知ってる名前の少年に転生したけど、俺には正拳突きしかできない 作:幻覚症状
「行ってきます」
誰もいない部屋に告げて、家を出る。マンションの入り口に降りると、男子生徒がふたり――
「シンジさん、おはようございます、押忍ッ!」
「押忍っ!」
「だからそういうのはやめてって――うわっ!」
直角に腰を曲げて挨拶するという舎弟ムーブをする鈴原くんと相田くんに慌てて駆け寄ろうとして、僕は何か踏んづけてすっ転んだ。
「あいたたた……」
「大丈夫ですか、シンジさん! こんゴミぃ! シンジさんがケガしたらどないするんや!」
「この運動神経でエヴァに乗って戦ってるなんて誰も思わないだろうな」
正拳突きさえ構えていれば転ぶことはないんだけどなあ。
「それにしても最近……なんか街が汚いというか……ゴミだらけじゃない?」
市立第壱中学校に向かう道すがら、僕はあたりの様子を見て言う。ゴミ一つないほどきれいな街! というわけではなかったけど、最近はゴミの量が多い。なんか黒いゴロゴロしたものが、風に吹かれて転がってたりする。
「それはまぁ、仕方ないよ。最近、第3新東京市からの転出が増えているからさ。使徒迎撃のための要塞都市とはいえ、誰も彼もがネルフ関係者ってわけじゃない。その生活を支える労働者がいて、そういう人たちにとっては日々の生活こそが戦いなんだ。だから逃げ出したくもなるってものさ」
「つまり人が減ってるってこと? ……人が減ったらゴミって減るんじゃ?」
「ちゃいますよ、シンジさん。こーゆー道路のゴミは行政は片付けてくれへんのです。せやから地域の人やボランティアが清掃しとるんです」
なるほど。だから人が減るとゴミが放置されるのか。
「それにしても、ゴミありすぎじゃない?」
黒い塊が吹き溜まりに山となって積もってるし、なんだか道路も砂っぽくてジャリジャリする。
「先月ぐらいから大規模なゴミが海から漂着してて、それが風に巻き上げられて第3新東京市まで入り込んでるんだってさ」
「ああ……」
そういえば海の向こうに黒いゴミの群れをみた気がする。あの日、あの新東京湾の向こうに。
そうか……あれからもう一ヶ月なんだ。
◇ ◇ ◇
「JAの最終試験……結果は正拳突きならず、か……」
ぼさぼさになった髪をクシャっとかき回し、くまの浮いた目をこすって眉間を揉みながら、ミサトはため息を吐いた。
「接収したJAは何故か完全に初期化されてたし、開発データから復元しても正拳突き現象は起きず。ダメ元でリアクターを意図的に暴走させた最終試験でもダメ、か……技術部の意見は?」
「マスター前にプログラムに何らかの変更があったか関係者の聞き取りをしたけど成果なし。ハードもソフトも再現できている以上、JAが正拳突き現象を起こしていた理由は不明ね」
こちらもくたびれた様子のリツコがタバコを揉み消しながら言う。
「リアクターから漏れ出した放射線の影響でメモリのエラーが出てパラメーターが変化した可能性を推すわ。ただしそうなると組み合わせは無限に等しい。MAGIのシミュレーションでも再現は不可能と結論されたわ。あれは一時の奇跡ね」
「MAGIは元から正拳突きを信じてないでしょーが」
JAを日本重化学工業共同体から接収したネルフは、無人機による正拳突きを戦力に加えようとしていた。ところが再起動したJAは正拳突き現象を起こさない。
この一ヶ月、なんとしても正拳突きを再現しようと総出で作業と実験を繰り返していたのだが、まるで成果はなかった。
「予定通り、以後JAは第二プランに基づいて運用するわ。いいわね?」
「うぅ〜! ぐやぢい……」
ミサトはイィーッとして机を叩き、突っ伏す。
「……正拳突き可能な無人機があれば、シンジくんの負担を減らせるはずだったのに」
初号機の正拳突きは、使徒殲滅の希望だ。その正拳突きには何度も救われているが、同時に使い手であるシンジ頼りになってしまっていることも事実。
シンジの重荷を減らしたい。
そう思って最近は本部にこもりきりで作業していたというのに、徒労に終わってしまった。
「そのシンジくんと、最近は会っていないようね。たまには家に帰ったら? ひどい顔よ」
「……ちょっち顔を合わせづらくて」
JAの事件以降、シンジはどことなく寂しそうな顔をすることが多くなった。特にJAの話をすると心ここにあらずといった感じになる。どうやらJAに対するネルフの対応にかなり思うところがあるようなのだが、直接聞いても笑ってはぐらかされた。
すごくおとなびた、寂しい笑顔をして。
「年頃の少年の扱いは難しいわ」
「男の扱い、ではなくて?」
「何言ってんの。彼はまだ子供よ?」
ミサトが睨んで言うと、リツコは肩をすくめて別の話題を振る。
「例の正拳突き同好会会長はどうしたの?」
「尋問後は闇の中ね」
日本重化学工業共同体に匿われていた会長は、ネルフの諜報部に捕縛されて取り調べを受けた。松代MAGIの私的占有、情報漏洩、様々な内規に違反し処分が決まっていたのだが、先日から行方が知れなくなっている。
「正拳突きを除けば優秀なスタッフだったのだから、細かいこと言わずに戻して欲しかったわね。ただでさえ人手不足なのに」
「そのことだけど……」
ミサトは声をひそめる。
「……6号機……Mark.06以降の建造計画って聞いてる?」
「私は関与していないわ。ここ最近はあなたと同じくJAにかかりきりだもの」
「消えた職員は、新しいエヴァーの建造に使われてるって噂よ」
「そうだとしたら、上の秘密主義にも困ったものね」
