ヒカルがもしも碁をやめたままだったら   作:カトタンバ

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今話の題名はアニメ版ヒカ碁の3つ目のオープニングから。
個人的には特に2番の歌詞が好きです。


第九話 FANTASY

 

「…………あっ……ありま、せんっ……」

 

 

「……ありがとうございました」

 

「っ、ぅっ……ぁ、ありがとう……ございました……」

 

 

 数年越しの一局がもう一つの終わりを迎えた。

 

「上辺にツケつつ真ん中のオシも効いた上手い流れだった。前半の手すらも伏線として活かした巧妙な包囲網……これが本来キミがあの時やりたかったことか」

 

「……っ…………。」

 

 涙の雫が頬を流れゆく。対局が終わるまでは堪えていたが、もう限界だ。

 今のヒカルの耳にはアキラの言葉など届いていない。

 

 

 

 佐為がいた────オレの打つ一手一手の中に。

 

 

 

 でも、もう今更遅いんだ………。三年間もずっと逃げ続けてたオレが佐為に合わせる顔なんてあるはず……

 

 

 

「………sai」

 

 

 

 その一言はヒカルの耳朶を打つ。静かな湖面に大岩を投げ込んだかのように。

 

「え…?お前今何て………」

 

「今ので確信したんだ。キミがネット碁のsaiなのかと思ったこともあるが、やはりそうじゃない。キミの中にsaiがいるんだ」

 

「ははは…お前の言ってる意味、全くわかんねーよ」

 

「ボクだって自分でもよく分からないさ。キミが二重人格なのかと疑ったこともあるが、それは断じて違う」

 

 自分でもよく分からないという言葉とは裏腹にアキラの目は自信に満ちあふれている。

 

「この一局の前半はsaiが打っていた。そして後半はキミが自分で打ったんだ────saiから“何か“を受け継いだキミが」

 

 進藤=saIではなく、進藤=進藤+sai。それがアキラの中で結論付けられた式だった。

 

「“何か“ってなんだよ…?」

 

「それも上手く言葉では表せない。でもこれだけは言える」

 

 ヒカルは顔を上げる。

 

「………キミが碁を打つのをやめてしまったらsaiはいつまでも過去に置き去りなんだ。これからもずっと」

 

「置き去り………?」

 

「ああ」

 

 今のボクなら分かる、という意も込めてアキラは首肯する。

 新初段シリーズの荒れ碁にしか見えなかった進藤とお父さんの一局も、まるで十五目程の差のハンデを背負ったsaiの打ち筋のように思えてくる。お父さんがあの後進藤の評価を下げなかったのもあれがハンデ戦だと見抜いていたからに違いない。

 こんな無茶な打ち方をあの時の進藤が、否saiが20分も長考してまで行った理由は一つ。進藤のために己の存在を隠したかったからだ。

 

「ボクは碁打ちとして、いやキミのライバルとして断言しよう。キミ──進藤ヒカルの選択は…碁を打たないという選択は、saiから未来を奪う最悪の一手なんだ」

 

 ヒカルは納得がいかなかった。いや、納得したくなかった。

 

「………お前なんかに何が分かるってんだよ!」

 

 そうだ。佐為の本当の望みを理解しているのはオレだけのはずなんだ。

 そんな子供染みた反発から反射的に口にした言葉だったけど、意外にもあいつは「うーん確かに…」と唸りながら腕組みするだけだった。

 

「進藤の言う通りかもしれないな。実際ボクはキミにとってsaiがどんな存在なのか全く知らないから」

 

「…………………。」

 

「だから全てを話してくれないか?隠し事は一切無しで」

 

 詰め寄るアキラにヒカルは引きつつも苦笑する。涙はもう止まっていた。

 

「……お前のことだからどうせ全部聞くまで帰らねえんだろ?」

 

「無論だ」

 

 ふぅっ、とヒカルは深呼吸する。信じてもらえないならそれはそれで問題無い。

 

「はいはい、わかったよ。長くなるからじっくり聞けよ?」

 

 

 

「あれは小学六年生の冬だった。オレとあかりがじーちゃんの倉に入って、そこで古い碁盤を────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「進藤くん、これは一体何だ?」

 

 それはゴールデンウィーク明けのこと。高校でのHRが終わった後の個人面談にて。

 

「やっと決まった第一希望の進路がこれ(・・)とは一体どういうことだね?」

 

 そう言って担任教師が机に叩きつけた一枚のプリント。

 「3年A組 進藤ヒカル」と名前欄に書かれた進路希望調査票だった。その下の希望進路欄には、

 

 

 

「えぇっ?先生もしかしてこの字読めないんですか?これは棋士(きし)って読むんです」

 

 

 

 教師は青筋を立てて拳を机に振り下ろす。

 

「そんなことは知っている!私が言いたいのは、囲碁か将棋か知らんがこんなことを君が本気で言っているのかということだ!小学生に将来の夢を聞いてるわけじゃないんだぞ!」

 

 昨年から引き続きヒカルの担任を務める教師が口角泡を飛ばして喚き立てる。決して悪い人ではないのかもしれないが、何かと反りが合わない人物だった。

 

「はい、本気です。てか、なったことあります」

 

「は?」

 

「だからオレ囲碁のプロになったことあるんですよ。プロ試験に合格して」

 

「そんな話聞いてないぞ!大体それが本当なら何で高校に毎日普通に通ってるんだ!」

 

「いやぁ、それがちょっと色々あって碁を打たなくなったせいでクビになっちゃいました。まあ仕方無いですよね」

 

 教師は鼻を鳴らす。

 

「ふむ。何があったのかは知らないが、それならもし囲碁のプロに復帰出来たとしても、結局また投げ出してしまうんじゃないのかね?」

 

「いえ、それはありえないです。絶対に!」

 

