知ってる名前の少年に転生したけど、俺には正拳突きしかできない 作:幻覚症状
旧東京湾は、暗い。
人口密集地や工業地帯だった沿岸部を海面上昇による津波でさらわれたせいで、多くの光が失われた。再建された港湾の多くも、ジェットアローンが座り込む埋め立て地からは遠く離れている。
けれど今日はより一層暗かった。作戦のため灯火管制が一帯に敷かれているから、明かりを漏らしている建物がないせいだ。
さらに空一面を雲が覆う曇天。月も星もない暗闇。
……座り込むJAに投げかけられているライトだけが、星のように輝いていた。
『シンジくん、準備はいい?』
「はい」
ネルフのスタッフたちが気球の発進準備を進めていた。すでに黒い布で作られた気球はパンパンに膨らみ、離陸を待っている。
僕は……念には念をということで、黒いピッチリしたタイツみたいな服を着せられているけど……まあ……プラグスーツで慣れてるし、うん。
『気球の操作は覚えた? 基本はこちらから遠隔で行うけど、緊急時やシンジくんが必要だと思ったときは任せるわ』
「さすがに上下しかないので覚えました。大丈夫です」
気球は自力では上下にしか動かない。バーナーを吹かして気球内部の空気を暖めれば浮き、止めれば降りる。横移動は風まかせで、どの風に乗るかはMAGIが計算して選択しているとか。
「パラシュートも飛んで紐を引くだけですし」
パラシュートを使う場合は、なるべく高いところから飛ぶように言われている。低すぎるとパラシュートが開いて減速がかかる前に地面と激突するからだ。
どちらもやることは単純だ。頭のよくない僕には助かる。
気球で新東京湾を横断し、ジェットアローンの……あの子のリアクターを正拳突きで止める。僕がやることは、今考えることはそれだけだ。
『度胸があって結構。予定時刻よ』
作戦開始時間が迫る。僕は気球に乗り込んだ。
「風向き、風速、許容範囲内」
「放球準備完了」
「バーナー全開」
『夜間強襲仕様特殊気球、浮上!』
「係留ロープ解放! 浮上します!」
ふわっと、気球が地面から離れる。思ったよりもぐんぐんと地面が離れていって、すぐに暗闇に飲まれる。
『作戦地点まであと118分。上空は気温が下がる。雨の可能性もあるし、体を冷やさないようにね』
「はい」
体の熱を逃さず反射して内部に留める……というよくわからない素材の布を体に巻き付ける。
気球は遠隔操作でバーナーを点けたり消したり、浮いたり沈んだりした。風まかせの乗り物だから、時には後退したり、別方向に進んだりと、ヤキモキさせられる。
それでも着実に目標地点に近づき……座り込むあの子の姿がよく見えるようになってくる。
投光器に照らされ、体育座りでじっと動かない人型兵器……ジェットアローン。
『夜襲球、第56中継点通過』
『正拳突きポイントまで残り10分』
『対象のセンサーに反応なし、気球に気づいた様子はありません』
『とはいえ光学センサーの分解能的に単独での隠密行動はここいらが限界ね。作戦を第2段階に移行! 飛行隊発進!』
号令ののち、しばらくするとバラバラバラバラ……というプロペラ音が聞こえてくる。そして。
「わ!? ちょっと、なんなのぉ!?」
カッ、と。
近づいてきた何台ものヘリコプターが、周囲を飛び回りながらジェットアローンを強力なライトで照らす。
「うるさいうるさい! それにまぶしい! 何のつもりよ!」
シッシッとハエを払うかのような仕草をするジェットアローン。もちろん、ヘリコプターはその手の届かない場所を飛んでいる。
『飛行隊、展開完了』
『全機、安全距離を確保しつつ旋回態勢』
『このまま光と音でかく乱を続けて』
夜に暗い星が見えないのは、他に明るいものがあるからだ。ジェットアローンのセンサーに光を当てることで気球の姿をくらませ、プロペラの音でわずかなバーナーの音をかき消す。
「はぁ~、あのねえお兄さん。いくらヘリコプターの数を増やしたって無駄だってまだ分からないの? あたしの正拳突きの構えなんかにビビッて逃げてくくせに。もしかしてお兄さんの脳って揮発性~? きゃはッ☆」
