わんだふるぷりきゅあ!!~わんだふる♡わーるど~ 作:重要大事
6月下旬
アニマルタウン 兎山家
昼下がりの兎山家。
開け放たれた窓から初夏の風が吹き込み、カーテンを揺らす。外では蝉が鳴き始め、空にはうっすらと夏雲が浮かんでいた。
台所に立つのは、兎山家に居候している少女――鷹目かなえ。
エプロン姿の彼女はフライパンを握り、じゅわっとバターを溶かす。その香ばしい香りが広がる中、下味をつけた鮭を慎重に並べた。
「……ふむ、火加減はこれくらいか」
火の通りを見極めながら、鍋の傍らにはレモンとパセリが準備されている。かつては狩った獲物を直火で焼いたり、脳みそを直接食べるだけだった彼女が、今や手際よく現代的な料理を作りこなしている。
それもそのはず――この家の主である兎山悟に料理を教わり、今では簡単な家庭料理なら問題なくこなせるようになっていた。
一方、ダイニングには、かなえの料理を心待ちにするわんぷりメンバーが集まっていた。
食卓にはすでに準備されたカトラリーが並び、全員が今か今かと料理の完成を待ちわびている。
「かなえちゃんの手料理、楽しみだね!」
弾むような声を上げたのは、いろはだった。彼女はキラキラとした瞳を輝かせながら、台所のほうを覗き込む。
「もともとジビエ料理は得意だったみたいだけど、普通の料理もできるようになったって兎山くんが言ってたもんね!」
まゆが興味深そうに呟く。
「どんなのだろう? ワクワクする!!」
こむぎは興味津々といった様子で、身体全体を揺らしながら落ち着きなく跳ねている。
「ま。私は大した興味はないけど」
ユキは肩をすくめ、つまらなそうに言い放つ。
「とか何とか言ってよ。鮭料理を一番食いたそうにしてるのはどこのどいつだよ」
大福がニヤリとしながらツッコミを入れると、ユキは途端に顔を赤くし、ぷいっとそっぽを向いた。
「さぁ、できたぞ!」
やがて、かなえが堂々と宣言すると、ダイニングの空気が一気に期待に満ちたものへと変わった。
目の前に並べられたのは、黄金色に焼き上げられた鮭のムニエル。バターの香りがふんわりと漂い、仕上げに絞られたレモンの酸味が食欲をそそる。
「おぉ~!! これはなんと!!」
メエメエが目を丸くしながら、料理の皿をじっくりと見つめた。
「鷹目さん、すごいよ! 短期間でこれだけのものを作れるようになるなんて!」
悟が感心したように微笑むと、かなえはふっと鼻を鳴らした。
「当然だ。食材の旨みを引き出すのは調理の基本だ。私がそれをできないわけがない」
「ついこの前までシカの脳みそやクマの心臓を食べていた人の台詞とは思えないねー」
まゆが微笑しながら、皮肉っぽく呟く。
「おいしそうキラ~!」
キラリンウサギが発したのを端に、居合わせたキラリンアニマルたちはキラキラとした瞳で料理を見つめる。
「こりゃ……見た目だけなら、そこらのレストランに負けていないな」
大福が腕を組み、深く頷く。
「問題は味ね。私の採点は厳しいわよ」
ユキが冷静な口調で言いながら、ちらりと料理を横目で見つめる。
「とにかく、早く食べてみよう!」
いろはが待ちきれない様子で声を弾ませると、全員がフォークとナイフを手に取り、ワクワクした様子で料理を前にした。
「いただきまーす!!」
こむぎは勢いよくフォークを手に取り、大きな口で一口食べる。それに倣って、他のメンバーも次々と料理を口に運んだ。
「どうだ?」
かなえがエプロンを畳みながら尋ねると、こむぎは目を見開き、頬を膨らませたまま力強く頷いた。
「……ん! おいしぃぃい!!」
こむぎが感激の声を上げると、すかさずメエメエも続く。
「表面はパリッと香ばしいのに、中はしっとりと柔らかい……!」
しみじみとした表情で味わいながら、ゆっくりと噛みしめる。
「バターのコクとレモンの爽やかさが絶妙なバランスキラ!」
キラリンマウスがキラキラした目で歓声を上げる。
「悔しいけど、認めざるを得ないわね」
ユキもフォークを口元へ運び、一口食べると驚いたように目を丸くする。
「かなえちゃん、すご過ぎだよ!! 今度わたしにも料理教えてくれる!!」
いろはが満面の笑みを浮かべながら、目を輝かせて身を乗り出す。
「別に構わんが…兎山にでも食わせるのか?」
かなえが淡々と問いかけた瞬間、いろははピシッと固まり、次の瞬間には顔から蒸気を吹き出したように真っ赤になった。
「~~っ!? そ、そ、そんなことっ……!!」
動揺して口ごもるいろはに、悟もつられるように顔を赤くする。
「おやおや、お熱いことで♪」
まゆがにやにやと口元を押さえながら、この状況を存分に楽しんでいる。
「ま。好きな男の胃袋を掴みたいのは、彼女として自然な発想だわな」
大福も腕を組みながら深く頷く。
「いろはは悟にお料理を作りたいんだね!」
こむぎも満面の笑みで話しかけると、キラリンアニマルたちも「ラブラブキラ~!」と、一斉にきゃっきゃと騒ぎ出した。
「ち、ち、ちがうの!! そんなんじゃなくて!!」
いろはは慌てて否定するものの、その赤面はまるで熟れたリンゴのようだった。
「いろはちゃん、隠す必要なんかないよ。これはつまり、兎山くんへの愛ってことなんだよね?」
まゆがにやにやと楽しげに言うと、いろははさらに顔を真っ赤にしてぶんぶんと手を振る。
「だから違うってば!!」
その勢いのまま、いろはの手がテーブルにあったリモコンにぶつかり、カチッという音とともに消えていたテレビが突如ついた。
《速報:アニマルタウン近郊で発掘された遺跡、新たな発見か!?》