 

 ヒカルの脳裏に先日の出来事が蘇る。

 

 

 

 

 

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

 

‐‐‐‐‐‐‐‐

 

‐‐‐‐

 

 

 

 

 

 ヒカルがアキラに全てを話し終えた時、もう空は暗くなり始めていた。

 

「なるほどな。藤原佐為はもうこの世にはいないというわけか。……幽霊に対してそんなことを言うのは少し変かもしれないが」

 

「なあ…お前こんな話を全部信じるとか大丈夫かよ?オレが言うのも何だけど」

 

 ヒカルは皮肉げに呟く。

 オレの話の間、塔矢はあれこれと質問してくることはあっても、反応はおおよそ冷静な物だった。否定どころか驚きすら一切見せない。

 幽霊が存在することよりも幽霊の存在をあっさり信じるこいつの方がオレからすれば驚愕に値するのだが。

 

「何もかも納得がいくからさ。一番最初にボクとキミが碁会所で打った時からのこと全部にね」

 

「そんなもんか」

 

「そんなもんさ」

 

 アキラは碁石を片付け始める。混ざり合った黒と白がそれぞれ同じ色同士に収束していく。

 

「キミの話を聞いてボクは改めて思ったよ。やっぱりキミは打ち続けなきゃいけない。……佐為さんのことを想うならなおのこと」

 

「まあ、でもオレなんかが打っても……」

 

「いやキミだから打つべきなんだ!」

 

 ぐいっ、とヒカルの両肩を掴む手は力強かった。

 

「佐為さんに未来を託されたのはキミなんだから」

 

「オレが…?佐為は何も言わずに消えていったんだけどな………」

 

「そうか……まあ言葉なんて無くても繋がっている、なんてよく聞く話だが、そんな現象は実際この世には存在しないんだろうな。表情や態度だけで何もかも通じるなら、人は最初から言葉なんて必要としていないはずだから」

 

「………じゃあ何で佐為がオレに未来を託したなんて分かるんだよ?」

 

「碁は手談とも言われていてね。ボクらは碁打ちとして碁で語り合ったばかりじゃないか」

 

 アキラは再び碁石の片付けを始める。

 

「キミと打ってみて、キミを外側から眺めてみて感じたんだ。saiが…いや、佐為さんがキミをとても大切に育て上げていたということが。己の全てを注ぎ込むように」

 

 ふわりと微笑んだ。碁石は碁笥に綺麗に収まっている。

 

「じゃなきゃキミの碁からsaiを感じるはずがないだろ?」

 

「それなのにオレはずっと逃げ続けてたんだけどな………三年間もさ」

 

 力無く笑うヒカル。

 

「じゃあ今日からでも何万回も何億回も打てばいい。それだけの話だ」

 

「おいおい、死ぬまでにそんなに打てっかよ」

 

 はあっ…と大きく息を吐き出す。

 でも塔矢の言う通りだ。今のままではオレの碁は…オレと佐為の碁は…一歩も前に進めない!

 

「ま、そうだな。オレが死んじまった後あの世であいつと打った時にまた負けたら悔しいもんな………………よしっ!!」

 

 ピシャッ!!

 

 自ら両の頬を叩いて宣言する。

 

 

 

「オレは佐為を超えてやる!そんでもって佐為から受け継いだ“何か“ってのも他の誰かに伝えるんだ!………いつか人が神の一手に辿り着けるように!」

 

 

 

 この決意が揺らぐことは生涯無いだろう。

 

 

 

 

 

‐‐‐‐

 

‐‐‐‐‐‐‐‐

 

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「………と言っても一度クビにされた身なんで、またプロになることは許してもらえないかもしれないですけど、その時はその時です」

 

 担任教師の仏頂面にも構わず、ヒカルは歯を見せてにっこり笑う。

 

「今バイトしてるラーメン屋さんで働きながらアマチュアで囲碁極めて大会出まくります!オレが碁から離れることは金輪際ありません!」

 

「そ、そうか…」

 

 教師は頭を抱えて椅子に深く座り直す。

 こいつは何を言っても無駄だ……そう嘆息しながら別の視点での懸念をぶつける。

 

「ただまあ今日日(きょうび)囲碁のプロで本当に食っていけるのかね?」 

 

「それは……」

 

 思いも寄らぬ指摘に言葉に詰まってしまう。

 

「先生の大学時代からの友人も教員をやっていてな。彼は大阪の高校に勤めているんだが、担任を受け持つクラスの生徒に一人囲碁のプロをやっている子がいるそうなんだ」

 

「へぇー、そうなんですか」

 

「その子は同年代のプロの中でも相当強い方らしいが、それでも一般的なサラリーマン並の年収しか無いと親御さんは不安げに話しているらしい。あまり強くない同年代のプロに至っては年収100万未満も少なくないとか」

 

「……………。」

 

 そこで教師は声を低くする。

 

「君はこういう現実もちゃんと知った上で、また碁の道に進むつもりか?もう子供じゃないんだからお金の大切さは理解できるだろう」

 

 もちろん理解は出来る。理解した上でこれだけは言える。

 

「ちょっとプロになって、ちょこちょこっとタイトルのひとつふたつ取って見せる予定なんで安心してください」

 

 かつてはプロになるまでの数え切れないほどの苦渋も、タイトルを取るまでの果てしなく高いハードルも知らずに放った酷い失言。それを敢えて再び口にする。

 

「………な!?」

 

「では失礼します」

 

 後ろで教師が引き留める声も聞かずヒカルは立ち去った。

 もうこれ以上進路について話し合った所で無駄な時間だ。

 

 

 

 

 有言実行を果たすためには、無知だった自分の大法螺を実現するためには、一分一秒でも多く学ばなければならないのだから。

 

 

 

 

 

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