ヒカルがもしも碁をやめたままだったら   作:カトタンバ

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第七話 いつも何度でも

 

――聞こえるのですか?私の声が───聞こえるのですか?

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、進藤?今からあんたの家に行こうよ」

 

「……っ!」

 

 

 意識が急浮上する。

 身体を大きく震わせながら目の前に視線を向けると、自分が映画を見ている最中だったことをようやく認識できた。そういえば今はエンドロールの途中だった。

 ……起きていたはずなのにまるで夢でも見ていたかのような感覚。これは白昼夢という奴だろうか?

 

 

「何よ、あんた?まるで居眠りでもしてたみたいなリアクションしちゃって」

 

 そうだ、ここは奈瀬の家だ。

 …喉が酷く渇いている。心臓の音がうるさい。息が苦しい。落ち着かない。

 

 今のは夢。ただの夢。現実じゃない。気にしてはいけないこと…。

 そうやって何度も何度も、自分に言い聞かせる。もうあの頃には戻れないのだから。

 

「……ごめん、ごめん。何の話だっけ?」

 

「これが終わったらあんたん()に行こうって話!前言ったでしょ?あんたの部屋がどんな感じか見てみたいって」

 

 奈瀬が指差した先では、劇中で流れている主題歌がもう終わりを迎えようとしていた。

 温かくもどこか寂寥感のある歌詞とメロディーは当分頭から離れそうも無い。

 

「これすっごくいい曲だよなぁ…」

 

「ぼんやりしてたくせによく言うわね。とりあえずコーヒーでも飲む?」

 

「あ、一杯くれ」

 

 手渡されたアイスコーヒーを一気に半分くらい飲み、ヒカルはため息をつく。ブラックコーヒーでなかったことで何故か少し安心してしまったのは、気のせいだと信じたい…。

 それにしてもカフェインの覚醒作用と いうのは、摂取してからどのくらい経てば出てくるものなのだろうか。今は一刻も早く頭の中のモヤモヤした感じを払拭したかった。

 …いや、よしんば眠気や倦怠感が取れたとしても、気持ちの方はきっとすっきりしないのだろうけれど。

 そして残り半分のコーヒーも一気に胃へ流し込んだ所でちょうど映画は終わったようだ。真っ黒な画面に提供元がクレジットされている。

 再生を終えたDVDがデッキから吐き出されるジーッ…という音がどうにも物寂しく聞こえてならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はただ打ちたかった。神の一手を極めるために千年の時を超えてでも。

 けれど惹かれてしまった。あの子の魂の強さに、弱さに。いつまでも一緒にいたいと死人の分際で思ってしまった。

 だが、それもいつかは終わりにしなければならない。元に戻してやるべきなのだ。ヒカルはこの世を生きる人間であり、本来ならば死者と繋がるべきではなかった。

 このまま会えなくても構わない、忘れてくれてもいい、なかったことにしてもいい。……なんて潔いことは流石に言えないけれど。

 でも誰よりも幸せになって生涯を終えて欲しい。

 その後に迎えに行くのが、自分であればと。

 願わくばそうあらんことを。

 

 

 

 

 

 

 

 道端でヒカルは何かを感じて振り向いた。

 “何か“というのは、俗に言う第六感とか、そんなものではなく。ただ、何となく振り向いただけだ。

 初夏の空を鳥たちが飛んでいる。乾いた街並みは何年も前から変わらぬ姿で自分の背後にあって、目に映る景色に異変は何も無い。

 

「急にどうしたの?」

 

 奈瀬が怪訝そうな目を向ける。先程からひっきりなしに誰かにメールを送っているようだ。

 

「……別に何でもねえよ」

 

 適当に誤魔化しつつ自分も何気無く携帯電話を取り出して日付を確認してみた。

 日付は確かに5月5日だ。あの日からちょうど三年経っている。どうやらちゃんと時は流れているらしい。

 

「あら、そう…」

 

 すたすたと前を歩くヒカルは、それ以降ほとんど口を開かなくなってしまった。

 何か機嫌を損ねるようなことを言っただろうか。奈瀬に思い当たる節はない。

 静かに降ろされた心のシャッターをこじ開けてまで彼の本心をのぞき込むつもりは彼女には無い。

 

「いいから行こうぜ」

 

 季節が幾つも巡る内、オレの中にあった「非日常」的なものが自然と消滅していった。

 だが、それは違和感として常にまとわり付いていて、オレを放してくれそうにない。まだ心の片隅で小さな希望というか、妄想を抱いているのは確かかもしれない。

 オレは今どこに向かって歩いているんだろうと、事あるごとによく分からない考えに嵌る。

 

 それでも今この時は歩み続け、我が家が見えてきた時のこと……

 

 

 

「ヒカル!明日美さん!」

 

 

 

 この声は……

 

「あかりちゃん?」

 

 そう名前を口にしたのは奈瀬だった。何だ?こいつら面識があったのか?

 

「ヒカルも明日美さんも久しぶり!」

 

 花がほころぶような笑顔を見せているのはオレの幼馴染・藤崎あかりだった。

 今のオレには彼女の真っ直ぐな目を見ることなんて出来やしない……。

 

「今日は二人でどうしたの?」

 

 あかりは屈託のない笑みのまま尋ねてくる。眩しすぎて目が潰れそうだ。

 

「今から進藤の家に行くとこよ」

 

「そうなんだ……私も着いてっていいかな?」

 

「おい、ちょっと待てよ…」

 

 勝手に話を進められては困る。

 

「お前らは一体どういう知り合いなんだ?」

 

「あかりちゃんは同じ高校の自慢の後輩よ」

 

 奈瀬が得意気に答える。

 

「ほら、前ヒカルに高校で囲碁部を作る時に囲碁が強くて優しい先輩に助けてもらったって話したでしょ?それが明日美さんなわけ」

 

「私は囲碁部に入れないけど、碁を頑張る女の子の力になってあげたかったからね」

 

「ふーん…」

 

 まあ、あかりを助けてくれたことには感謝しよう。思えば、こいつは院生の頃から面倒見のいい所があったな。

 

「私もあんたとあかりちゃんが幼馴染と最近知った時は驚いたわよ」

 

 ということは最近まであかりは、オレと顔見知りなのを奈瀬には話していなかったということか。何でか分からないけど。

 

「それで私もヒカルの家行って大丈夫?」

 

「……ああ、着いてきていいぜ」

 

 何だかんだ大事な幼馴染なんだ。断る理由なんてあるはずもない。

 ただ、あかりは今のオレにとっては顔を合わせづらい相手だというだけで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ところが、オレはすぐに知ることになる。あかりよりも遥かに顔を合わせづらい奴がとっくに自分の部屋に上がり込んでいるということを。

 

 

 

 

 

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