わんだふるぷりきゅあ!!~わんだふる♡わーるど~   作:重要大事

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第20話:汚されし住処

8月下旬

アニマルタウン Pretty Holic(猫屋敷家)

 

 残暑が和らぎ、窓の向こうに虫の声が忍び寄る午後。猫屋敷家の一室に、わんぷりメンバーの笑い声がやわらかく満ちていた。

 床に円を描くように集まった子どもたちの目は、まゆの父・貴行が撮影した野生動物の写真へと引き寄せられている。

「このシカ、立派な角!」

 と、いろはが目を輝かせる。

「うわー、キツネの赤ちゃんかわいい!」

 今度は、こむぎが身を乗り出すように声を上げた。

 艶やかに印刷された写真の一枚一枚には、貴行がこれまで世界中を巡って撮影してきた豊かな自然と、そこに息づく命の瞬間が見事に切り取られている。笑顔と感嘆が絶え間なく飛び交う中、かなえがふと問うた。

「まゆの父は、写真を撮るのを生業としているのか?」

 その口調は変わらず淡々としていたが、どこか敬意のような色も含んでいた。

「そうなの。あ、ちなみに……」

 すると、まゆは思い出したように立ち上がり、本棚から一冊のカレンダーを取り出す。

「このカレンダーに写ってる写真もね、パパが撮ったものなんだよ」

「あ! 去年みんなで作ったアニマルカレンダー!」

 カレンダーを見るや、こむぎが懐かしそうに声を弾ませる。

 まゆの手にあるカレンダーは、アニマルタウンの町長である鷲尾が毎年発行している「アニマルカレンダー」と呼ばれるもので、去年はオファーを受けた貴行がカメラマンとなり、アニマルタウンの町民と動物を撮影し、それをいろはたちが厳選し完成した。

「いろんな人と動物がニコニコしているのをテーマに、わたしたちで選んだんだよ」

 まゆの声には誇りがにじんでいた。

 その中の一枚、大福がおやつの草キューブを平らげて、腹を見せて幸せそうに横たわる写真に悟が目を輝かせる。

「この大福の写真、何度見ても可愛すぎるよ」

「まぁな。オレはかっこいいウサギだが、かわいい仕草も訳ねーからな」

 自信満々な大福の一言に、場がどっと沸く。

「私が言うのも何だけど、あなたって割と自己肯定感が強いね」

 ユキが小さく肩を竦めながら呟く。

 そんなやりとりの最中、玄関の戸が開く音がした。

「ただいま」

 ほどなくして、まゆの父・貴行が姿を現す。

「パパ! おかえりなさい!」

「お邪魔してます」

 まゆの出迎えの後、いろはが丁寧に頭を下げ、他の面々も続いた。

「みんな、いらっしゃい。ゆっくりしていってね」

 飾らぬ笑みでそう言いながら、貴行はカメラ用の機材を入れた荷物を棚に置き、ひと息ついた。

「そういえばパパ、今は何を撮ってるの?」

 おもむろに、まゆが自然な調子で訊ねる。

「アニマルタウンの水辺に住む鳥を撮ってるんだ。そうだ、良かったら見る?」

「え! いいんですか!?」

 聞いた瞬間、いろはが目を輝かせる。

「見たい見たーい!」

 便乗して、こむぎの声も弾む。

 貴行の厚意に甘え、一同はリビングの一角に広げられたタブレット端末を覗き込むように集まった。

 画面には、風に揺れるアシの中を舞う小鳥や、水面に浮かぶ水鳥たちの姿が次々と映し出される。

「うわー!! すごーい!!」

 こむぎの声は素直な感嘆に満ちていた。

「どうやって撮ってるんだ?」

 大福が写真を覗き込みながら貴行に尋ねる。

「これはドローンを使って撮ったんだよ。近づきすぎると逃げちゃうからね」

「ん? これは……」

 ふと、画面に映った一枚の写真に、かなえの目が吸い寄せられた。

 それは、まるで空の支配者のごとき威厳を湛えた一羽の鳥――オジロワシの雄姿だった。

「それはオジロワシだよ。全身が濃い茶色で、ゆるやかなクサビ型の尾が白いから、その名がついたんだ」

 それまで黙っていた悟が、自然に説明を加える。

「さすが兎山くん、よく知ってるね」

 貴行が感心したように頷く。

「それにしても、この近くにもワシがいるなんてね」

 ユキが意外そうに呟く。

「湖畔付近にオジロワシの営巣地があるんだよ。まゆたちが良かったら、連れて行ってあげるよ」

 悟の言葉に、空気が一気に華やぐ。

「いいですね。夏休みの最後の思い出にもなるし、滅多に見れないオジロワシを見れるチャンスかも知れないし」

 悟はどこか誇らしげに言った。

「よーし! みんなでワシさんを見に行こう!」

 こむぎが勢いよく立ち上がり、声を張り上げる。

 その場の全員が頷き、探索への小旅行が決まった瞬間――

 ただ一人、かなえだけが、笑顔の裏に翳りを落としていた。

 もう一度、あの写真を見た瞬間、視界が淡くかすみ、色が急速に剥がれ落ちていく。

(まただ……どうにも最近、身体の調子がおかしい……)

 恐る恐る右腕の袖をまくる。

 そこに現れたのは、かつてよりもはるかに濃く、沈んだ紫に染まる痣だった。

 そして、脈を打つように、そこから体内へと何かが滲み出しているような感覚。

「………………」

 心の奥に波紋のように広がる不安。

 けれども、かなえはそれを誰にも見せることなく、黙って袖を下ろした。           

 

           ◇

 

アニマルタウン 湖畔エリア

 

 明くる日、空は高く、風は澄んでいた。

 こむぎたちは貴行に案内されて、アニマルタウンの外縁部にある湖畔エリアへと足を踏み入れていた。

 舗装の切れた小道を抜け、薄く朝露の残る草を踏み分けると、そこには人の手が届ききらない静けさが広がっていた。風に揺れるヨシの葉がかすかに鳴き、遠く水面では一羽のカモが身をひそめるように漂っている。

「……静かね」

 ユキがぽつりと呟く。周囲に満ちる音のなさが、かえって彼女の声を際立たせた。

「このあたりは、『ラムサール条約』で定められた湿原に指定されているからね」

 少し先を歩いていた悟が立ち止まり、振り返って言った。

「ラムサール条約?」

 かなえが首をかしげる。

「あ! 前に社会の授業で習ったやつだよね!」

 いろはが目を丸くして反応する。

「えっと、なんか長い名前があったような気がするんだけど……」

 その言葉に、悟は頷いた。足元の草を軽く踏みしめながら、まるで一つの知識をそっと取り出すように、静かに言葉を紡ぐ。

「ラムサール条約の正式名称は、『特に水鳥の生息地として、国際的に重要な湿地に関する条約』だよ。1971年にイランのラムサールって都市で採択されたから、その名がついたんだ」

