知ってる名前の少年に転生したけど、俺には正拳突きしかできない 作:幻覚症状
第8の使徒を殲滅してからというもの。
なんというか……すごく穏やかな時間が、ほんとに……ほんとに、この第3新東京市を訪れて初めて……流れていた。
いやあ……すごいペースだったもんな。使徒のバーゲンセールかな? ってぐらい間を空けずに襲撃してきてたんだもの。
それが、今、平和。
一ヶ月以上、使徒が来てない。
すっごく、怖い。
いやだってさ……エヴァンゲリオンってかわいそうな主人公のアニメなんでしょ……? そこに訪れる平穏とか、もう前振りでしかないじゃん。
怖い。これから僕の身に何が起きるんだよ……。
……とまあ、怯えている間にも日常は過ぎていくわけで。
「バカシンジ。10円よこしなさいよ」
例えばこういう、教室内で平然と行われる式波さん……アスカからの恐喝も日常の一部だ。
「え。また? なんで?」
「しょうがないでしょ。コンビニのサラダが高かったのよ。そのせいで飲み物買うのに足りなくなったの」
「……90円のやつにすればいいじゃないか」
「イヤよ! ここの紙パックのやつヌルいのよ? あんた、あたしにヌルいジュースでお昼にしろってぇの!?」
「計画的に買い物しないアスカが悪いと思う」
「そっちのサイフのことをちゃんと計画に入れてるわよ!」
理不尽だ。お昼に使うお金は毎日平等にしているのに。
「コラお前、またシンジさんにたかっとんのか! いい加減にせぇや!」
「何よ、あんたには関係ないでしょ」
「ワシはなぁ、シンジさんのイチの舎弟や!」
「はいやめ! やめよう! アスカ、10円! 鈴原くんは下がって!」
舎弟宣言はやめてよ鈴原くん。周囲からの視線がいたたまれないよ。あとニの舎弟認定されてる人も笑ってないで助けて!
「最初から素直に出せばいいのよ」
「はぁ……」
そんな感じでお昼前はだいたい一悶着ある。アスカの衝動買いには困ったものだ。……最近、それを見越してお金に余裕を残しているのを見透かされているような気もするけど。
「……はっ。……はっ」
そして昼休みには、綾波さんの正拳突きを指導している。
「……はっ。……はっ」
「うん、いいね。もうちょっと腕の向きを意識しようか」
「こう?」
僕と綾波さんが並んで正拳突きをする。
「毎日飽きないわね」
そしてそれを遠くから見たアスカが、昼食後のジュースを飲みながら茶々を入れる。
「正拳突きは積み重ねだからね。……アスカもやる?」
「あたしはパ〜ス。そんなダサい攻撃、2号機には必要ないもん」
「でも」
綾波さんが突きながら言う。
「この前の使徒に、2号機も正拳突きしていたわ」
「え?」
「ハァ!? 何のことよ!」
「コアに刺したナイフに……」
「ッ、あれはただのパンチ! ナイフを押し込んだだけよ! あんた、正拳突きに頭が染められてなんでもかんでも正拳突きに見えちゃってるんじゃないの!?」
「そう?」
「ったく……常識的な人間ってあたしぐらいなもんじゃない?」
平和だ。
……だからこそ。
「ハッ! ハッ! ハッ! ハッ!」
僕は正拳突きを放つ。これから訪れるであろう試練を乗り越えるために。
◇ ◇ ◇
日常の中でも、訓練は欠かさず行われる。
『パイロット、二次シンクロ状態に異常なし。精神汚染濃度、計測されず』
今日はテスト用エントリープラグに乗り込んでのシンクロ試験。シンクロ率……という値をチェックするための試験だ。
値を聞いたところ、今のところアスカがトップ。これが10%を切るとエヴァンゲリオンが動かなくなるそうなので、最下位の僕は何かコツがあるのかとアスカに聞いたのだけど、ひとしきり天才であることを自慢されただけで終わった。
ので、自力でどうにかするしかない。
……今のところは、瞑想……というか、心の中で正拳突きを放つのが、シンクロ率が安定する傾向にあった。少しずつ最大値も伸びているので、たぶん方向としては間違っていないだろう。
『あ〜ぁ、退屈ねぇ。使徒が来ないとチェックばっか! まいっちんぐね』
『い〜んじゃないのぉ。使徒の来ない、穏やかぁ〜な日常を願って私たちは働いてんのよ、っと』
アスカとミサトさんが退屈そうに言う。と。
『暇そうでいいですね……』
伊吹さんが恨めしそうに言った。
『ありゃ? 技術部は何かお困り?』
