「軍師はテンキと呼ばれていたそうだ」
「テンキ。天気?」
「いや、天の鬼と書いて天鬼。ご大層だよね」
「同感」
とある国のとある場所、交通の要所と言うには少し大げさ、しかしそれなりの人通りがある峠の茶屋にて、濃紺の着物を纏った朝来はぱくりと串団子にかぶりつく。店主らしき同じ年頃の青年は、変わらぬ友の様子に目を細めた。
「相当に兵法の知識があると見たけど」
「そうだね。あまり人前に姿を現さず、本に埋もれるようにして過ごしていたという話だった。相当な勉強家のようだね。かなりの長身で美丈夫だったものだから、城の女性たちは色めき立ってたみたい。愛想はなかったけど自分の身の回りのことに頓着がなくて髪の毛なんかも痛みっぱなしだったから、それがまたお世話してあげたぁいなんて熱を上げる女性もいたそうだ」
「うん、わからん」
「九郎太は相変わらずだね。……ああ、あと聞いた話と言えば」
「なに?」
「好き嫌いなのかな? ちくわやかまぼこをいつも残してたって」
「確定。ありがとう」
「嘘でしょそれで確定なの」
変わった
朝来の同輩の中でも一番のひとたらし、朝来にとっては「人間」の振る舞いを教えた師でもある青年。持ち前の愛想の良さと立ち回りの器用さ、そして忍術学園で学んだ五者の術を駆使し、相手に警戒させることなく情報を抜き取るスペシャリストだ。
もともと人心掌握術を極めることを目標としていた彼は、四年生の終わりにあっさりと忍術学園の退学を決め、こうして婿入りした茶屋の繁盛に努めている。
初恋のひとの家の茶屋を助けたいんだ、だから皆いつでもお金を落としに来てねと悪びれず言い切った彼にクラスメイトたちは大いに目を丸くしたものだが、ちゃんと通いたくなるお店にするからと添えられた言葉に、彼の意図を理解した。
多くが行き来する峠の茶屋はまさに情報の宝庫。彼にこそふさわしい戦場である。
朝来も
朝来自身も何日かドクタケに潜入したが、天鬼がいた当時は急ごしらえで雇われていた者たちも多く、ひとりで情報を集めるには時間がかかりすぎると判断した。そういうときに頼るのが、この
ドクタケの城で働いていた女中たちから情報を抜き取ったという彼は、それで、と食べ終わった団子の串をくわえる朝来に茶を差し出した。
「西の厄介ごとは片付いたの?」
「ああ、……うん。もう少し騒がしいかもしれないけど、避ける必要はないと思う」
そっか、と彼は笑みを崩さないまま相槌を打つ。朝来はそれ以上何も言わない。
しばらく西が騒がしくなるかもしれないからあまり近づかないで――という朝来からの情報は、鳥を介してかつてのクラスメイト全員に通達された。朝来は一切の理由を記さなかったが、それで十分だった。
忍者にとって情報の重みは命の重みに等しい。それでも警告を出してくれる朝来にはむしろ感謝をすべきであって、詳細を言えなどと言えるわけもない。
理由など知らずとも、九郎太がそういうならば、と彼らはいつも従った。結果としてそれはいつも正しかった。
そういえば、と茶を息で冷ましていた朝来が顔を上げる。
「後輩におれの居所を教えたりした?」
「ああ、若王寺くんと桜木くん? 教えてないよ、少し手がかりをあげただけ。ちゃんと九郎太まで辿り着いたんだ、たいしたものだね」
「いいけどさ……あんまり気軽に教えないでよ」
「気軽にだなんて。僕だって彼らのアサガオの種を見なきゃそんなことしないよ」
いやだからあれは別に、と言い募ろうとする朝来を彼は笑顔で封じる。
「でも、誰にでもあげたりはしないよね」
「……」
「あの子たちもそれをよくわかっていた。だから君を探していたんだ」