「ねぇ悟、湿地って何?」

 すると、今度はこむぎがおもむろに首を傾げて尋ねた。

「湿地いうのは、湖や沼、干潟、それにこの辺りみたいな湿原も含まれてて、そういう場所は水鳥たちにとって大切な“住処”なんだ」

 悟はすぐに答えた。湿地という言葉に少しも迷いを感じさせず、まるで大切なものを説明するかのように。

 その時、わずかに遅れて貴行が言葉を継ぐ。

「そうだね。この辺りは特に、スズガモやカンムリカイツブリと呼ばれる鳥が、アジア全体の中でも1パーセント以上、ここアニマルタウンに飛来してくるんだ。そういう場所は国際的に見ても、とても重要な生息地なんだよ」

「へー。そりゃすげーな」

 大福が感嘆の声を上げる。

「でもどうして、湿地を守ることが重要なの?」

 ユキがふと、風の音に紛れるように尋ねた。

 悟はしばし黙り、湖面を見やった。陽を受けてゆらぐ波の向こうに、葦の群れと静かな木立が連なっている。

「湿地ってね、単に鳥のすみかってだけじゃないんだ。雨や雪が降ったとき、水を一度に流さずに蓄えてくれるから、洪水を防いだり、水をゆっくりきれいにしてくれたりする。生きものにとっても、人間にとっても、とても大切な場所なんだ」

 それは教科書的な知識をなぞるだけの説明ではなかった。

 この場所に実際に立ち、風を感じ、水の匂いを吸い込み、そこに生きる鳥たちの姿を見てきた者の言葉だった。

「つまり、“誰かの住処”であると同時に、“私たちの暮らし”も支えてくれてるってことか」

 かなえがゆっくりと呟く。湖面に届く風が葉擦れを運び、彼女の言葉はその中にふっと溶けていった。語られた真意は、ただの知識ではなく、自然とのつながりを肌で感じた者だけが言える響きを持っていた。

 再び静寂が広がる。水鳥の羽ばたく音だけが、時間の流れをそっと刻んでいる。

「もうすぐオジロワシの巣の近くだよ」

 しかし、その時――前を歩いていた貴行が足を止めた。

「……ん?」

 不意に立ち止まった貴行の声に、皆が足を止めた。

 その視線の先、木立の隙間から見え隠れしていた風景に、一同は無言のまま歩を進める。

 木の枝をかき分けるようにして進んだ先、彼らの前に広がっていたのは――

 かつて“自然の静けさ”が支配していたはずのその場所には、明らかに場違いな重苦しさが漂っていた。

「なんだ……」

 大福が低く唸るように呟く。

 湿地の一角には、杭が打ち込まれた土地があり、白線のマーキングが幾重にも引かれていた。

 近くの斜面には仮設の工事用ゲートと、閉ざされたプレハブの管理小屋が建ち、黄色いロープが周囲を囲っている。

 無人の重機が一台、シートを被ったまま沈黙していた。

 まだ工事は始まっていない。だが――始まる準備は、確かに進んでいた。

「こんなもの……この前来たときには見かけなかったが……」

 貴行が呆然としたように呟いた。

 自然を知り尽くしている彼の表情に、明らかな戸惑いが浮かんでいた。

「ねぇ……これって一体……」

 いろはが言葉の続きを口にできずにいると、その隣で、悟が何かに気づいたように声を上げた。

「っ! みんな、これを見て!」

 そう言って指さしたのは、フェンスに取り付けられた、一枚の掲示板。

 近づいて確認したまゆが、眉をひそめながらその内容を読み上げる。

「メガソーラーパネル……開発予定地?」

 風が吹き、掲示板の端がかすかに揺れた。

 その下には、小さく印刷された事業者のロゴと、開発予定区域の図面が記されている。

 そこには、今彼らが立っている湿地の一帯が、全面パネル設置エリアとして真っ黒に塗られていた。

「メガソーラー? 一体何だそれは?」

 掲示板に書かれた言葉を見つめながら、かなえが疑問を口にする。

 その声音には、いつもの無機質な調子とは違う、微かな警戒と違和感がにじんでいた。

 悟は、掲示板とその背後に広がる風景を交互に見つめながら、静かに答えた。

「メガソーラーっていうのは、大規模な太陽光発電設備のことだよ。広い土地に太陽光パネルをびっしり敷き詰めて、太陽の光で電気を作る。再生可能エネルギーって呼ばれてて、地球環境にはやさしいって言われてるけど……」

 そこで、悟は言葉を切った。

 彼の視線の先には、まだ豊かな緑が息づいている湿地があった。

 だが、草原の端に打ち込まれた杭と、巻かれた黄色いテープ、プレハブの簡易小屋が、その“営み”にじわじわと侵食の影を落とし始めていた。

 ついさっきまで、「守るべき自然」として見つめていた場所が、今や“計画図”という名の下に分割され、面積として記号化されている。

「……でも、それが“どこに”建てられるかによっては、かえって自然を壊すことになることもある。とくに、ここみたいな湿地では……」

「つまり、自然の力で電気を作るために、自然を削るってことね」

 ユキの言葉は鋭く、それでいて静かだった。

 その場にいた誰も、すぐには言葉を返せなかった。

 陽射しは雲ひとつない空から降り注いでいるのに、足元から這い上がってくるような重たい空気が一行を包み込む。

 沈黙の中、不意に背後から声がかかった。

「ちょっと、ちょっと、困るよ」

 振り返ると、工事用のヘルメットを被った男が、一人こちらに歩いてくるところだった。

 制服の胸元には小さく施工会社のロゴが入っており、手にはクリップボードを抱えている。

 彼は苦笑気味に眉を寄せながら、繰り返した。

「ここは関係者以外立入禁止なんだから。立札、見なかったかな?」

 若干の警戒を滲ませた口調に、空気が少し張り詰める。

 貴行が一歩前に出て、丁寧に言葉を選ぶように答えた。

「失礼。私たちはアニマルタウンに住んでいる者でして、ここにメガソーラーパネルが作られるという話を聞いたのは初めてだったものですから」

 その説明を受けて、男はやや面倒くさそうに肩を竦めた。

 その態度に、少し勇気を出したいろはが続けて問いかける。

「あの、ここってラムサール条約で決められた重要な湿地ですよね? それなのに、工事をするんですか?」

 その問いに、男は一瞬だけ視線を逸らし、それから表情を引き締めて言った。

「たしかに、そういう条約があることは知っています。でもね、その条約は何も“開発自体”を禁止しているわけじゃないんだ」

 語調は穏やかだったが、そこに込められた現実味には揺るぎがなかった。

「飽くまでも“保全に務める”という原則にとどまっている。義務じゃないんだ。実際のところ、こういう計画が進むかどうかは、地方自治体の判断や、住民との合意形成があって、初めて意味をなすんだよ」

