わんだふるぷりきゅあ!!~わんだふる♡わーるど~ 作:重要大事
6月中旬
アニマルタウン アニマル商店街
昼下がりのアニマルタウン。
陽射しが強くなり始めた商店街では、通りを行き交う人々の影が地面にくっきりと落ちている。
店先には八百屋が新鮮な夏野菜を並べ、魚屋の氷の上には獲れたての魚が並び、店員たちの威勢のいい声が飛び交っていた。
そんな喧騒の中、ひときわ目を引く「おばさん」が、一つの買い物籠を抱えて歩いていた。
「えーと……牛乳、タマゴ、大根……これで全部ですね……」
彼の名はメエメエ。ニコガーデンの主であるニコに仕える羊の執事でありながら、現在は諸事情によってアニマルタウンでの生活を余儀なくされていた。
本来ならば、格式ある振る舞いをもって主人に仕える立場――にもかかわらず、今はこうして地元の主婦のような姿で買い物籠を抱えている。
とはいえ、これももはや日常の一部となっていた。
「どうやら買い忘れはないようですね。では、戻るとしましょう」
買い物リストの内容を確認し、満足げに頷くと、メエメエは居候先である犬飼家へと向かう道へ足を向けた。
買い物籠の中には、頼まれた細々とした食材が詰め込まれている。
どこからどう見ても、日用品を買い込んだ「地元の主婦」の姿だった。
最初のうちは、彼の姿に違和感を覚える者も少なくなかった。
突然現れた「謎の新顔」、しかも、よく見ると言動や仕草がどこか異様に整っている。
それゆえ、商店街の人々は当初、彼を警戒し、奇妙なものを見る目で二度見することも多かった。
しかし――人間の適応力というのは意外なものである。
犬飼家での生活が続くうちに、いつの間にかこの姿がすっかり街に馴染んでしまったのだ。
今では誰も彼の変装を疑うことはなく、それどころか、住人たちは彼をすっかり「顔なじみ」として扱い、気軽に声をかけるほどになっていた。
「今日は暑いねぇ、メエメエさん」
「あら、またこんな日にもお買い物? 大変ねぇ」
メエメエも慣れたもので、そうした声に軽く頷きながら歩く。
もはや変装というより、自然にこの街の一部になってしまったと言ってもいいだろう。ふぅ、と息をつきながら、商店街を抜け、犬飼家へと続く道へ向かう。
そんなとき――
「おや? あちらは……」
歩き慣れた道。いつも通る交差点を過ぎたとき、ふと視界の端に見慣れた姿が映った。
鷹目かなえ。
彼女は、少し人気のない路地の片隅でしゃがみ込み、何かをじっと見つめている。
人通りの多い商店街とは対照的に、その一角はひっそりとしており、舗装されていない地面に雑草が生い茂っていた。
何をしているのかは分からないが、ただならぬ集中力で地面を凝視している。
メエメエは足を止め、少し眉をひそめる。
「はて……?」
そう呟きながら、かなえの元へと歩み寄った。
「かなえ様」
その声に、しゃがみ込んでいたかなえが顔を上げる。
「ん?」
彼女は驚く様子もなく、メエメエの姿を見上げた。
地面に片手をつきながら、もう片方の手には、摘み取ったばかりの野草を握っている。
「こんなところで、何をしているんでしょう?」
メエメエの問いかけに、かなえは作業する手を休めずに淡々と答える。
「自生している食べられる食材を探しているんだ」
メエメエは一瞬、困惑したように瞬きをする。
「食材、ですか……?」
改めて彼女の足元を見ると、舗装されていない地面には、雑草に混じっていくつかの野草が生えていた。
そして、その中から選別されたものが、かなえの手のひらに乗っている。
「……たとえば、これは『ノビル』。辛みが強いけど、薬味にすると美味いぞ」
かなえは軽く茎をこすり、メエメエに匂いを嗅がせる。
メエメエはわずかに鼻をしかめながら、指先でつまむ。
「確かに……ネギのような香りがしますね」
「そうだろ? 炒めてもいいし、味噌につけて食べるのもありだ」
かなえは満足げに頷くと、次に別の葉を摘み取る。
「あと、これは『カラスノエンドウ』。豆の部分が食べられるんだ」
小さなサヤの中に豆が詰まっているのを見せると、メエメエは感心したように頷く。
「かなえ様は、こういった知識に長けておられるのですね」
「狩人だからな。昔から野草の知識は叩き込まれてる」
かなえは得意げに胸を張ると、さらに地面をじっくりと観察しながら、別の葉を見つけた。
「これは『スベリヒユ』。おひたしや和え物にすると美味い」
指先でつまみながら、少しだけ口に含んで噛む。
「クセはあるけど、酸味があって意外といける」
その様子を見ながら、メエメエは小さくため息をついた。
「お詳しいのは素晴らしいことですが、もしも毒草と見分けを誤るようなことがあれば、大変危険ですよ」
「そんなことはない。しっかり知識に基づいて探してるさ」
かなえは自信満々に言い切ると、再び地面に目をやった。
だが――その直後、彼女の腹が盛大に鳴り響く。
グゥ~~~~~~~~……!!
その場に響き渡るほどの音に、メエメエが思わず目を瞬かせる。
「……か、かなえ様?」
しかし、当の本人は気まずそうな顔をするどころか、苛立たしげに眉をひそめた。
「ダメだ……こんなんじゃ全然満たされん」
かなえは握りしめていたノビルやスベリヒユを見下ろし、ため息をついた。
野草は確かに食用にできるが、所詮は香味野菜や薬味程度のものばかり。
これでは満腹感は得られないし、何よりも“食事”としての満足感にはほど遠い。
「もっと……しっかり食べられるものが欲しい……」
そう呟きながら、かなえは再び地面をじっと観察し始める。
その瞬間――彼女の動きがぴたりと止まった。
視線の先。雑草に混じって、一群の花が咲いている。
薄紫色の可憐な花。風に揺れる、細長い茎。
かなえの目が輝いた。
彼女はしゃがみ込み、その花をじっくりと見つめる。
脳裏に、ふとある知識が浮かぶ。
「これは……雛罌粟(ひなげし)か?」
かなえは目を細め、目の前に咲く花をじっと見つめた。
雛罌粟――またの名をポピーとも呼ばれる。
昔から、種を使った食品は数多くあり、ポピーシードは特にパンやケーキのトッピングとしても知られている。
日本でもごまのように使われることがあり、栄養価も高い。
――これなら、しっかりと腹を満たせるのでは?
