わんだふるぷりきゅあ!!~わんだふる♡わーるど~   作:重要大事

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第21話:手の中のわんだふる!

9月上旬

アニマルタウン 犬飼家

 

 いろはの部屋の一角にある、ダイヤモンドリボンキャッスル。

 ニコ様のために設えられたその専用の空間は、明るく穏やかな朝の光に包まれていた。

 窓から差し込む陽は、まだ夏の名残を感じさせながらも、どこか秋の気配を含んでいる。

 高く澄んだ空と、風に揺れるカーテンが、季節の移ろいを静かに告げていた。

「……ん……」

 ふと、ベッドの上でかすかな吐息がこぼれた――その瞬間だった。

「ワン!?」

「……今、ニコ様動いた……?」

 こむぎといろはが顔を上げる。まどろみの中、彼女の瞳が、ぱっと見開かれる。

「ニコ様……!?」

「今、ほんとに……!」

 その声に反応するように、まゆとユキが同時に肩をピクリと動かした。

「ニコ様っ!!」

 メエメエの甲高い声が響く中、全員の視線が、一斉にベッドの上へと集まる。

 ピンクのリボンとレースに包まれた、華やかで愛らしい空間の中――小さな身体が、ほんのわずかに揺れた。

 そして、まぶたがゆっくりと――光を確かめるように、開かれていく。

「……みん、な……?」

 かすれた声。それでも、どこか甘えるような、懐かしい響きがあった。

「ニコ様……!」

 いろはは瞳を潤ませながら、そっと彼女に寄り添う。

「……ふぅ。ようやくお目覚めだな」

「うん」

 悟と大福が互いを見合うと、ただその瞬間を見つめていた。

 胸の奥からあふれてくる歓喜が、空間を満たしてゆく。

 長い長い眠りの果てに、ようやく届いたその声が、皆の心を優しく揺らしていた。

 しばらくの間、誰もが言葉を失っていた。あまりに待ち焦がれた奇跡が目の前で起きたことで、言葉にするには時間が必要だったのだ。

「……大丈夫、ニコ様?」

「痛いところとか、苦しいとこはない?」

 こむぎといろはが病み上がりの彼女を気遣い、やわらかく尋ねる。

 ニコは、その問いにしばし目を伏せ、細い指先で胸元のリボンをぎゅっと握った。

「……へーき、だよ……ちょっと、ねむいだけ……」

 その声もまた、かすれがちながらも、確かに“今”にいることを感じさせるものだった。

「起き上がっても大丈夫か?」と、かなえが問いかけると、ニコはこくりと小さくうなずいた。

 キラリンアニマルの補助を受ける形で、ゆっくりとニコは上体を起こす。ふわりと髪が揺れ、リボンの香りがわずかに立ち上る。

「ニコ様、無理はしないでくださいね……!」

「しんどなったらすぐ言えよ」

 まゆと大福が心配そうに声をかける中、ニコは静かに頷いた。

 そして、ほんのしばらくの沈黙ののち――

「……ニコ様、ニコガーデンで何があったのか……ニコ様が、どうしてガオガオーンになっちゃったのか。その理由を……」

「ナギリが一体何者で、何が目的なのか?」

 悟とユキが、柔らかな声でそう問いかけた。

 ニコは、視線を小さく揺らした。瞳の奥に、一瞬だけ影が走る。

「……ニコにも正直、よくわからないの。みんながナギリと言っているのが、生き物かどうかも。ただ、わかっているのは…………あれはスバルとは全く毛色の違う異質な存在。同じ恨みを抱えていながら、その本質は虚無……」

「きょむ?」

 こむぎが小首をかしげる。

「空っぽで、虚しいってことだよ」と、大福が静かに応じる。

 その言葉を聞いたニコは、ほんの一瞬だけ目を伏せた。そして小さく呟く。

「……あれは、生きることそのものを、誰よりも欲しながら……誰よりも、生きていない」

 その言葉が発せられた瞬間――かなえの胸の奥で、何かがかすかに鳴った。

「……いい得て妙だ」――自然に浮かんだ感想と同時に、脳裏にざらりとした感触が走る。まるで砂鉄が皮膚の裏を這うような、不快で、それでいてどこか懐かしい感覚。

 そして――

 

 

 場面が、音も光も吸い込まれたように変わった。

 目の前には、虚ろな闇。

 触れるものもなく、ただそこに“存在する”だけの無の空間。

 けれど、かなえにはわかっていた。ここは自分と、“ナギリ”だけの場所。

 名もなき怨念と、己の内に眠る“影”が、ひそかに共鳴する場所。

「フフフ。また会えましたね」

「! ナギリ……!」

 かなえは目を細める。

 怯えるでもなく、怒るでもなく――静かに、しかし確かな警戒を滲ませて。

「何をそんなに臆するのです? 言った筈ですよ。あなたも我々と同じ存在だと」

 その声は、背後から柔らかく響いた。

 だが、背筋をなぞるような冷たさが、その言葉のひとつひとつにまとわりついている。

「私は……お前とは違う!」

 かなえが振り返ると同時に、空間が揺れた。

 それまで“何もなかった”闇が波紋のようにゆらぎ、色を帯び始める。

 やがて、足元にしっとりとした苔が広がり、風がそよぐ。無数の木々がその姿を現し、光の差さぬ鬱蒼たる森が出現する。

「!?」

 どこか既視感のある風景。けれど、どこまでも静かで、どこまでも不気味に整っていた。

 その中心に、ナギリは佇んでいた。人のような輪郭を持ちながら、皮膚のようなものはなく、陰影だけでできたような存在。背後から蛇の影がぬるりと這い出し、彼の足元を包んでいる。

「美しいという感覚について、あなたはどう思いますか?」

 問いかける声には、まるで講義でもするかのような静かな響きがあった。

「生き物が世界を美しいと感じるとき、そこは何物にも代えがたい“彩りに満ちている”と感じているのでしょうね」

「……何が言いたい?」

 かなえの声には、戸惑いと苛立ちが混ざっていた。

 しかしナギリは、彼女の反応に一切頓着することなく、森の中をゆっくりと歩き始める。

「いいですか。生き物と呼ばれるものの定義はいろいろあると思いますが、我々からすれば――生き物とは、“何かを欲した果てに、それを満たされる存在”です」

 ナギリは歩みを止め、そっと一本の木に触れた。

「ゆえに、どれほどの願いを抱こうとも、それが満たされる喜びを味わうことができないものは――生きているとは言えないのです」

「どういうことだ?」

「例えば、欲望が満たされたと感じる器官の一つ……感覚。見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れる――つまりは、五感です」

