朝顔の忍び   作:ふみどり

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約束

 アサガオの花が萎れると、種を拾い、また来年どこかに植えますと朝来は笑った。穏やかで礼儀正しい好青年にしか見えない笑顔だった。その頃にはもう、土井の前でもその笑顔を崩すことはかなり少なくなっていた。

 彼は確かに、忍者としての己を完成させて卒業を迎えた。涙を流す後輩たちや肩を叩いて励ます教師たちを背に、一度も振り返ることなく学園を去って行った。その背を見て、まったく九郎太らしい、と思ったことを土井は覚えている。薄情という意味ではない。己の決めたことを貫き通す決意の表れという意味でだ。

 朝来が卒業して以来、この学園を訪れたことも、もちろん土井と顔を合わせたことはない。利吉は同じフリーの忍者としてたびたび顔を合わせているそうだが、そのほかには誰も朝来と再会したものはいないようだった。

 

『頓着がないんですよ。相変わらず腹の底が読めないひとです』

 

 いつだったか、朝来と再会したという利吉がそう零したのを覚えている。

 学園のことを忘れたわけではない。だから定期的に情報を流してくれている。かといって、馴れ合いをしたいわけではない。だから文には名前も書かず、学園に顔を出すこともない。

 きっとあのアサガオの種の意味をわかる者がいなくなったとき、朝来からの情報は途絶えるのだろう。それでこそ九郎太らしいと土井は思った。むしろ今も学園に白のアサガオが咲いていることを知ったら、朝来も心底不思議そうな顔で理由を問うかも知れない。あの笑顔が崩れるところを想像するだけで少し笑えた。

 自室に戻った土井は改めて文と向き合う。簡素に折りたたんだだけのそれ。添えられた薬包紙をほどけば、小さなアサガオの種が三粒ほど。

 では、と文を手に取った。無造作に包み紙をとり、中に入っていたつづらに折られた文を開く。綺麗かどうかは判断しがたいが、ただ読むには支障のない字が並んでいる。

 

「……シーザー暗号か」

 

 元の文章の文字を規定の数通りにずらし、意味の通らない文字の羅列に書き換えるシーザー暗号。

 そういえば昔、暗号の指導をしてあげたことがあったなと土井は小さく笑う。暗号に関わる知識はある程度身につけていたが、敵にはわからず味方には伝わるという塩梅が掴めて折らず「これは簡単すぎる」「これは無理がある」を行ったり来たりするような暗号ばかりを提出してきた朝来。最終的に「私の暗号は是非深読みしてください」と宣った頬を伸ばしたものだが、さて、進歩はしたのだろうかと暗号を前に腕を組む。

 シーザー暗号の構造自体は簡単だ。いくつ文字をずらせば良いのか、その鍵となる数字さえわかればいい。

 ざっと見た限り、ヒントとなりそうな数は見あたらない。となると鍵は同じく届いた薬包紙。アサガオの種は三つだったが、さすがにそれは単純すぎるだろう。最初の数文字を三ずつずらしてみたが、やはり意味が通る文章にはならなかった。

 

「となると、アサガオそのものがヒントか?」

 

 アサガオ。朝来を象徴するもの。朝来九郎太。

 ふむ、と土井は改めて頷く。

 

「……九郎太の九とか、……じゃないよな~~~。さすがにそこまで単純じゃないか」

 

 これでも意味は通らない。

 アサガオ、アサガオ、と土井は小声で唱えながらかつての生徒との思い出を探る。彼とアサガオの話をしたことは幾度となくあった。そこからヒントを絞るのは難しい。

 味方に解けない暗号では意味がないと教えたはずだ~~~と唸りつつも、でも学園長先生は毎回これをあっさり解いてるんだよな、と肩を落とす。自身の解読力が低いとは思いたくない。土井にも矜持はある。絶対に解けるはずだと頭を捻った。

 アサガオの種。暗号。朝来九郎太と交わした会話、ともに見たものの中に、必ず手がかりはあるはず。

 脳内を駆け巡る記憶のなかでひとつ、引っかかるものがあった。

 朝来が土井に暗号に関わる書物を教えて欲しいと言ってきたとき。あれは図書館での一件だった。あのときは朝来が本の返却が遅れたことを発端にトラブルが起き──そう、あのとき朝来は歌に関わる本を借りていたのだと言った。

 

「……万葉集、か?」

 

 あのあと暗号の指導をする中で、お前が言っていたとおり「教養」を暗号の鍵にするのもひとつの手だと、万葉集の話題を出したことがある。

 お前が使うならやはり朝顔を詠んだ歌がいいかなと土井が言えば、朝来は確か五首ありましたよねとさらりと返し、そのうちのひとつを諳んじた。

 

『朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけれ』

 

 朝顔の花は朝露に濡れて咲くと言うが、夕闇の光の中でこそうつくしく咲く──確かこの歌は、万葉集の二一〇四番。この数字はヒントとするには大きすぎる。ならば鍵となるのは? この歌が収録されているのは十巻目。鍵は「十」か。