かなえの思考は、空腹の影響で次第に単純になっていく。
冷静な判断が鈍る。
「間違いない。これは食べられる!」
そう言い切ると、かなえは迷わず小さな発芽を指先でつまんだ。
わずかに瑞々しく、まだ若い芽が種の殻の間から覗いている。
指で軽くしごくと、ほのかに青臭い香りが立った。
それを躊躇なく口へ運び、舌の上にのせる。
「……ん?」
噛んだ瞬間、わずかな苦みと青い香りが広がった。
しかし、それは不快なものではなかった。
むしろ、後からじんわりと舌に残る独特の甘みがクセになりそうな感覚を与える。
「……おおっ!? うまい、イケるぞ!」
指先についた汁を舐めとるようにしながら、かなえは目を輝かせた。
発芽したばかりの若い芽の風味が、まるで豆苗のような食べやすさを持っている。
目の前の光景を眺めながら、メエメエは半ば呆れたように首を振る。
「かなえ様、本当にそれは……」
しかし、その言葉が最後まで届く前に、かなえは手のひらに残っていた発芽を一掴みし、メエメエの前へ差し出した。
「メエメエ、お前も試しに食べてみろ!」
メエメエは一瞬戸惑いを見せた。
しかし、目の前のかなえは疑いを持つ素振りすらなく、自信満々に頷く。
――ここまで堂々としているなら、本当に問題のないものなのだろうか?
慎重に指先で発目をつまみ、観察する。
薄緑色の小さな芽。かすかに葉が開きかけており、生命力を感じさせる。
指の腹で軽く押すと、ぷちっとした感触が返ってきた。
「……では、おひとつだけ……」
メエメエは小さく息を吸い、意を決して口へ運んだ。
「……ふむ?」
口に含むと、最初に感じたのは、爽やかな青みのある香りだった。
噛めばじんわりと広がる苦み、そして後に残る独特の甘さ。
悪くない。
それどころか、舌の上に残るじんわりとした感覚が、なんとなく心地よくさえ思えた。
「な? うまいだろ!」
かなえが満足げに笑う。
「そうですね……悪くは、ないですかね……?」
メエメエは、まだ口の中に広がる風味を感じながら、小さく頷いた。
確かに悪い味ではない。
しかし、同時に――
(……何か、おかしいような気もするのですが)
漠然とした違和感が脳裏をかすめる。
だが、それが何なのかを考える間もなく――
「もうちょい持って帰って、食事に使ってみるか!」
そう言って、かなえは次々と発芽を摘み取り、持ち帰る準備を始めていた。
メエメエは、その様子を見ながら、かすかな疑念を抱えつつも、それ以上何も言わなかった。
まさかこれが、彼らを大きく狂わせることになるとは――
そのときの二人には、知る由もなかった。
◇
アニマルタウン Pretty Holic(猫屋敷家)
午後の穏やかな陽射しが店先に降り注ぐ。
Pretty Holicのカフェスペースで、まゆといろはの二人が並んで座っていた。
テーブルの近くでは、こむぎとユキがそれぞれ動物の姿でくつろいでいる。
まゆが持ってきた冷たいレモネードをストローでかき混ぜながら、ふと呟く。
「メエメエの様子が変?」
その言葉に、こむぎが「すっごく変だワン」と言って、軽く尻尾を揺らしながら頷いた。
「なんかね、やたらハイテンションっていうか……感情の起伏が激しすぎるんだよね」
いろはは目を瞬かせながら、こむぎの言葉を咀嚼する。
「ハイテンション……?」
まゆが首をかしげると、こむぎは前足を組むようにしながら、少し考え込んだあと、ぽつりと言った。
「ほら、普段のメエメエって、どっちかっていうと冷静なタイプでしょ? でも最近、買い物に行くたびに、なんかすっごくしゃべるんだよ」
いろはが考え込むように、首を傾げる。
「それって……ただ単にテンションが高いだけなんじゃないの?」
話を聞いていたユキは、眉をひそめながら指摘する。
「いや、それがね……妙に哲学的なことを語り出すんだよ」
「哲学的なこと?」
まゆが首をかしげる。
すると、いろはがメエメエの真似をし始める。
「メエエエ……世界とは、ただの振動の集合体……生命とは、波……あなたたちも、わたくしも、すべて “ひとつ” なんですよ……」
その場の空気が、微妙に静まり返った。
まゆとユキが顔を見合わせる。
いろはは真似をやめ、真剣な表情でテーブルに肘をついた。
「それが毎日のように繰り返されてるんだよ」
いろはがため息混じりに言うと、こむぎも耳を垂らしながらぼやいた。
「正直、疲れるワン」
まゆがストローをくわえたまま、小さく頷く。
「うーん……確かに、ちょっと普通じゃないかも」
ユキはわずかに眉を寄せ、静かに息をつきながらつぶやく。
「鬱陶しさに拍車がかかってるわね」
そのとき、カフェテラスの前を見知った人物が通りかかった。
「あ、やっぱりここにいたんだ」
そう声をかけたのは、悟だった。
手には、ウサギの姿の大福を入れたかごを抱えている。
「悟くんと大福ちゃん!」
いろはがパッと顔を上げる。
「陽子先生からいろはちゃんたちの居場所を聞いてね。実はちょうどみんなに話したいことがあって……」
悟の真剣な表情に、いろはたちは怪訝そうな顔を浮かべた。
「え! かなえちゃんの様子も変なの!?」
驚愕するいろは。悟は頷きながら、少し言いづらそうに口を開く。
「うん……何だか、悪いモノにでも憑りつかれてるんじゃないかって感じなんだ」
いろはとまゆが顔を見合わせ、こむぎとユキも疑問符を浮かべる。
悟は一度息をつき、状況を整理するように語り始めた。
「カレーにね、見慣れないゴマみたいな調味料をかけ始めたんだよ。それから、日を追うごとに様子がおかしくなっていって……」
まゆが怪訝そうに眉を寄せる。
「調味料?」
悟はゆっくりと頷いた。
「最初は、‘風味がいい’って喜んでたんだけどさ、だんだん‘これがないと物足りない’って言うようになって……」
こむぎが不安げに耳を伏せる。
「……なんか、こわい感じがするワン!」
大福がかごの中で姿勢を変え、真剣な表情で言葉を続ける。
「ああ。なんかやばいなってことは、傍から見ても分かるくらいにな」