 ナギリの目が、こちらを向く。

 その瞳は縦に裂けた蛇の目。人の情をまったく含まないその視線が、森の薄明かりの中でじわりと輝いた、まさにその瞬間――

「我々が見る世界の色は、くすんでいます」

 言葉と同時に、周囲の景色が音もなく変わった。

 それま鮮やかだった緑の葉、木洩れ日の金色、地面に落ちる影――それらすべてが色を失い、乾いた灰色と墨の世界へと塗り替えられていく。

「っ!」

 かなえは、息を呑んだ。さながら水面に投げた石が、現実そのものを歪ませたかのようだった。

「音は濁っている」

 ナギリが続けると、森の奥から吹き抜けていた風の音、枝葉の揺れる微かなざわめき、小鳥の囀りまでもが、濁音に変わって耳を打った。金属を引き裂くような、ノイズ混じりの不協和音。

 この世界そのものが腐り落ちていくようだった。

 かなえは口を閉ざした。否定の言葉が喉まで上りかけたが、その異様な光景が逆にその声を奪っていく。

「貴方もそろそろ何かを感じているはずです。……いえ、“感じなくなっている”と言ったほうが、正確でしょうか」

 ナギリの声が微笑を含むように低く響いた、そのときだった。

 かなえの右腕の痣が、微かに疼く。

 そこに刻まれた“刻印”が、あたかもナギリの言葉に呼応するかのように、じくじくと熱を帯びた。

 内側からじわりと滲み出すような違和感。感覚の中枢が、誰かに触れられている――そんな錯覚に、息が詰まりそうになる。

 ――このままじゃ、何かが“こちら側”に引きずり込まれる。

 その瞬間――

 

 

「……ちゃん? かなえちゃん?」

 耳元で、やさしく揺れる声。

 その声に弾かれるように、かなえははっと息を呑み、目を瞬かせた。

「!」

 視界が戻る。

 そこには、心配そうにこちらを覗き込むいろはの顔があった。

 光の差す部屋、にぎやかな声。そこは確かに、現実だった。

「どうかしたの? ぼーっとして」

「……いや、なんでもない」

 かなえは無理に笑顔を作り、視線を逸らした。

 だが、指先がほんの僅かに震えていることに、本人だけが気づいていた。

 そのやり取りを、そっと見つめていたニコは――静かに、そして鋭く目を細める。

 目覚めたばかりのその感覚が告げていた。目の前のかなえからは、あの“ナギリ”と同じ気配が微かに漂っている。

(……やっぱり、この子の中に……)

 ふと、空気を変えるように、元気な声が飛び込んできた。

「ねーねー! ニコ様が起きたんだから、お祝いしようよ!」

 犬の姿から人間の姿に変身したこむぎが、両手をぱっと広げて提案する。

「それは素晴らしいアイディアです、こむぎ様!」

 すかさず、メエメエが誇らしげに胸を張った。

「そうと決まれば、わたくし張り切ってパーティーの準備をいたします!」

「わたしたちも手伝うキラ!」

 キラリンウサギたちをはじめ、九体のキラリンアニマルたちが一斉に飛び跳ねながら声をあげる。

 その動きは、花びらが舞い踊るように軽やかで、部屋の空気までも明るく染め上げていく。

「みんな……ニコのためにありがとう!」

 そう言って、ニコは目を細めた。

 彼女の頬にはほんのりと色が戻り、微笑みは、長い冬を越えて咲いた小さな花のごとく優しかった。

 たくさんの光に囲まれて――彼女は今、確かに“ここにいる”のだという喜びを噛み締める。

 

 こうして、ニコの回復を祝った宴の準備が急ピッチで進められた。

 こむぎたちも手分けして飾り付けや料理の支度に奔走し、午後には家の中がにぎやかな装いへと変わっていた。

 そして、日が傾き始めた夕方――

 犬飼家の居間には、明かりが灯され、料理の香りと笑い声が広がっていた。

 テーブルには、色とりどりのサラダに、焼きたてのパン、手作りのスイーツ。そして――

「さあ、できましたよ~! 本日のメインディッシュは……こちら! メエメエ特製☆回復応援カレーです!」

 メエメエが威勢よく大鍋を掲げると、部屋中にスパイスの香りがふわりと立ちこめた。

 とろみのあるルーに、ほろほろに煮込まれた野菜とお肉。カラフルなトッピングがあしらわれたその見た目に、歓声が上がる。

「それじゃ、ニコちゃんの回復を祝って!」

 と、陽子が笑顔で声をかける。

「みんなで乾杯ー!」

 剛が元気よくグラスを掲げる。

「「「「「「かんぱーい!!」」」」」」

 掛け声とともに、一斉に食卓の笑顔が弾けた。

 グラスが鳴り、スプーンが踊り、誰もが笑い合い、料理を頬張る。

 犬飼家の居間は、灯りとぬくもりに包まれ、まるで奇跡そのものが形をとったような、温かな空気に満ちていた。

 ――その輪の中で、かなえはスプーンを手にしたまま、そっと俯いていた。

「…………」

 表情は読み取れない。だが、手元に視線を落としたまま動かないその姿に、こむぎが気づいた。

「かなえ? カレー好きでしょ? 食べないの?」

「え……あ、ああ……」

 一拍遅れて顔を上げ、いつもの調子を装うように笑みをつくる。

「いただきます……」

 かなえはそう言ってスプーンを手に取り、ゆっくりとルーをすくって口に運んだ。

 ――その瞬間だった。

「……!!」

 何も、感じなかった。

 スパイスの香りも、コク深い旨みも、野菜の甘みも――

 すべて“記憶の中”にはあるのに、“今ここ”の自分の舌には、一切届いてこない。

 温度だけがわずかに伝わるが、それもまるで、感覚を通してではなく“ただの反応”として知覚しているかのようだった。

 ただ熱いだけの液体を、無感覚な口の中で転がしているだけ。

 それが“カレー”であるという認識すら、もはや記憶にすがって成り立っているにすぎなかった。

(なんで……なんで……!)