画面には、緑に覆われた丘陵地帯が映し出されていた。その一角で発掘作業が進められており、レポーターがマイクを手にして立っていた。
「えっ、何これ?」
いろはは動揺しながら手を止め、テレビに目を向ける。
『本日は、アニマルタウン近郊で発掘された遺跡について、専門家の古座野玄武博士にお話を伺います!』
女性のレポーターが紹介すると、画面には白衣を着崩した男が映った。サングラスをかけ、腰に発掘道具をぶら下げた彼は、異様なまでにテンションが高かった。
『は~~い! いやぁね! これがまたスッゲェ発見しちゃったんだなぁこれがァ!!』
両手を広げながら身振り手振りを交え、ハイテンションな声を張り上げる。
「うわっ、何だこのオヤジ、元気すぎねーか?」
大福が呆気にとられたような声を上げるが、画面の中の古座野はお構いなしに喋り続けた。
『これ見て! ほら! これ!!」
そう言いながら、画面に映し出されたのは、発掘現場の片隅に立てられた一枚の石碑だった。表面は苔に覆われ、刻まれた文字のほとんどが風化してしまっている。
『1000年以上前の石碑だよ!! おぉぉぉ!! 発掘チーム、大・歓・喜!!」
明らかに場違いなテンションに、食卓の全員が微妙な顔をする。
「悟、せきひってなに?」
こむぎが首をかしげながら尋ねると、悟は少し考えてから、できるだけわかりやすく説明することにした。
「石碑っていうのは、石に文字や絵を刻んで、何かを伝えるために立てられたものだよ。例えば、お墓の碑には亡くなった人の名前や生前のことが書かれていたり、神社の碑には昔の出来事や偉人の話が残されていたりする。長い年月が経つと、風化して読めなくなることもあるけど、歴史を知るためにはすごく重要な手がかりになるんだ」
「ふーん……」
こむぎは、よくわからないなりに納得したような顔で頷いた。
「でも、アニマルタウンの近くにそんな大昔のお墓があったなんて知らなかった」
まゆがテレビ画面を見ながら率直に呟く。
「そうね。この町に越してきて一年以上になるけど、まだまだ知らないことが多いみたいね」
ユキも腕を組み、興味深げに画面を見つめた。
「わたしも、1000年以上前の歴史、気になるなー!」
「…………」
いろはが目を輝かせながら感心する一方で、悟も画面に映る遺跡の映像を見つめながら頷く。
そんな中、かなえだけは黙ったままテレビをじっと見つめていた。
無表情のままではあったが、どこかその目は画面に映る石碑を捉えて離さないように見える。
その間も、博士はテンション高く喋り続けている。
『こりゃ驚いたねぇ!! ここね、どうやらただの遺跡じゃないらしいんだなぁ! ここにはね、当時の有力者が建てた社や塚……いや、それ以上の何かがあったのだ!!』
『それ以上の、ですか……?』
女性レポーターの反応に合わせるように、こむぎたちも思わず画面に見入る。
『博士、この石碑には何が!?』
レポーターが一歩前に出るように問い詰めると、古座野はサングラスを押し上げながらニヤリと笑った。
『ん~~~~、それはね~~~~、今はまだヒ・ミ・ツ☆』
わざと溜めをつくりながら、ふざけたような笑みを浮かべる博士。これには、こむぎたちも思わず体勢を崩しそうになった。
「おいおい、ここまで引っ張っておいてそれかよ!?」
大福がフォークを置き、呆れたようにため息をつく。
『……博士、それじゃ取材の意味が……』
女性レポーターが困惑気味にツッコミを入れるが、古座野は意に介した様子もなく、肩をすくめた。
『なぁに、焦るこたぁない! この石碑には、どうやら“ある人物”にまつわる伝承が刻まれていたらしいんだなぁ! それが誰かって? そりゃあこんな公共の電波じゃ言えないねぇ~~~!!」
その言葉に、食卓の空気が一瞬固まる。テレビの画面越しでも伝わる、明らかに何かを知っていながらも隠そうとする態度に、誰もが眉をひそめた。
「……何よ、それ」
ユキが低く呆れたように呟く。
「胡乱曖昧。わざと煽ってるようにしか聞こえないな」
かなえも腕を組みながら、冷ややかに画面を見つめていた。
その瞬間だった。
「……っ!」
かなえの視界が揺らぐ。
こめかみに鋭い痛みが走った。まるで、何かが脳裏の奥底から無理やり引きずり出されるような感覚――。
目の前の光景が、一瞬、ぼやける。
(……なんだ、知ってる……? いや、しかし……)
胸の奥にざわつく既視感。どこかで見たはずの光景。しかし、それがいつの記憶なのか、どんな意味を持つのか、すぐには思い出せない。
――風の音がする。
乾いた大地を踏みしめる足音。
松明に照らされた夜道、共に歩む影。
男の笑い声。女の囁き。
誰かが「ここが最期の戦場だ」と言った。
そして、弓箭が飛ぶ。
強大な悪霊。
空を裂く悲鳴。
血のにじむ手。
――雨が降る。
石を積み上げる人々の姿。
その中央に佇む、ひとつの祠。
名もなき誰かが、深々と頭を垂れた。
「これで、終わるのか……」
――ミコト
その声が、かなえの脳裏に響く。
古びた記憶の断片が、雨に濡れた石碑のごとく、輪郭を曖昧にしながらも確かにそこに存在している。
(……ミコト?)
しかし、その名が誰のものなのか、思い出そうとするたびに霧の向こうへと消えていく。
「鷹目さん?」
悟の声が遠くで聞こえる。
ハッと息を呑み、かなえは視線を戻した。
目の前には、変わらずテレビの画面が映し出されている。
『これはまだ調査中だが、間違いなく興味深い話だぜぇ!! 続報を待ちなぁ!!!』
古座野博士のハイテンションな声が響く。しかし、その声はどこか遠く、別世界から聞こえてくるように感じられた。
(今のは……何だ……?)
