男ノ助   作:山田甲八

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この物語は史実に基づいている部分もあるが、架空のものであり、登場する人物、場所、施設、役職などの固有名詞はたとえ実在のものがあるとしてもすべて架空のものとして描かれている。
またこの物語は純然たるエンターテイメントであり、時代考証、風俗考証は元より正確を期していない。



十 幕府の終焉

 元治元年、森養竹はついに躋寿館講師に昇任し、幕府の月俸を受けるようになった。今でいうところの東京大学医学部教授に登りつめたのである。

 翌慶応元年四月、比良野貞固(さだかた)の妻かなが四十九歳で帰天した。この後、貞固は養子房之介との男やもめ生活に入ることになる。六月には渋江家の六男翠暫(すいざん)が十一歳で夭逝した。

 翌慶応二年には渋江家に寄寓していた伊保の父山内忠兵衛の妾(しょう)牧が伊保の手厚い介護を受けつつ七十七歳で帰天した。

 比良野家ではかなの帰天から日が経ち、貞固の周囲では「後添えを」という声が日増しに強くなっていた。男やもめでは藩留守居役の務めを果たすことは難しいというのが大方の意見だった。

 貞固は「五十を超えた花婿になりたくない」といってなかなかこれに応じていなかったが、日が経つにつれやもめ暮らしの限界に気付き始めていた。

 ちょうど、この頃になって大須という茶坊主の娘照を娶れと勧める者がいて、貞固の心が少し揺れ動き、貞固は伊保に相談した。伊保は結納前に本人同士が直接会うのも気が引けるだろうから、誰かに見に行かせてはどうかと貞固に助言した。

 そこで貞固は津軽藩の留守居役所で使っている下役杉浦喜左衛門を麹町の大須の屋敷に派遣して、照を見に行かせた。杉浦は老いてはいるが堅実な人物であり、貞固の信頼は厚かった。大須の屋敷から戻った杉浦は嬉々として貞固に報告した。

「それはそれはお美しい姫で、言葉遣いも、立ち居振る舞いも、文句のつけようがございません」

 杉浦は照の美しさを盛んに称賛した。貞固は杉浦のことを心底、信頼していたので、決心し、比良野大須両家の結納は取り交わされ、婚礼の儀はこの秋に比良野邸にて執り行われることとなった。

 

 さて、婚礼の当日がやって来た。小春日和の一日、伊保は貞固の屋敷で花嫁の到着を待ち受けることになった。

 比良野家は代々津軽藩留守居役の家系ということもあり、その台所は火の車であっても他藩の手前、屋敷は武家の中でもとりわけ立派なものであった。屋敷は広く大きく、道純を失った渋江一家の引き取りを申し出ても決して恥ずかしくないほどのものであった。庭も広く、紅葉が色づき始め、中ほどにある池には鯉や亀が泳いでいた。

 貞固は婚礼を前に落ち着かない様子であった。その様子を見て伊保は婚礼の儀が貞固にとって初めての経験であることを思い出した。

 先妻かなとは駆け落ちであり、家出同然に結ばれたのであって、これが貞固にとっては初めての婚礼だった。

 そして、昔は多くの家庭でそうであったようにこの日が新郎と新婦にとって初対面であった。

 伊保と貞固が窓辺に向かい合って座っていると、ようやく花嫁を乗せたかごが到着した。貞固はかごから出てきた花嫁を見て驚いた。

 背は低く、肌の色は浅黒く、顔はというと鼻は低く、口は尖っていて、歯が出ている。杉浦の話とは真逆の花嫁がかごから出てきたのである。

 伊保は貞固を見た。

「姉さん。あれが花嫁ですぜ」

 貞固は苦笑いをして言った。

 貞固はすぐに杉浦を呼んだが、杉浦は屋敷のどこにもいなかった。

 どこに行ったのか屋敷の下人に問うと、貞固の馬を借りて、どこかに乗って行ったとのことであった。

 婚礼の議が始まるにはなお、時間がかかった。何といってもこの婚礼、人違いなのかもしれないのである。しかも当事者の一人である杉浦は行方不明になっていて、今ここにはいない。花嫁も待たせたままである。

 そのうち、杉浦が息も絶え絶えに帰ってきて、伊保と貞固の前に出て、額の汗をぬぐいながら言った。

「誠に申し訳ございません。私の失態にございます」

 杉浦はその額を畳に着けた。

「一体、何がどうなっているのだ?正直に申してみよ」

 貞固が言い、杉浦が顔を上げた。

「はい。私は身分を明かし、お照殿にお近づきになりたいと大須様に申し込み、大須様からも委細承知とのお返事をいただき、過日、大須様の屋敷に参ったのでございます。その手続きには何の落ち度もございませんでした」