 胸の奥で何かが崩れた。

 否、崩れ落ちたというより、気づかぬうちにとっくに壊れていたものが、ようやく音を立てて砕けたのだ。

「…………っぅう。こんな……こんな残酷なことがあってたまるか……!」

 震える声が、ついに漏れた。

「鷹目さん?」

 そのとき、悟の顔が曇る。

「どうしたの?」

 まゆがそっと声をかける。

「メェー! ひょっとして、お口に合いませんでしたか!?」と、メエメエが慌てて駆け寄ってくる。

 けれど、かなえは誰の言葉にも応じなかった。

 目に涙を浮かべ、俯いたまま椅子を軋ませて立ち上がる。

「す、すまない。……もう、無理だ……!」

 そう叫ぶように言い残し、かなえは椅子を押しのけてダイニングを飛び出した。

 誰もが唖然とし、立ち上がる間もなく――彼女の足音は、廊下を駆け抜ける音とともに、玄関の戸の閉まる音でかき消された。

「かなえちゃん!?」

 いろはが叫ぶも、もう姿は見えなかった。

 外は、日が沈みかけたばかりの夕暮れ。

 街灯がぽつり、ぽつりと灯り始める中――かなえの影は、もうどこにも見当たらなかった。

 

           ◇

 

アニマルタウン 私立湾岸第二中学校

 

 昼休み。

 いつもならにぎやかな中庭の片隅に、今日はぽつんと三つの影が並んでいた。

 いろはとまゆ、そして悟。

 ベンチに腰掛け、黙ってランチをつつくその姿は、どこか寂しげだった。

「……あれから、もう三日だね」

 まゆが、遠くを見ながらぽつりと呟いた。

 誰もが、あの夜のことを思い出していた。

 かなえが突然、泣きながら犬飼家を飛び出していった――そして、そのまま姿を消したまま。

「連絡もないし、家にも戻ってこないんだ。捜索願も出してるんだけど……」

 悟の声は静かだったが、その言葉の奥には焦りと不安が隠しきれなかった。

 いろはは黙ったまま、手にした箸をきゅっと握りしめた。

 温かい昼の光の中にあっても、胸の奥には冷たい影が沈んでいる。

(かなえちゃん……本当に、どこに行ったの……)

「そういえば……あのとき、鷹目さん、カレー食べながら泣いてたよね?」

 ふと、まゆが思い出すように、声を落とす。

「うん……確かに泣いてた」

 いろはも静かに頷いた。

「あのカレー好きの鷹目さんが、どうして……」

 悟が言いかけて、はっと目を見開いた。

 脳裏に、いくつかの場面が断片のようにつながっていく。

 最近、かなえが何気ない食事の場面でふと手を止めたり、表情を曇らせたりしていたこと。

 そして、先日のサンタンムシガオガオーンとの戦いの終盤――ナギリが投げかけた、あの言葉。

 

『あなたも我々と同じ存在だ』

 

「もしかして……!」

 悟は思わず立ち上がり、いろはとまゆに言う。

「鷹目さん、味が感じなくなってたんじゃないかな!?」

「え……!?」

 いろはが思わず声を上げる。

「味を感じない?」

 まゆも目を見張る。

「確証はないよ。でも……」

 悟はゆっくり言葉を繋いだ。

「……あれだけ食べることに執着してた鷹目さんにとって、味を感じなくなるっていうのは、ただの不調じゃない。恐怖だよ。それこそ、世界が崩れるくらいの――」

 言葉が途切れる。

 三人の間に、重苦しい沈黙が落ちた。

 かなえにとって“食べる”という行為がどれほど意味を持っていたか――それを知っているからこそ、その喪失の深さが痛いほど想像できた。

 

           *

 

アニマルタウン アニマル公園

 

 午後のアニマル公園。秋風が木の葉を揺らし、日差しが落ち葉の上に斑模様を描いていた。

 ベンチのそばに集まっていたのは、こむぎ、ユキ、そして大福の三人。

 それぞれの表情には、疲れと焦り、そして拭いきれない不安の色が浮かんでいた。

「ユキ、大福、どうだった?」

 こむぎが、少し息を切らしながら問いかける。

「ダメね。手がかりゼロよ」

 ユキは肩を落とし、溜息を吐く。

「こっちもだ。ったく、どこ行っちまったんだよ、かなえのやつ……」

 大福は眉をひそめながら、拳をぎゅっと握った。

 公園の風景はいつもと変わらない。

 でも――その“当たり前の景色”の中に、かなえの気配が一切ないことが、胸を締めつけた。

「とにかく、手を尽くすしかないわ」

 ユキがぐっと顔を上げる。

「私は猫友達にも、もっと広く情報を募ってみる」

「じゃあ、こむぎはかなえの匂いをたどってみるね!」

 言うと、こむぎは人間から犬の姿に変身し、地面に鼻を近づけて、真剣な表情になる。

「オレはメエメエにも声をかけてみる。もしかしたら、なにか心当たりがあるかもだしな」

 大福も背筋を伸ばし、目を細めて遠くを見つめた。

 それぞれが静かに頷き合い、また散っていく。

 かなえの行方を追って――彼女の“心”に、なんとか届く手がかりを探すために。

 

           *

 

アニマルタウン 私立湾岸第二中学校

 

 昼ご飯を食べ終え、教室へ戻ったときだった。

「あ、三人ともー!」

 大熊がスマホを片手に駆け寄ってくる。

「ニュースニュース!」

 蟹江が便乗して話しかけてくる。

「え? ニュース?」

 いろはが少し訝しげに首を傾げた。

「さっき、SNSを何気なく見てたんだけどね」

 言いながら、蟹江が画面を指でスクロールしながら続けた。

「アメリカの企業がさ、絶滅したオオカミを化石から復活させることに成功したんだって!」

「え……?」

 いろはの目が見開かれる。

「オオカミを復活……?」

 まゆも思わず声を上げた。

「うん、なんか“ゲノム編集”っていう技術を使って、絶滅した種のDNAを復元して、生きた赤ちゃんを誕生させたらしいよ」

「ゲノム編集って……遺伝子を操作するやつ、だよね?」

 悟が思い出すように口を挟む。

「そうそう、DNAの中の“特定の部分”をピンポイントで書き換えて、性質とか形質を変えたりできるんだって。今回は、化石から抽出したダイアウルフのDNA情報をもとに、今の動物の細胞を編集して、ほぼ完璧なクローンを作ったらしいの」