かなえは無意識に拳を握りしめていた。
テレビ画面に映る石碑が、じっと彼女を見つめ返しているように思えた。
*
ニコガーデン
闇が、静かに広がり始めていた。
数か月前まで、ニコガーデンは温かな陽光に包まれ、動物たちの安らぎの地であった。
だが今、そこには暗く重たい気が満ち、木々の葉は黒ずみ、空気は沈みきっていた。
かすかに吹く風すら、まるで腐臭を帯びたように淀んでいる。
そして、その中心――かつての主は、深い闇に囚われていた。
ダイヤモンドユニコーンこと、創造の女神ニコ。
かつて誇り高く、誰よりも動物たちを守ろうとしていた聖なる獣。
しかし、今はその身体を鎖のような黒い気が絡め取り、深奥へと縛りつけられていた。
「……ぐ、っ……ぅ……」
白く輝いていた毛並みは徐々に灰色に染まり、鈍くくすんだ色へと変わっていく。
瞳の光も失われつつあり、生気そのものを削ぎ落とされていくかのように、意識は薄れかけていた。
「フフ……手間をかけましたよ、ダイヤモンドユニコーン」
暗闇の奥。
ニコを見下ろすようにして、蛇のごとく眼で見つめる黒衣の男が立っていた。
彼の背後には、揺らめく影が幾重にも重なり合い、ねじれながら這いずるように蠢いている。
「あなたは強かったですよ。さすがは、この世界の創造主といったところです……ですが、それも終わりです」
男の口元がゆっくりと歪む。
彼の掌には、黒く染まった怨念の塊――フューザーガオガオーンを生み出す怨みの力が渦を巻いていた。
それは悲鳴にも似た音を立てながら、怨嗟と狂気を纏っている。
アニマルタウンで無数の生命を恐怖へと追い込んだフューザーガオガオーンの力――その負の波動を、男はニコへと注ぎ込んでいく。
「よもや、あらゆる生き物の頂点に君臨するあなた自身が世界を滅ぼす鍵となるとは……プリキュアの方々も夢にも思わないでしょうね」
男がゆっくりと手をかざすと、黒き波動がニコの身体へと流れ込んでいく。
「ぐ、あっ……!!!」
ニコの身体が震え、闇に包まれた四肢が痙攣するように動く。
「あなたも、その身をもって知りなさい。この怨念が何を生み出すかを」
頭の奥に響くのは、無数の声――全ての生き物が根源的に抱く絶望、怒り、悲しみ、恐怖。
フューザーガオガオーンが取り込んできた者たちの負の感情が、男によって精製され、強制的にニコの精神に流し込まれていく。
意識が混濁し、何が本当で、何が偽りなのかが分からなくなる。
(このわたくしが……憎しみに染まる……)
視界がぼやける。
闇が深まる。
その時、ニコの毛並みに、黒い亀裂が走った。
ニコガーデンはもはや、楽園ではない。
そこは、大いなる闇を抱く者によって支配され、静かに滅びの胎動を始めるだけの世界だった。
*
アニマルタウン 鏡石前
薄曇りの空の下、静まり返るような空気が広がっていた。
アニマルタウンの中心に位置する鏡石。
数か月前、この石に手を触れたとき、かなえは不可思議な体験をした。
自らの姿が映り込み、知らぬはずの景色が脳裏をよぎった――それが、彼女にとっての“最初の違和感”だった。
そして今、再び彼女はここに立っていた。
「…………」
無言のまま、鏡石をじっと見つめる。
表面は滑らかで、まるで光を飲み込むかのような黒い輝きを湛えている。
そっと、指先を触れさせた。
しかし、何も起こらない。
前に見たような映像も、感覚の揺らぎもない。
ただ、ひんやりとした石の感触が肌に伝わるだけだった。
(……気のせいだったのか?)
否、そんなはずはない。
あの時の記憶は、ただの錯覚ではなかったはず。
彼女は確かに、何かを感じた。
――ならば、今は何も起きない理由は?
「かなえちゃん?」
その声に、かなえはわずかに肩を揺らした。
振り返ると、いろはがこちらへ駆け寄ってくるのが見えた。
隣には、リードをつけたこむぎがいる。
「何してるの? かなえもお散歩してたワン?」
尻尾を振りながらこむぎが何気なく尋ねると、かなえは一瞬、視線を落とした。
「……私は、その」
そう呟きながら、自分の足元に目を向ける。
確かにここへ来るまでの道のりは、目的があったわけではない。
ただ、気づけば足がこの場所を選んでいた――それだけのこと。
いろはは、言い淀むかなえの様子を見つつ、ふと鏡石へと視線を向けた。
「かなえちゃんは、鏡石に何かお願いしたの?」
「お願い?」
かなえは軽く眉を寄せ、いろはを見返す。
「あのね! 鏡石に姿が映ると、願いが叶うんだよ!」
こむぎがぴょんと軽く跳ねながら、目を輝かせて言う。
「こむぎね、鏡石にいーっぱいお願いしたんだよ! いろはともっとおしゃべりできますようにって!」
「それでしゃべったり、人間になったりできるようになったのか?」
かなえの問いに、こむぎは「ワン!」と満面の笑みを浮かべた。
「おとぎ話みたいな話だよね。でも、わたしもこむぎと同じ気持ちだったから、一緒に話ができるようになった時はすっごくワンダフルってなったよ!!」
いろはが笑いながら言うと、こむぎも尻尾を大きく振った。
「そうか……そういうのも、いいものだな」
かなえは静かに呟き、再び鏡石に目を向ける。