『クッ……ガキが……』
『第3段階へ移行して』
『了解。フェーズ3。偽装初号機、起動!』
洋上。
静かにゆっくりと進んでいた空母がライトをすべて点灯する。その甲板に跪いていたのは、マントを羽織ったエヴァンゲリオンMark.06。
甲板上で立ち上がったMark.06は、空母が接舷するのも待たずにひょいと軽く跳び、マントをひるがえしながら埋め立て地に着地した。いくつかの投光器がMark.06を向き、その特徴的な顔面を照らす。
「おっそーい! やっと来たのね、ネルフの初号機!」
初号機の装甲を身に着けたMark.06は……僕が見ても初号機と間違えそうになるできばえだった。Mark.06は、マントを羽織ったまま、電源ケーブルを発電船から引きずりながら歩いて、ジェットアローンと対峙して立ち止まる。
そして。
「やあ、待った?」
喋った。
………。
「シャベッタァァァ!?」
『シンジくん!?』
「ミサトさん、エヴァが喋ったんですけど!?」
『落ち着いて。エヴァーには緊急用の外部音声出力機構があるのよ』
知らなかったそんなの。マニュアルに書いてあったかもだけど……使う機会もなかったし。
『とはいえこちらは指示していないわ。彼、よく機能を知っていたわね』
説明書をよく読むタイプなのかもしれない。いや、月面基地に行くようなエリートなら当然なのかな。
とにかく、そんなエリート……渚くんはジェットアローンに呼びかける。
「せっかく会えたんだ。ゆっくり会話を楽しむのはどうかな?」
「ぷふっ。お兄さんったら、似合わな~い。自分の顔見てそういうセリフ言ったほうがいいよ? あ、事実を見るのが怖くて見れないか。ごめ~ん、あたしって正直だから」
ゆっくりと、ジェットアローンはMark.06の方を向く。
「ってか、あたしは会話とか興味ないから。あたしはね、初号機の正拳突きとかいう非科学的な武装に頼った兵器とは違う。日本重化学工業共同体の造った、地上最強の人型兵器……ジェットアローン! あたしこそが最強なんだから!」
ジェットアローンは……正拳突きの構えを取る。
それは、美しい構えだった。
「ネルフの初号機、あんたを倒してそれを証明するの! さあ、早く正拳突き(笑)とかいうのを構えなさいよ!」
「念のため聞きたいことがあるんだ」
Mark.06と、一瞬目が合ったような気がした。
「……リアクターを正常に戻してくれる気はないかな? そうしたら手荒な真似はしない」
「逃げる気!? 絶対イヤ! ていうか無理! キモイ! いいから勝負よ! 勝負勝負勝負!」
……渚くん。
「仕方ないね」
正拳突きの訓練の最中。
渚くんは汗だくになりながらも口を止めなかった。そうして僕から、ジェットアローンが心を持っているのではないかという話を聞き出した。誰もそうは思ってないみたいだけど、と僕はすぐに話をやめたけど……。
……少しだけ、僕の意を酌んでくれた渚くんは、正拳突きの構えを取る。
「ぷーっ。なにそのへっぴり腰。そんな正拳突きであたしに勝とうなんて浅はかぁ♡」
渚くんの構えは、初心者丸出しだった。
でも……真摯な構えだ。ジェットアローンは、Mark.06が初号機ではないとまだ気づいていない。
「あはっ。くっだらない。正拳突きなんかであたしに勝てると思ってるの? あたしはジェットアローン、科学の申し子! ネルフのロボットなんてあたしの正拳突きで壊してやるんだからぁッ!」
ジェットアローンが、動く。
「破ぁっ!」
ギィン……!
「いったーい! なにこれぇ!?」
ジェットアローンの正拳突きは……ATフィールドに阻まれる。痛めてもいない拳を、ジェットアローンはプルプルと振った。
「さあ、なんだと思う?」
「むか〜っ! お兄さんのくせに生意気! その余裕がいつまで続くのか試してやるんだから! 破ぁっ! 破ぁっ!」
ギィン! ギィン!