 彼の言葉は、制度の隙間をなぞるように、やけに理路整然としていた。

 だがその一方で、そこに住む命の鼓動や、風の匂いまでは考慮されていないように思えた。

 こむぎが、思わず呟く。

「それって……守ろうとしてるのか、壊そうとしてるのか、どっちなんだろ……」

 こむぎがぽつりとつぶやく。

「曖昧模糊。ただ、私には後者のように思えてならないがな」

 かなえの声は淡々としていたが、その奥に静かな憤りがあった。

 一同は言葉を失い、しばし無言のまま立ち尽くす。

 杭に巻かれたビニールテープが、風にカサカサと鳴った。

 

 帰り道、どこか沈んだ空気の中で、貴行が申し訳なさそうに口を開いた。

「みんな、ごめんね。まさかこんなことになるとは思わなかった」

「うんうん、パパのせいじゃないよ」

 まゆが笑って首を振る。

「それにしても、アニマルタウンは本気でメガソーラー開発を推し進めるつもりか?」

 大福が唸るように言う。

「鷲尾町長は動物を大切にする人だから、その動物の住処が無くなっちゃうようなことを許す人には思えないけど……」

 いろはが不安そうに呟く。

「とにかく、今は情報が足りない。まずはきちんと情報収集したうえで、あの会社から事実確認も含めて説明を受けるべきだと思う」

 悟の提案に、皆が静かにうなずく。

「そうだな。私としても、オジロワシや他の水鳥の生息域が開発で失われるのは忍び難い」

 かなえの声は静かで、それでいて、はっきりとした意志を宿していた。

 会話が尽きる頃には、遠くで夕蝉が鳴き始めていた。

 

           *

 

アニマルタウン 兎山家

 

 貴行と別れた後、こむぎたちは悟の家でメガソーラー開発についての情報を収集していた。悟はパソコンを操作しながら、最近の事例を調べていた。

「ちょっとこれを見てくれるかな?」

 悟が画面を指さし、メンバーの注意を引いた。

 画面には、日本最大の湿原として知られる、北海道の釧路湿原でのメガソーラー建設に関するニュースが映し出されていた。その内容は、およそ360万平方メートルに及ぶ広大な湿原内に大量のソーラーパネルが設置され、自然環境や景観への影響が懸念されているというものだった。

「アニマルタウン以外でも、こんな問題が起きているんだね」

 いろはが眉をひそめる。

「あと、奈良でも似たような事例があるみたいだ」

 そう言って、悟は別のニュース記事を開いた。それは、奈良県五條市のゴルフ場跡地で計画されているメガソーラー建設に関するもので、地域の生態系への影響が懸念されているという内容だった。

「全国的に、こうした問題が広がっているんだね」

 まゆが心配そうに言う。

「再生可能エネルギーの推進は重要だけど、場所の選定や環境への配慮が欠かせないってことね」

 ユキが冷静に分析する。

「アニマルタウン郊外の工業団地の周辺にも、けっこう立ってるね。けど、湿原にまで建てるのは今回が初めてかもしれない」

 悟が補足するように言った。

「ソーラーパネル設置事業者について調べてみたんだけど……大本は外国の資本が主みたいなんだ」

 悟がキーボードを叩きながら画面を指さす。

「なるほど。要は金がもうかればいいってスタンスが丸見えだな」

 大福が鼻を鳴らす。

 釧路湿原の事例を例に、悟は簡潔に説明を加えた。

 ――日照時間が長く、土地は安くて平坦。工事費も抑えられ、住宅街が近いため送電網も整備されている。つまり、自然の宝庫であるにもかかわらず、ソーラーパネルの設置には“都合がいい場所”として目をつけられてしまっているのだ。

 しかも、発電された電気の多くは札幌などの都市部、さらには本州へと送電されているという。

「今、釧路湿原の周辺では、問い合わせが殺到してるらしい。もし全てに設置されたら、生態系が一気に壊れるかもしれないね」

 悟の言葉に、画面越しの映像が重なる。

 動画には、レッドリストに記載されたキタサンショウウオの生息地、タンチョウの営巣地や餌場などが映し出されていた。そこに土が盛られ、フェンスが張られてゆく。すでに、オオジシギやチュウヒなどの絶滅危惧種が工事以降、姿を見せなくなっているという。

『土盛りをしてしまうと、餌場にもならないし、営巣地にもならない。空を飛びながら餌を探す鳥たちにとっては、視界を遮る“目隠し”になるんです』

 専門家の静かな声が、動画の中から流れてくる。

 その傍らで、こむぎが小さな声でつぶやいた。

「いろは……わたしたちに、何かできることはないのかな……」

 問いかけられたいろはは、唇を引き結んだまま、んー、と考え込むような声を漏らした。

 そのとき、悟がスマホに目を落としていた手を止める。

「っ! どうやら、例の工事業者の住民向け説明会が開かれるみたいだよ」

 画面には、アニマルタウンの公式SNSに投稿された案内が表示されていた。

「ほんとに?」

 まゆの目がぱっと見開く。

「好機到来。納得いく説明をしてもらおうじゃないか」

 かなえの声に、静かな決意が宿る。

 それぞれの胸に確かな思いを抱き、こむぎたちは説明会へと向かう決意を固めた。

 

           ◇

 

アニマルタウン アニマルタウン町民センター

 