「私は、取り立てて願いという願いがない」
「そうなんだ……」
いろはとこむぎは少し意外そうな表情を浮かべる。
かなえは、ゆっくりとした口調で続けた。
「日々の食い扶持を探し、その為の狩りをする。そして、腹が満たされれば眠る。そんな生活を基盤としてきた私からすれば、このアニマルタウンには私が想像もつかないことが溢れている。だが、不思議とそこにあるのは恐怖よりも、未知への好奇心だ」
そっと手を開き、空を仰ぐ。
薄曇りの空に、わずかに光が差し込んでいた。
「お前たちと行動を共にすることで、いつしか私の目に映る世界は、こんなにも色鮮やかで、美しいものだったのかと実感できるようになった」
いろはとこむぎは、そんなかなえの言葉を静かに聞いていた。
「鏡石に願わずとも、お前たちに出会えたことで、私の願いは自ずと叶っていたのかもしれん」
そう言いながら、かなえはふっと目を細めた。
その瞳には、以前のような警戒心ではなく、どこか穏やかな光が宿っていた。
――しかし、その直後だった。
「……うっ!」
突然、視界がぐらりと揺れる。
頭の奥に響く、低いノイズのような違和感。
足元が崩れるような感覚に襲われ、かなえの身体がよろめいた。
「! かなえちゃん!」
いろはが驚いた声を上げ、とっさに手を伸ばす。
「ワン!?」
こむぎも慌てて前足をバタつかせながら、かなえの傍へ寄る。
「なんでもない……少し眩暈がしただけだ」
そう言って、かなえは自分の足で踏みとどまる。
だが、額にはかすかに汗が滲んでいた。
「ねぇ……それどうしたの?」
不意に、こむぎがかなえの腕をじっと見つめる。
先ほどのふらつきで、袖が少しずり上がり、そこには紫色の痣が浮かんでいた。
「大したことはない。昔、どこかでぶつけたんだろう」
かなえは袖を引き戻しながら、淡々とした口調で答えた。
しかし、その視線はどこか僅かに揺らいでいた。
この痣が、単なる打ち身ではないことを――彼女自身、薄々感じていた。
――その時だった。
突如として、空が揺れた。
微細な振動が大気に広がり、それまで穏やかだった空に異変が起こる。
雲がねじれ、光が歪み、まるで見えない手が大気そのものを引き裂いているかのようだった。
その瞬間、アニマルタウンに棲息するあらゆる動物たちが異変を察知した。
公園の木々で羽を休めていた鳥たちは、突如としてざわめき、鋭い警戒音を発しながら乱れ飛ぶ。
小動物たちは巣穴へと駆け込み、草むらの影へと身を潜めた。
犬たちは鼻をひくつかせた後、次々に低く唸り始め、猫たちは全身の毛を逆立てながら警戒の色を強める。
異質な何かが迫っている――そう直感するには十分すぎるほどの異変だった。
馬場では、馬たちが落ち着きを失い、前足を振り上げて荒ぶる。
牛たちは落ち着かぬ様子で鼻を鳴らし、羊たちは不安げに群れを寄せ合う。
林の奥では狸が身を縮め、リスが木の幹を駆け上る。
この街に住むすべての生き物が、一斉に恐怖を覚えた。
そして、どこからともなく、低く響く遠吠えが空気を震わせる。
狼ではない。犬でもない。
それは見えざる脅威を本能で察知した者たちが、静かに絞り出した怯えの声だった。
そして、何かが落ちてくる。
ゆっくりと、だが確実に――。
同じ頃、猫屋敷家でも此度の異変を察知した。
「っ!!」
突如として、背筋に冷たい感覚が走る。
何かが近づいている――そう感じた瞬間、ユキの耳がピクリと動き、毛がわずかに逆立った。
「ユキ?」
まゆが不思議そうに呼びかけるが、ユキは答えず、ただ窓の外の空をじっと見つめている。
「……嫌な感じがするわ」
また、兎山家でも異変を感じ取っていた。
ダイニングでくつろいでいた大福が、ソファの上で身体を起こし、周囲の空気を嗅ぎ取るように鼻をひくつかせた。
「悟。外見てみろ」
「え? 外?」
悟は食器を片付ける手を止め、窓の外へ視線を向ける。
いつもと同じはずの景色が、どこか異質に感じられた。
そして、犬飼家にいたメエメエやキラリンアニマルたちも、異変を敏感に察知していた。
「……キラ……なんか、イヤな感じがするキラ……」
キラリンライオンが落ち着きなく耳を揺らし、キラリンキツネは尻尾を大きくふくらませて警戒の態勢をとっている。
「この感じ、ただ事じゃありません……!」
メエメエも視線を鋭くし、いつになく険しい表情を浮かべた。
「あれは……」
いろはが息を呑み、目を見開く。
アニマルタウンの中央広場へと、それは降り立った。
地響きとともに舞い上がる土埃。
辺りを包み込む、重苦しい空気。
世界が一瞬、呼吸を止めたかのような静寂が広がる。
黒き巨大な卵――頂に一本角が突き出た異様な形状の何かが、そこにあった。
その場に立ち尽くすいろはの隣で、こむぎの背筋がピンと伸び、反射的に一歩後ずさる。
「な、なにあれ……!?」
尻尾を下げ、警戒の色をあらわにするこむぎ。
その目は、純粋な恐怖と、どこか既視感を覚えたような困惑に揺れていた。
「…………」
かなえは無言のまま目を細める。肌を撫でる冷気に、僅かに眉を寄せた。これは――ただの気配ではない。
彼女も目の前の存在に、説明のつかない違和感を覚える。
*
アニマルタウン 中央広場前