繰り返し突き出される拳を、Mark.06はATフィールドで防御する。
『ATフィールド正常に展開』
『威力測定、問題なし。やはりJAはフィールドを破壊できません』
『ようし!』
ミサトさんが明るい声で言う。
『そのままATフィールド全開よ、レイ!』
『了解』
綾波さんが、短く応えた。
――仕組みは単純だ。ATフィールドを持たないMark.06の代わりに、綾波さんの乗った零号機がATフィールドを展開している。
マントの内側……巨大な抱っこ紐のようなモノでMark.06の背中にくくりつけられながら。
零号機は第11の使徒との戦いで、四肢を失っている。そのせいで綾波さんも激しいフィードバックダメージを負ったけど……元から四肢がない状態であれば、痛みはない。
多少シンクロに苦労したらしいけど、無事起動に成功した零号機は、Mark.06におんぶされてATフィールド発生装置扱いされている。
「破ぁっ! 破ぁっ! このっ! このぉっ! なんで! 壊れないの! よぉ!」
「きっと正拳突きの構え、だからかな?」
『あなたもしたら。正拳突き』
『残念ながら指一本でも動かしたら崩れそうだ。これが筋肉痛。リリンはこんな痛みを抱えて生きているんだね。恐れ入るよ』
渚くんは器用に通信に切り替えて言う。
……どうやら正拳突きは打てないらしい。でも、その構えだけで今は充分だ。
『夜襲球、正拳突きポイントまで残り4分50秒』
『いいわ、このまま防御に専念』
作戦が順調に進行している……と思った、その時だった。
「あああっ、もう!」
ジェットアローンが正拳突きをやめ、頭を抱える。
「なんで、なんでよ。正拳突きは最強、バカみたいな威力の近接武器、それを使えるあたしは最強……なのに、なんでこんな壁を打ち抜けないの?」
『ッ! リアクター内圧上昇! 反応加速!』
『何ですって!?』
「足りない、足りない? 威力? 正拳突き? 正拳突き正拳突き正拳突き……! そうよっ! あたしは最強なんだからぁっ!」
ジェットアローンは、構える。
「鍛えれば、お兄さんの弱々な壁なんて壊せるんだから! 正拳突き☆オーバークロックぅぅぅ゙ぅ゙ぅ゙ぅ゙!」
しゅううう……
いつの間にか降り出した雨。ジェットアローンの頭部はそれをすべて蒸発させ、白い煙を上げる。
そして、構えが……変わって、いく!
「――いけない! 綾波さん! 渚くん!」
「キタキタキタキタキタァー! 飛んじゃえ! 正拳突きぃッー!」
ギィン! ドンッ!
「うっ……!?」
『きゃあ!?』
それは、ATフィールドを貫き。
『Mark.06、胸部装甲が粉砕されました!』
『何が起きたの』
『分かりません、いえ――正拳突き現象です!』
『飛ばす正拳突き……!? そんな馬鹿な!』
『零号機脱落、アンビリカルケーブル切断、内部電源に切り替わります』
Mark.06の胸部を穿った。零号機を固定していたベルトも千切れ飛び、零号機は埋め立て地に投げ出される。
「あはっ、お兄さんてば驚きすぎ。ざぁこ。ししゃもの尻尾♡」
「……なにを、したんだい?」
Mark.06が体勢を立て直し、マントを脱ぎ捨てて問いかける。
『碇シンジ正拳突きアドバイザー! 何が起きたの!?』
「成長したんです……!」
ミサトさんに答えるが、その先は彼女自身が説明した。
「知りたいのぉ? お兄さんの変態、えっち。でもいいよ、トクベツに教えてア・ゲ・ル♡ あのね……正拳突きに完成はないの。型を洗練させればどこまでも強くなる。ンフッ、だからぁ」
ジェットアローンは構える。
「あたしの頭の中でずっとずっとずっと正拳突きをシミュレーションするの。そうしたらもっともっと強くなる」
心の正拳突きを鍛えて、彼女は至った。
……だけど、何でだ? 心の正拳突きだって、たくさん打たなければ上達しない。こんな短時間で成長するわけが……。
「そしてあたしは最強の天才コンピューターだから、時間を加速させてシミュレーションできるの。1秒に1回だなんてケチなこと言わない。1秒間に86400回ッ……こんな、ふうにぃぃッ!」
「ッ!」
正拳突きが、放たれる。
「くぅ……っ!」
「渚くん!」
Mark.06は、なんとかその軌道上から逃れ……雨が正拳の形に貫かれ、衝撃波に吹き飛ばされて転がる。
「あはっ♡ ぶざま♡ 非現実的な力に転がされてる♡ 心で打てば強くなるなんてバカみたいな妄想に負けてるよわよわ大人♡」
『クッ……ガキが……!』
『先ほどより威力が上昇しています! このままの成長曲線では危険です!』
『JA、Mark.06を追跡。予定位置から外れました』
『航路を再入力! なんとしてもJAの後頭部に位置を取る! シンジくん、当初計画は破棄! ここから先はいけるときに打って!』
「押忍!」
気球の動きが変わる。けれどゆっくりとだ。ジェットアローンの頭はどんどん離れていき。
「回す、回す回す……正拳突きのルーチンを、ループさせてぇぇ! 発ぁっ!」
ドンッ! グシャァッ!