 数日後――。

 こむぎたちをはじめ、町の住民たちがぞろぞろとアニマルタウン町民センターの第2会議室へと足を踏み入れていった。

 用意された椅子はすでにほとんど埋まり、立ち見の者までいる始末。

 わんぷりメンバーも、予想外の人だかりに目を見張った。

「思っていたよりも大分多い」

 まゆが思わず声を漏らす。

「それだけ、みんな関心が高いってことだよ」

 悟が静かに応じた。

 資料を手にした住民たちの表情には、戸惑い、怒り、そして強い疑念が浮かんでいる。

 空気にはどこか張り詰めた緊張が漂い、誰もが「ただの説明会」では済まされない予感を感じ取っていた。

 やがて、スーツ姿の男が会場の奥から入場し、前方の演台へと立った。

 工事業者の代表者――その肩書きにふさわしい硬い雰囲気が、場の緊張をさらに引き締める。

 マイクのスイッチが入れられ、低く平坦な声が響き始めた。

「えー、以上の点から……建設前に環境影響評価を実施し、建設後も環境影響に関する調査を定期的に継続しておりますが、いずれも環境に影響は出ないものと考えております」

 淡々と読み上げられる原稿。抑揚も、熱も、聴衆への目線すらない。

「いろは……むずかしい話でさっぱりわからないよ」

 こむぎが小さく身をよじりながらぼやく。淡々と続く説明と空調のやさしい風に当てられ、あくびをかみ殺す。

「正直、わたしもだよ。でも、大事な話だから……もうちょっとがまんしよう」

 いろはが苦笑しながら、こむぎの肩に手を添える。

 会場には専門用語が飛び交い、場違いなほどの無機質さが支配していた。

 だが、それでも誰一人として席を立たず、静かにその続きを見守っていた。

「それでは、これより質疑応答の時間とさせていただきます」

 司会役の声が響くと、前列から立ち上がる影があった。

 メガネをかけた中年の男性。手元の資料をしっかりと持ち、まっすぐ演壇を見つめる。

 名乗ったのは、猛禽類医学研究所の職員だった。

「資料によれば、メガソーラーの建設予定地はおよそ一万平方メートルに及ぶとのことですが、事業地からわずか五~六メートルの位置に、オジロワシの巣があることをご存知でしょうか?」

 会場がわずかにざわめく。

「存じ上げております」

 業者側の答えは淡々としていた。

 しかし、研究者の口調はそこで熱を帯び始める。

「ここに巣を作っているオジロワシは、十年以上にわたり、同じ場所で子育てを続けているんです。オジロワシは国の天然記念物であり、絶滅の危険が増大していることから、法律で保護されている種です。そして何より、この種は“アンブレラ種”です」

 その言葉に、一部の来場者が小さく息を呑む。

「つまり、オジロワシの生息地を守ることは、その下に連なる多くの動植物の生態系全体を守ることにもつながる。彼らがその環境の頂点に位置するからこそ、影響は広範に及ぶんです」

 研究者の言葉に、会場の空気がぴりつく。

「工事の騒音や振動で、巣を捨てる可能性は十分にあります。仮にヒナが生まれても、ソーラーパネルの影に隠れてしまえば、親鳥が餌を届けられず、最悪、餓死することになるんです。それが五メートル、六メートルの距離なんです」

 言葉はまっすぐだった。

 続けて、工事車両の往来や、パネルによる地表温度の変化などが幼鳥の生存に及ぼす可能性にも触れた。

 やや沈黙の後、業者の代表がマイクに口を寄せる。

「……法令を遵守して、手続きを進めてまいります」

 その答えは、まるで核心を避けるかのように曖昧で、極めて玉虫色だった。

 さらに、代表者は淡々と続けた。

「なお、繁殖期を避け、騒音の少ない重機を使用いたしますので、オジロワシへの影響はないものと考えております」

 用意された定型文。

 その裏にあるべき“責任”や“誠意”の気配は、どこにも感じられなかった。

 誰の疑問にも明確には応えず、ただ「工事は進める」という一点だけが、静かに――しかし確かに示された。

 会場の空気は冷え込み、誰もが言葉を失う。

 張り詰めた沈黙の中、後方からひときわ通る女性の声が響いた。

「――フリーライターの月村千鶴です」

 その名に、一部の住民がざわつく。

 鋭い視線のまま立ち上がった千鶴は、手元の資料を掲げながら、まっすぐに業者の代表を見据えた。

「ソーラー発電所ができると、火災が起こるリスクが非常にあることはご存知でしょうか?」

 一瞬、空気が動く。

「悪くすると、市街地のほうまで延焼し、市民の生活に大きな影響を与える可能性が高いと私は危惧しています。実際、鹿児島県のメガソーラー施設では鎮火までに二十時間以上を要した火災が発生しました。感電の危険性があるため、消火活動にも時間がかかるという問題があるのです」

 会場内の空気がぴんと張り詰める。

 千鶴はさらに声を強めた。

「特に、この事業予定地には葦が大量に自生していますよね。乾燥した葦は非常に燃えやすく、ひとたび火が入れば、一日から二日で湿原全体に延焼するというシミュレーションすらある。そうなれば、自然環境どころか、アニマルタウン全体の安全が脅かされることになりかねません」

 会場が静まり返った。

 居並ぶ業者、そして住民たち――誰もが、千鶴の問いに返す言葉を失っていた。

 彼女の指摘は、もはや環境保護の枠を越えていた。

 それは住民の命と暮らしに直結する、現実的かつ深刻な危機の指摘だった。

 やや間を置いて、業者の代表が口を開く。

「……ええ、火災リスクについては、事前に各種法令に基づく安全対策を講じております。定期的な管理・点検体制も整えておりますので、住民の皆様には安心していただければと存じます」

 いかにも定型的な回答だった。

 火災という深刻なリスクに対しても、“適切に対処します”の一言で押し通そうとする姿勢に、会場の空気が微かにざわめき始める。

 そのざわめきが、やがて一人の住民の声となって飛んだ。

「じゃあ、あんたたち……この湿原が全部燃えて、町に被害が出ても“想定外”で済ませる気かい?」

 質問ではなく、非難に近い語気だった。

 業者の男は一瞬、返答に詰まった。

 だが、数秒の沈黙の後、肩をすくめるようにして、苦笑まじりに言葉を継いだ。

「……まあ、正直に言えば、アニマルタウンには他にもソーラーパネルがたくさん建っていますし。ここもそのひとつにすぎないと、我々は考えております。景観が損なわれる、という話でしたら……正直、もうすでに充分壊れているんじゃないですか?」

 一瞬、時間が止まったような沈黙。

 それを破ったのは、誰かの怒声だった。

「なに言ってるんだ!!」

「ふざけるな!!」

「壊しておいて、それが理由になるってのか!!」

「住んでる人間や動物の気持ちはどうなるんだ!!」

 会場に怒号が飛び交う。立ち上がる者、拳を握りしめる者、顔を真っ赤にして詰め寄ろうとする者――

 紛糾する場内に、司会者の制止の声すらかき消されるほどの騒然とした渦が巻き起こった。

「静粛に、静粛にお願いします! お席にお戻りください――!」

 だが、その場に満ちた怒りは、もう誰にも止められるものではなかった。

 “壊れた景観”という何気ない一言が、住民たちの心に深く突き刺さっていた。

 その中で、こむぎたちはただ黙って見つめていた。

 業者の“本音”が顔を出した瞬間。――そこにあったのは、自然や命への敬意の欠片もない、無機質な損得勘定の言葉だった。

 司会者の必死の制止もむなしく、会場は騒然としたまま収拾がつかなくなり、説明会は一時中断――水入りという形で幕を下ろした。

 