「うん」

「私が当主の大須様と歓談している席にご大層なお化粧をして茶を運び、しばらく私の前に座って時候のあいさつをしたのはかねてより申し上げた通りの美しい姫でございました。ですから私はその美しい姫こそがお照殿と信じて疑いようもなかったのでございます」

 杉浦はしどろもどろになりながら説明した。

 伊保も貞固の隣で杉浦の説明を聞いている。

「では今日、ここに参った嫁御は何者なのだ?」

 貞固が重ねて聞いた。

「今日、こちらに参った嫁御は、その日、菓子鉢か何かを持ってきて、客間に入ってすぐに出て行った娘にございました。私は下女の一人くらいにしか考えておらず、よもやあれがお照殿とは思いもしませんでした。それで、あまりの間違いでございますので、比良野様のお馬を拝借し、大須家へ駆け付けて尋ねましたところ、ごあいさつをさせた女はご当主のご子息の嫁であるとのご返事でございました。私はお照殿とご子息の奥方とを間違ったのでございます。まったく私の粗忽にございました」

 言って杉浦は改めて頭を下げた。

 貞固は腕を組み、目を閉じた。伊保と杉浦も黙り、沈黙の時間がしばし流れた。

 そのうち伊保が「どうなさいますか?」と貞固に問うた。

「御破談にするよりほかございますまい」

 傍らから杉浦が言い、続けた。

「私があの日、一言、あなたがお照様ですね?と念を押しておけば良かったのです。すべて私の責任です」

 言って、杉浦はうなだれた。

 聞いた貞固は組んでいた腕をほどき、伊保の耳元に口を寄せて杉浦には聞こえないよう伊保にささやいた。

「姉さんはどうお考えでござるか?」

「どうとおっしゃいますと?」

 伊保も杉浦に聞こえないよう、ヒソヒソ声で貞固に応える。

「拙者はどうすべきかということでござる。このまま破談にしてよいものかどうか・・・」

「どうするか?と尋ねられればこのまま盃を交わすべきですという答えになります」

 伊保は表情を変えず、冷静に言った。

「本気でござるか?」

 ヒソヒソ声の貞固がたじろぐ。

「あたり前です。比良野様ももう五十過ぎ。器量好みをする歳でもないでしょう」

「それはそうでござるが・・・」

 貞固が言いよどんだ。

「それに、もし破談となったら杉浦様が責任を強く感じられてご自害されてしまわれるかもしれませんよ。それは比良野様が望むことでもありませんでしょう。そもそもこれも一つの縁、比良野様が杉浦様の言を信じられた結果なわけですから、比良野様には受け入れる責任があると思いますが」

 伊保は真剣な顔で貞固に進言した。

 言われた貞固は眼を閉じ、腕組みをして頭を回してみせたがそのうち眼を開き、居住まいを正してから、一つ深い息をつくと少し離れてかしこまっている杉浦を見据えた。

「もう良い。杉浦もそんなに自分を責めなくとも良い。拙者はこの婚礼を受け入れましょう。坊主を恐れるわけではないが、喧嘩になっては面白くない。それに拙者はもう五十を越している。器量好みをする歳でもないと言われればその通りでござる」

 言って、ようやく婚礼の儀は始まり、夫婦は盃を交わした。

 照はこの時三十二歳だった。器量悪しがたたって縁遠かったのだろう。

 

 貞固と照の婚礼が無事に終わり、何日か過ぎたある日、貞固が伊保のもとを尋ねてきた。

 表向きは公用であったが、それは口実で、貞固は別の話を伊保にしたいがためにわざわざ訪ねてきたようであった。

「姉さん、少しお話したいことがあるのでござるが」

 仏壇に手を合わせた貞固は振り返って伊保を見据えた。

 仏間には線香の香りが漂う。

「何でしょう?」と伊保。

「お照のことなのでござるが」

 貞固は何か言いにくそうに、珍しくもじもじしていた。

「どうかしましたか。いつもの比良野様らしくありませんが」

 伊保は冷静に対応する。

「・・・姉さんは、実は大須のことを知っていたのではござらぬか?」

 言いにくそうにしていた貞固は意を決したように、一息に言った。

「ええ、存じていました」

 伊保は特に言い訳することもなく、素直に答えた。

「やはりそうでござったか」

 伊保があまりにも素直に認めたので貞固はむしろ拍子抜けした。

「やはりとおっしゃられますと?」

 伊保が首を捻る。

「お照のこと、最初から姉さんが仕組んだことだったのだと」

「仕組んだというのは少し穏やかではありませんね」

「言葉が悪かったかもしれぬが、お照のことは大須に頼まれていたのでござるか?」

「お照様について大須様から相談を受けていたのはその通りです」

「大須とはどういう間柄なのでござる?」

 貞固は少し前かがみになった。

「大須様のことは私が江戸城大奥に奉公していた時から存じております」

「そうでござったか」

「しばらくご無沙汰していたのですが、道純が直参になった時に盛大な宴を催しましたでしょう?そのときに、たまたま大須様とお会いしたのです。私のことは覚えておいででしたが、道純に嫁したことはご存知なかったようで、驚かれていらっしゃいました」