 蟹江がスマホの画面を三人に見せた。そこにはニュース記事の見出しが踊っている。

『絶滅したダイアウルフ、化石DNAから復活』

『細胞をクローン化し、ゲノム編集によって蘇生に成功。遺伝的類似性は99.5%』

「科学の進歩ってすごいよねー」

 大熊が感心したように頷く。

「このまま研究が進んだら、アニマルタウンに昔いたニホンオオカミも復活させられるんじゃないかな?」

 と、同じクラスの烏丸が割って入る。

「へー! そうなったらすごいよなー!」

 今度は猿渡が目を輝かせる。

「三人もそう思わない?」

 蟹江が期待するように尋ねたが――

 その言葉を聞いた瞬間、いろはとまゆ、悟の三人は、ぴたりと動きを止めた。

 ――オオカミ。

 その言葉が、胸の奥に突き刺さる。

 思い出したのは――

 かつて出会った、ガオウと呼ばれるオオカミと心を通わせた青年、スバル。

 彼の口から語られたのは、人間のエゴによってオオカミたちが絶滅させられたという過去。

 そして、唯一残ったガオウをも目の前で喪ったことで、スバルは怨霊と化し、アニマルタウンやニコガーデンを襲撃した、あの忌まわしい出来事。

「「「…………」」」

 三人は、教室のざわめきの中で静かに視線を交わした。

 言葉はなかった。

 でも、それぞれの胸の内には、深いざわめきが広がっていた。

(……絶滅した動物を蘇らせること。それ自体が悪だなんて、誰にも言えない)

 いろはは、スマホに映るニュース画面をそっと見つめながら、そう思う。

(失われた種が戻ることで、生態系が回復することもある。人間の手で奪われた命なら、せめて人間の手で償おうとするのは、正しいことのはず)

 けれど――なぜだろう。

 まゆと悟の胸の奥が、妙にざわついて、温度が乱れるような感覚がある。

 教室の空気は、変わらず明るく賑やかだった。

 けれど、三人の心には、どこか取り返しのつかないものが、静かに揺れていた。

 

           *

 

アニマルタウン とある河川敷

 

 夕暮れの河川敷。

 赤く染まりはじめた空の下、草むらが風にそよぎ、川面に波紋が広がっていた。

 かなえはひとり、その岸辺にしゃがみ込み、手にした竹竿で魚を釣っていた。

 何の道具もない中で、即興で作った簡素な仕掛け。けれど、小ぶりな魚を一匹釣り上げるには十分だった。

 焚き火。

 石を並べて作った囲いの中、乾いた枝を燃やし、その火で串に刺した魚をあぶる。

 皮が焦げ、脂が弾け、香ばしい匂いが風に乗って漂っていく――はずだった。

 けれど、その香りは、彼女の鼻には届かない。

 かなえは黙って焼き上がった魚を手に取ると、静かに口を開いた。

 そして、ひとくち。

「…………」

 その瞬間、目に見えない何かが、ふっと彼女の中から抜け落ちた。

「……無味乾燥」

 ぽつりと漏れた声は、風に流されていった。

「食事とは、こんなにも……味気ないものだったのか」

 かつてなら、この瞬間、口に広がる旨味に思わず目を細めていたはずだ。

 焼き加減や塩気、川魚独特の風味――そのすべてが、何もかも、まるで紙を噛んでいるかのように感じられなかった。

 味は、どこにもなかった。

 ただ腹を満たすという行為だけが、虚しく続いていく。

 ――それは、彼女にとって致命的な絶望だった。

(生きるとは……こんなにも虚しかったっけ……)

 思い返す。

 かつては、飢えをしのぐために食べていた。

 生き延びるために狩りをし、命をつないでいた。

 味なんて、二の次だった。

 でも――変わったのだ。

 あの日。

 こむぎといろはに助けられ、初めて一緒に食卓を囲み、カレーを食べた、あの日から。

 それはただの食事ではなかった。

 “生きるために”食べるのではなく、“生きていることが嬉しくて”味わうという行為を、初めて知ったのだ。

(そうか。私……味を感じることで、生きているって……思えたんだ)

 それを、今――

 失った。

「…………っ」

 焼け残りの魚を持った手が、ぶるりと震えた。

 口を開いても、涙すら出ない。ただ、冷えた体の奥から、静かに崩れていく音がした。

 焚き火は小さくぱちりと音を立て、川のせせらぎが一定のリズムで耳を撫でている。

 けれど、そこにはもう、何の温度も、色も、なかった。

 そのとき――

「……かなえ!!」

 草を分けて駆けてくる足音と、聞き慣れた声が風に乗って届いた。

 振り返るまでもなく、すぐにわかった。

 こむぎ、ユキ、大福――そして、学校を終えたいろはたち、さらにはメエメエとニコも一緒だった。

「……!」

 かなえがゆっくりと顔を上げたその瞬間、目の前に広がった光景に、思わず息を呑んだ。

 そこにいたはずの彼らの姿が――色を失っていた。

 モノクロのシルエット。

 あたたかいはずの声が、まるで水の中で聞くようにくぐもって濁っている。

 言葉は届いているのに、意味が曖昧にぼやけ、音と認識することが難しい。

「…………あ……」

 自分の目のせいか。耳のせいか。

 それとも――もう、自分の中に“感じる”という機能が失われはじめているのか。

 焦点が合わない。声が遠い。

「かなえちゃん、やっと見つけた!!」

 確かに、いろはが何かを叫んでいる。

 彼女が駆け寄ってきて、腕を取ろうとする。

 まゆが「よかった……!」と涙ぐみながら言っている――はずなのに。

 何も、伝わってこない。

 ただ、灰色の幻の中に、自分だけが置き去りにされたような感覚。

「やめろ……やめてくれ……やだ……!」

 かなえは耳を塞ぐようにして、身を丸めた。

 頭の奥で、ガリガリと音がする。

 “現実”と“感覚”が噛み合わず、歪んだ世界がぎしぎしと軋んでいく。

(なぜだ……なぜ、みんなが“遠い”……!?)