異変を察知した者たちが、次々と集まっていた。
広場の前には、多くの住民が不安そうに群がり、ざわめきが広がっている。
その中心には、異様な存在――黒き巨大な卵が鎮座していた。
「住民の皆さん、落ち着いてください!」
「危ないですから近づかないでください!」
警察がすでに規制線を張り、拡声器で住民たちに距離を取るよう警告を発している。
しかし、その警告が届かぬかのように、人々は怯え、ざわめきながらも、その不気味な卵を見つめ続けていた。
そして、駆けつけたいろはたちは、その姿を目にした瞬間、言葉を失った。
「あれって……」
いろはが、信じられないものを見たように息を呑む。
「ガルガルの卵にそっくり!」
こむぎが険しい表情で叫ぶ。
卵の黒く滑らかな表面、そして全体の輪郭。
それは――以前、ガルガル化された動物たちが卵状に変質した姿と酷似していた。
「でも、あの角は……」
ユキが目を細め、じっと卵の頂に生えた一本角を見つめる。
「……まさか……!」
まゆの喉が震えた。
「もしかして、あの黒い卵の正体って……」
悟が苦しげに呟く。
「ああ。考えたくはないが、悟の想像通りだろうぜ」
大福が静かに応じる。
「そんな! あのニコ様が……ニコガーデンの主にして、崇高なる御方が闇に呑まれるなど、あってはなりません!!」
メエメエが悲痛な声を上げ、震える足で一歩前へ出る。
「だが、状況的にあれがお前たちの主の成れの果ての可能性は高い」
ニコをこの目で直接見たわけではない。だが、いろはたちの反応を客観的に捉えたかなえは、冷静にそう言い放った。
「ウソだキラ……」
「ニコ様がガルガルになるなんて……!」
「信じられないキラ!」
メエメエとともにいたキラリンアニマルたちも、黒い卵を見つめながら、今にも泣き出しそうな表情を浮かべる。
それでも、震える声で言葉を紡ぐ彼らの瞳には、かすかに希望を求める光が残っていた。
しかし、目の前の現実はあまりにも残酷だった。
ガオウによってニコガーデンが襲撃された際、ガルガルにされたキラリンアニマルたちは、プリキュアの力で浄化され、本来のニコガーデンの力を取り戻した。
その直後、ニコもまた卵の形となり、休眠状態でこむぎたちの前に姿を現したことがある。
だが、今回は違う。
かつて虹色に輝いていた外殻は、今やガルガルの卵を彷彿とさせる漆黒に染まり、周囲には禍々しいオーラが漂っている。
あたかも、彼らが知るニコとは別の存在が、そこに眠っているかのように――。
卵は静かに脈動を続けていた。
(しかし、わからない。兎山の話では、ニコはニコガーデンを創設した、いわば神獣のような存在。それが闇に落ちるなどあり得るのか?)
かなえは卵をじっと見据えたまま、思考を巡らせる。
(敵の力は、それほどまでに途轍もないというのか?)
その時だった。
思案に耽るかなえの背筋を、鋭い悪寒が走った。
背後から――冷たい視線を感じる。
「!?」
まるで蛇にでも睨まれたかのような、鋭く粘つく気配。
瞬間、かなえの呼吸がわずかに乱れる。
咄嗟に周囲を見渡した――その時。
バックミラーに、何かが映った。
群衆の隙間、建物の影に、黒ずくめの男が佇んでいる。
その姿は、周囲のざわめきとは異質な静けさを持ち、ただこちらをじっと見つめているように思えた。
(なんだ……あの男は?)
気がつくと、かなえは無意識に足を動かしていた。
「……? おい、どこ行くんだ?」
大福が眉をひそめ、かなえの動きに気づく。
「かなえちゃん?!」
いろはの声が追いかけるように響いた。
しかし、かなえは振り返ることなく歩みを速めた。
視線の先にいた“男”を捉え、矢も楯もたまらず追う。
人々のざわめきが遠のく。
仲間たちの呼びかけも、今のかなえには届いていなかった。
(あの男……ただ者ではない)
胸をよぎる直感。
あれほどまでの異質な気配を放つ存在を、見過ごすわけにはいかない。
かなえは決して見失わぬように、群衆の間を縫うように進んでいった。
次第に人混みが途切れ、背後の喧騒が薄れていく。
そして、男は静かに、街の暗がりへと足を向けていた。
かなえは慎重に距離を詰め、目を離さぬように後を追う。
やがて、男はまるで待ち伏せていたかのように、不意に足を止めた。
「おい! お前は何だ!」
かなえが語気強く問いかける。
しかし――
「…………」
男はただ冷笑を浮かべるのみで、直接何かを語る気配はなかった。
(黙して語らず、か……)
その態度が、より一層不気味だった。
「素直に応じるつもりはないようだな。だが、お前の口を割らせる方法はある」
かなえは、足をわずかに開き、臨戦態勢を取る。
武力行使も辞さない。
この場で戦う覚悟を見せつけるように、じりっと踏み込む。
しかし――
その瞬間、かなえの背筋が粟立った。
視界の端、気づけば――男の姿が消えている。
(……消えた!?)
とっさに振り向く。
いつの間にか、男はかなえの背後を取っていた。
暗がりの中で、その笑みだけが際立つ。
「……っ!!」
かなえの肌を撫でる冷気――それは、ただの気温のせいではなかった。
(なんなんだ……私に気取られずに、移動した!?)