 業者側は早々に資料をまとめて席を立ち、住民たちも不満を吐き捨てるように三々五々その場を去っていく。

 その場に残されたこむぎたちもまた、立ち上がる気力をしばらく失っていた。

「……ひどい話だったね」

 まゆが沈んだ声でぽつりと漏らす。

「そうね」

 ユキも短く答えるが、その表情はどこか虚ろだった。

「…………」

 こむぎは何も言えなかった。

 ただ、すっかり空になった演壇を、ぽかんと見つめるばかりだった。

 誰もいない、誰にも届かないその場所が、やけに遠く見えた。

 事前に知識を得て、心の準備をしてきたつもりだった。けれど、現実は――それ非情だった。

 人の言葉を遮るような無責任な返答。

 命や暮らしにかかわる指摘にさえ、耳を貸そうとしない姿勢。

 何より、それが“合法”という名のもとに黙認される現実。

「まじまじと見せられたな、あいつらの“悪質性”ってやつを」

 大福が険しい顔で呟く。

 悟も無言のまま、机の上に残された資料を静かに見つめている。

 ――確かに、アニマルタウンの郊外にはすでにいくつものソーラーパネルが建ち並んでいる。

 それでも、この湖畔の湿地だけは、豊かな風景と野生の息吹が今も残されていた場所だった。

 その“最後の一角”までもが、無造作に奪われようとしている。

「こんなにおかしいのに……本当に、どうすることもできないのかな……」

 いろはがぽつりとつぶやいた。

 それは誰に向けた言葉でもなく、押し寄せる無力感に飲み込まれそうな自分自身への問いかけだった。

 誰も、すぐには答えられなかった。

 そのとき、後ろから柔らかくも芯のある声が届いた。

「あら? あなたたちも……来ていたのね」

 ふと振り返ると、壁際に立っていたのは月村千鶴だった。

 整ったスーツ姿に、少し疲れの見える表情。それでもその目は、相変わらず鋭く、真っ直ぐだった。

「千鶴さん……!」

 まゆが思わず声を上げ、こむぎたちも次々に顔を上げた。

 千鶴は軽く頷いて歩み寄ると、近くに置かれていた椅子に静かに腰を下ろした。

 その表情には、取材のときとはまた違う疲労と、淡い苛立ちが滲んでいた。

「ひどかったわね、さっきの説明会。……私も正直、あそこまで清々しいと、逆に笑えてくるんだけどね」

 軽口めかして言いながらも、その笑みに力はない。

「笑い事じゃない。このままでは、本当に奴らの思い通りになってしまうかもしれないのだぞ」

 かなえが静かに釘を刺すように言った。

「あの……町が強く規制をかけることって、できないんでしょうか?」

 悟が、ためらいながらも尋ねる。

 千鶴は少し間を置き、目を細めた。

「残念だけど――それは難しいわね」

 そして、静かに説明を始める。

「自然公園法の中には、たしかに“規制”や“保全”の文言が明記されているわ。でも、地域によって保護レベルが違っていて、今回の事業予定地は“普通地域”。しかも“民有地”なの。つまり、必要な手続きをきちんと踏めば、ソーラーパネルの設置は法律上できてしまう場所なのよ」

 説明を受け、こむぎたちは一様に表情を曇らせた。

「条例で止めることはできないのか?」

 大福が食い下がるように問う。

「……法律で認められていることを、条例で禁じることはできないの。“上位法優先”という原則があるから。町の裁量では、どうすることもできないのよ」

 千鶴の声には、記者としての冷静さの奥に、言いようのない悔しさが滲んでいた。

 それでも彼女は続ける。

「それに今、国全体が“ゼロカーボン”の流れに乗ってるわ。2050年までに温室効果ガスをゼロにする目標のもとで、再生可能エネルギーは“進めるべきもの”として位置づけられているの。アニマルタウンでも、役場の駐車場にソーラーパネルを設置したり、家庭の再エネ機器に補助金を出したりして、ゼロカーボンシティの実現に取り組んでいる。だから開発そのものを否定するのは、簡単なことじゃないのよ」

 静かに、しかし確かに語られる現実。

 それは、制度という“理屈”に組み込まれた、「進めるしかない論理」だった。

 こむぎたちは再び沈黙に包まれる。

 誰もが、押し寄せる閉塞感の中で、言葉を探しあぐねていた。

 そんな空気を、ふいに千鶴の声が破った。

「でもね――」

 彼女は、ひと呼吸おいて言葉を継いだ。

「まったく何も手がないってわけじゃないの」

 その一言に、こむぎが顔を上げる。

「……どういうこと?」

 小さく問い返すこむぎに、千鶴は鞄から一台のタブレット端末を取り出した。

 数回タップし、画面をこちらに向けて差し出す。そこに表示されたのは――

「『文化財保護法』。聞いたことある?」

「えっと……授業でちょっと」

 いろはが控えめに答える。

 千鶴はうなずき、端末の画面をなぞりながら説明を始めた。

「文化財保護法には、天然記念物や埋蔵文化財がある土地に対して、勝手な開発や立ち入りを制限できる法的根拠があるの。実は、今回の開発予定地の一角――そこに、文化財登録がなされた可能性のある史跡があるって情報を掴んだの」

「えっ……!」

 こむぎたちの間に、希望と驚きが入り混じった空気が走る。

「もしそれが正式に確認されれば、たとえ民有地であっても、開発には文化庁の許可が必要になる。事業者は申請だけで済ませることができなくなるのよ。場合によっては調査や制限が課されて、計画が大幅に遅れることもある」

「つまり……止められるかもしれないってことですか?」

 まゆが身を乗り出すように尋ねる。

「完全にとは言わないわ。でも、“時間を稼ぐ”ことはできる。そしてその間に、住民の声や関心を集めていけば、行政も動かざるを得なくなる。私たちがやるべきなのは、“諦めずに揺さぶり続けること”よ」

 その瞳には、強い信念が宿っていた。

 冷静さの奥に燃えるような情熱――それは記者としての矜持だけではなく、一人の住民として、この町を守りたいという意思の表れだった。

「法律はね、知っている人の味方なのよ」

 千鶴は静かに、しかし力強く言った。

「私も――アニマルタウンの出身の一人として、絶対に諦めたりはしないわ」

 こむぎたちの胸に、その言葉がまっすぐに届いた。

 ほんのささやかな光だったけれど、それはたしかに、閉ざされていた扉を押し開ける力を持っていた。

 

           ◇

 