 ほんの少し前まで、笑って、食べて、ふざけあっていた――あのぬくもりに満ちた時間。

 それが今や、遥か昔の夢のように感じられた。

 大好きな人たちの笑顔が、音が、体温が――

 灰色の膜の向こう側にある。

 手を伸ばしても届かない。耳を澄ませても聞こえない。

 世界から拒絶されているのは、自分のほうなのだ。

 それが、何よりも怖かった。

「おい、どうしたんだよ?」

 大福が、眉をひそめて一歩近づく。

「鷹目さん?」

 悟の声が、濁った水の中で響いているようだった。

「かなえ……一緒に帰ろう」

 こむぎの声も、優しいのに、なぜか痛かった。

「……もう……帰れない」

「え?」

 まゆが反応する。

「何言ってるのよ? さぁ、早く……」

 ユキが手を差し伸べる――が、

 バッという音がした。

 かなえはその手を、力いっぱい振り払った。

「お前たちに……何がわかる!!」

 突然の怒声に、誰もが動きを止める。

「かなえちゃん……?」

 いろはの瞳が揺れる。

 だが、もう止まらなかった。

 胸の奥から溢れた言葉は、彼女自身さえも制御できなかった。

「今の私は、生きてさえいない!! ただの“モノ”だ!!」

 その叫びは、夕暮れの空気を裂いた。

「食っても、見ても、触っても……絶対に満たされることはない!!」

 目の前に広がる世界。

 光も風も、人の声さえも――

 それらすべてが、彼女にはもう遠くて、淡くて、無意味だった。

「お前たちのように、美しいものを“美しい”と当たり前のように感じることさえ……もはや、ままならん!! それがどれほどのものか!!」

 最後の一言は、喉を裂くようにして放たれた。

 まるで魂の底から搾り出された、むき出しの絶望。

 誰も言葉を返せなかった。

 夕陽の影が長く伸び、風だけが川面をなでている。

 そんな中――

 こむぎが、そっと一歩だけ、かなえに歩み寄った。

「……かなえ、それ……本気で言ってるの?」

 声は静かだった。

 怒りでも、哀れみでもない。

 ただ、まっすぐで、あたたかく、痛いほど真剣な声音だった。

「じゃあさ……どうして、かなえは泣いてるの?」

 その言葉に、かなえの肩が、びくりと揺れた。

「“モノ”だったら、泣かないよ。悲しくても、寂しくても、苦しくても――泣けないよ」

 こむぎは、その場にしゃがみ込むようにして、かなえの目線に寄り添った。

 涙を湛えた瞳を、まっすぐ見つめながら。

「かなえが泣いてるってことは、ちゃんと“心”があるってことだよ。ちゃんと感じてるってこと。……ちゃんと、生きてるってことだよ」

 それは、叫びでも、説得でもなかった。

 ただ事実を、そのまま差し出すような――やさしい肯定だった。

 風が、ふと止まる。

 灰色に見えていた世界に、わずかに――ほんの、わずかにだけど、色が差すような気がした。

「……こむぎ……」

 かなえは、弱々しくその名を呼んだ。

 まるで水底から手を伸ばすように、にじむ視界の先にこむぎの姿を探す。

 こむぎは、そんな彼女に向かって――破顔一笑。

 いつものように、元気いっぱいに、でもどこかやさしく笑って。

「一緒にまた、カレー食べようよ!」

 それは、すべてを責めない言葉だった。

 過去も、喪失も、取り戻せないものも。

 それら全部を包み込んで、「それでも一緒にいたい」と差し出す、こむぎだけの言葉だった。

 刹那、かなえの頬を、ぽつりと涙が伝った。

 それは痛みの涙でも、絶望の涙でもなく――ほんのわずかな、あたたかさを思い出した涙だった。

 

 

「それが、貴方が抱く”美しい”という感覚なのですね」

 ――ぞくりと、風が止まった。

 日が落ちかけた川辺に、場違いなほど静かな声が忍び込んだ。

「なるほど。友情とは、実に尊く、何ものにも代え難いのでしょう。しかしながら、貴方の本質は我々と同じく虚無です」

 その声に、振り向いた一同の中から、ひときわ震えた声が漏れる。

「あ、あなたは……!」

 メエメエが思わず後ずさる。

「ナギリ!!」

 ニコの瞳が鋭く細まった。

 闇に溶けるようにして現れたその姿。

 蛇の影をたなびかせ、笑みとも冷笑ともつかぬ表情を浮かべた男――ナギリが、確かにそこに立っていた。

「おや? ダイヤモンドユニコーン……ようやくお目覚めですか」

 その余裕に満ちた声に、ニコが奥歯を噛み締める。

「鷹目かなえ。いい加減、認めたらどうなのですか? あなたも、所詮は我々と同じ穴の狢なのです」

「違う……! 私は……私はお前とは違う!!」

 かなえの瞳には、確かな決意の光が宿っていた。

「五感を失ってもなお、まだそのような強がりを言いますか?」

 ナギリが一歩踏み出す。

 そのたびに、大地から光が、命が失われていくような錯覚が走る。

「たしかに、世界を味わうことは難しいだろう。だが、それでも――私はお前にないものを持ってる!」

「我々にないもの? それは、何ですか?」

「ここにいる、こむぎたち“仲間”だ!!」

 かなえの声が、川辺に響いた。

「彼らと過ごした日々は、私に……ただ生きながらえるだけの、味気ない空っぽだった私の世界に――彩りを与えてくれた! 私に“わんだふる”を与えてくれた、かけがえのない存在だ!!」

「かなえ……」

 こむぎが、目に薄ら涙を浮かべながら名前を呼ぶ。

「なるほど。それが貴方が手にしたものなのですね。いはや……実に滑稽。何とも哀れな」

「なんだと!?」

 大福がにらみつける。

「友情のどこが滑稽なのですか!?」

 メエメエが憤る。

「失礼。我々にはよく理解できないものでしたので。ですが……何でしょう。貴方がたを見ていると、何故か既視感が……」

 ナギリがふと、片目を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げる。

「そうだ。思い出しました。あの“ガオウ”とかいうオオカミに心奪われた哀れな青年、まるで彼を見ているような感覚ですよ」

「え……!? それって……スバルのこと?」

 いろはの声が震える。

「あなたは、スバルを知っているの?」

 ニコがおもむろに前に出る。

「知っていますとも。わざわざ我々があれこれ手を回しましたからね。彼が人間にあれほど強い怨嗟を抱くようになったのは、我々の“手引き”によるものです」

「手を回した、ですって?」

 ユキが信じられないという表情を見せる。

「ちょっと待って……まさか……」

 まゆの声が震える。

「ええ、ええ。大変だったんですよ。オオカミに対する潜在的な恐怖を抱く村人たちを焚きつけ、ガオウを始め、オオカミに心を寄せる青年の孤独と絶望を何百年も熟成させて――」

 その声には、悦びすらにじんでいた。

「彼に『怨みの種』を植え付け、人間たちへの怨みを極限まで高めたのち、それを丸ごと食らう……それが当初の計画でした。ところが、あなたがたプリキュアが現れたせいで、計画に狂いが生じてしまいました。辛うじて彼から分離した怨嗟の残滓を食らって、彼の記憶をもとに、ニコガーデンの所在を掴むことはできましたが」