「しかし、大奥に奉公していたのは随分と前の話では?」

「そうですけれど、私は大須様の目の前でとある若様を組み伏せていますので忘れ難かったのでしょう。その若様が私のことをまだ許しておらず、いつか仕返ししたいと言っていると私にそっと耳打ちしてくださいました。だから気をつけろと」

「なるほど、姉さんらしい話でござる」

 貞固は苦笑した。

「その時はそれで終わったのですが、先日、たまたま町中でお会いする機会がありまして、お照様のことを相談されたのです。娘が行き遅れていて困っていると。器量悪しゆえに縁遠いと。その時比良野様が後添えを探していらっしゃることは承知しておりましたので、それならばお照様を比良野様の後添えにと考えたのです」

「別に後添えを探してなどはござらん」

 貞固は憮然とした表情で腕を組んだ。

「失礼しました。後添えを必要としていたと言い換えましょう」

 聞いて貞固は一つ大きなため息をついた。

「杉浦を大須の屋敷に出向かせたのも姉さんの計算だったのでござるな。杉浦に見に行かせるように進言したのは姉さんでござる」

「私は杉浦様にとまでは申しておりません。どなたかに見に行かせればと申しただけです。もっとも、誰かに見に行かせればと申し上げれば比良野様は杉浦様を大須様のお屋敷に差し向けるだろうこと、もし杉浦様が大須様の屋敷に上がればお照様とお美しいご子息の嫁御様とを間違われるだろうことは分かっておりましたが」

「なるほど、杉浦が粗忽ものであることも計算通りだったと。拙者は姉さんの策略にまんまとはまったのでござるな」

「そうです。ものの見事にはまって下さいました。でも、比良野様、悪い縁ではなかったのではありませんか?」

 伊保が微笑み、貞固も微笑んだ。

「その通りでござる。人を外見で判断してはならぬとは分かっていながらなかなかできないものでござるな。お照は、器量はともかく優しいおなごでござった」

 

 鳥羽伏見の戦いで明けた新年はまだ慶応四年だった。後にこの年は明治元年と呼称されることになる。

 この激動の年は渋江家にとってもまた激動の一年であった。

 津軽藩では数年前から道純が唱えていた国勝手の議がようやく動き始めていた。

 安政三年、道純は藩政にそのくちばしを入れていた。

 国勝手の議とは江戸詰めの藩士を藩主順承(ゆきつぐ)以下有力者数名とし、隠居の先代信順(のぶゆき)他家族及び家臣の大半を弘前に帰国させるということである。

 これは当時の状況を考えると理に適った意見であった。

 参勤交代に基づく藩主家族の江戸詰めは幕府に人質を提供することがその目的である。また、国許と江戸との往復、江戸での滞在、特に江戸屋敷の維持には莫大な費用が掛かり、藩の力を削ぎ、幕府への抵抗を少なくさせる。

 しかし、この頃の将軍家は外交問題の処理に腐心しており、諸藩も含め、冗費の節約に舵を切っている。津軽藩の台所事情も豊かなはずはなく、冗費の節約は喫緊の課題となっていた。江戸詰め藩士は藩の財政を苦しめこそすれ、目に見える価値を生み出すことはない。

 この議には同調する者もあったが、江戸詰め藩士の反応は冷ややかであった。貞固もこれには激しく反対し、道純と貞固は絶交するに至っている。

 江戸詰めの藩士は江戸に生まれ育った者が多く、むしろ国許になじみがない。現代の東京一極集中化と同じように、若者は江戸を目指すのであり、藩の命令とはいえ、馴染みのない弘前に帰国したくないのが本心である。江戸は日本の中心、食も文化も娯楽も楽しいことがそろっているのだ。

 地方の者は江戸を目指すし、江戸に生まれ育ったものは江戸から離れたいとは思わない。特に弘前への帰国を名指しされた隠居信順の怒りはすさまじかった。

 津軽藩士の国元への引き揚げが実行に移され、最後まで江戸に残っていた渋江家にも江戸引き揚げの命が下り、伊保は亀沢町の邸宅を売り払い、四月十一日に江戸を出発することになる。