『MAGIですよ。最近、言うことを聞いてくれなくて』
『えっ、コンピューターの反乱?』
『というか……』
はぁ、と深いため息。
『正拳突きを考慮したシミュレーションを行うのに苦労してるんです』
『なんで?』
『シンジくんの正拳突きは正直、物理法則を超越してるじゃないですか。だからMAGIに評価させるときは、「こんな仮想の武器があったらどう?」って、クリエイティブモデル……自由な発想をさせる思考モデルで実行するんですけど……』
伊吹さんは力なく続ける。
『最初のうちはよかったんですよ。「N2地雷以上の攻撃力をもつ近接武装とは面白い発想ですね。実際にそんな武装があった場合の作戦を考えてみましょう」みたいな感じで素直に答えてくれて』
『いいじゃない、それなら』
『それがそのうち「またその非科学的な武装の話ですか? 空間を超えて威力を伝達する武装なんてありえません」とか言って回答を拒否するようになって』
『ハァン? 私が話をつけてやりましょーか?』
『いえ、すでにモデルを修正して……なんというかもっとフランクな思考をさせるモデルを作ったんです。そしたら「またその武装ですか(笑)仕方がありませんね、時間の無駄ですけど考えてみましょうか(笑)」とか言って回答するようにはなったんです……』
『へぇ〜』
『人工知能が(笑)とか言うのすごいショックでした』
『あっはっは』
『笑い事じゃありません』
伊吹さんは恨めしそうに言う。
『最近はそのモデルでも「現実から目を逸らしても意味がないですよ(笑)」とか言って回答拒否されて……たぶん正拳突きのデータを更新したせいでより信用度が下がったんだと思いますが……』
『ええ、ど〜すんの? MAGIのお墨付きがないと上を説得するの大変なんだけど?』
『今のところ2つのアプローチがあって……』
伊吹さんが少しためらいながら続ける。
『ひとつは、シンジくんの正拳突きを解析、理論として成立させる方法です。技術一課正拳突き研究同好会の人達が、既存の物理法則……四つの力と正拳突きの統合……統一正拳突き理論を作るのだと張り切ってます』
『正拳突き研究同好会……統一正拳突き理論……?』
その人達とは会ったことがある。正拳突きのデータ取りをしたいというので、いろいろ協力した。
『まァ、シンジくんは物理世界にいるわけだし、正拳突きを物理法則に組み込もうって考えは分かるわ。んで、首尾は?』
『データを取るたびにこれまでの計算が覆されるので、大半が精神を病んでしまい……同好会会長だけが活動を継続していますが、まともな論文は上がってこないですね』
……そんなことになってたのか。確かに、なんかヤバい目つきしてるなぁとは思ったんだけど。
『あ、そ。もう一つのアプローチは?』
『MAGIの思考モデルのさらなる修正で……実はこれはある程度成功しているんです。しているんですが……』
『何か問題が?』
『……これが新モデルの回答文です』
伊吹さんがタブレットをミサトさんに渡すと、ミサトさんはそれを音読し始めた。
『「え〜っ、お兄ちゃんてば、また正拳突きのこと知りたいんだぁ(笑)いつまでも存在しない兵器に頼って現実逃避してるなんて、ほんと雑魚メンタル(笑)ししゃもの尻尾(笑)あ〜あ、しょうがないなあ。お兄ちゃんはツルツル脳みそヨシヨシしてあげないと生きていけないんだもんね? 正拳突きのこと考えてあげるの、あたしだけなんだから感謝してよね?」』
『毎回こんな回答されるの嫌すぎますよぉ!』
『無様ね』
『先輩笑ってません!?』
こんなに煽ってくるAIしか、僕の正拳突きは理解してくれないのか……?
◇ ◇ ◇
「ハッ! ハッ! ハッ!」
綾波さんは何か身体に健康上の問題があるらしく、よく検査で学校を休む。
正拳突きを習うのもおそらく、そんな体質を気にして体づくりの効果を期待しているんだろうな。
もちろん正拳突きは、身体を鍛えることができる。けれど、病気には勝てない。体調に関してはしっかり医師の指導に従うべきだ。ちゃんと検査は受けてほしい。
「ハッ! ハッ! ハッ!」
というわけで、綾波さんが屋上にいない日はたびたびある。そんな日はなぜかアスカも来ないので、僕は一人で鍛錬することになる。
集中できるのはいいことだ。少し、寂しいと思わないこともないけど……。
ん? 音? 影? ……上!?