その言葉に、場の空気が一気に重くなる。
悟はさらにかなえの状況を具に報告する。
「あのスパイスを使うようになってから、鷹目さんの様子が明らかに変わったんだ。妙に陽気になったかと思えば、急にボーッとしたり、夜中に何かをブツブツ言ってたり……」
まゆが顔をしかめる。
「いろはちゃん……何だか、メエメエの話と似てない?」
いろはも気づいたようにハッとする。
「そういえば……最近メエメエ、時折こっそり家を出たと思ったら、‘あの味が忘れられない’って言ってた気がする」
いろはの言葉に、一同が黙り込む。
場の空気が、じわりと重くなる。
かなえとメエメエ、二人とも異変が起きている。
しかも、その原因は “何かを摂取したこと” にある可能性が高い――。
誰もが考え込む中、不意にこむぎの耳がピクンと動く。
「あ! かなえとメエメエだ!」
こむぎが声を上げた瞬間、全員が一斉にその方向へ視線を向ける。
そこには――
目の下にクマを作り、ゾンビのようにふらつきながら歩くかなえとメエメエの姿があった。
二人は何かをぶつぶつと譫言のように呟きながら、夢遊病者のように道を進んでいく。
その異様な様子に、まゆが小さく息をのむ。
「……たしかに、おかしいかも?」
いろはが戸惑いの表情を浮かべる。
「ど……どうしよう?」
悟が慎重に声を落としながら言った。
「……気付かれないように、ついていこう。二人がどこへ向かっているのか、確かめないと」
悟の提案に、ユキが「そうね」と静かに頷く。
「あの二人が何をしようとしているのか、‘何を求めているのか’を確認する必要があるわね」
こうして、いろはたちは二人に気づかれないよう、そっと後をつけることを決めた――。
ふらふらと歩くかなえとメエメエ。
焦点の定まらない瞳で前を見つめながら、どこかへ向かっている。
「ん~? 体がフワフワする……」
かなえが虚ろな笑みを浮かべながら呟く。
「メエエ……頭が冴える……気がします……」
メエメエもまた、普段の冷静な雰囲気とはかけ離れた、妙に気だるげな口調で言葉を漏らした。
その様子を後ろから慎重に追いかける、いろはたち。
こむぎが小声で囁く。
「なんか……ヤバい雰囲気しかしないワン……」
まゆが真剣な表情で頷く。
「これ、間違いなく‘何か’にハマっちゃってるよね……」
悟が慎重に足を運びながら、二人の歩く先を目で追う。
「どこに向かってるんだろう……」
そうして尾行を続けること数分――
かなえとメエメエが辿り着いたのは、人気のない路地裏だった。
二人はふらつく足取りのまま、地面にしゃがみ込む。
「あんなところで何してるの?」
ユキが静かに言葉を漏らす。
こむぎが前足を上げ、小声で応じた。
「もうちょっと近づいてみるワン」
いろはたちはゆっくりと、慎重に足を運ぶ。
一歩一歩、音を立てぬように距離を詰めていく。
そして――
薄暗い路地裏の片隅で、二人が何かに取り憑かれたように震えながら、奇妙な声を漏らし始めた。
「アアア……アア……」
最初はただのうめき声のように聞こえた。
しかし、それは次第に抑えきれないほどの異常な高揚感と陶酔を伴うものへと変わっていく。
「……フフッ……クク……あはははは……!」
かなえが頭を抱えながら、唐突に笑い出す。
メエメエも、それに呼応するように異様な声を漏らす。
「メエエエ……ああ……素晴らしい……この‘感じ’……!」
いろはたちは息をのむ。
――これは、ただごとではない。
そうして、二人の足元に生えているものを見た瞬間、大福の目の色が変わる。
「!! あれは……」
大福の表情が一瞬にして険しくなった。
すかさず人間の姿へと変化し、メエメエへと詰め寄る。
「メエメエ!!」
怒声とともに、大福の手がメエメエの襟元を荒々しく掴んだ。
虚ろな瞳でふらつくメエメエの体をぐいと引き寄せる。
「お前……とうとうやっちまったな! こんなものに手を出すなんざぁ!」
その声には激しい怒りが滲み、目の前の相手を叩き伏せんばかりの勢いだった。
いろはが驚愕しながら声を上げる。
「ちょ、大福ちゃん!?」
まゆも慌てて制止する。
「落ち着いて!」
しかし、大福の怒りは収まる気配がない。
一方、その様子を見た悟は、大福がここまで激昂する理由をすぐに悟った。
「やめるんだ、鷹目さん!」
そして、慌ててかなえが発芽を摂取しようとする手を掴む。
「うぇ~? なにをするんだ兎山~?」
かなえは焦点の定まらない瞳で悟を見つめ、口元をだらしなく緩ませながらのろのろとした動きで抗議の声を漏らす。
言葉の端々が妙に間延びし、声には弛緩した甘さが混じっていた。
悟は強く否定する。
「これは食べちゃダメだ!」
しかし、メエメエは虚ろな笑みを浮かべ、ゆらゆらと揺れる。
「何を言ってるんですか悟く~ん、わたくしたちは決してやましいものなど食べてなど~」
その言葉を聞いた瞬間、大福の怒りがさらに爆発する。
「この期に及んでまだ言うか!!」
怒号を発し、大福の手がメエメエの襟元を荒々しく掴む。
虚ろな瞳でふらつくメエメエの体をぐいと引き寄せる。
その目は、怒りで燃え上がる鬼のようだった。
かなえは不満げに鼻を鳴らしながら、ふらふらと手を振り、ゆっくりと言った。
「兎山~、これは雛罌粟だ。どこにでもあるだろう~?」
悟は深く息を吸い、必死にかなえの目を見据えて言う。
「よく見て! これはアツミゲシだよ!」
まゆが困惑したように瞬きをする。
「アツミゲシ……?」
知らない単語を咀嚼するように、小さく首を傾げる。
いろはも眉をひそめながら尋ねる。
「それって、普通のヒナゲシとは違うの?」
悟は真剣な表情で続けた。
「アツミゲシは、大麻の原料にもなる違法植物で、法律で栽培が禁止されてるんだ」
その言葉に、こむぎが首をかしげる。
「たいまってなにワン?」
ユキが静かに答えた。
「麻薬のことよ」
その瞬間――
「「ええええええええええええええ!!!」」
いろはとまゆの絶叫が、静かな路地裏に響き渡った。
*
