど……あいつはまだ進藤のことを待ち続けてるんだな」

 

 頷いた和谷の顔は再びクレーンゲームに向けられていて、越智の位置からは見えなかった。

 

「塔矢も救いようのない馬鹿だよね」

 

「…………」

 

 塔矢アキラという人間に和谷があまり良い感情を抱いていないのは周囲には有名だが、越智のそれは和谷よりも遥かに根深い。

 

 そもそもの発端はプロ試験の期間中に塔矢から指導碁を受けた時のことだった。

 塔矢は教え子の自分よりも進藤のことばかり意識していて酷く癇に障った。こいつはボクを物差しにして進藤の実力を測りたいだけなんだとあっという間に察した。

 単なる仕事の枠を超えて熱心に鍛えてくれたことだけには感謝しているから、筋を通して今も敬語を遣ってやっているが、あの時の怒りは今も忘れない。

 だから、いつかあいつに自分をライバルだと認めさせてやりたい一心で腕を磨いてきた。そして北斗杯の三将の座を掴み取ったのだ。

 

 ……それでもあいつは「もし進藤がいてくれたら…」とぼやくばかり。

 

 ただただムカついた。ボクどころか副将の社清春に対しても関心が乏しいようだった。

 まあ結果としてボクも社も中国・韓国戦の両方で、ただ相手に圧倒されるだけで何もいい所の無いまま大敗したから、塔矢のそんな態度も仕方無かったのかもしれない。

 特に韓国チームは強くて、ボクら日本チームは0‐3のストレート負けを喫してしまった。塔矢ですら向こうの大将・()永夏(ヨンハ)には半目届かずに敗れてしまったのだから驚きだ。

 だが、一番ボクの心を乱したのは負けたことそのものではない。ボクの相手だった(ホン)秀英(スヨン)が大会終了後、塔矢に話しかけてきて言ったのだ……進藤が碁をやめたというのは本当か?自分は進藤と再び打つ時のために日本語を学んだのに…と。

 洪秀英が研究生時代に日本の碁会所で進藤と一局打ったのは、プロ試験の頃に塔矢に棋譜を見せてもらったから知ってはいた。それでも、その時つくづく思ったものだ。

 どいつもこいつも何で進藤ばっかり……。

 

「くっそー!!ダメかぁ…」

 

 和谷の悪態で、思考に沈んでいた意識が引き戻される。また、お金を無駄にしたらしい。

 

「もういいだろ?どうせ駄目なんだから」

 

「はいはい、うっせーな」

 

 和谷としても、これ以上は気分が乗らないので帰ることにした。

 

 手合をサボっていた進藤には彼も一度だけ会ったことがある。

 あの時の意固地ながらも弱々しい進藤は、和谷からすればまるで抜け殻だった。何か大事な物が抜け落ちてしまったような、そんな感じの奴。

 今の進藤ヒカルという箱には、振ったらカラカラ鳴るくらいの軽くて小さな中身しか入っていない。下手すりゃ今手にしているフィギュアの箱の方がよほどずっしりとした重みがありそうだ。

 

「晩飯食いに行かね?今日はオレが奢ってやるよ」

 

 進藤が大事な物を取り戻す手助けをするにはどうすればいいのか皆目見当もつかない。

 

「和谷がボクに奢り?何か天変地異の前触れじゃないだろうね?」

 

 ……そしてこいつは相変わらず可愛げが無い。

 

「オレだって院生の先輩として、たまにゃそういう気分になる時もあるわ!」

 

 並んで歩いてゲームセンターを出た。

 駅前通りには色々な店が揃っていて、目当てのファミレスの看板もすぐに目に入る。

 

「そういえば、最近この辺で奈瀬に出くわしたぜ?」

 

「奈瀬?…ああ」

 

「院生辞めてからは就職しないといけなかったらしくて今はOLやってるんだとよ」

 

「あっそ…」

 

「ホントにお前は辞めた奴らのこと全然興味ねえよなぁ…あいつ前向きに頑張ってるっぽいこと言ってたけど大丈夫かな」

 

 碁でも局面が進むにつれて手が限られてくるように、人生の選択肢も年齢を重ねるごとに狭まってくる。

 だから、まだプロ試験を受けられる年齢ではあっても、プロの夢を諦め進学や就職へ方向転換する決断を下す者は少なくない。

 奈瀬だけでなく、岸本、飯島、足立、小宮と志半ばに去っていった者達を和谷は何人も知っている。

 

「囲碁界と関わらなくなった連中のことなんかボクには関係無いからね」

 

 落伍者など越智にはどうでも良かった。

 しかし、進藤だけは別だ。それは単に進藤が一度はプロにまで登り詰めた人間だからではない。

 昨年行われた北斗杯の企画は一度きりで終わってしまったらしく今年は開催されなかったが、進藤が参加していたらどうなっていただろうか、と越智もたまに考えてしまうのだ。

 もし進藤が選手だったら、仮に日本が勝つまでは行かなくとも大会がもっと盛況になって次の年以降も続いていたのではないか?と馬鹿みたいな妄想をしてしまう。

 

 結局自分も進藤の秘める“何か“を意識してしまっていること、そして何より進藤とまた打ちたいと思ってしまっていることが腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はらはらと街路樹から葉が散り、吹き荒ぶ風に乗って夜闇へと消える。

 もう掴めない、もう残ってはいない。それを言わんとしているかのような落葉。

 ……でも確かにこの世のどこかで今も舞い続けている。

 

 

 

 

 

 ヒカルは人気の無い市街地を歩く。

 女に待ち合わせをすっぽかされたばかりだというのに全く腹を立てた様子は無い。

 今や彼は他人に執着することがほぼ無いのだ。誰かとの約束を自分が破ろうが、逆に破られようが、その心には何の感情も湧かなかった。

 

 とはいえ彼は決して人情を失ったわけではない。

 偶然通りかかった公園のベンチに誰かが横たわっているのを見つけて、警戒しながらも近付く。

 もし具合が悪いのなら救急車を呼ぶべきかと考えながら、接近してみればそれは若い女性だった。

 

 

「うぶっ…進藤(しんどぉ)〜」

 

というか知り合いだった。

 

「奈瀬!?何でこんなとこに????」

 

 

 

 

 

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