「じゃあ……スバルが、ああなったのは――全部……」

 いろはが声を詰まらせる。

「お前の仕業か、ナギリ!!」

 かなえの叫びが、空気を裂くように響いた。

 ――その瞬間、空気が一変した。

 それまで淡く残っていた夕陽の色が、一気に褪せ、空がきしむような鈍い重圧が辺りを包み込む。

 そしてその中心に立つナギリの微笑だけが、静かに、そして異様なほど冷たく浮かんでいた。

 

 ナギリ――それは言わば、世界の陰に潜む“意志なき悪意”そのものだった。

 人の心の奥底にある、無自覚の恐怖。

 理解できないものへの排除本能。

 異質なものを“悪”と決めつけ、理屈もなく拒絶する集団心理。

 ナギリは、それらを巧妙にあぶり出し、焚きつけ、育て上げる。

 自らの手は汚さずに、ただ人間たちの心の闇に種を蒔き、やがて育った“怨み”を、餌として喰らう。

 スバルがああなってしまったのも、まさにその手法の産物だった。

 ナギリは知っていた。

 オオカミという存在が、人間たちにとっていかに恐れと結びついているか。

 その恐怖が、無自覚に差別と排斥を呼び起こすことを。

 中でも、オオカミに心を許した、スバルの繊細な魂。ナギリはそこに目をつけた。

 そして――動いた。

 村人たちに、ささやき続けた。

「オオカミは危険だ」、「人に牙を剥く存在だ」と。

 誰もが疑いもしなかった偏見を、さらに過激に、陰湿に、広げていった。

 その結果、ガオウをはじめ、多くのオオカミの命が奪われた。

 スバルにとって唯一無二の“家族”が、何の罪もないまま、村人たちの手で消された。

 しかし、ナギリにとって、それは“序章”にすぎなかった。

 ガオウを喪ったスバルは、生きる目的を失い、遠吠神社の奥にて静かに魂を眠らせていた。

 だがナギリは、その魂すらも利用した。

 長い眠りの中にあったスバルの魂は、ナギリが引き起こした雷鳴とともに覚醒。そして、微かに聞こえるアニマルタウンの喧騒に耳を傾けていた。

 人と動物が肩を並べて笑い合う、そんな穏やかな日々の気配。

 しかし、それは彼にとって慰めではなかった。

(……こんな世界、オレが生きていた時代にはなかった)

 かつて信じて裏切られた記憶が、胸の奥で疼いた。

 人と動物が共に歩むなどという理想は、欺瞞にすぎないのではないか――

 その疑いが、静かに、しかし確実に彼の魂を蝕み始めていた。

 そこへ、ナギリは唆した。

 ――「羨マシイノデショウ? 貴方ガ望ンデ手ニハイラナカッタモノガ、今サラ当タリ前ノヨウニ語ラレテイル世界ガ」

 夢の淵に立ち、ささやくように言った。

 ――「貴方ハ拒マレタ。オオカミヲ愛シ、人間トシテモ孤立シ、何一ツ報ワレナカッタ」

 その言葉は、冷たい刃のようにスバルの胸を裂いた。

 ――「ソレデモ、許スノデスカ? コノ世界ヲ」

 ナギリは何度も何度も、彼の中に埋もれていた記憶を掘り起こした。

 ガオウやザクロ、トラメたちと過ごした静かな時間。

 村人たちの視線、恐怖の声、理不尽な排除。

 ガオウが死んだあの日、最後までかばいきれなかった自分自身――

 ナギリはそれらを歪め、脚色し、時に“嘘”を真実に混ぜて見せ続けた。

 ――「思イ出シテクダサイ、スバル。貴方ノ愛ハ、貴方ノ優シサハ、誰ニモ届カナカッタノデス」

 ――「貴方ハズット、独リダッタ」

 その言葉に、スバルの魂は静かに、しかし確実に沈んでいった。

 信じるということ、託すということ、赦すということ――

 そうした感情のすべてが、やがてひとつの色に染まっていく。

 黒。

 哀しみと憎しみと虚しさを溶かし込んだ、怨嗟の黒。

 やがてスバルの魂は、ゆっくりと、だが確実に変貌していく。

 心を蝕まれ、形を歪められ、とうとう――怨霊へと堕ちた。

 ナギリにとって、それは完璧な“収穫”だった。

 スバルは決して意志を尊重されることなく、ただ憎悪という“エネルギー”に加工され、食われるために存在していたにすぎなかったのだ。

 ――それすらも、ナギリにとっては単なる“栄養”だった。

 スバルの心を食らい、ガオウの記憶すら踏み台にし、“哀れな青年”をただの素材として、喰い尽くそうとしていた。

 スバルすら、駒ではなかった。

 ――餌だった。

 それが、ナギリという存在の本質。

 人の心に巣くう“感情の死骸”を喰らいながら、自らの輪郭を成す物の怪。

 

「まったく。我々がせっかくお膳立てをしてやったというのに、結局のところ最後の仕上げは我々自身が行わねばならぬとは」

 ナギリは肩をすくめるようにして言った。自分が関与したすべての悲劇が、茶番のように取るに足らぬものだと言わんばかりの口調だった。

「ふざけるな!!」

 瞬間、悟の声がこの上ない怒りに震える。

「スバルやオオカミたちの運命を弄んでいながら、なんでそんな他人事みたいになれるんだ!?」

「悟くんの言う通りだよ!! ナギリ、あなたには……心がないの!?」

 いろはも腹の奥から叫ぶ。

 だが、ナギリはただ笑った。冷たく、感情のない目で彼らを見下ろしながら。

「言った筈です。我々にはよくわからないのですよ。だからこそ、貴方がほしい。鷹目かなえ」

「なんだと……!?」

「貴方に植え付けた、我々が無数に放った“怨みの種”。それが、よもやこのような形に育つとは、予想外でした。しかし、だからこそ価値がある。貴方を食らうことで、我々は貴方の言う“わんだふる”というものを理解できるやもしれません」