アニマルタウン フレンドリィ動物病院&サロン
診察室の明るい照明が、緊張した空気の中に広がっていた。
「まさか、アニマルタウンに天然の大麻畑があるなんて……」
治療台の上には、ぐったりとしたメエメエの姿。
傍らでそれを確認しながら、陽子が深いため息をつく。
「悟くんと大福ちゃんがいたのが不幸中の幸いね」
椅子に座った悟が頷く。
「本当に……。もし気づかなかったら、もっと取り返しのつかないことになってたかも」
いろはが心配そうにメエメエを見つめる。
「お母さん。メエメエ、大丈夫なの?」
陽子が診察器具を片付けながら答える。
「とりあえず、応急処置はしたわ。時間が経てば体から成分は抜けるはずだけど……」
そう言いながら、陽子は白衣のポケットに手を突っ込みながら、冷静に続けた。
「問題は‘精神的な依存’ね。解毒が終わっても、また求めようとする可能性があるわ」
まゆが不安げに眉をひそめる。
「それって、どうしたらいいんですか?」
陽子が少し考えてから言う。
「しばらくは‘隔離’して、治療しながら様子を見るしかないわね」
病院の診察室での緊迫した空気とは対照的に、リビングには少し落ち着いた雰囲気が漂っていた。
しかし、その静けさはある報道が流れた瞬間に破られる。
『本日、アニマルタウン郊外の一角で、大量のアツミゲシが自生しているのが確認されました――』
リビングのテレビから流れるアナウンサーの落ち着いた声。
ソファに座っていた剛がリモコンを手に取り、皆の方へ振り返る。
「おい、これ……」
いろはたちは、一斉に画面へと視線を向けた。
「やっぱり……」
悟が息をつきながら、険しい顔で画面を見つめる。
報道では、現場に入った研究者らしき人物がアツミゲシの群生についてコメントしている。
『この地域では元々確認されていなかった植物ですが、近年の環境変化により、繁殖が進んでいる可能性があります』
その言葉を聞きながら、ユキが人間の姿で腕を組み、鋭い眼差しを悟へと向ける。
「そもそも、麻薬の原料にもなる花がどうしてこんな身近なところに普通に自生していたのかしら?」
悟は少し考え込むように目を細め、やがて答えた。
「アツミゲシは、種が小さいから動物や人が移動する際、足裏について運ばれてくることもあれば、雨風で流れてたどり着く場合もあるんだよ」
こむぎは人間の姿でソファに座りながら、興味深そうに首を傾げる。
「じゃあ、どこか遠い場所から‘勝手に’運ばれてきたってこと?」
こむぎの問いに、悟は首肯した。
「その可能性は高いね。もしかすると、元は人が意図的に育てていたものが、何かの拍子で自然に広がったのかもしれない」
すると、悟はいろはとこむぎが共用で使っているタブレットを拝借し、画面をスワイプしながら続ける。
「ケシの花にはいくつか種類があって、園芸用に品種改良された‘オニゲシ’や‘ヒナゲシ(ポピー)’みたいな安全なものと、今回みたいに違法な‘アツミゲシ’みたいな種類があるんだ」
ユキが腕を組みながら画面を覗き込む。
「見分け方は?」
悟は画面を指で示しながら説明する。
「違法なケシは、葉の生え方が特徴的なんだ。‘茎を抱き込むように’葉が生えているのが違法な種類で、合法なものと比べるとすぐにわかるよ。それに、葉の縁も不規則なギザギザになっていて、栽培していいケシとは見た目がかなり違うんだ」
まゆが驚いた表情で呟く。
「へぇー。そんな簡単な違いがあるんだ……」
悟は頷き、画面をスクロールしてさらに情報を読み上げる。
「繁殖力も強いから、ある自治体では毎年3万本近くの違法なケシを除去してるんだって」
陽子が頷きながら、厳しい表情で付け加える。
「だから、発見したらすぐに最寄りの保健所や警察署に連絡すること。素人判断で‘ただの花’だと思って手を出すのが一番危険よ」
そのとき、こむぎがハッとしたように大福を振り返る。
「あ、大福! さっきメエメエを止めるときに、あの草に触ったよね?!」
いろはたちも驚いたように大福を見るが、大福は落ち着いた様子で腕を組みながら鼻を鳴らした。
「だいじょうぶだ。ちゃんと手を洗えば問題ねーって、悟が教えてくれたからな」
悟が頷きながら補足する。
「そう。成分は‘口に入れたり、吸い込んだりしない限り’すぐに影響は出ないよ。でも、皮膚からも吸収される場合があるから、触ったらしっかり洗うことが大事だね」
悟の説明に、いろははほっとした表情で胸をなでおろした。
しかし、ふと顔を引き締め、視線を皆に向ける。
「ところで、かなえちゃんのことだけど……」
その一言に、リビングの空気が一気に重くなる。
まゆが不安げに眉を寄せながら、静かに問いかけた。
「メエメエはこっちで隔離できるけど……このまま放っておくわけにもいかないよね……」
悟が頷き、思案するように言う。
「正直、病院で解毒治療を受けさせるのが一番なんだけど……鷹目さんは、そう簡単に‘はい’って言う人じゃないからね」
その瞬間――
バンッ!! 突如として、診察室の方から何かが倒れるような音が響いた。
直後、治療のため眠っていたはずのメエメエが、ふらふらとした足取りで診察室の扉を押し開ける。
「メエエ……ああ……これは……悟り……!」
虚ろな瞳。
意識が混濁し、何かを捉えきれないような狂気を孕んだ表情。
いろはが息をのむ。
「め、メエメエ!? どうして起きて……?」
まゆが上擦った声を上げた、次の瞬間――
メエメエの足が、不自然なほど素早く床を蹴った。
「メエエエエエエ!!!」
ガルガルにされていた時の如く咆哮とともに、メエメエが悟へと飛びかかる。
「悟、危ない!!」
こむぎが叫ぶが、悟は咄嗟に身をかわす。
「うわぁぁぁ!」
しかし、メエメエの動きは異様だった。
糸の切れた人形のように体が揺れ、目の焦点が合っていない。
それでも、無意識に攻撃を仕掛けようとするその姿は、もはやメエメエ本人の意思とは関係ないもののようだった。
「くっ……!」
悟が態勢を立て直す間もなく、メエメエが再び跳躍し――
ガシィッ!!