 千鶴の働きは、静かに、しかし確実に波紋を広げていった。

 彼女が示した「文化財保護法」に基づく指摘は、行政の中でも大きな反響を呼び、アニマルタウン町長・鷲尾の元にもその情報は届いた。

 もとより動物や自然を愛することで知られる鷲尾町長は、専門家や町役場の文化財担当とも協議を重ねた末、事業者に対して一時的な立ち入り禁止措置を通告する決断を下した。

 同時に、こむぎたちもまた動き出していた。

 これまでに学んだこと、現地で見たこと、説明会で聞いた言葉――

 すべてを整理し、わかりやすくまとめた投稿をSNSに発信していった。

「この自然は、誰かの命の場所なんだ」

「未来のために、今できることを考えてほしい」

 その声は、少しずつ、しかし着実に広がっていった。

 共感の輪は子どもから大人まで広がり、やがて地域外の環境団体や報道関係者も関心を寄せるようになる。

 ある日を境に、こむぎたちの活動が大手メディアで紹介されると、事態は一気に動き始めた。

 報道は、自然保護と再生可能エネルギーの共存という難題に光を当てた。

 その中で、無名の子どもたちが「失われそうなもの」を必死に守ろうとしている姿が、多くの人々の胸を打った。

 やがて、世論の高まりが行政を後押しし、さらなる調査と再検討が決定される。

 ――こむぎたちの小さな声は、いつしか町を動かし、

 そして、未来を変える力となり始めていた。

 

           ≡

 

9月上旬

アニマルタウン 犬飼家

 

「やったー!!」

 いろはが勢いよく立ち上がり、タブレットを掲げて叫んだ。

「ど、どうしたのいろは?」

 こむぎが驚いたように振り向く。

 犬飼家のリビングには、いつものメンバー――まゆ、ユキ、悟、大福、そしてかなえが集まっていた。

 くつろいだ雰囲気の中で、いろはの突然の歓声が場の空気を変える。

「見て見て! これニュースになってる!」

 いろはがタブレットの画面をみんなの前に突き出す。

 そこには、今朝公開されたばかりの動画ニュースが映し出されていた。

『〇〇市の事業者が、アニマルタウンの湿原地帯に太陽光発電所を建設する計画を巡って、予定地に隣接して国の天然記念物である「オジロワシ」の巣があることが確認されました。アニマルタウン教育委員会は、文化財保護法に基づき、事業者に対し、オジロワシの卵が孵化する来年5月下旬まで、当該区域への立ち入りを禁止するよう通告。これを受けて事業者は、計画地のおよそ一割にあたる約2.5ヘクタールの建設を中止する方針を、アニマルタウン側に伝えました』

「ほんとに……止まったんだ……!」

 まゆが目を見開きながら、画面を食い入るように見つめる。

「巣の周辺が除外されたってことは……少なくとも、オジロワシの命は守られる可能性が高くなったってことよね」

 ユキが静かに、しかしどこか嬉しそうに言う。

「ふっ、やればできるじゃねーか、鷲尾町長も。というか、千鶴の姐さんもあっぱれだな」

 大福が腕を組み、鼻を鳴らした。

「まだ計画全体が中止になったわけじゃない。でも、一歩だよ。間違いなく、大きな一歩だ」

 悟の声には、いつになく確かな手応えが宿っていた。

 かなえは黙ったまま、小さく頷いた。

 その手の中には、今日も変わらず、オジロワシの飛翔をとらえた一枚の写真が握られていた。

 その雄々しい姿を見つめるかなえの表情は、どこか遠いものを映していた。

「安心したらおなか空いちゃったー。おやつ食べようっと!」

 こむぎが元気よくキッチンに向かい、テーブルにお菓子の皿を並べる。

「全く、お前ってやつは……」

 大福が苦笑交じりに言いながらも、一つつまんで口に放り込む。

「はい、かなえも食べる?」

 こむぎが差し出すと、かなえは軽く頷いて手を伸ばした。

「ああ。いただこう」

 一口かじった瞬間――

「!?」

 ほんの一瞬、表情が固まる。

「どうしたの?」

 怪訝そうにこむぎが問う。

「いや……なんでもない。うまいな、このクッキー……」

 だが、すぐに微笑みを作って、かなえは静かに言った。

 言葉とは裏腹に、舌にはまるで感触がなかった。

 サクッという音は確かに響くのに、甘さも香ばしさも、何も感じられない。

(まただ……味が、ない……)

 それを誰にも悟られぬよう、かなえはただ静かに、もう一口を口に運んだ。

 

           *

 

アニマルタウン某所 太陽光発電事業者オフィス

 

 ブラインドの閉まった会議室に、怒号が響いた。

「ふざけるなよ……! たった2.5ヘクタールじゃ済まないんだよ!」

 書類を机に叩きつけた男は、プロジェクトマネージャーの一人。

 目の下には深い隈が刻まれ、握ったペンは今にも砕けそうだった。

「契約見直しだ、土地の借地料も再交渉だ。送電計画ごと組み直しだぞ!? いくらかかると思ってる!」

「教育委員会? 鷲尾町長? 文化財? ……クソみたいな理由だ」

 隣に座る別の男が舌打ちをし、冷めたコーヒーに口をつける。

「やっぱり“アニマルタウン”って名前の時点で、自然様(笑)を神棚に飾ってんだろ。ああいうやつらが一番タチ悪いんだよ」

「これまでどれだけ手間と金をかけてきたか……全部ムダにしやがって。こっちが泣き寝入りすると思うなよ」

 沈黙。

 会議室に張り詰めた空気の中で、窓の外、誰もいないはずの夜の街に、不気味な気配が満ちていく。

 やがて――

「ならば、憎しみのままに望みなさい……」

 空気が、凍る。

 声の主は、会議室にはいなかった。

 だが、その囁きは確かに男たちの耳元に届いていた。

「誰……だ……?」

 マネージャーが小さくうめいた。

 ふと、窓の外に目をやる。

 そこには、まるで影が人の形を成したかのような、異様な存在が立っていた。

 その瞳は蛇のように縦に裂け、背後に黒い煙のようなものが揺らめいている。

 人と蛇が混じり合ったようなその姿――ナギリ。

「我々が与えましょう。貴方たちの、叶わぬ怒りの果てを」

 ナギリが腕を広げると、その足元から沼のように黒い液体が湧き上がる。

「闇に潜みし怨念よ、形を成せ」

 それは、事業者たちの怨念と利欲を吸い込みながら、形を持ち始めた。

「ガオガオーン!!」

 黒き塊が咆哮を上げた。

 泥のような液体が泡立ち、三つの生き物の“記憶”が混ざり合う。

 ――ぬめる巨体と短い四肢は、まるでオオサンショウウオ。

 地を這うように身をくねらせ、泥と同化して蠢く。

 ――しなやかに伸びる首と嘴。黒白の羽を広げ、狂った優雅さで舞い上がるタンチョウの姿。

 ――背に重なる甲殻と節足。甲虫特有のざわめきと異音を撒き散らす、ガムシの異形。

 三つの命が歪に融合し、凶悪なシルエットをかたちづくる。

 ――サンタンムシガオガオーン。

 湿地の静けさを蹂躙するように、禍々しき咆哮が夜空を裂いた。

 その目が、アニマルタウンを真っ直ぐに見据えていた。 

 

           *

 

アニマルタウン 住宅街

 

 いつもの静かな夕暮れ。

 その空気を破るように、重く湿った地響きが鳴った。

 ――ズズ……ズガァァン!!