「ぬかせ!!」

 かなえが前に出て叫んだ。

「貴様のような命を弄ぶやつに、“わんだふる”は一生理解できん!!」

 その言葉にナギリは目を細めた。まるで面白い実験体を前にした学者のような眼差しで、ゆっくりと腕を広げた。

「ならば、こちらも――相応の手を使わせてもらいます」

 そう言った次の瞬間――空間が歪んだ。

 ナギリの手が何もない空を裂くように動くと、黒い霧が渦巻き、空中に巨大な亀裂が走る。

 そこから這い出るように現れたのは、三つの太古の生物たちの影――

「闇に潜みし怨念よ、形を成せ」

 ナギリの詠唱と共に、三つの巨体が融合を始める。

 空を裂く翼の覇者・プテラノドン、猛き顎の王・ティラノサウルス、深海の蛇神・プレシオサウルス――その異形が、一つの暴獣へと集約された。

「ガオガオーン!!」

 大地が鳴動する。風が泣き、空気が焦げる。

 異形の獣――プティラシオガオガオーンが、骨の翼を広げ、地を揺るがすような咆哮を上げた。

 その声は大地を裂き、空を濁らせ、聞く者の心を凍えさせる。

 けれど、その恐怖に飲まれることなく、ひとりの少女が一歩、前に踏み出す。

「みんな!! いくよ!!」

 こむぎの声が、沈みかけた世界にまっすぐ響いた。

「「「「「うん(ええ)(ああ)!」」」」」」

 その呼びかけに、仲間たちが応える。

 七色の光が彼らを包む。

 それは、“怒り”や“悲しみ”ではない。

 “守りたい”という願い。

 “失わせない”という覚悟。

 そして――“共に在りたい”という、想いの光。

 今、「わんだふるぷりきゅあ!」が最強クラスのフューザーがオガオーンと向かい合う。

 

「――では、貴方がたの言う“友情の力”とやらを、篤と見せていただきましょう」

 ナギリは唇の端をわずかに吊り上げながら、さながら舞台の幕開けを楽しむ観客のように手を広げた。

「ガオガオーン!!」

 同時に、プティラシオガオガオーンが全身を震わせて咆哮した。

 その叫びは空を裂き、大地を揺るがし、この世界そのものが拒絶されるような不協和の波となって周囲に放たれる。

 漆黒の翼が音を置き去りにして広がる。

 鋭利な尾と爪が、地面を抉り、空間さえ軋ませる。

 それはただの“生き物”ではない。

 怨念の化身、破壊の欲望が組成した偽りの命――

 ナギリが“理解できないもの”を喰らうために生み出した、究極のフューザーガオガオーン。

 その咆哮は、わんだふるの象徴たちに突きつけられた、最大の問いかけだった。

「「「「「「「うわああああ!!」」」」」」」

 次の瞬間、衝撃波のような圧が一帯を襲った。

 プティラシオガオガオーンがただ咆えるだけで、大地が波打ち、風が逆巻き、木々が根ごと引きちぎられていく。

「この力……!」

 ニコが目を見開いた。

「ナギリは、ニコダイヤの力で――!?」

「ニコダイヤの力?」

 フレンディが顔を上げる。

「おそらく、スバルから得たガオガオーンの情報と、わたくしから奪ったニコダイヤの力を用いているんでしょう」

 ニコの言葉が、場に戦慄を走らせる。

「なるほど。だからあんな無茶苦茶なやつを生み出せたってわけだ」

 大福が目を細める。

「でも、ニコダイヤって、新たに世界を生み出せるものなんでしょ?」

 ニャミーが息を呑みながら尋ねる。

「そのとおりです! ニコ様はその力をもって、ニコガーデンを創造なされたのです!」

 メエメエが即座に肯定した。

「だったら、とてつもない力のはずじゃ……スバルに制御できなかったのを、どうして?」

 リリアンが震えながら問う。

「我々が持つ器は、スバルなどとは比べ物にならないほどに巨大なのです」

 ナギリが嘲るように笑った。

「ダイヤモンドユニコーンから掠奪したニコダイヤの力――その全てを消化・吸収するにはまだ時間がかかります。ゆえに、貴方方がいると邪魔なのですよ。我々の悲願達成には」