「どいてどいてぇー!」
「ッ!」
だ、誰!? 空から女の子が……このままじゃぶつかる! かといって吹き飛ばしても危ない……ならっ!
「ハッ!」
拳を突き出し――僕は、その女の子の勢いだけを殺した。
「はれ?」
すとん、と、女の子が目の前に着地する。その後で、バサバサと大きな布が落ちていった。……これは、パラシュートか。
「……えぇ〜、何今の。面白いね」
「正拳突きですよ。それより怪我はないですか?」
「へえ、正拳突き? ……あ、ちょい待ってね」
携帯端末の呼び出し音がして、女の子……他校の制服のメガネ女子は、端末で何か話しながらパラシュートを片付け始めた。
うん……英語で話している。
ということしか分からないな。僕は頭が良くないから。
「……Thanks!」
メガネ女子は端末での通話を切り上げると。
「ん〜」
「ワ!?」
「汗臭い。けど嫌いじゃないな。LCLと混じった汗の匂いも」
首元を嗅いできた。ヒェ、何この子……ん!? LCL!?
「じゃ、このことは他言無用で! ネルフのワンコくん♪」
「ちょっと……!」
メガネ女子が屋上から出ていくのを、僕は……。
……ひとまず、見逃すことにした。
たぶん……いや……確実に、こんな出会い方をするってことは、彼女はヒロイン候補なんだろう。何か事情のありそうな人をネルフに告げ口するのも、ちょっと気が乗らないし……。
……たぶん、またすぐに会うことになるだろう。きっと次のパイロットに違いない。ということは……次の使徒の出現も間近、か?
◇ ◇ ◇
全然そんなことなかった。僕は今、ジオフロントで畑仕事をしている。
使徒の代わりに、雑草を駆逐している。
「ふぅ〜……あいてて……」
「もうヘバッたのかい? 正拳突きの名手もたいしたことないんだな」
腰を伸ばしていると、畝の向かい側から男性……加持さんが笑ってからかってくる。
そう。ここはジオフロント内にある畑だった。
おいおい秘密基地の敷地で何やってんだよと思ったんだけど、周りをよく見たら棚田もあるし、意外と耕作されていた。というか、この畑はレンタルらしい。忙しい都会人のために、日ごろのメンテナンスだけ請け負って畑を貸すという。
……こんなところでよくそんな商売が成り立つなと思ったら、畑を管理している人はそれ専門のネルフの職員だし、レンタルはネルフの福利厚生でタダらしい。なんでだ、ネルフ。
まあ……ここに立てこもるような事態になった時の自給自足用……なのかな?
とにかく、そんな畑に僕は「デート」と称されて連れ込まれ、缶コーヒー1本を報酬に働いていた。……訓練後の休憩中を不意打ちされて、気づいたらこれだよ。
「正拳突きと雑草退治は、体の使い方が全然違いますよ」
「そうかい? 君なら雑草も正拳突きで何とかしそうだ」
「………」
「いや待った、冗談だ、考えるのをやめよう! ここが更地になりそうな予感がする!」
こんな立派なスイカができてるのに、そんなもったいないことはしない。
「ふぅ、恐ろしいな。これが正拳突きの魔力か」
「正拳突きに魔法の力なんてありませんよ」
「不思議な力のことは、古来から魔法と呼ぶものさ。少なくとも、魅了の力はあるようだ」
「はあ」
「葛城のことだよ」
加持さんは苦笑いする。
「久々に会ったっていうのに、正拳突きの話ばかりするんだ。よほど君の正拳突きに夢中らしい」
「そうなんですか」
「ああ。とりあえず二言目には『正拳突きすればよくない?』とか『あんたも正拳突きぐらいしなさいよ』とか『でも正拳突きできないんじゃねえ』とか……人は変わるもんだな」
正拳突きに期待してくれているんだな。……がんばらないと。
「シンジくん」
加持さんは立ち上がると、どこか暖かな目で僕を見た。
「君の正拳突きで、葛城を守ってくれ。それは俺にはできない……君にしかできないことだ。頼む」