 住宅街の一角に、ぬめるような黒い巨体が姿を現した。

「ガオガオーン!!」

 咆哮とともに地面が抉れ、舗装が泥と化して崩れ落ちる。

 甲殻の羽音のような不快な震動が辺りに響き、電柱が傾ぎ、車が跳ね飛ばされる。

 現れたのは、サンタンムシガオガオーン――

 オオサンショウウオのねっとりとした巨体、タンチョウの羽根と嘴、そしてガムシの甲殻と節足が混ざり合った異形の魔獣。

 その姿に、逃げ惑う人々の叫びが交錯する。

「きゃあああっ!」「あれ何!?」「早く逃げて!!」

 泥水が噴き上がり、家屋の壁を叩き割る。

 道路は瞬く間にぬかるみ、まるで“湿原”が出現したかのような異常空間が広がっていく。

 その時――

「待てーっ!!」

 高らかな声が空に響いたその瞬間、まばゆい光が夜空を裂くように降り注いだ。

 光の中から次々と姿を現す、6つのシルエット――

 着地したのは、キュアワンダフル。

 そして、フレンディ、ニャミー、リリアン、シャスール。

 その後ろには、悟と大福も駆けつけ、全員が勢揃いしていた。

 激しくうねるぬかるみの向こう、サンタンムシガオガオーンがこちらを睨みつける。

 泥水と羽音と咆哮が混ざり合い、異様な圧力があたりに立ち込める。

「これは……また凄いのが来たわね……!」

 ニャミーが身構え、鋭い視線を敵に向ける。

「サンショウウオに、タンチョウ……それにガムシ! 湿地に住む生き物が、混ざってる!」

 即座に特徴を捉え、悟が叫ぶ。

「ぜったい止めなきゃ……!」

 リリアンが力強く前に出る。

 その言葉に、仲間たちの視線が集まる。

「――行こう! アニマルタウンを守るために!」

 フレンディが叫び、わんぷりメンバーが一斉に構えを取った。

 戦いの火蓋が、切って落とされた。

 

「ガオガオーン!!」

 泥と羽音が入り混じる中、サンタンムシガオガオーンの咆哮が町を貫いた。

 その叫びはあたかも怒りと怨念の濁流のように周囲を揺るがし、住宅街の一角は見る間に湿地と化す。

 ぬかるんだ地面がぐずりと沈み、濁った水が足元を這う。

 道路のアスファルトは割れ、泥が噴き上がり、電柱が一つ、もう一つと倒れていく。

「くっ……!」

 フレンディの足が泥に取られ、飛び込もうとした攻撃のタイミングを逸した。

「なにこれ……下手したら町全体が呑まれちゃうよ……!」

 リリアンの声にも焦りが混じる。

「ワンダフル! 左から回り込むわよ!」

 ニャミーがぬかるんだ地面を巧みに跳ねながら指示を飛ばす。

「わかった! 大福、あの羽根の動き、止められない!?」

 ワンダフルが叫ぶと、大福が一瞬舌打ちをして、低く飛び上がる。

「やってやらぁ! 食らいやがれっ!」

 空中から回転しながら蹴りを放ち、タンチョウのように羽ばたく羽根に打撃を与える。

 バシッ――!