「……おれは部下なんていらないんだけど」
「いざというときに動いてくれる味方は多い方がいい。それに、最終的に判断したのは僕じゃないよ」
その言葉に、ぴく、と湯飲みをもつ指が動いた。数瞬思考を巡らせた朝来は、その言葉の意味するところを理解し、天を仰いだ。
「
「正解。いま君の家で修行中なんでしょ?」
元気にしてるかい、君の同室は。
その言葉にどう答えたものかと、つい朝来は口をつぐむ。
五年生の終わりに忍術学園を去った同室の彼。最初はぶつかってばかりだったふたりも、いつの間にかともに高め合う仲となっていた。
彼は強い忍者になることが夢だと言った。多くの仲間が学園を去ろうとも、きっと彼だけは――と朝来も思っていたことだろう。
実習中に起きた事故により、彼が二度と走れなくなるまでは。
「……元気なんじゃないかな。もう痛みもないらしいし、山道も歩けなくはない」
「そっか。それにしても、……いや確かに走れないからって忍びの道を諦めるのは早計だとは思うけどさ。まさか君のお父さんに弟子入りするとはね」
「動物好きなのも忍鳥に興味があるのも知ってたけど、あの足であの獣道乗り越えてきたのはさすがに呆れた」
ある日朝来が実家に顔を出すと、何故か夢破れて学び舎を去った同期がそこに。
彼ときたら「おう、おかえり」とあまりに普通に迎えたものだから、朝来もナチュラルに「ただいま」と応え、朝来が正気を取り戻して「いや何で?」と返すまでおよそ十秒。同室の彼はそれはもう盛大に笑い転げた。
今では鳥の世話や調教を学ぶ傍ら、朝来への仕事の依頼の窓口を担っている。面倒な仕事の調整や選別をしてくれているのだから大いに感謝すべきなのだが、何となく癪で礼を伝えたことはない。ちなみにこの事実を知った同期たちは口を揃えて「押しかけ女房だ」と笑い、朝来は珍しくひどく微妙な顔をした。同室の彼もまた同じくである。
次帰ったら締め上げなきゃ、と朝来はいつのまにか空にした湯飲みを置く。
「もう行くよ。情報ありがとう」
「いえいえ。……ああそうだ、九郎太、天鬼と言えばもうひとつ」
「うん?」
「今ではドクタケを去ったみたいだけど、姿を消す直前に自らドクタケの兵の前に立ったんだって。戦支度を解き、集めた兵糧は困窮する民に分け与えるように命じたって」
「……なるほどね」
ごちそうさま、と団子代より少し多い小銭を払い、朝来は軽く屈伸をする。欲しい情報はおおよそ集まった。
次の行き先は決まっている。あとは走りながら考えればいい。
「……九郎太」
「うん」
「終わったことなんでしょう? どうしてそんなに調べるの?」
「おれも何で気になるのかわからない。だからはっきりさせてくる」
「……なるほどね」
そういうことなら行かないとね、と笑う彼にこっくりと頷き、朝来は店を出る。
進むべき方角を向いた同期の背中に、元・学級委員長は手を添えた。
「気をつけて」
ん、と短い声が落ちると同時に消える影。
どこかで木の枝がわずかにぎし、と音を立てたのを最後に、朝来の気配は途切れた。野生に育ち、学園にて磨き上げた朝来の脚力は群を抜いている。
相変わらずの「忍び」らしすぎる身のこなしに、ふむ、と彼は両腕を組んだ。
「……まあ、逃げ損ねることはないだろうけど……」
天鬼がドクタケを去ってからそう時は経っていない。戦支度を解いたとはいえ、まだまだ諸国は互いの動向に気を張っている。そんなときに、フリーとはいえプロの忍者が領地に進入すればどうなるか。
「……面倒くさがらずに歩いて行けって言った方が良かったかな……」
こういった発言を、後の世では「フラグ」と呼ぶ。
結構お気に入りです、彼。