 土井の目が再び文に戻る。冒頭の文字を十ずらす。「さ」「い」「こ」「く」……西国。当たりだと判断した土井はその辺にあった紙と筆をひっつかみ、即座に解読のための換字表を仕立て上げた。

 

「このヒントはちょっと無理矢理過ぎるだろ……!」

 

 ぶちぶちと文句を垂れながら、土井は改めて解読を進めていく。

 解読自体は間違っていないようだが、文章というよりも単語の羅列になっているようだった。土井の脳内で再び「私の暗号は深読みしてください」という開き直った言葉が響く。

 次に会ったら暗号の指導のやり直しだ、と半ば自棄になりながら出てきた単語を書き留めた。

 

「西国……忍者隊……た、い、か、わ、代替わり、かな」

 

 出てきた単語を無理矢理文章に直すならば、こうだろうか。

 西国のとある忍者隊の忍頭が代替わりをしたらしい。新しい忍頭は血の気が多いのか忍者隊の厳格さを改めて示そうとしたのか、刃向かう者は即座に粛正し、隊から逃げおおせた抜け忍の捜索にも改めて力を入れている。その忍者隊の下っ端からかすめ取った抜け忍の手配書の中に、──土井に似た男の姿絵があった、と。

 土井の瞼の裏で月が輝く。血と同じ色の彼岸花が咲き乱れる。昼間にも関わらず夜の暗闇に包まれたかのような違和感。頬を冷や汗がつたった。

 震える手で続きの文字をたどる。呼吸が浅くなるのを必死でおさえた。

 

「ほ、のお、……炎、み、ず、……水? け、す、……」

 

 急に出てくる言葉の毛色が変わった。いったいどうしたと辿ってみれば、──おそらくここからは朝来からのメッセージらしい。

 

『何か無駄に燃えているようですが、適当に消しておきますのでご心配なく。ただし、ほとぼりが冷めるまであまり西には来ないでください』

 

 利吉が「たぶんそんなに深刻な内容ではない」と言っていたことも踏まえれば、これくらい軽く解読するのが正しいのだろう。手の震えが止まった。フラッシュバックした月の記憶を塗りつぶすように瞼の裏で白のアサガオが蔓を伸ばし、花を付ける。

 土井はふっと息をついた。自分が冷静であることを確認し、思考を巡らせる。

 当然ながら、朝来に土井の過去について話したことはない。彼が知っているのは、土井がかつて山田の家に世話になったことがあるという事実だけ。土井らしき男の手配書があったとしても所詮はただの絵、名前も変えていることを考えればそれが土井本人であるという確証はもてなかったはずだ。ただ、新しい忍頭の性質を思えば「似ている」という事実だけで十分に危険だと朝来は判断した。それゆえにこうして警告を寄越したのだろう。

 とはいえ、おそらく朝来は勘付いている。勘付いたうえで、その事実を誰にも言わず、土井に直接文を送ってきた。確実に届いたことを確認できるよう、いつもの手段(とり)でなく忍者(りきち)に文を託してまで。

 

「……九郎太……」

 

 もし朝来の言う「忍者隊」が土井の思うそれであるならば、到底朝来ひとりで敵う相手ではない。しかし朝来は土井のためにと無茶をするような可愛げのある愚か者でもなかった。

 朝来九郎太は誰に忠誠を誓うでもないフリーの忍者だ。誰のために命を賭けることもせず、己の思うままに仕事を選び、それでも仕事が途切れることがないほどの結果を残し、戦乱の世を生き抜いている。つまり、相当に「上手く」生きているはずだ。そんな朝来が、過激な忍者隊相手に正々堂々喧嘩を売るとは思えなかった。

 たぶん、忍術学園(このあたり)に追っ手が来ないように情報の操作でもしてくれるのかな、と土井は息をつく。

 

「まったく……」

 

 無茶はしないと言っても、土井のために動いてくれることに変わりはない。

 土井にとって初めて見送った生徒である彼が、今もこうして自分に心を砕いてくれる事実。それは何ともくすぐったく、わずかに視界がぼやけた。

 しょうがないやつめ、とそんな自分を誤魔化すように雑に文をたたんで文箱に入れる。

 

「あの歌の『朝顔』は『朝に咲く花』の意味合いが強くて、『アサガオ』とは限らないんだけどな。……次に会ったときに教えてやるか」

 

 このあたりの詰めの甘さが相変わらずで可愛いのだと、土井はそっと微笑んだ。

 

 *

 

「渡してきましたよ、文」

 

 忍術学園より西に進んだ山奥にて。ばさりと大きな羽音が響き、一羽の鷹が主の肩へと降り立った。

 枝振りの立派な樹木に寄りかかるようにして立っていた朝来は、そう、と鷹の頬をくすぐるように撫でる。

 