次の刹那、大福が人間の姿で飛び込み、メエメエの動きを一瞬で封じた。
「おとなしくしてろ!」
大福の腕がメエメエの肩を極め、床へと押し倒す。
だが、メエメエは拘束されながらもなお、もがき、呻き続ける。
「メエエエ……ッ、離せ……! わたくしは、わたくしは……!」
ユキが鋭く叫んだ。
「意識が混濁してるわ!」
その混乱の中、こむぎが叫ぶ。
「メエメエ、またガルガルになっちゃったのかと思った!」
*
アニマルタウン 某ビーチ
白い砂浜がどこまでも広がり、透き通るような青い海が陽光を受けて輝いていた。
遠くでは、子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
しかし――。
その喧騒とは別の、静寂に包まれた一角があった。
そこに佇む影。
ゆらりと揺れる黒いシルエットは、人の形をしているようで、どこか歪んでいる。
まるで周囲の光を拒むように、そこだけが違う世界の空気をまとっていた。
「……随分と騒がしいですね」
その者は、白く波立つ海を眺めながら呟いた。
「まあ、それも‘ほんのひととき’のものですか」
足元に、何かが蠢く。
砂浜にゆっくりと広がっていく黒い‘染み’のようなもの。
それは、あたかも生きているかのように形を変えながら、じわじわと侵食していく。
「そろそろ‘次の段階’へ進めるための準備をするとしましょうか」
不気味な囁きとともに、空気がひりつくような異様な気配が満ちていく。
*
アニマルタウン 兎山家
「離せっ!! 私は健康だ!!」
兎山家の玄関先で、かなえが暴れていた。
腕を振り払おうとするが、悟と大福が両脇をしっかり押さえ、いろはが前に立ちはだかる。
「かなえちゃん、お願いだから落ち着いて!!」
かなえの顔は青ざめ、汗が滲んでいる。
呼吸は荒く、目はどこか虚ろで、焦点が合わない。
だが、その瞳には強い抵抗の意志が宿っていた。
「お前たち……! 私をどこへ連れて行くつもりだ!?」
悟が真剣な表情で訴える。
「鷹目さんは、メエメエ以上にアツミゲシの毒素を摂取しているんだ。今すぐ病院で治療を受けてもらうよ」
「ふざけるな! 私は病気なんかじゃない!!」
かなえは全身の力を込めて暴れようとするが、大福が腕を極め、ぐっと動きを封じる。
「暴れんな……!」
かなえの表情が歪む。
しかし、それでも彼女の瞳は尋常ではない光を宿していた。
「わたしは‘異常’なんかじゃない!! お前たちが‘異常’なんだ!!」
悟が苦々しい表情を浮かべる。
「鷹目さん……それ、本気で言ってるの?」
「ああ、そうだとも!! メエメエは‘やられた’かもしれないが、私は‘違う’!」
「ジャンキーはみんなそう言うんだよ!!」
大福の鋭い言葉が響く。
かなえの顔が一瞬だけ引きつる。
だが、すぐに憤怒の形相になり、悟の腕を振り払おうとする。
「黙れ……!! そんな‘くだらない戯言’に、私が惑わされると思うのか!?」
その瞬間、かなえが突然、悟の肩に噛みついた。
「っ!!!」
悟が声を上げる間もなく、かなえは獣のように力強く噛み込み、腕を振りほどこうとする。
いろはが叫ぶ。
「悟くん!! かなえちゃん!! もうやめて!!!」
しかし、かなえの表情は完全に狂気に染まっていた。
「うっ……これはもう、ボクたちが手を付けられない状態だ……!」
悟が歯を食いしばった、その時――。
「かなえちゃん、いい加減にするんだ」
低く響く男の声とともに、ガシッと強靭な腕がかなえの身体を捕らえた。
――犬飼剛だ。
彼は後ろからかなえを羽交い締めにし、一気に動きを封じる。
「おとなしくするんだ。これは君のためだ」
「離せ……! 離せぇぇぇぇ!!」
叫ぶかなえの声が響く。
剛はかなえを肩に担ぎ上げると、そのまま乗って来た車へと運び込む。
「バタバタ暴れるな。こうなったらもう逃げられねぇんだよ」
大福と悟がすぐに後部座席へ乗り込み、強制連行の形でドアが閉まる。
いろはが助手席でシートベルトを締めながら、剛に向かって言った。
「お父さん、病院までお願い!」
「ああ。最速で向かうぞ」
エンジンが唸りを上げ、車はすぐさま発進した。
「いやだぁぁぁ!!!」
かなえの叫びも空しく、車は病院へと向かい、砂埃を巻き上げながら消えていった――。
*
アニマルタウン フレンドリィ動物病院&サロン
一方、治療室の隅に置かれた大型の動物用ケージの中で、メエメエが身を縮めて震えていた。
体を押さえつける拘束具が緩んでも、もはや暴れるだけの力も残っていない。
「メエエ……! 草を……あの草を食べたい!! ああ……!!」
声はかすれ、全身から冷や汗が滲んでいる。
呼吸は荒く、目の焦点はどこにも定まっていない。
ケージの外では、いろはたちが固唾をのんで見守っていた。
陽子が冷静な表情で呟く。
「いよいよ完全な禁断症状ね」
こむぎが少し首を傾げ、目を瞬かせる。
「きんだん……なに?」
単語の意味がよくわからず、ぽつんと疑問を口にする。
陽子は真剣な表情で答えた。
「身体がアツミゲシを欲しがって、正気を失ってるの」
まゆが小さく息をのんだ。
「怖い……!」
ユキは腕を組みながら、眉をひそめる。
「悲惨ね」
ケージの中で、メエメエの呻きが続く。
痙攣するように身体を震わせ、掻きむしるように床を引っかく。
だが、どれだけ求めても、もう彼の前に“あの草”はない。
「二度とアツミゲシを摂取させない。これが唯一の治療法だけど……治るまでには、地獄の苦しみを味わうことになるわ」
陽子の言葉には、どこか哀切な響きがあった。
禁断症状に苦しむメエメエの姿は、あまりにも痛々しかった。
*
アニマルタウン 総合病院
「……間違いないですね」
静まり返った診察室で、医師が検査結果の用紙を見つめながら低く呟いた。
机の上に置かれた用紙には、「大麻成分 陽性(高濃度)」 の文字がくっきりと記されている。
「これだけの量が検出されるとなると、相当な頻度で摂取していたはずです」