「ぐッ! ああッ……!」
『Mark.06、右腕損失!』
『神経接続を40%カットして!』
『……!? ダメです、これは……こちらからの制御が無効化されてる……?』
Mark.06の右腕が、正拳突きに貫かれてちぎれ飛び、赤い液体が噴出する。
『……ここまでか』
ミサトさんが、つぶやく。
『現時点をもって作戦要綱を全て破棄! パイロット、およびエヴァー各機の回収を最優先!』
「ミサトさん!?」
『これ以上成長する正拳突きに、今の戦力では太刀打ちできない。残念だけど、私たちの本業は使徒の殲滅よ。こんなところであなたたちを失うわけにはいかないの』
ミサトさんは、諦めるという。
『リアクターが水蒸気爆発すれば、動力と制御装置を失ってJAも停止する。それで事は終わるわ』
ジェットアローンから逃げ……爆発事故を起こし、日本中に放射性物質をまき散らしてでも。
……そんなの、ダメだ。ネルフの立場はすごく悪くなるだろうし――なにより。
あの子も、見捨てることになる。爆発すれば彼女もただでは済まない。
「まだ僕は気づかれてません、やれます!」
『これは命令よ。Mark.06は零号機を回収、飛行して撤退して。飛ばす正拳突きは距離で威力が減衰するから、ATフィールドで防御できるはずよ。シンジくんは――』
『諦めるのはまだ早いんじゃないかな』
『何を――』
『Mark.06のシンクロ率が上昇していきます!』
『右肩部にエネルギー反応――』
ぶくっ、と。
Mark.06の右肩が膨れ、そして――ボコボコ泡立った物体が収縮し、真新しい腕を形作る。
『Mark.06、右腕再生!』
『まさか、自己修復能力!?』
『これでMark.06はまだ戦える。囮としての役割は果たしてみせ――』
「あんた、誰?」
ジェットアローンが、冷たく問いかける。
「初号機じゃない。敵性体? キモイキモイキモイ……!」
『偽装が露呈した模様!』
『なぜだろう?』
『そりゃ初号機は腕生やしたりしない――いや、したけど、それは松代の後なのよバカ!』
「本物の初号機はどこ!? ニセモノであたしを騙そうなんて許せない! 逃げるな! あたしと戦えぇッ!」
Mark.06が突如見せた自己修復能力。そして変装がばれたことで、一時的に指揮所で混乱が起きる。
その僅かな時間で。
――ジェットアローンの後頭部が、気球の正面を向いた。
今しかない。
「……フゥッ!」
僕は、腰を深く落と――
「初号機!?」
「発ッ! 発ッ……!?」
六連発、するつもりだった。けれど、最初の一発を打つよりも前にジェットアローンは振り返った。
ジェットアローンの装甲を透過し、制御棒だけを打つつもりだった僕の正拳突きは不発に終わり――ジェットアローンと、僕の目が確かに合う。
「あはっ。そこにいたんだ、ネルフの初号機! その正拳突きの心、間違いないッ!」
『マズイッ! シンジくん、逃げて!』
「さあ勝負よ! どっちが最強の人型兵器か決着をつけようじゃない! あんたのその正拳突きとかいう妄想、あたしの正拳突きで打ち砕いてやるんだからぁぁあ!」
「ッ!」
くる。
僕は。ジェットアローンは。
腰を深く落とし。
「発ァッ!」「発ぁっ!」
ドガァァッ!
衝突、轟音。衝撃波に風が吹き荒れる。
『JAと第三の少年の中間地点で高エネルギー反応!』
『JAの正拳突きを……相殺した!?』
『そんな馬鹿な。質量比がどれだけあると思っているの!?』
『せ、正拳突きってすげぇぇー!』
さっき見た正拳突きより、また一段成長した正拳突き。
だけど、今の僕なら……今の正拳突きなら、受け止められる!
