人生やり直して、妻を幸せにします!(妻は男になっているものとする) 作:ルードリヒ
妻が死んだ。
末期の癌で、長い闘病の末この世を去った。
葬式を終え、妻の遺灰を受け取ったとき、震える手が止まらなかった。
妻と暮らしていた場所は、一人になった自分にはとても辛く、逃げるように狭いアパートへ引っ越した。
妻のものも自分のものも、多くを捨て、それからの日々は、ただただ仕事に没頭した。
苦痛ではなかった、忙しくしている間は悲しまずに済むから。
妻のいない長い時間が過ぎ去る。
体は衰え、これまでの無理が祟ったのだろう、仕事場で脳卒中で倒れたそうだ。
病院の、狭い一室。
小さな本棚には、最後まで捨てることのできなかった妻とのアルバムがある。
妻は、写真の裏側に一枚一枚、撮った場所と日にちを綺麗な字で大切そうに書いていた。
写真を撮るのが趣味で、欲しいと言っていたカメラをプレゼントしたときは、内緒で高い買い物をしたことに怒られもしたが、しかし最後には嬉しそうにありがとうと、笑顔を浮かべていた。
看護婦が一枚、アルバムから取り出してくれた。
最後に妻と撮った写真。
髪は抜け落ち、痩せ細った姿はとても辛そうで、それでも笑顔を浮かべる妻はとても綺麗だった。
妻の笑顔を思い出す。
涙が止まらない。
会いたい、会いたい、会いたい、会いたい。
何年、何十年時は過ぎ、冷たくなった妻を抱き締めた日からずっとそれだけを考える。
自分の腕のように皺の入った古い写真を握り願う。
神様がいるならどうか、どうか。
「もう、いち...ど」
抱き締めたい。
視界が揺れる。
「...さ..ん!先生、..さんが!」
意識は深い穴に落ちるように不明瞭になっていった。
.
..
...
意識は戻り、いまの私は、若い女性に抱かれていた。
変な意味ではない。
文字どうりの意味だ。
大の大人を抱き上げるこの女性は巨人かと思ったが、私の本能は彼女に抱かれている状況に、抗いがたい安心感を抱いていた。
しかも彼女、見覚えがあるのだ。
母だ、私が小学生の時、交通事故で亡くなったはずの母だった。
混乱する、視界を動かし自身の手を見る。
まるで赤ん坊のような手をしていた。
この場所はどこなのか、先と変わらず病院内ではあった。
しかし標識には、私のいた終末医療ではなく、産婦人科と書かれていたのだ。
状況を少しずつ飲み込んでいく、あり得ないことが現実におきたと理解して。
次に感じたことは、神様への感謝だった。
やり直す機会を与えてくれたことへの深い感謝を。
「お母さん、可愛い"女"の子ですよ!」
助産師の言葉に母は笑顔で頷き、"私"に頬擦りした。
「可愛い可愛い私の娘、どうか健やかに育ってね」
感謝、感謝...、かん、しゃ。
あぁ神様。
これはないんじゃなかろうか。
私は男ではなく、女として生まれ直したのだった。