隣に立つ看護師が、困ったように眉をひそめる。
「急性中毒の兆候も見られますね……すぐに治療が必要です」
診察台の上には、ぐったりとしたかなえが横たわっていた。
荒い呼吸、虚ろな目。
それでも、時折身体を震わせながら、何かを呟いている。
「……スパイス……スパイス……足りない……」
その様子を見つめながら、剛が腕を組み、深い息を吐いた。
すると、悟がそばで不安そうに言う。
「あの、鷹目さんは……このまま入院になるんですか?」
医師がゆっくりと頷く。
「ええ。このままでは確実に‘再使用’するでしょう。彼女はすでに依存状態にあります。ただし、措置入院の決定には行政の判断が必要です」
剛は眉をひそめ、医師の言葉を受け止める。
「では、すぐに‘決定’ってわけじゃないんですか?」
医師が小さく息をつきながら説明する。
「措置入院には自治体の判断が必要です。ただ、今の状態では‘強制入院’の可能性が高いでしょう。今から手続きを進めます」
いろはが少し戸惑いながら剛を見上げた。
「じゃあ、わたしたちは?」
剛は腕を組み直しながら言う。
「いろはたちは一旦家に帰りなさい。ここから先は大人の仕事だ」
悟は唇を噛みしめながらも、深く頷く。
「……わかりました。剛さん、あとはお願いします」
大福も腕を組み、真剣な眼差しで言った。
「かなえのこと、頼むぜ」
剛は短く頷き、彼らを見送るように視線を向けた。
病院の自動ドアが静かに開き、いろは、悟、大福が外へと出る。
夕方の空は赤く染まり、街の喧騒が遠くに響いていた。
「かなえちゃん、大丈夫かな?」
いろはが不安そうに呟く。
「どうだろう。結局、あとは本人の問題だからね」
悟が静かに答えた。
「ったく、メエメエといい、人騒がせな話だぜ」
大福が頭の後ろに手を回し、肩をすくめる。
その瞬間――
「……!!」
大福の全身がピクリと強張る。
「……悟、いろは、フューザーガオガオーンだ……!」
いろはが驚いたように目を見開く。
「えっ!? どこに!?」
大福はウサギ由来の聴覚を研ぎ澄まし、周囲の気配を探る。
「こっちだ!!」
三人は即座に駆け出した。
*
アニマルタウン 某ビーチ
白波が砕け、潮風が砂浜を撫でる。
いつもなら穏やかなビーチに、新たなフューザーガオガオーンがそびえ立っていた。
「ガオガオーン!!」
その名は、ハチミノカサゴガオガオーン
鋭いヒレが毒々しく輝き、その隙間から紫色の霧 をまき散らしている。
周囲では、毒霧を吸い込んだ人々が次々とよろめき、恍惚の表情を浮かべながら狂ったように叫んでいた。
「もっと刺してくれ!!!」
「痛い……でも、気持ちいい……!!」
「ああ……この刺痛がたまらない……!」
その異様な光景に、わんぷりメンバーは息をのむ。
「うわーっ!? なにこれ!?」
「自分から刺されに行くってどういうこと?」
ワンダフルとフレンディが困惑しながら叫ぶ。
悟が険しい表情で言った。
「多分、あのハチとミノカサゴのフューザーガオガオーンの仕業だよ……!!」
すると、リリアンの顔が青ざめる。
「なんか、みんなメエメエみたいになってるよ?」
「完全な中毒症状ね」
ニャミーが静かに言う。
その瞬間――
「ガオガオーン!!」
ハチミノカサゴガオガオーンがバッ! と、ヒレを広げた。
毒針のような棘がギラリと光り、さらに濃い毒霧がビーチ全体に充満していく。
ハチミノカサゴガオガオーンが一気にヒレを振るうと、さらに濃い紫色の毒霧が広がる。
「くっ……!!」
全員がすぐに口元を覆いながら、後退する。
だが――遅かった。
毒霧に触れた途端、全身が重くなり、意識がふわふわと揺れる感覚に襲われる。
「くっ……! この感じ……」
大福が足を踏みしめるが、力が入りにくい。
「動きが鈍る……!」
リリアンも足元がふらつくのを感じた。
直後、ハチミノカサゴガオガオーンの目が妖しく光る。
「ガオガオーン!!」
その言葉と同時に、ヒレの棘が鋭く伸びる。
「! リボン……」
フレンディが防御を固める間もなく――
鋭い棘が空を裂き、フレンディの腕をかすめた。
「きゃあっ!!!」
その瞬間――フレンディの瞳が揺れる。
「「「「「フレンディ!!」」」」」
全身に電撃のような快感が駆け巡った。
――あれ、気持ちいい。
なんで? 痛いはずなのに――
「……!? いけない……! これ、まずいよ……!!」
理性が少しずつ溶けていく感覚に、フレンディは必死に抗おうとするが――
ハチミノカサゴガオガオーンのヒレが再び振り上げられた。
その攻撃を止めるべく、疾風のような影が突っ込む。
「オレたちまで、毒に‘やられる’わけにはいかねぇ!!!」
大福が牙を剥き、目の前へと飛び込んだ。
*
アニマルタウン 総合病院
薄暗い病室のカーテンが、微かに揺れる。
窓の外には、アニマルタウンの夜景が広がっていた。
――かなえはベッドの上で目を開ける。
だが、その瞳にはまだ正気の光は戻っていない。
震える指先が、シーツを握りしめる。
胸の奥がざわつく。
ただならぬ何かが、彼女を呼んでいる気がした。
その時――
「ガオガオーン!!」
遠くから響く、物の怪の咆哮。
かなえの全身が反応する。
「……ッ!!」
飛び起きると、思わずベッド脇の点滴を引きちぎった。
同じ病室にいた看護師が、驚いたように振り向く。
「鷹目さん!? まだ安静にしていないと――!」
しかし、かなえの耳には届いていなかった。
荒い息を吐きながら、病室の扉を蹴り開ける。
「どけ!!」
廊下を駆け抜ける彼女を、複数の医師と看護師が追う。
「ダメだ! 今の君の状態じゃ――!!」
医師たちの必死の制止も、かなえには届かなかった。
「うるさい!! それどころじゃない!!」
振り返ることもなく、一直線に非常階段へ向かう。
扉を体当たりで押し開けると、一気に駆け下りた。
靴音が荒々しく響き渡る。
そして――
彼女は迷うことなく、非常口へ飛び出した。