 羽が一部砕け、サンタンムシガオガオーンが一瞬よろめいた。

 その背後、悟がすでにコンコードフレーテを手に音色を奏でていた。

「ガオガオーン…!」

 叩きつけられた音色が空気を震わせ、共鳴するようにサンタンムシガオガオーンの動きが鈍る。

 タンチョウの羽が一瞬たじろぎ、湿地の泥が小さく波打って止まった。

 その一瞬の隙――

「フレンディリボン!」

 フレンディが跳び上がり、腕を一閃。

 きらめくリボンが宙を奔り、タンチョウの羽を絡めとるように拘束していく。

「リリアンネット!」

 続いてリリアンの放った光の網が、敵の足元を包み込むように広がり、ぬかるんだ泥ごとその巨体を縛りつけた。

「いまだ、シャスール!!」

 フレンディの声が響く。

「おおおッ!!」

 その声は鋭く、抑えがたい激情を孕んでいた。

 シャスールの背後に、黒紫の羽根のような力が広がる。

 矢を番えた瞬間、空気が張り詰め、闇が一線に凝縮される。

「喰らえ! レイブンストライクッ!!」

 解き放たれた矢は、唸りを上げて空を裂き、光と影をねじるようにしてサンタンムシガオガオーンの胸部に突き刺さった。

「ガオガオーン!!」

 サンタンムシガオガオーンが激しくのたうち、泥を撒き散らしながらよろめく。

 だがその直後、シャスールの腕に走る奇妙な感触――矢の残滓から、逆流するように黒いもやが伝い、彼女の手元へ絡みついた。

「ッ……! また……、きた……」

 力を放った瞬間、彼女の瞳がわずかに濁る。

 皮膚の下を何かが走った感覚――そして、胸の奥から湧き上がる疼き。

 手が震える。

 脈打つ影の疼きが、まるで“悦び”を訴えるように熱を持つ。

「シャスールッ!!」

「大丈夫か!?」

 ニャミーと大福が駆け寄ろうとしたその瞬間――

「来るなッ!!」

 シャスールが鋭く叫んだ。

 その声には、恐怖と怒り、そして――自分自身への強い否定がにじんでいた。

「ガオガオーン!!」

 サンタンムシガオガオーンが咆哮し、ぬかるみの地を踏み砕く。

 シャスールの体が揺れ、影の力が脈打つように全身に走る。

「ぐぅ……!」

 あふれ出す闇の気配。それは、かつての戦いでも現れた、異常なまでの増幅。

 今、サンタンムシガオガオーンの怨念に呼応するように――再び暴走の兆しを見せ始めていた。

「やめて、シャスール!! このままじゃ、またガオガオーンになっちゃうよ!!」

 ワンダフルの叫びが届く。

 だが、シャスールの瞳には黒い光がちらつき、揺れ動いていた。

 そのとき――

「……私は、もう二度と……間違わない……!!」

 シャスールが胸元に手を当て、強く、静かに歯を食いしばる。

 その指先には、仲間たちと共に過ごした日々――確かに積み重ねられた記憶があった。

「私を……私に戻してくれたみんなの想い……無駄にはしないッ!!」

 次の瞬間、影の力が刃のように収束し、鋭く結晶化する。

「タロンハチェット――!!」

 タロンボウガンがその姿を変え、黒く光る刃が回転しながら解き放たれる。

 刹那、サンタンムシガオガオーンの胴体を斜めに深く裂いた。

「ガオガオーン…!!」

 サンタンムシガオガオーンが断末魔の悲鳴を上げながらよろめく。

 怒りも怨念も、一瞬だけ霧散したかのように動きを止めた。

「は、は、は、は、みんな…今のうちだ!!」

 息切れ激しいシャスールの声が響き、六人が即座に陣形を取る。

「「「「「「ミラーストーンスタイル!!」」」」」」

 六人の身体が淡い光に包まれ、鏡石の加護を受けた姿へと変化する。

「「「「「「プリキュア・サークルオブライフ!!」」」」」」

 命の光が円を描き、空から大地へと降り注ぐ。

 その中心にいたサンタンムシガオガオーンの体が、少しずつほどけるように光へと溶けていった。

「ガオガオーン……」

 ぬめりも、羽音も、怒りも――

 すべてが、静かに浄化されていく。

 六人の技で浄化され、サンタンムシガオガオーンは消滅。素体となった人間と夜の湿気を残して霧のように消え去った。

 

 静寂が戻る。

 しかし――その空気は、長くは続かなかった。

「……ようやく、片がつきましたか」

 まるで闇そのものが声を持ったように、どこからともなく男の声が響いた。

「――ッ誰!?」

 ワンダフルがすぐに構え直す。だが、その“何か”はすでに彼女たちの目前に立っていた。

 影が人の形を成したような姿。背中に揺らめく蛇の影。

 縦に裂けた瞳が、獲物を見るように七人を舐める。

 ――ナギリ。

「また……お前か……」

 シャスールの声が震える。

 その瞬間、ナギリが彼女に視線を向けた。

 ただそれだけで、シャスールの身体がびくりと震えた。

 胸の奥から、鈍く黒い何かが疼き、渦巻き、溢れ出す。

「ッ……くっ……!」

 シャスールの呼吸が乱れ、膝が崩れそうになる。

 ナギリは一歩も動かず、ただその様子を見下ろしていた。

「抵抗は、無駄です」

 その声は、低く、凍てつくように冷たい。

 シャスールの中の影が再び暴れ始める。

 仲間たちの声も、遠ざかっていくように感じられた。

 ナギリの唇が、不敵に歪む。

「キュアシャスール……いえ、“鷹目かなえ”」

 そして――

 突き刺すような言葉が投げかけられた。

「貴方は知ってて、見ないフリをしているんですか?」

 その一言は、彼女の内側に潜む“恐れていた何か”を、容赦なく暴き出すものだった。

「……何を言って……」

 かすれた声で、シャスールが言葉を返す。

 だが、ナギリはその動揺を見透かすように、冷たい微笑を浮かべる。

「では――もう少し、明確に伝えましょうか」

 空気が凍る。

 ナギリの瞳が、まっすぐにシャスールの奥底を射抜いた。

「貴方自身が、我々と同じ存在になろうとしていることに」

 風が止み、時間が凍ったかのような沈黙――

 誰も言葉を発せず、ただその意味を飲み込めずに立ち尽くしていた。

 ナギリは満足げに笑みを深め、まるで影に溶けるように、その場から姿を消していく。

 そして――

 その場には、崩れ落ちるように膝をつくシャスールだけが残された。

「私が……あいつと同じ……だと?」

 

 

 

 

 

 




登場ガオガオーン
サンタンムシガオガオーン
声:高橋伸也
身長:780cm
体重:不明(推定7トン以上)
・特色/力
オオサンショウウオ・タンチョウ・ガムシという湿地の生物を素材にナギリが融合・創出したフューザーガオガオーン。
アニマルタウンの湿原地帯にメガソーラー発電所を建設する計画を巡り、開発業者の抑圧された怒りと怨念を媒体に誕生。
陸・空・水中すべてに対応したトリッキーな機動力と、湿地そのものを味方につける撹乱戦法を得意とする。
さらに、戦いの最中にはシャスールの影の力に共鳴し、彼女の内なる“闇”を刺激する作用も持っていた。
・特徴
全身は黒紫色のぬめりを帯びた皮膚で覆われ、オオサンショウウオ由来の粘膜がぬかるみや泥に溶け込むようになっている。
背中にはタンチョウの翼を思わせる白黒の巨大な羽があり、それを震わせて音波や泥の飛沫を撒き散らす。
足と腹部にはガムシに由来する水かきと鋭利な突起があり、泥地でも高速滑走・地中潜行が可能。
口元にはオオサンショウウオのような大きな顎があり、泥を含んだ毒液を噴射することができる。
・能力
濁泥羽波(だくでいうは)
タンチョウ由来の羽を激しく羽ばたかせ、濁った泥水を波状に散布する範囲攻撃。敵の視界と感覚を奪い、バリア機能を低下させる。
泥潜遊泳(でいせんゆうえい)
ぬかるんだ地面に自身を溶け込ませるように潜行し、相手の死角や背後から奇襲を仕掛ける。
泥顎毒咬(でいがくどっこう)
オオサンショウウオ由来の顎による噛みつき攻撃。攻撃と同時に粘性の強い毒液を浴びせ、装備や防御を侵食する。
・行動
湿地のような泥地や水辺での戦闘を最も得意とし、視界と足場を奪って戦局を制圧する戦法を用いる。
羽音による音波撹乱や泥飛ばしで集団戦をかく乱し、孤立した敵を各個撃破する。
ナギリの命令に忠実で、戦いの最中にシャスールの影の力に反応するよう仕向けられており、彼女の精神を不安定化させる役割も担っていた。
・戦闘記録
メガソーラー事業者の怨念とともにナギリが召喚・融合し、アニマルタウン住宅街を泥地へと変えながら暴れ出す。
悟の音色魔法により動きが一時的に停止し、フレンディのリボンとリリアンのネットによって拘束される。
その隙にシャスールが「レイブンストライク・ボウガントカゲ」を放ち重傷を負わせるが、影の力が暴走しかける。
仲間たちの声で踏みとどまったシャスールが「タロンハチェット」で大ダメージを与え、最終的にプリキュア6人の連携技「プリキュア・サークルオブライフ」によって完全に浄化された。
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