「ありがとう。きみのお兄さんはお元気だった?」

「わざわざからかうような言い方はよしてください。時間がなくて父に託したので直接顔を合わせてはいませんが、お元気ですよ」

「そう、山田先生に」

 

 ならいいか、と目を閉じた朝来はより深く木にもたれた。そのまま静かに目を伏せるが、構わず利吉は言葉を重ねる。

 

「……それで?」

「なに?」

「何だったんです、あの文は」

「え、見てないの?」

「個人的な文を覗き見るようなことはしませんよ」

「何だ、せっかく暗号で書いたのに。普通に書けば良かったな」

 

 どちらにしろ私にはわからないじゃないですか、とぼやく利吉に、くつくつと朝来は肩を揺らす。

 またゆるりと目を開け、たいしたことじゃないよ、と幹から背を離した。

 

「時候の挨拶みたいなものかな。気になるなら土井先生に尋ねるといい」

「……」

「それと利吉くん、もうひとつ頼みがあるんだけど」

「……そこにいる見知った気配のことですか?」

 

 ちら、と利吉は近くの藪へ視線を向ける。先ほどまで誰もいなかったはずのそこに、若い忍者がふたり、膝をついて顔を伏せている。

 

「ご無沙汰しております、利吉さん」

 

 代表してその片方、若王寺勘兵衛が口を開いた。隣の桜木清右衛門もまた、口を閉じたまま礼を深くする。

 春に忍術学園を卒業したばかりの彼らのことは利吉も知っている。卒業以来顔を見たことはなかったが、今も纏う忍び装束が彼らの現在を物語っていた。久し振りだねと声を掛ければ、ようやく彼らは顔を上げ、微笑みを見せる。

 

「彼らに仕事を?」

「察しがいいね。まだまだ未熟だけど、数ヶ月で私を探し出した程度の力はある。何か紹介できる仕事があったら回してあげてほしいんだ。私はしばらく単独で動くから」

「まあ、構いませんが……」

「悪いね。──勘兵衛、清右衛門、学園を卒業したからにはもう子ども扱いはしないよ。将来有望という言い訳が使えるうちに結果を出しなさい」

 

 は、とふたりは同時に応え、姿を消す。

 おや、と利吉はひとつ瞬き。

 

「……何か申しつけたんですか?」

「夕飯用の肉か魚を確保してきてくれって頼んだんだ。在学中の上下関係をまだ引きずってるんだから可愛いよね」

「ていよく使われて気の毒に……」

「本当に。慕う先輩は選ばなきゃいけないよ」

「貴方が言わないでくださいよ」

 

 朝来が学園を去ったとき、目に一杯涙を溜めて見送りに来てくれた若王寺と桜木のふたり。慕われている自覚はあったがまさかそこまで、とわりと驚いたことを朝来は覚えている。

 どうかお元気で、と結局号泣してしまったふたりに、さすがにちょっと困った朝来は己よりもまだまだ小さい手にいつものそれを握らせた。例の如く、ほかに渡せるものを持っていなかった。

 これをあげる、と渡したのは、本当は特に意味なんてないはずの小さな小さな約束の証。

 

『好きにしていい。植えても、捨てても、毒にしてもいい。私がお前たちに渡したという事実が大事だから』

 

 手の中のアサガオの種を見たふたりは、それをしっかり握りしめて涙を拭いた。ようやく泣くのをやめたふたりの頭を撫でてやったものだが、まさかそれを今も後生大事に持っているとは思わなかった。

 再会したとき、私を探すよりまず仕事を探しなよ、と心底呆れた様子で言った先輩に、少しばかり自慢げな顔で後輩たちはこう答えた。

 

『仕方がないでしょう。頂いてしまいましたから』

『貴方から、アサガオの種を』

 

 どこら辺が仕方がないのかさっぱりわからないと溜息をつく朝来を前にしても、強かに育ったふたりは笑うだけ。

 朝来としてはこれから()()()()に首を突っ込もうというタイミングで自分を見つけて欲しくはなかったが、利吉に押しつければとりあえずはしのげるだろう。利吉が元忍たまに不義理をすることはないし、少々気は短いが面倒見はいい。

 悟られる前に全部片付けてしまおうと、朝来は西に顔を向ける。

 

「……何を企んでるんです」

 

 わずかに纏う空気を変えた朝来に、利吉は薄気味悪そうに尋ねた。

 この男は基本的に淡々と忍務をこなす優秀な忍者だが、時折非常に型破りになることを利吉はよく知っている。なぜならわりと結構巻き込まれているので。

 はは、と軽く笑った朝来は、首だけで振り返って答えた。

 

「傍迷惑なクソ野郎に、ちょっとした嫌がらせをね」

 

 己のアサガオ(みかた)に手を出すことを、朝来九郎太は許さない。




ハーメルンへの投稿は一応ここまでの予定です。
この後、軍師後の先生との再会やほか小話を添えて書籍化の予定。
5/3のスパコミに持ち込みます。よろしければ遊びに来てください。
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