ヒカルがもしも碁をやめたままだったら   作:カトタンバ

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第六話 あいつと似てる

 

 ……おいおいおい、こんなのどうすりゃいいんだ?

 

 進藤ヒカルはたった今、深刻な危機に直面していた。

 

 

 

「ふざけんじゃねえぞ、クソガキ!」

 

「す、すいません!」

 

 

 それはヒカルがアルバイトとして働くラーメン屋での出来事。

 

 店の中の客は現在二人だけ。自分と同年代の派手な服装の少年と年嵩の男性だった。

 少年はカウンター席の真ん中に座ってMDプレイヤーで音楽を聴いており、年嵩の男性は新聞を読んでいた。

 

 

「謝っただけで済むかよ!さっさと醤油ラーメンも持ってこい!」

 

 クレーマーの男性が先程から丸めた新聞を振り回しながら、ヒカルに向かって喚き散らしている。

 

「しょ、少々お待ち下さい!!」

 

 悪質な客もいたものだ。ヒカルは慌てて店の奥にいる店長に助けを求めに行く。

 

 

「一体どうした?」

 

 店内から聞こえてくる罵声を耳にして、店長もただならぬ事態だと察しているようだ。

 

「あのお客さん、塩ラーメンを注文したはずなのに醤油ラーメンを注文したとか言うんですよ」

 

 完全に後の世で言う所の【カスタマーハラスメント(カスハラ)】だった。

 

「……なるほど。まあ仕方ないね。ここは言うことを聞いて醤油ラーメンも出すしかない」

 

「そんな……」

 

「長々と騒がれたら他のお客さんに迷惑だからな。あの客は俺が対処してくる」

 

「はい……」

 

 

 店長は頭を下げながらにこやかに応対する。

 

「お客様、先程はウチの従業員が大変失礼いたしました。お詫びとして、お客様がご注文の醤油ラーメンにトッピングを無料でお付けします」

 

「おう、それならチャーシュー大盛りにしてくれや」

 

「かしこまりました。ご注文を繰り返させていただきます。醤油ラーメンにチャーシューを大盛りということでよろしいですね?」

 

「ああ。すぐにもってこい」

 

 

 店長は醤油ラーメンは大至急作り上げる。

 

「進藤くん、さっきの客にこれ持っていってくれ!」

 

「はい!」

 

 

 もしかしたら、さっきのは本当はこっちが注文を聞き間違えただけなのかもしれない。今度こそ間違いないはずだ。

 ヒカルは大急ぎで出来立てほやほやのラーメンを持って行く。

 

「お客様、こちらがご注文の品になります」

 

 だが、客は相も変わらずヒカルを睨み付けている。

 

「おい…」

 

「……何か?」

 

「またふざけてんじゃねえぞ?俺が注文したのはチャーシューだけじゃなくって、玉子やメンマも大盛りの奴だ!」

 

「ええ!?」

 

「また注文を聞き間違えたのかよ!ここの店はどうなってんだ!?」

 

 そんな…流石に今回こそは確実に注文通りの物を持ってきたはずだ。これには店長も流石に怒りの表情を見せている。

 そして、クレーマー客と店長が一触即発の空気を醸し出したその時、……

 

 

 

「もうやめなよ、おっさん」

 

 

 

 もう一人の客である少年が口を開いた。イヤホンは耳から外している。

 

「何だ、てめぇは?」

 

「オレさっきあんたが醤油ラーメンのチャーシュー盛りを注文した時にこいつで録音してたんだ」

 

 少年は手にしていたMDプレイヤーを擦る。

 

「もしおっさんも自分が言ったこと忘れたってんなら、録音したのを流してやろうか?その後この店の人に訴えられるかもしれねーけど」

 

「…あ、ああ」

 

 クレーマーの顔色が急に変わった。見る見る内に青ざめていくのがわかるほどだ。心なしか目も唇も震えている。

 

「こっちの勘違いだったみてぇだ!すまねえ!」

 

 そう言って乱雑に千円札を二枚カウンターに置いて足早に立ち去って行ったのだった。お釣りを受け取る余裕も無いらしい。

 

 

「まあホントはそんな録音機能なんてこいつには付いてねえんだけどなぁ…」

 

「ありがとう!君のおかげで迷惑な客を追い返せた。サービスに何でも好きなのを一つタダでお出しするよ!」

 

「いや、別に大丈夫っすよ。さっきのおっさんが昔オレをハメやがった奴にちょっと似てたからムカッときただけなんで」

 

 店長は無邪気に感謝しているが、ヒカルはそれどころではなかった。 

 

 こいつ……もしかして。

 

 今までは気付かなかったが、少年がしばらく喋っているのを聞いて確信する。

 

 

 

 

「三谷!」

 

 

 

 店を出たばかりの少年に慌てて声をかける。だが、少年が立ち止まることは無かった。

 

