朝顔の忍び   作:ふみどり

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閑話 ひとのこころ

 山田伝蔵にとっても、朝来九郎太は可愛い生徒のひとりである。

 朝来が一年生のときはどうなることかと思ったが、二年、三年と学年が上がるごとに「人間」の振る舞いを覚え、「忍者」として生きる術を身につけていった忍者のたまご。卒業後はフリーでプロの忍者として働くと聞いたときも、朝来ならば大丈夫だろうと思えるほどの成長を遂げていた。

 ただ、それが決して楽な道のりではなかったことも知っている。学びという意味でもそうだが、何よりも――多くの友人との離別を経験したという意味でだ。

 忍術学園から退学者が出ることは珍しくない。六年生になるころには入学時の半数以下しか残らないのは普通のことだ。だが、たったひとりの六年生は珍しかった。

 

「寂しい、なんて言葉すら……知らなかったのでは、と」

 

 朝来は、学園を去る同輩に別れを惜しむ様子を見せたことはない。お決まりのようにアサガオの種を渡し、再会を約束するのみだった。五年生の終わりにずっと同室で過ごしていたライバルを見送ったときも、変わらず。

 ただ、六年生になった朝来は確実にアサガオの前に立つ時間が増えていた。

 早朝に床を片付け、アサガオに水をやり、実習をこなし、雑務を引き受け、後輩たちの面倒を見、自己鍛錬を欠かさず、忍務を完遂し、夜は身体を休める。そんな毎日を過ごす彼だが、ふと気付いたときにはアサガオの前で何をするでもなく佇んでいる。

 こちらが話しかければ変わらぬ笑顔で応じる。アサガオの前に立つ理由も、本人の口からも「何となく」以上の言葉は出てこない。おそらく「何となく」以上の答えを探す気がそもそもないのだろう。そうしてその奥にある感情から目を背けているように見えてならなかった。

 忍たまも忍者も関係なく、せっかくできた友人たちと離れて寂しくない人間などいないというのに。

 ひとりきりになってしまった朝来の様子に、さすがの山田も思うところがあった。だから、許すことにしたのだ。

 本来ならば苦言の一つも呈すべき、生徒に愚痴や弱音をこぼす「若い人」の愚行を。

 歳が多少近くて話しやすいからと、鍛錬という建前で生徒をからかう土井の弱さを。

 無論、土井が早く学園に馴染み、教師として生きる道を定める一助になればいいと思ったことも否めない。

 アサガオの前に佇む「独り」と、未だ月夜から逃れられぬ「独り」。ただ、彼らが「二人」であるときの後ろ姿は、常より少しだけ力が抜けて見えたから。

 教師と生徒にしては近く、されど友人というには遠い。そんな曖昧で名前も付けられない関係だから見せられる顔がある。交わせる言葉がある。ほんのひとときだけのことだとしても、彼らが自身の抱える「痛み」を忘れる時間ができればと。

 そう思ったんですよ、と山田はヘムヘムから湯飲みを受け取る。皺だらけの口元にくっきりと笑みを刻んだ学園長は、そうじゃのう、とふうふうと湯飲みに息を吹きかけた。

 

「そういえば昔、九郎太に土井先生を見てどう思うかと聞いたことがあってな。土井先生には秘密にしてやるからと口を割らせたのじゃが」

「生徒に何しとるんですかアンタ」

「まあ聞きなさい。九郎太はな、生意気にも『安心した』と答えよった」

 

 安心、と山田がつい繰り返すと学園長は面白そうに頷く。

 朝来は土井が相当な手練れであることも、それだけの腕がなければ生き残れない環境にいたことも察していた。それなのに他者を尊ぶ柔い心根の持ち主であることも、よくわかっていた。

 だから安心した、と朝来は答えたという。

 

「ひとを想う心を捨てずとも、優秀な忍びになれる」

 

 それを土井が証明してくれた、と。

 山田の眼がわずかに見開かれる。ほっほ、と伝説の忍者は肩を揺らした。

 ヒトから人間になった朝来。仲間となったクラスメイトたちから与えられ、学び、自ら培ってきた他者を想う心。プロになるなら捨てるべきなのだろうか、と朝来は朝来なりに考えていたらしい。学園長に言わせれば「何を心にもないことを」「そんな殊勝なことを考えるお前ではあるまい」「どうせ捨てろと言っても捨てぬくせに」というところだが、とにかく朝来は考えていた。

 だが、土井を見て朝来は「よし!」と考えるのをやめた。

 ひとの心をもったままでも、優秀な忍びになれる。朝来の目から見てもお人好しがすぎると思えるほど甘くとも、強くなれる。この戦ばかりの世を生き抜くことができる。ともすればそれはより苦難の道になるかもしれないが、それでも構わなかった。

 朝来は、「朝来九郎太」として友人(みかた)に誇れる忍者になりたかった。その道が確かに在ることを、土井は確かに体現していた。

 

「それは……、」

 

 数年越しに聞いた生徒の本音に、山田の喉がごくりと動く。

 うむ、と学園長は重々しく頷いた。

 

土井先生以外(あたしたち)にはひとを想う心がないと思ってたってことですかね九郎太は!」

「いやまったく生意気じゃろう? ほかの先生たちは取り繕いが上手すぎてその辺りがよくわからんとか何とか抜かしおってな。つい教師としての在り方を考えたわい」

 

 本音を隠す忍者のならいがこんな弊害を、あの青二才めが、どこまでも生意気な、と口々に言いながら、他者を想う心とともに忍びの道を邁進する若き忍者と、その道を選ばせた「若い人」を想う。

 

「……これだから教師は辞められんのう、山田先生」

「まったく、仰るとおりです」

 

 仕方がないから来年もアサガオを植えてやるかのう、あれは先生の仕業でしたか、へむぅ、そうかヘムヘムも水をやってくれていたのか、道理であんなに綺麗に花を咲かせていたわけだ――そんな軽やかな会話が、学園長庵に響く。

 




言葉で説明できないものは、わからないままでいてしまうので。
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