一方、剛は会計を済ませ、財布をポケットに戻しながら、静かにため息をついた。
「ふぅ……ようやく手続きも終わったか」
病院の自動ドアが開き、外の空気が流れ込む。
剛は歩を進め、駐車場へ向かおうとした――その時だった。
「……!!?」
視界の先、病院の裏手に続く非常口の扉が、勢いよく開いた。
そこから飛び出してきたのは――かなえだった。
入院患者用の薄手の衣服をまとい、裸足のまま荒い息をつき、まるで何かに駆り立てられるように駐車場へと駆け出していく。
目の当たりにした途端、剛の目が鋭く光る。
「かなえちゃん!!!」
だが、かなえは剛の声にも振り向かず、町の中へと消えていった。
「参ったな……とりあえず陽子さんに……」
当惑しつつ、スマホを取り出し、連絡を入れようとした――その瞬間、
スマホが振動する。
画面に表示されたのは、まさに今かけようとした相手――「陽子」の名前だった。
「陽子さん?」
通話ボタンを押した途端、陽子の焦った声が響き渡った。
『剛くん!? 大変なことになったわ!!』
剛の眉が険しくなる。
「何があったんですか?」
『メエメエが逃げたの!! ケージを破って!!』
剛の表情が凍りつく。
「……えっ!? メエメエも!?」
『‘も’って……まさか、そっちもなの!?』
陽子の声が、危機感を帯びたものへと変わる。
剛は奥歯を噛みしめ、夕闇に染まる街を見据えた。
――最悪のタイミングで、二人が自由になった。
その影は、すでに街のどこかをさまよい始めていた。
*
アニマルタウン 某ビーチ
潮風が混ざった毒霧が、砂浜に立ち込める。
視界がぼやけ、体が重い――。
「くっ……!! これじゃ……思うように……!」
フレンディが拳を握りしめながら、膝をついた。
その周りでは、ワンダフルとニャミー、リリアン、悟と大福が必死に毒の影響に抗いながら立っている。
「ガオガオーン!!」
ハチミノカサゴガオガオーンが、不気味にヒレを広げる。
毒針が再び振り上げられ、次の一撃が放たれようとした、その時――
「ハァ……ハァ……私は……狩人っ!!!」
突如、場に響き渡る叫び声。
全員の視線が、一斉に戦場の端へと向かう。
――そこに立っていたのは、禁断症状で苦しんでいたはずのシャスールとメエメエだった。
「メエエエエエ~!!!」
メエメエが奇声を上げながら、砂浜を駆け抜ける。
「シャスール!? メエメエも!?」
「えっ……二人とも、なにしに来たの!?!?!?」
ワンダフルとフレンディが目を見開く。
「あの二人、ひょっとして病院を抜け出してきたの!?」
ニャミーが直感的に叫ぶ。
しかし――
二人の足取りはふらつき、視線は虚ろに泳いでいた。
――明らかに意識が朦朧としている。
「ガオガオーン!!」
ハチミノカサゴガオガオーンが、不気味にヒレを広げた。
毒霧がさらに濃くなり、全身の毒針が一斉に天へと向けられる。
そして――
無数の毒針が放たれた。
だが――その攻撃を前に、シャスールはふらりと身体を傾ける。
「あれ~? 何かよく分からないけど、世界が回る~!」
次の瞬間、彼女の体がふわりと揺れ、まるで導かれるように毒針をすり抜けていった。
「メエエエ~!?」
続けて、メエメエも飛んできた針を受けそうになったが――
自分でも意図しない奇妙な回転をしながら、風に吹き飛ばされるように跳ね飛ばされる。
「メエエエ~!? これ楽しいです~!!!」
マリオネット人形のごとく、二人の動きは異様にシンクロしていた。
途端、悟が息を呑む。
「……ま、まさか……!!!」
そして、戦慄しながら言った。
「あの二人、意識が朦朧としてるせいで、逆に攻撃を躱してる!!」
大福が信じられないというように目を丸くする。
「酔拳か、あいつら!?」
その瞬間――
シャスールの無意識の回避と、メエメエの奇妙な空中回転が、見事なコンビネーションとなり――
「「ははははははは!!!」」
狂気じみた奇声を発しながら、二人は高らかに嗤う。
バチィン!!
メエメエが回転しながら、ハチミノカサゴガオガオーンの顔面へ直撃する。
「ガオガオーン!!?!」
さながらコントのように、敵が仰け反る。
「「「「「「あ……」」」」」」
わんぷりメンバーは、あり得ない光景を目の当たりにし、全員が唖然とする。
敵の巨大な身体がよろめき、わずかな隙が生まれる。
その一瞬を、悟が鋭く見逃さなかった。
「!! 大福……今だよ!!!」
「お、おう!!」
二人は同時に専用アイテム【コンコードフレーテ】を手に取る。
横笛の形状だった武器が、瞬時に剣の姿へと変わる。
持ち手付近にはポンプアクション機能が備わっており、大福は手際よくそれを操作すると、刃に圧縮された力が宿るのを感じた。
「行くぜッ!!!」
大福が逆手で剣を握ると、ウサギ由来の脚力とともに、目にも留まらぬ速度で駆け出す。
そして、ハチミノカサゴガオガオーンの正面を突っ切るようにすれ違いざまに一閃。
さらにもう一閃。
わずか一瞬の間に、大福の剣が二度、敵を斬り裂いた。
「ガオガオーン!!」
傷口から漆黒の瘴気が吹き出し、ハチミノカサゴガオガオーンが苦痛に呻く。
だが、それを終わらせるのは悟の役目だった。
「……終わりだ!!」
悟が剣を前方に構える。
剣先が眩い光を帯び、その輝きが次第に強くなっていく。
ポンプアクションがカチリと作動。
圧縮された力が、一点へと収束する。
「はあああああああああ!!!」
刹那、眩い光の奔流が剣先から放たれた。
光は一直線に駆け抜け、ハチミノカサゴガオガオーンを貫く。
「ガオガオーン…」
咆哮を響かせながら、敵はその場で光に包まれ――
やがて、塩のように崩れ去った。
「わーい、やったー!!!」
ワンダフルが歓声を上げ、飛び跳ねる。
「悟くんと大福ちゃん、かっこいい!!」
フレンディが目を輝かせながら称賛する。
だが、ニャミーはどこか複雑な表情を浮かべていた。
「でも……勝てたのって」
その呟きに、リリアンが少し眉をひそめる。