 そしてヒカルも後を追うことはしない。いや、出来ない。

 囲碁部で一緒に海王中を倒すという約束を破った自分には……約束を破ってまで目指したプロの道を投げ出した自分には……そんな資格が無いと分かっているから。

 

 

「………ありがとう三谷!」

 

 

 だから今は後ろから礼を言うだけに済ませた。

 オレは本当に今のままでいるのが正しいのか?と心の片隅で呟きながら……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇー…進藤って院生に来る前はそんなことがあったのねぇ。結構熱いとこあるじゃない」

 

 レンタルDVDをレコーダーに差し込みながら、奈瀬は苦笑する。

 

「ああ、その時の大事な友達さ。向こうはまだ友達と思ってくれてるか分かんねえけど……」

 

 たまにこうして奈瀬の家でくつろぐことがあった。始まりは散らかっていた部屋のごみ捨てを手伝った礼に夕食を御馳走になったことだった。

 肉体関係どころか口付けを交わすことも手を繋ぐことすらもない、お互いがお互いを異性として一切扱っていないような彼女との関係。それがヒカルには心地良かったのだ。

 夜な夜な己を貶めるように自堕落な異性交遊に溺れていた頃の自分には、女性とそういう過ごし方をするなど考えられなかったことだ。

 

 そして奈瀬の家では、適当なテレビ番組や彼女が借りてきた映画のDVDを視聴することもある。

 どういう基準で見る映画を決めているのかはヒカルにはよく分からないが、少なくとも今まで彼女の選んだ作品をつまらないと思ったことは一度もない。

 

 今日、奈瀬が借りてきた映画は一本。日本で作られたアニメ映画だった。

 その作品のストーリーをかいつまんで説明するならば、

神々が湯治に訪れる温泉街に家族と迷い込んだ少女が、街を支配する魔女に名前を奪われ湯屋で働くことになる……というものである。

 

 この映画を奈瀬が選んだ理由は一つ。

 

「このキャラってなんか塔矢に似てない?だから気になっちゃった」

 

 そう言って奈瀬が指差したのは、劇中のおかっぱ頭の少年だった。

 主人公の少女を何かと導き、時には助けてもあげている優しい人物のようだ。自分を様付けで呼ぶよう冷たく言っていても、その裏側にある温かみは隠し切れていない。

 

「いやいや、塔矢はこんなにいい奴じゃねーよ!」

 

 ヒカルは口をへの字に曲げて断固否定する。その様が奈瀬にはおかしかった。

 

 映画の中で少女は無事に己の名前を思い出し、家族とも再び相見える。

 大切な物を取り戻した少女は、自分が本来いるべき世界へと帰っていくのであった。

 

「面白かったね。あの子が報われて本っ当に良かったわ」

 

 「本っ当」と強調する奈瀬。アカデミー長編アニメ映画賞を受賞したというのも納得の名作だった。

 

「ああ……」

 

 低いソファに深く腰掛けたヒカルは、画面を流れていくエンドロールをぼんやりと見つめているようだ。瞬き一つしない。

 

 その表情から奈瀬は何も窺い知ることは出来なかった。

 ただ、今自分が言うべきことは決まっている。彼を再びあの世界に連れて行くために。

 

 

 

 

「ねえ、進藤?今からあんたの家に行こうよ」

 

 

 

 

 あの子(・・・)から相談を受け、更に私から和谷に頼んでいた件の手筈は整った。橋渡しは完了と見ていい。

 ここからが勝負だ。何目もの差を付けられた劣勢からの巻き返しなど碁盤の上では何度もやってきた。現実でも一度くらいはやってやろうではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、ここはコスミよりケイマで隅の地合いを固めた方が安全だったかもしれないな」

 

「確かにその方が手堅く見えるかもしれません。しかし…」

 

 出かけるまでの時間、塔矢アキラは打つ。父・塔矢行洋と。

 

「お前とこうして打ったのは久しぶりだが、今日はやけに強気な手が目立つな。とにかくひたすら前に進もうとしているかのような」

 

 かつてはほぼ毎朝父子で一局打っていたが、行洋が海外を飛び回るようになってからその頻度は著しく減少していた。

 それでも約一週間ぶりに打ってみて、そこから垣間見えた息子の心境に些かの驚きを見せる。

 今日は何か特別な日だっただろうか?強いて言うなら5月5日──こどもの日だが……。そういえば進藤くんが手合に出なくなり騒ぎになったのもちょうど三年前のこの時期くらいだったか。

 

「お父さん、それは少し違います。今ボクはどちらかというと前に手を引っ張ってやりたい相手がいるんです……懐に思いっきり踏み込まなければ彼の手を取ることなど出来そうにないので」

 

「……そうか。では行ってきなさい、アキラ」

 

 行洋は息子にそれ以上何も聞くことは無かった。

 

 

 

 

 




ヒカルと三谷は、原作後は気兼ね無く談笑するほど仲直り出来たものと信じたいです。
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