掌の上の余白   作:都賀裏

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微笑みの檻

 アデレード専属の世話係であるメイベルの仕事は、彼女を起こすところから始まる。彼女の部屋までの廊下を歩きながら、メイベルは思う。貴族の血筋でもないのに、どうしてあそこまでの教養を身につけているのだろう。メイベルは、アデレードがフィッツウィリアム伯爵夫妻に引き取られるまでの生い立ちを知らなかった。だが、この屋敷の主人であるフレデリックから直々に、貧民街に住んでいた少女を養子に迎え入れる話は聞いていた。メイベルも、貧民街に住まうほどでないにしろ、こうして給仕の仕事をするくらいなのだから、生活が苦しいのは事実だ。他の使用人たちだって大なり小なりまだ見ぬ彼女に何かを思ったことだろう。新しいお嬢様のためにと、屋敷の者たちは手厚い指導を覚悟していた。だが、アデレードは最初の晩餐の席で、完璧な所作を見せつけた。それは、長年この屋敷で働いている使用人をも凌ぐものだったのだ。

 けれど、自分よりも立場の上になったお嬢様にそんなことを聞けるわけがない。それに彼女の役目は問いただすことではない。ただお嬢様を支え、日々の身の回りの世話をすること。メイベルはアデレードの部屋の扉の前に立ち、ノックをして、入室する。

 

「お嬢様、お目覚めの時間ですよ」

 

 部屋のカーテンを開け、朝日を部屋に取り込む。真っ白なベッドの中にいたアデレードが小さく身動ぎをして、体を起こした。ゆっくりと、その目が開く。朝の光を受けるその黄金の瞳がメイベルを見つめる。毎朝のことだというのに、どうにもこの目に慣れない。むず痒い気持ちになってしまう。今日の予定を口頭で述べながら、メイベルはクローゼットからアデレードの服を取り出していった。ドレスは、彼女がフィッツウィリアム家に引き取られたその日にこれでもか、というほど用意されていた。その中から一着を選び、アデレードに着せていく。そして次に、彼女の髪を整えていく。慣れた手つきで櫛を通す。艶やかな黒髪が、滑るように指の間を通り抜けていく。どこまでも滑らかで、美しい。まるで夜の帳のような黒。

 

(本当に、お美しい……)

 

 そう思ってしまったことに、メイベルは動揺した。いや、別に何も間違いじゃないはずだ。だって彼女は美しい。その美しさに、目を奪われてしまうのは仕方がないことだろう。けれど、どうしてだろう。自身のこの感情が、十二歳の少女に向けるものではないように感じるのは。彼女はただ仕えているだけのはずだった。なのに、朝の光の中、アデレードの白い首筋を見つめる自分に気づく。細く、優美な曲線を描くその肌は滑らかで、手を伸ばせば簡単に触れてしまいそうだった。

 

「メイベル?」

 

 ふいに、アデレードが振り返る。黄金の瞳がまっすぐにメイベルを見つめた。

 

「どうしたの、メイベル」

「い、いえ……」

 

 メイベルは慌てて視線を逸らした。おかしい。こんなふうに動揺することなんて、これまでなかったのに。アデレードは何かに気づいたように笑う。まるで甘い毒のように彼女の心を犯していく。ふと、アデレードが何か思いついたようにメイベルに問うた。

 

「メイベルは、私のことをどう思ってる?」

「どう、とは……」

「なんてことのない雑談よ。それに、気になってるの。突然貧しい立場の人間が、お屋敷のお嬢様になるって、あまりある話ではないでしょ? 自分よりも小さい子どもに仕えるのって、きっと楽しいことじゃないわ。だから、どう思ってるのかなって」

「それは、その……」

 

 メイベルは口ごもる。そして、彼女は言った。

 

「……とても、聡明で、美しいお方、かと」

 

 そう、アデレードは聡明で美しい。その立ち居振る舞いは完璧で、教養も申し分ない。貴族令嬢として生まれ育ってきたと言われても納得してしまうほどに彼女は完成されていた。けれど、メイベルの答えにアデレードは満足したように無邪気に笑った。年相応なもののはずなのに、その笑顔は、ひどく甘美で、抗いがたい魅力を持っていた。

 メイベルは思った。この人に忠誠を誓うことは、決して不幸なことではない、と。まるで蜘蛛の糸に絡め取られる蝶のように。彼女の魔性に絡め取られていくのを、もう止めることはできなかった。

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