驚愕に目を見開くかなえを前に、男は余裕の笑みを浮かべながら静かに呟いた。
「ふむ……やはり興味深いですね」
その言葉とともに、男はゆっくりとかなえの腕に触れようとする。
「触るなぁ!!!」
反射的に、かなえは腕を振り払い、男から距離を取る。
「蛇蝎の如く。こちらは特に嫌われることをしたつもりはないのですがね」
男は肩をすくめるようにして微笑を浮かべるが、その表情にはどこか嘲弄の色が滲んでいた。
「はぁ、はぁ、はぁ……生理的に、受け付けんこともある……!」
胸の奥から込み上げる嫌悪感を必死に押さえ込みながら、かなえは鋭く睨みつける。
「生存本能というやつですか? しかし、果たしてあなたにそのようなものが備わっているのでしょうか?」
「……どういう意味だ?!」
意味深長な男の言葉に、かなえの眉が僅かに歪む。
「いずれ解かりますよ。好むと好まざるとに関わらず」
静かに告げる男の目は、すべてを見透かしているかのように、冷たく、深い闇を湛えていた。
「己の正体に絶望する方が先か。目の前の絶望に打ちひしがれるのが先か。見ものですね」
男の冷たい声が闇に溶けるように響く。
そして、彼はゆっくりと片手を掲げた。
直後。黒い瘴気が、男の掌の上に揺らめくように漂い、波打つ。
「!! おい!! 何をするつもりだ!?」
かなえが声を荒らげ、前へ出ようとする。
しかし、男はその視線すら意に介さず、ゆっくりと瘴気を凝縮し――放つ。
波動となった黒き霧は、真っ直ぐに卵の頂、角の部分へと吸い込まれていった。
「目覚めなさい」
男の唇が、ゆっくりと動く。
「すべての生き物の頂点に立つ、大いなる災いをもたらす疫神として――」
刹那――黒き巨大な卵が、静かに軋む。
アニマルタウンの広場に鎮座する異様な塊の表面に、細かな亀裂が広がっていく。
不穏な気配がじわじわと周囲に浸透し、空気そのものが重くなる。
内側では何かが動いていた。
鼓動を刻むように、殻の奥から抑えきれない力が滲み出していく。
やがて、殻の上部が割れた。
黒い破片が落ちる中、内部から一本の角がゆっくりと姿を現す。
その後に続いて、漆黒の体躯が静かに浮かび上がり、重い足取りで大地を踏みしめた。
広場に現れたのは、異形のユニコーン。
しなやかさと猛々しさを兼ね備えた体は、闇の中でゆらめく紫の瘴気をまとい、鋭く長い一本角が、その存在を誇示するかのように輝きを放っていた。
しかし、それはただのユニコーンではなかった。
その巨躯は馬のようでありながら、前肢は異様に発達し、人間のように二足で大地を踏みしめる。
巨大な腕には鋭い爪が生え、筋肉の隆起がその力を誇示していた。
顔の中央にそびえる一本角は、闇の力を凝縮するかのような鈍い光を帯び、紅色の瞳がゆっくりと開かれる。
そこには、獣の本能と、拭いきれぬ悲哀の影が滲んでいた。
神獣の威厳と、異形の怪物としての恐ろしさを併せ持つ存在――。
「ガオガオーン!!」
空気を震わせるような轟音が響き渡る。
その瞬間、広場にいた人々の表情が恐怖に染まった。
「きゃあああっ!!」
「なんだあれは!?」
「逃げろっ!!」
悲鳴と叫びが入り混じり、群衆が蜘蛛の子を散らすように四方へ走り出す。
誰もがその異形の存在に背を向け、無我夢中で逃げ惑う。
しかし――
わんぷりメンバーは動けなかった。
目の前の黒きユニコーン、【ニコガオガオーン】の姿に、ただ愕然とするしかなかった。
彼らは知っている。
小さなマスコットのような愛らしいニコの姿を。
人の姿に変身した時の、気高く荘厳な女神の如く佇まいを。
そして、本来のダイヤモンドユニコーンの神々しい姿を――。
しかし、今目の前にいるこの存在は――そのどれとも違っていた。
「……あれが……ニコ様……!?」
いろはが息を詰まらせた。
「うそでしょう…………」
まゆが口元を手で押さえ、声が震える。
「信じられない。まさか、ニコ様がガオガオーンになるなんて!」
悟は眉をひそめ、静かに目の前の存在を見据えた。
その時――。
「ガオガオーン!!」
ニコガオガオーンの咆哮が、アニマルタウンの空気を震わせる。
次の瞬間、巨大な影が動いた。
大地を踏み鳴らしながら、黒い毛並みを揺らし、ニコガオガオーンはゆっくりと前進を始める。
その歩みは、かつての気高き神獣のそれではなかった。
破壊の権化のごとく、目に映るものすべてを踏み砕くように――アニマルタウンを蹂躙し始める。
悲鳴が上がる。
逃げ惑う人々が、次々と街の奥へと駆け込んでいく。
店の看板が吹き飛び、並んでいた屋台がひと蹴りで粉砕される。
破壊の衝撃に耐えきれず、建物の窓ガラスが割れ、家具や商品が路上に散乱していく。
「やめて……ニコ様……! こんなの全然わんだふるじゃないよ!」
こむぎの悲痛な叫びが、夜の空気に溶けるように響いた。
しかし――
ニコガオガオーンの紅い瞳は、わずかに揺らめきながらも、なお闇の中に沈んでいた。
かつての優しさも、気高さも、何もかもが失われ、獣の本能だけがそこに宿っている。
「お前たち!!」
響いたのは、鋭く力強い声。
駆けつけたかなえが、瓦礫を乗り越えながら彼らの前に現れる。
鋭い眼差しで状況を一瞬で察し、強い意志を込めて叫んだ。
「みんな!」
いろはは拳を握りしめ、こむぎは涙を振り払いながら頷く。
まゆ、ユキ、悟、大福、かなえも、その決意を固めた。
「ニコ様を止めよう!」
「「「「「「うん!(ええ!)(ああ!)」」」」」」
迷いはない。
仲間だからこそ、見過ごすわけにはいかない。
全員が一斉に、変身する。
光が弾け、わんぷりメンバーが出揃う。
それぞれが戦闘態勢を取り、巨大な黒きユニコーンを正面から見据える。
「……いくよ!」
ワンダフルの掛け声とともに、全員がニコガオガオーンの暴走を止めるため、行動を開始した。
「ニコ様―!」