「ガオガオーン!!」

 プティラシオガオガオーンが突進した。

 地を滑るような低い構え。翼を広げ、爪を突き立てながら、咆哮と共にまっすぐこちらへ迫ってくる。

「くっ――!!」

 ワンダフルたちがすかさず防壁を展開するが、容易く粉砕された。

 次の瞬間、爆風が広がる。

「「「「「「「うわああああ!!」」」」」」」

 プリキュアたちのバリアが、ギリギリのところで全壊を防いだが――地面はえぐれ、空気が焼け焦げる。

「なんだ、この破壊力……!!」

 悟が呻く。

「……こんなの、どうやって……」

 フレンディがよろめきながら立ち上がる。

 前方に立つのは、冷たく笑うナギリと、世界を喰らわんとする災厄の融合獣――プティラシオガオガオーン。

 その影がさらに口を開き、咆哮をあげる。

 ――だがそのとき。

 空気が反転した。

 黒と赤の螺旋が地から吹き上がり、影がひとつの点へと凝縮されていく。

 その中心に立つ、ただ一人の少女。

「ウオオオオオオオオオオオ!!!!!!」

 キュアシャスールが、魂の叫びとともに力を解放した。

 彼女の背後に、漆黒の獣影が浮かび上がる。

 角が伸び、爪が尖り、牙が形を成す。

 “わんだふる”のプリキュアにして、“怨念”の器。

「シャスール!!」

 ワンダフルが叫ぶ。

「ダメだ! 暴走だけはするな!!」

 大福の声が焦りを帯びる。

 しかし、彼女は止まらなかった。

 止まれなかった。

 ――仲間がいる。

 自分がこの手で守りたい“わんだふる”が、確かにここにある。

「この力が、ナギリから生まれたとしても……! 私は、私のままで! ここに立つッ!!」

 地を蹴った瞬間、シャスールの姿が閃光と化す。

 空を裂いて、プティラシオガオガオーンに突進。

 爪と爪が激突し、翼と尾が激しく交錯する。

 空中での激しい攻防が始まった。

 プティラシオガオガオーンの咆哮に、シャスールの吼え声が重なる。

 圧倒的な力の奔流のなか、彼女は恐れも痛みも顧みず、ただ一心に“勝つ”ために拳を振るい続ける。

「はあああああああああああああ!!」

 そして――

 シャスールの全身から黒い衝撃波が放たれた。

 プティラシオガオガオーンが空中で翻り、ねじれ、悲鳴のような断末魔を上げながら――大地に叩きつけられた。

「うぅっ……タロンハチェットぉぉッ!!」

 シャスールが叫び、黒きトマホークに力を凝縮させる。

 影のオーラが刃を包み、空間が軋む。

「――プリキュア・シャスールディスコネクト!!」

 跳躍。

 影を従えた身体が、放たれた矢のように高く舞い上がり、タロンハチェットが弧を描いて空を裂く。

 次の刹那――影の力とともに解放された渾身の一撃が、回転するタロンハチェットとなって、敵の胴体を斜めに裂いた。

「ガオガオーン……」

 巨体が軋む。

 獣の影が、悲鳴もなく爆ぜるように霧散していく。

 怨念の塊だった異形の怪物が、静かに世界から解き放たれたのだった。

 その様子を見届けたナギリは――

「……ちっ。まあいいでしょう。いずれにせよ、貴方は我々のものです」

 その顔に、ほんのわずかに、不快と愉悦が混ざったゆがみが走った。

 やがて、ナギリの姿も、霧のごとく溶けるようにして消えた。

 勝った――だが、代償はあまりに大きかった。

 その姿はすでに“プリキュア”の形を保てず、シャスールはナギリの影に侵食されつつあった。

「――かなえ!!」

 ワンダフルが慌てて走る。

 フレンディも、ニャミーも、リリアンも、悟と大福も――全員が手を伸ばす。

「やめろ……近づくな……私、今にもまた……!!」

 シャスールの声が、涙と震えに濁る。

 だが、誰もその手を止めなかった。

「いいよ、それでも」

 ワンダフルが、そっと手を重ねる。

「わたしたちの手を、もう一度信じて」

 フレンディが、もう片方の手を取る。

 次々と、仲間たちの手が、彼女の身体に、心に、重なっていく。

「お願い、かなえちゃん……戻ってきて」

「あなたは、一人じゃない」

「お前が、かなえだろ!!」

「…………っ!」

 影が静かに消えていく。

 そして、光の中で――変身が解けた。

 かなえが、ぽろぽろと涙を流しながら、仲間たちの中で静かに崩れ落ちる。

 その手は、確かに握られていた。

 誰ひとり離すことなく。誰ひとり、否定することなく。

 彼女の目に映る世界は、もう――灰色ではなかった。

 

           *

 

アニマルタウン 犬飼家

 

 夕暮れの犬飼家には、カレーの香り――というより、それを思い出す温かな空気が、ゆっくりと満ちていた。

 食卓には大きな鍋と、それを囲む笑顔たち。

「さあ、できましたよ~! 本日のメニューは、もちろんこれ! メエメエ特製☆回復応援カレー、ふたたび!!」

 メエメエが腕まくりをしながら、大鍋を誇らしげに掲げる。

「わーっ! いい匂い!」

 こむぎが期待に胸を躍らせながら皿を並べる。

「前よりちょっとだけ辛口にしたよ。かなえちゃん、今日は一緒に食べよう?」

 いろはが、優しく笑いかける。

 その言葉に、かなえは静かにうなずいた。

 椅子に腰掛け、カレーの皿を前に置き、スプーンを手に取る。

 一口。

 また一口。

 ――やはり、何も感じなかった。

 スパイスの刺激も、野菜の甘みも、記憶の中にしか存在しない。

 口に入れても、それはただの“温かい何か”でしかなかった。

 けれど。

 ふと顔を上げると、笑い合う声があった。

 皿の中で具材のことを話す声、カレーをごはんにかける音、スプーンが当たる小さな音――

(……ああ、そうか)

 そのすべてが、彼女の中に“生きている今”を満たしていた。

「スパイスの味は、わからなくても――」

 かなえは、静かに言った。

「この味は……何よりも、特別なものだ」

 それは、記憶ではない。幻でもない。

 確かに今、この手の中にある“味”。

 たとえ舌が感じられなくとも、心が知っている。

 “みんなと食べる”という、この時間そのものが――かけがえのない、わんだふる。

 そのことに気づいたとき、かなえは初めて、“味覚を失った自分”を、静かに受け入れることができた。

 

 

 

 

 

 




登場ガオガオーン
プティラシオガオガオーン
声:高橋伸也
身長:980cm
体重:不明(推定10トン以上)
・特色/力
ナギリが“わんだふる”という概念そのものを喰らうために創出した、恐竜三体(プテラノドン・ティラノサウルス・プレシオサウルス)による融合型フューザーガオガオーン。
スバルから得たガオガオーンの戦闘記憶と、ダイヤモンドユニコーンから奪ったニコダイヤの力をもとに誕生した。
空・陸・水すべての戦域で自在に立ち回れるほか、ニコダイヤの結晶核が内蔵されており、次元干渉・霊的耐性・感情波撹乱といった特殊効果を併せ持つ。
・特徴
外殻は漆黒のドラコニック・カーボンで構成され、白い化石模様が紋様のように浮かぶ。
背中にはプテラノドン由来の巨大な骨翼を持ち、空気振動を圧縮した音波衝撃を放つ。
上半身はティラノサウルスの筋肉質な腕部と咆哮器官を備え、顎からは断顎咆哮波を放出。
下半身はプレシオサウルス型の鰭脚構造で、水中滑走・潜行を可能とする。
ニコダイヤ由来の結晶核が精神エネルギーを“味覚のように”喰らうよう設計され、感情への干渉を通じて仲間意識や希望を打ち砕く。
・能力
断顎咆哮波(だんがくほうこうは)
ティラノ由来の顎から放たれる破砕咆哮。直線上の地形・障壁を粉砕し、聴いた者の記憶と感情にノイズを走らせる。
次元爪裂弾(じげんそうれつだん)
骨翼を展開して“骨の爪”を多方向に射出。空間を裂くことで回避を困難にし、命中箇所に感覚的混乱を起こす。
深淵水輪(しんえんすいりん)
プレシオサウルス由来の鰭を回転させて生成する水輪。命中時に心の奥に潜む“不安”を幻視させ、行動を阻害。
・行動
高速飛翔・滑走・潜行の三様式で立体戦闘を展開。
プリキュアたちを分断・翻弄し、“連携”という希望の象徴を壊すよう設計されている。
シャスールの影の力に共鳴し、彼女の内に潜む“暴走”を誘発させる目的で戦闘を開始。
・戦闘記録
ナギリによって「スバルのガオガオーン情報」と「ニコダイヤ」を素材に創出。
出現直後から圧倒的な破壊力でプリキュアたちを追い詰め、空中での乱戦の中、シャスールが暴走寸前まで力を解放する。
影の力による最終技「プリキュア・シャスールディスコネクト」が胴体を斜めに切り裂き、消滅。
戦いの末、仲間たちに手を取られながら正気を取り戻したシャスールにより、完全に浄化された。
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