「初号機のくせに生意気! あたしの正拳突きが正拳突きに打ち勝つんだからぁッ! 発ぁっ!」
「発ァッ!」
ドガァァッ!
ズガァッ!
二発、三発。繰り返し放たれる正拳突きを、相殺する。
相殺しながら、指揮所に連絡する。
「ミサトさん! ジェットアローンは僕が押さえます! だから!」
『……Mark.06! 背後からJAに組み付いて!』
『任せてよ』
ジェットアローンに背中を向けられていたMark.06は、猛然と走り出し――
「は!? キモ!」
『ぐぁっ!?』
綺麗な後ろ蹴りで顎を打ち抜かれて倒れた。
『えっ……』
『え、蹴り……?』
『………』
………。
『……そうよね。近接格闘のロボット。正拳突きだけをインストールしてるなんてわけ……ない?』
『脚もついてるんだから……当然、蹴りもするでしょうね』
『ま、Mark.06転倒。パイロット意識レベル低下!』
『ねえあれ普通の蹴りよね!?』
『特異現象は確認できません!』
『蹴りは普通ね!?』
『資料には達人のモーションデータを反映とありましたが……正拳突き以外は普通に他の人を採用していたようですね』
……正拳突きしかできない僕と違って、ジェットアローンは器用らしい。
「な、渚くん」
「あはっ! あたしほどの世界最強から目を離すなんて、お兄さん礼儀がなってなぁい! 発ぁっ!」
「発ァッ!」
ズガッッ! ガガッッ! ドガッッ!
「この、この、このぉ! なんで、倒れ、ないの、よぉ!」
轟音、衝撃波。
僕とジェットアローンが打ち合うたびに、風が舞い雨が吹き飛ばされる。光が――乱れる。
『相殺の衝撃波、範囲拡大していきます!』
『飛行隊、隊列維持できません!』
『持ちこたえて! 光源を失うのはまずい――』
「ああああっ! 計算ッ! シミュレーションッ! 正拳突きを機体状況で補正してぇぇっ!」
「! いけない、離れて!」
構える――放つ。
「「発ッ!」」
――……ィィィイイイイン! ドンッ!
「くぅっ……!」
耳鳴りのような甲高い音を立てて相殺した正拳突きは、これまでにない衝撃波を広げた。周囲を飛んでいたヘリも、地上の投光器も、すべてが吹き飛ばされる。
訪れる、暗闇。
『光源喪失!』
『飛行隊、態勢立て直します』
『衝撃波の範囲が予測を超えています。この空域での飛行は危険です!』
『しかし光源がないと――』
「「発ッ!」」
ズガアァァッ!
『正拳突き、相殺!』
『ゼロ視界で!?』
「ミサトさん! 僕は大丈夫! あの子の正拳突きを感じるから……だから、ヘリの人たちは逃げて!」
『……気球はもつの!?』
『相殺爆心地から両者までの間は特殊な空間になっているようです! 衝撃波の影響は軽微!』
『……わかったわ。飛行隊は退避!』
遠くで聞こえていた、ヘリの音が消える。
「なんで、なんでなんで……!」
僕と、ジェットアローンだけになる。
「なんで倒れないのよっ! 非科学的な正拳突きのくせにぃ!」
「――もうやめようよッ!」
正拳突きをぶつけ合う。
「正拳突きをこんな使い方しても! 何の意味もないじゃないか!」
「あたしは最強! あたしが最強! それを証明するのよ、ネルフの初号機ッ!」
ぶつかり合うたびに、ジェットアローンの心に触れる。少しずつ、分かってくる。
「君は、人類を守るためのロボットなんだよね!? わかるよ、そういう心の正拳突きだ! だったら、目的は同じじゃないか!」
「初号機に勝つ! あたしが最強! あたしの正拳突きが、超統一正拳突き理論によって証明された科学の力があっ!」
ズンッッ! ズドッッ! ドガァッ!
「あたしは理論を証明して最強になるぅぅッ! 正拳突きメソッドの最適化をしてぇッ! ――発ぁぁぁっ!」
「発ァッ!」
ズガァァァッ!