ワンダフルが声を張り上げる。
「お願い、暴れないで!」
フレンディも懸命に呼びかけ、ニコガオガオーンの前へと踏み出した。
しかし――
「ガオガオーン!!」
ニコガオガオーンが、口を大きく開く。
次の瞬間、眩い光が収束し、破壊光線が解き放たれた。
「「うわああああああ!!」」
爆風が広がり、ワンダフルとフレンディが吹き飛ばされる。
衝撃波が地面を削り、辺りの建物の壁をも砕く。
「ワンダフル! フレンディ!」
リリアンが悲鳴のような声を上げる。
「洒落にならない攻撃だわ!」
ニャミーが強張った表情で言葉を漏らした。
ニコガオガオーンが放つ力は、もはや怪獣映画の世界そのものだった。
――その時。
飛ばされたワンダフルとフレンディのもとへ、悟と大福が駆けつける。
「大丈夫!?」
悟が手を差し伸べる。
「立てるか?」
大福が腕を貸しながら、二人の状態を確認する。
「うぅ……なんとか……」
ワンダフルがゆっくりと身体を起こした。
「ニコ様……ほんとにわたしたちの声が、聞こえてないのかな?」
フレンディの瞳には、不安と悲しみが滲んでいた。
しかし、その近くで力強く声が響く。
「聞こえないなら、無理やりにでも届かせるまでだ!」
シャスールが迷いのない瞳でニコガオガオーンを見据え、中空で矢を番える。
次の刹那。走る黒きユニコーンに向かい、矢を放った。
「とまれぇぇ!!」
無数の矢が闇を切り裂くように飛ぶ。
しかし――
規格外の大きさを誇るニコガオガオーンには、シャスールの矢すら届かない。
黒い瘴気が矢を弾き、傷一つつけることができなかった。
「リリアンネット!」
「ニャミーシールド!」
スワンの力で空を滑空しながら、リリアンとニャミーがシャスールを援護しようと防御を展開する。
だが、無駄だった。
「「「うわああああああ!!」」」
突進してきたニコガオガオーンの体当たりによって、三人まとめて吹き飛ばされる。
「ニャミー! リリアン! シャスール!」
悟が叫ぶ。
「マジかよおい……」
大福も歯を食いしばる。
すると、その時――
「ガオガオーン!!」
ニコガオガオーンの額に生えた一本角が、漆黒の輝きを放つ。
直後、黒い光線が乱れ撃ちされる。
光がアニマルタウンを包み、そこにいた動物たちの身体が黒く染まる。
「動物たちが……!?」
フレンディが恐怖に顔をこわばらせる。
光を浴びた犬、猫、鳥、果ては牧場の馬や牛、ありとあらゆる動物が、次々とガオガオーンへと変貌していく。
異形へと姿を変えた彼らは、野生の本能を暴走させ、街を襲い始めた。
ニコガオガオーンの力による、新たな脅威。
アニマルタウンは、かつてない危機に陥った。
「……あんなにたくさんのガオガオーンが……!」
ワンダフルの声が震える。
「どうすれば……!?」
フレンディも動揺を隠せない。
その時――
悟と大福は互いに視線を交わし、短く頷いた。
「二人はニャミーたちと合流して。ニコ様はボクと大福が注意を引き付ける」
悟が静かに言い放つ。
「その間にガオガオーンたちを鎮めてくれ」
大福も鋭い眼差しで言葉を続けた。
「悟くんに大福ちゃん!?」
フレンディが驚き、前に出ようとする。
「そんなのダメだよ!」
ワンダフルも叫ぶが――
「ダメでも何でも、やるしかねーんだよ」
大福が言い切る。
「プリキュアの力は、ニコ様を助ける上で絶対不可欠なんだ」
悟はきっぱりと断言すると、その手にコンコーデフレーテを構えた。
大福もすぐさまそれに倣い、鋭くニコガオガオーンを見据える。
「後は頼んだ(よ)」
言うと、二人は同時に地を蹴った。
空中へと跳躍し、風を切りながら滑空する。
その先にいるのは――暴走するニコガオガオーン。
「悟くーん! 大福ちゃーん!」
フレンディが必死に止めようと手を伸ばす。
だが、二人の姿はすでに遠くへ消えていた。
「ガオガオーン!!」
眼前に迫る二つの影を捉え、ニコガオガオーンが咆哮する。
周囲の大気が震え、圧倒的な威圧感が広場を支配した。
だが――
悟と大福は、その圧に顔を険しくしながらも、不思議と恐怖を感じていなかった。
「悟、ビビってねーよな!」
大福が叫ぶ。
「正直こわいよ。でも、大福と一緒なら、不思議と怖くないんだ」
悟が微笑みながら答えると、大福も笑みを浮かべた。
「オレもだ!」
二人は同時に地を蹴り、駆け出す。
今ここで、自分たちがニコを食い止める――その覚悟を決めた。
「ニコっ! オレの残像についてこれるか!」
大福が叫びながら、自慢の脚力をフルに活かして高速移動を開始する。
その速さは、人の目にはまるで残像が複数生じたように映るほど。
地を駆け、飛び、ニコガオガオーンの視界を撹乱していく。
「いきます、ニコ様!」
その隙を突いて、悟がフレーテを構える。
優しく、しかし力強い旋律が空に響く。
「ガオ……ガオーン!!」
フレーテの音色が、わずかにニコガオガオーンの動きを鈍らせる。
やはりガオガオーン化していても、音の力は有効だった。
「悟! 相手がニコだろうが、遠慮すんな!」
「うん、わかってる!」
大福の声に背中を押され、悟はフレーテを剣の姿へと変える。
「「はああああああ!!」」
二人が一斉にニコガオガオーンへと斬りかかる。
硬い外皮に刃が弾かれながらも、何度も、何度も――執拗に攻撃を繰り返した。
たとえ相手を傷つけることになったとしても、今のニコはアニマルタウンを脅かす存在。
二人はただ、必死だった。
ニコガオガオーンを止めるために――。
*
アニマルタウン 市街地
同じ頃、ニャミーたちと合流を果たしたプリキュアたちは、市街地に出現したガオガオーンの群れを本来の姿へ戻すため、奮闘を続けていた。
これまでの戦いで培った経験を活かし、動物たちの特徴を素早く把握。
巧みに追い込み、一箇所に集めることに成功していた。