「‘あの二人’のおかげってことで……いいのかな?」
視線の先――そこには、砂浜に転がるかなえとメエメエの姿があった。
◇
アニマルタウン Pretty Holic(猫屋敷家)
戦いから数日後――
青空が広がる昼下がり、Pretty Holicのカフェスペースには、テーブルを囲んで談笑するわんぷりメンバーの姿があった。
テーブルの上には、たっぷりの紅茶と焼き菓子、そして華やかに盛り付けられたフルーツ。
今日の集まりは、かなえとメエメエの快気祝いだった。
「いや~、実に清々しい気分ですね……!」
メエメエが感慨深げに紅茶を啜る。
かつての禁断症状が嘘のように、顔色も戻り、穏やかな表情をしていた。
「九死一生……危うく‘狩人’から‘獲物’になるところだった……」
かなえもため息をつきながら、グラスの水をゆっくり飲む。
いろはが笑顔でティーポットを手に取った。
「でも、もう安心だね! お医者さんも‘これで完全に解毒された’って言ってたし!」
こむぎが耳をぴくりと動かしながら、安心したように頷く。
「もう変なことはやめてほしいワン!」
まゆも深く頷き、安堵の表情を浮かべる。
「もう二度と、あんな危ないことはしないでね」
すると――
「……だが……」
唐突に、かなえがポツリと呟いた。
全員の視線が、彼女へと向けられる。
「あのスパイスの味……もう二度と……?」
その言葉に、メエメエも少し遠い目をしながら呟く。
「メエエ……ですが、あれ、美味しかったですよね……?」
その瞬間――
「「「「「「絶対ダメぇ~~~!!!!」」」」」」
こむぎ、いろは、ユキ、まゆ、悟、大福が一斉に叫び、椅子から身を乗り出す。
かなえとメエメエは、びくっと肩を震わせた。
*
ニコガーデン
数か月にも及んだ攻防の末――
ニコガーデンは、ついに陥落した。
黒い瘴気がすべてを覆い尽くし、ニコダイヤの輝きは完全に消滅。
草木は枯れ、動物たちは硬直し、楽園だったはずの庭園は静寂に沈んでいた。
――そして、その中心で最後まで抗い続けていたダイヤモンドユニコーンの光も、ついに途絶える。
「……ようやく屈しましたね」
低く、冷ややかな声が響く。
黒いもやの奥に、不吉に輝く紫の装飾。
黒幕の影が、ゆっくりと姿を現しつつあった。
地に伏したユニの白い肢体は黒い結晶に覆われ、もはや微動だにしない。
その額の一本角が、静かに砕け落ちた。
「これで、ニコガーデンは……我々のものとなる」
黒幕の唇が、愉悦に歪む。
――その瞬間、瘴気が一層深く広がり、庭園を完全に飲み込んだ。
もはや光はなく、生きとし生けるものの息吹は押し潰される。
「さあ……始めましょうか」
黒幕がそっと手を掲げると、その指先から黒い炎のような光がゆらりと立ち昇る。
次なる災厄が、今、静かに幕を開ける――。
登場ガオガオーン
ハチミノカサゴガオガオーン
声:高橋伸也
身長:240cm
体重:不明
・特色/力
ハチとミノカサゴを融合させたフューザーガオガオーン。
猛毒を持つ針と、神経を狂わせる毒霧を武器にし、敵を錯乱させる。
一度でも針を刺された者は、激痛と共に快感を覚える中毒症状に陥り、戦意を喪失。
また、全身のヒレから放たれる毒霧は、吸い込んだ者に深刻な依存症状を引き起こし、敵を自ら針に刺されに行くように誘導する。
戦闘中に次第に相手の判断力を奪い、最終的には自らを求めるようにさせるという極めて危険な能力を持つ。
・特徴
頭部:ミノカサゴのヒレのように広がった襟巻を持ち、蜂の複眼が紫色に輝く。
口元:長い針状の口吻を持ち、刺突攻撃と毒の注入が可能。
胸部:ミノカサゴの特徴的な大きなヒレを持ち、その下からハチの脚が伸びている。
背中:大きな昆虫の羽が生えており、高速飛行とホバリングが可能。
下半身:ミノカサゴの尾とハチの針が合体し、巨大な毒針を持つ。
体色:黒と金色のストライプ模様が入り、猛毒を持つ生物特有の警告色をしている。
・能力
毒霧
全身のヒレから猛毒の霧を噴出。吸い込んだ者は徐々に判断力を失い、強い多幸感と依存症状に陥る。
最終的には「もっと毒を浴びたい」と錯乱し、自ら針に刺されに行くようになる。
刺突
腕や尻尾の毒針で刺すことで、相手に強烈な痛みと快楽を同時に与える。
この毒に侵された者は、次第にハチミノカサゴガオガオーンへの依存を深めていく。
猛毒ヒレ
ヒレを巨大な刃のようにしならせ、鋭く切り裂く攻撃を行う。
攻撃を受けた者は皮膚から毒が侵入し、麻痺や神経錯乱を引き起こす。
・行動
ハチとミノカサゴの特性を活かし、まずは空中から毒霧を撒き散らし、戦場を汚染。
その後、混乱した敵を次々と毒針で刺し、依存状態へと陥れる。
毒に完全に支配された相手は戦意を喪失し、最終的には「もっと刺してほしい」と懇願するようになる。
・戦闘記録
ハチとミノカサゴの特性を併せ持つハチミノカサゴガオガオーンが出現。毒霧を撒き散らし、戦場の空気を汚染。
次々と中毒に陥る市民が「もっと刺してくれ!」と自ら傷つきに行く異様な状況が発生。ワンダフルたちも毒霧の影響で意識が朦朧とし、まともに戦えなくなる。
フレンディが攻撃を仕掛けるが、ヒレによる猛毒カウンターを受け、動きが鈍る。ニャミーも攻撃を試みるが、幻覚症状が発生し、次第に攻撃の意識を奪われていく。一瞬のミスが致命的な結果を招く、極めて危険な敵。
しかし、病院から脱走してきたシャスールとメエメエが、意識朦朧としたまま突入。自分の動きすら制御できない状態の彼らが、偶然にもハチミノカサゴガオガオーンの猛毒針を避け、逆にカウンターを決めてしまう。その一瞬の隙をついたワンプリメンバーが一斉攻撃を仕掛け、決着の時を迎える。
戦闘の流れを完全に覆されたハチミノカサゴガオガオーンは、毒霧を払われ、毒針も折られてしまう。最終的に悟と大福のコンコードフレーテによる必殺技を受け、咆哮を上げながら光の粒となって四散。街には静寂が戻り、人々は混乱から解放される。