ひときわ大きな衝撃波が、地上の全てを薙ぎ払う。
「……これでもまだ……足りないっていうの?」
「ジェットアローン! リアクターを止めて! まだ間に合うよッ!」
「足りない……足りない、ならァ……!」
じゅうう、と。
暗闇の中、雨の蒸発する音が鳴り渡る。
「もっともっともっと正拳突きを正拳突きの正拳突きでぇ! 心の正拳突きとかいうバカげたシミュレーションをぉ! 出力200%、オーバークロック、全スレッドで並列処理してえ……ッ!」
「ッ!?」
暗闇の中でも、分かる。
ジェットアローンの、構えが――
「1秒間に86400回なんてケチなこと言わないッ! 5120体のあたしを同時にシミュレーションしてぇっっ! 無限ループさせればあああッ!」
さらに、洗練されて。
「最強のォッ! 正拳、突きィィッ!」
「発ァァァッ!」
――……ィィィィィィイイイッ! ドンッッ!
衝撃波が、天まで届く。雨を貫き、雲を割く。
月明かりが、うつむくジェットアローンを照らした。
「……ジェットアローン?」
その目から。雨が、涙のように流れている。
「あ……あぁ……どうして、どうしてぇ……あ、あ、あ……あああ、正拳突き正拳突き正拳突き……!」
「! 発ッ! 発ッ! 発ァッ!」
正拳突きを、受け止める。
「なんでよ……どうして正拳突きなの……こんな非科学的で矛盾だらけの破綻した理論でぇ……! もう、倒れてよぉ……! 止めてよ、終わってよぉ……! なんなのよぉ! もう嫌ぁ!」
ズガァァッ!
「大っ嫌いよ、あんたなんて……正拳突き、なんてぇえぇえええ!」
「……っ!」
正拳突きがぶつかり合う。
僕は、頭がよくないから計算が苦手だ。
だけど……どう考えても、この成長速度は……5000倍には思えない。だから不思議に思っていた。
「なんなの! 正拳突きってぇ!」
そうか。
ジェットアローン、君は。
正拳突きを……強いられているんだ。己の、心に反して。
「ジェットアローン! もうやめよう!」
だから、正拳突きが成長しない。心の型に、想いがついていかないから。
「君は本当は正拳突きをしたくないんだよね!? ならいいよ! やめようよ! そんな心で打っても……!」
「あたしは!」
ズガァァッ!
「地上最強の人型兵器! そして超統一正拳突き理論の実証機!」
ドガァッッ!
「それを証明することが存在理由! 初号機を倒してもあたしは止まらない、止められない……暴走したリアクターも!」
「そんな……」
「全プログラムを消去しない限りッ! あたしは無敵! だからァァァァッ!」
ジェットアローンが、腰を深く落とす。
そして、打つ。
「「発ァァァッ!」」
ッ……――――――――――――
ぶつかり合い、極大の衝撃波が発生した中心の、静寂の中で。
僕は、確かにジェットアローンの――彼女の心に拳で触れた。
彼女の願い。人類の守護。
その温かい心を蝕むもの――ネルフに対する優位性の証明、統一正拳突き理論の証明……そして……正拳突きの強要。
彼女からすれば理解不能で無意味な行為を、頭の中で何千万回と果てなく繰り返される苦痛。
そして――何者かが流し込んだ悪意、リアクター暴走プログラム。それを止めて人類を守るためには――
「けして――しょごう――あたしの、こころ――」
すべてを。
『リアクター内圧限界です、もう持ちません!』
『水蒸気爆発します!』
『シンジくん……!』
「……ごめん、ジェットアローン」
彼女の心を蝕ばむ悪意を祓っただけでは、彼女の苦痛は続く。
正拳突きを嫌うプログラムを変えようとすることは……心を冒涜することに他ならない。
だから、ごめん。
ごめん、ジェットアローン。
僕には……君の願い以上の答えが導き出せなかった。
「フゥ……ッ!」
腰を、深く落とし。
「しょごうきぃぃ……!」
拳で放つ正拳突きと――
――心の正拳突きを。
「「発ァァァァァッ!」」
重ねて、同時に放ち。
衝撃波が残響を残して消えた後には。
『……JA、停止しました!』
『リアクター反応停止、内圧下がっていきます!』
『爆発の可能性ありません、すべて正常値へ』
『何が起きたというの』
『しゃあっ! とにかく機体を確保するわよ! Mark.06と零号機の回収も急いで!』
何もしゃべらなくなった大きなロボットが、月明かりの下で立ち尽くすのみ。
「……さよなら、ジェットアローン」
僕は、彼女の心に別れを告げた。