「いくよ、フレンディ!」
「うん、ワンダフル!」
二人は顔を見合わせ、息を合わせながらフレンドリータクトを手に取る。
「「フレンドリータクト!」」
ワンダフルは左手に、フレンディは右手に――それぞれしっかりと握りしめた。
おもむろに、タクトの最下部にあるボタンを押す。
「「ワンダフルをきみに!」」
その瞬間、フレンディの頭にふわりとパピヨン犬の耳が、ワンダフルの腰には柔らかそうな犬の尻尾が現れた。
変化を受け入れるように、二人は手を繋ぐ。
「ワン!ワン!わーん!」
それは、彼女たちが共に戦う証の合図。
タクトを掲げると、ボタンをゆっくりと下から上へとスライドさせる。
穏やかながらも力強い光が放たれ、温かい気配が広がっていった。
「「ガルガルなこころ、とんでけー!」」
次の瞬間――
「「プリキュア・フレンドリベラーレ!!」」
鮮やかなピンクと紫の光が解き放たれ、ガオガオーンたちを包み込んでいく。
黒い瘴気が光に飲み込まれるように薄れ、苦しげに唸っていた獣たちが、次々と浄化されていった。
しかし、まだすべてが終わったわけではなかった。
「私たちも!」
「うん!」
ニャミーが力強く言い、リリアンが頷く。
二人はワンダフルたちに倣って、アミティーリボンタンバリンを手に取る。
「「アミティーリボンタンバリン!」」
ニャミーは右手に、リリアンは左手に――それぞれしっかりと握りしめた。
おもむろに、タンバリンにあるハートのボタンを押す。
「「ニャンダフルをあなたに!」」
その言葉とともに、二人は左右へと分かれ、軽やかにスケーティングをするように動きながら軌跡を描く。
リリアンは顔の右横でタンバリンを叩き、続いて頭上、左腰へと優雅な動きを刻む。
そして、二人が同時にタンバリンを掲げた。
「「ニャン! ドゥ! トロワ! ガルガルなこころ、さようなら!」」
ニャミーがタンバリンをひとつ叩く。
続いてリリアンがジャンプし、空中で舞うようにタンバリンを鳴らす。
ニャミーもそれに続き、息を合わせるように空へと跳ぶ。
「「プリキュア・アミティールミエール!!」」
刹那。オーロラ状の光があふれ、ガオガオーンとなってしまった動物たちを優しく包み込む。
光はハート型の輝きを生み出し、ゆっくりと広がっていく。
やがて――
ふわり、と光が弾けた瞬間、苦しげに唸っていた動物たちは穏やかな表情を取り戻し、正気へと還っていった。
「……すごい……これが本来のお前たちの力か?」
シャスールが目を細め、驚きと感心の入り混じった表情を浮かべる。
「うん。ガルガルやガオガオーンとなった動物たちに罪はないから」
ワンダフルが優しく微笑み、フレンディも静かに頷いた。
「もう大丈夫だよ、みんな。おうちにお帰り」
その言葉に応えるように、浄化された動物たちは戸惑いながらも、元いた場所へと駆け戻っていく。
一匹、また一匹と、元の生活へと帰る光景に、いろはたちは小さく息をついた。
しかし――
不意に轟音が響いた。
空を裂くような勢いで、二つの影が遠方から凄まじい速さで飛来する。
「――!!」
次の瞬間、アスファルトの地面に激突した。
鈍い衝撃音とともに、粉塵と破片が舞い上がる。
衝撃で周囲のガラスが震え、建物の壁にはひびが入った。
粉塵の中に横たわる二つの影――悟と大福だった。
「悟くん!!」
「大福!!」
ワンダフルとフレンディが悲鳴を上げる。
二人の身体は明らかに異常だった。
悟の戦闘衣装はあちこちが裂け、露出した肌には深い擦過傷が無数に刻まれている。
額から血が流れ、かすかに震える指先が生きていることを示していた。
大福はさらに悲惨だった。
しなやかだった体は、不自然な角度でねじれ、呼吸すら浅く、荒い。
口元からこぼれた赤が、アスファルトにじわりと広がる。
「そ、そんな……」
リリアンが息をのむ。
「悟!! 大福!!」
ニャミーが駆け寄ろうとするが――
「ガオガオーン!!」
鋭く響く咆哮が、わんぷりメンバーの耳をつんざいた。
振り返れば、なおも黒きユニコーンが堂々と立ち尽くしている。
――圧倒的な威圧感。
それは、もはや"闇に堕ちたニコ"ではない。
"破壊を生む神獣"へと成り果てた存在だった。
「あの二人ですら、こうも無力なの……?」
フレンディが呟く。
希望を支えていた柱が、根元から砕け散るような絶望が広がる。
怪物と化したニコの前では、誰もがただの"獲物"にすぎない――
だが、その時――
鋭く張り詰めた声が響いた。
「……お前たち、二人を連れてできるだけ遠くへ逃げろ」
振り返った先には、一人の戦士が立っていた。
「シャスール!?」
ワンダフルが驚きの声を上げる。
「何をするつもりですか!?」
メエメエも困惑の色を滲ませる。
「私が少しでも時間を稼ぐ。その間に体勢を立て直せ」
シャスールの声が、鋼のように響く。
そう言い残すと、彼女は軽やかに地を蹴り、風を裂くように宙へと舞い上がった。
「待ってよ!! シャスール!!」
ワンダフルが必死に手を伸ばすが、その声が届くことはなかった。
彼女はすでに、空の狩人となっていた。
風を受けながら、タロンボウガンを構える。
「ニコとやら」
凛とした声が夜気を切り裂く。
高度を上げながら、弓の狙いを定める。
「私はキュアシャスール。お前の中の闇を狩りに来た」
彼女の宣告に呼応するかのように、ニコガオガオーンが猛々しく咆哮する。
「ガオガオーン!!」
鼓膜を突き破るような声が夜空に響き、下界の空気を震わせた。
しかし、シャスールの瞳には一片の揺らぎもない。
「言葉すら通じぬか……それもいいだろう」
シャスールの口元がわずかに歪む。
「その方が、こちらとしても躊躇わずにいられる」
弦を引き絞り、矢を番える。
緊張が頂点に達する。
「一対一の勝負だ」
次の刹那、シャスールは矢とともに、天を裂いた。