初号機は封印、零号機・2号機大破、3、4、5号機消失。
Mark.06は無事だが、この状況で使徒と戦えるわけがない。S2機関という永久的な動力、飛行機能、自己修復機能を搭載する最新タイプとはいえ、1機だけでは作戦行動ができない。
新造計画が進んでいるのであれば予算不足にも納得がいく。噂が真実であれば助かるのだが……ネルフの上層組織、ゼーレが何か企んでいるのだろうか。
こういう時にこそ、情報通にいてほしいのだが。
「付き添いでお帰りとはね」
◇ ◇ ◇
特別通信室。
やたらとでかくて広いこの部屋に入れるのは、限られた人間だけだ。そしてその人間が他の有資格者を知ることはない。
「やあ、シンジくんのお父さん。そちらも呼び出しかな?」
「……ああ」
「お互い大変だね。それじゃ、ごゆっくり」
だが月からやってきたゼーレの少年はそれを隠すことがなかった。ネルフ本部を好き勝手にうろつく彼とすれ違い、碇ゲンドウは冬月副司令と共に中へ入る。
緑一面の部屋の照明が落とされ、7体のモノリスが投影されて会合が始まった。
彼らこそネルフの上層組織、古代より人類の歴史の裏に存在するといわれる秘密結社ゼーレ、その組織の長。
『真のエヴァンゲリオンが誕生し、残る使徒は一体』
『リリスとの契約の時は近い』
『すべては計画通り』
ゼーレの真の姿は誰も知らない。モノリスからの声だけを人類は仰いできた。
人知を超えた知恵の持ち主、人類に道標を示した偉大な存在、歴史を誘導する影の支配者。
そんな彼らとネルフ司令との会合は。
『しかし計画遂行の障害となりかねない存在がある』
『碇、君の息子だ』
『第三の少年。その正拳突き』
『対処法はあるのかね』
碇シンジ。ゲンドウの息子。
……11年放置したら謎の正拳突きとかいう力を身につけた存在に対する詰問だった。
「………」
ゲンドウは部下からの報告書を思い出す。
〜第三の少年に対するヒアリング〜
『えっ? もうエヴァがなくても使徒に勝てるんじゃないかって? そんなことあるわけないじゃないですか』
『ああ……ジェットアローンの正拳突きを相殺したから?』
『やだな、相殺と攻撃は違いますよ』
『ええと、説明が難しいな……例えば壁を叩いて拳が止まったとして、壁自体には攻撃力はないですよね?』
『ボクシングのミット打ちのミットの側、みたいなイメージですかね。こちらに引いて時間をかけて力を相殺しているので、小さい力でいいんです』
『ああ、はい。ATフィールドは無理だと思います。まだ』
〜技術部の見解〜
第三の少年が仮にATフィールドを中和しその向こうの対象を貫通することができたとしても、使徒撃滅には至らないと考えられる。
その根拠は正拳突き現象の効果範囲にある。正拳突きによって運動エネルギーが発生する範囲は、拳のサイズに限定される。そのため使徒に対し正拳突きを使用しても、その肉体に人間の拳サイズの穴が空くだけであり、例えコアに直撃しても自己修復機能により復元すると予想される。
よって単身での出撃案には技術部としても反対と言わざるを得ない。MAGIのシミュレーションの結果も100%の確率で死亡となっている。
「………」
何をどう話せばいいというのか?
「……常識で測れない力を持っていようと、ただの子どもです。問題ありません」
『制御できるのかね?』
「身体能力はただのヒトです。監視も増やしている。十分に制圧できます」
シンジの身体能力は並、というか同年代の子供の中でもやや下の方だった。大人の力で十分に拘束できる。正拳突きさえ構えさせなければ、銃を持たれるより危険度は低い。
それに、正拳突きには弱点がある。
その性質上、真正面しか攻撃できないし、同時に攻撃できるのは一点のみ。全方位から飛びかかれば、多少犠牲は出ても取り押さえることは難しくない……と保安部も言っている。
……後ろに打つ正拳突き、とか言い出さない限りは。
それから何度か押し問答があったものの、「初号機に乗せなければいいだろう」ということで一応の決着とし、いくつかの議題を話し終えて会合は終了した。
「ずいぶんお前の息子を警戒していたな。処分を受け入れなかったのは、やはり――」
「人類補完計画完遂の時は近い。大詰めに想定外の駒があれば老人たちも動揺するだろう」
老人、冬月副司令の言葉にゲンドウは冷たく応じる。
「覚醒した初号機の封印は想定通りだ。次が死海文書に記された最後の使徒である以上、過剰な戦力も最早必要ない。だが――」
こちらの知らないナンバーを持つエヴァンゲリオンMark.06。外典に記された存在がそれだけとは限らない。
それにおそらく……第11の使徒、あれの出現日をゼーレは知っていた。でなければ月面からMark.06が間に合うわけがない。となれば……第12の、最後の使徒についても出現日を知っていておかしくない。
先手を握られている状況。それならば。
「タブハベース、ゴルゴダベースに動きがある。アレは予備たる資格を得なかったが、盤面をひっくり返す存在にはなり得る。使えるならば使う、それだけだ」
「……そうか」
人類補完計画の発動は間近だ。
しかし……それを待つことはできない。
ここから先はゼーレの計画ではなく、ネルフの……碇ゲンドウの計画を進めなければならないのだから。
「零号機修復を建前に予算も下りた。すべては想定の範囲内、計画進行に問題はない」
「正拳突きを除けば、かね」
「………」
「冗談だ」
冬月の皮肉に、ゲンドウは無言で応えるのだった。