 この日は江戸城無血開城の日であり、最後の将軍、徳川慶喜は謹慎所の寛永寺から水戸へ出発し、同日をもって江戸城は新政府軍の手に渡っていた。

 江戸出発を前に伊保は家族ともども、渋江家の菩提寺、谷中の感応寺に墓参りに行った。感応寺は東京芸術大学の北側の寺が密集する場所にある。

 江戸を離れればもう二度と江戸の地は踏めないかもしれない。渋江一家にとっては道純との二度目の永遠の別れになるかもしれない墓参であった。

 渋江家一行は当主成善十二歳、母伊保五十三歳、陸(くが)二十二歳、水木(みき)十六歳、専六十五歳、矢島優善三十四歳の六人と若党二人であった。

 既に新政府に帰順している津軽藩一行にとって江戸から弘前への東北縦断は奥羽列藩同盟の敵地を進むことを意味し、過酷な旅であった。

 街道は行けず、厳しい峠を越え、随所で尋問を受け、しまいには当主の成善に女の格好をさせた。

 ようやく弘前に着いた渋江家一行はしばらく土手町の古着屋に下宿し、後に富田新町の家に移った。

 矢島周禎一家も弘前に引き上げてきて、周禎は表医者奥通へと進んだ。

 翌明治二年になると、九月に四女陸が津軽藩士矢島文一郎に嫁し、矢島文一郎は馬回り役に任じられた。

 翌十月には優善が土手町に家を持ち、周禎のところに身を寄せている鉄を迎え入れた。しかし、既に鉄は二十三歳になっており、かつてのように優善の甘言に騙されることはなかった。

 夫婦間に愛情のないことは誰の目にも明らかであった。ただ、愛情がないだけではなかった。鉄は矢島家が周禎に乗っ取られてしまったことで露骨に優善を非難したのである。

 伊保は何度となく夫婦間の調停に入り、さらには周禎に交渉し、再び周禎に鉄を引き取ってもらおうとしたが伊保の努力はことごとく不発であった。

 そして、十二月二十八日、ついに優善が失踪した。伊保は手分けして料理屋や妓楼を捜索させたがついに優善の消息はつかめなかった。ただ、後になって優善の書置きが発見され、優善が東京に向かったことは明らかになった。

 翌明治三年になると津軽藩士の禄は大幅に削減されることとなり、さらに医者の降給が命じられた。これは渋江家の台所事情を直撃した。渋江家の若き当主成善は当時、十四歳にして藩学の助教に任ぜられており、医官としての務めを果たしてはいなかったが、渋江家が元々医官の家だったことから減棒の憂き目にあった。

 社会はいまだ激動しており、渋江家もその真っただ中に置かれていた。

 優善の行方が未だ分からず、成善の減棒が渋江家の台所を揺るがしている中、専六の問題もまた伊保の心を痛めていた。

 成善は言わなくても本を読んだが、専六は言っても本を読まなかった。読書せよと言うとその理由を聞いてくる。伊保は早々に儒者への道を諦め、意を決し、専六の頭を剃り、医者への道を歩ませようとした。

 伊保は弘前の城下に師となるべき医師を探し、小野元秀を見つけてきた。

 小野は専六の師にふさわしい立派な医師であった。病人がいればどんなに貧しい者のもとにも、どんなに遠方にもはせ参じた。食事中であっても、寝ている時であっても、何があっても医業を優先させた。診療所には誰よりも早く入り、誰よりも遅く帰った。これは小野の若い時の経験に基づいていた。小野が十六、七歳の頃、父が夜、急病を発した。小野は医師を呼びに行ったが、医師はこれに応じなかった。小野はこの時の経験を終生の戒めとしたのである。

 小野は専六にとって過ぎた師だった。しかし、専六はこの、伊保が腐心して準備した状況に応えることができなかった。

 専六は周囲の期待に反し、兵士の格好を好み、兵士との付き合いを深め、明治三年の五月にはとうとう軍楽隊士官見習いの辞令を受けるまでになっていた。

 慣れない弘前での生活、減給された成善、行方不明の優善、そして制御できない専六、頼みの比良野貞固は津軽行きの船が難破するなどトラブル続きでなかなか弘前に来ることができない。

 この頃の伊保はストレスマックス状態だった。

 

 年も押し迫ってきてようやく貞固が弘前に到着するとの連絡が伊保の耳にも入った。

 伊保はすぐにでも貞固に会いたい気分だった。そして渋江家を取り巻く諸問題を貞固に相談したかったが津軽藩留守居役の貞固は、まずは登城して政務をこなさなければならず、伊保のもとになかなか来ることができない。

 弘前到着の知らせを聞いた伊保は富田新町の家の前をウロウロし、貞固の到着を今か今かとしびれを切らし、我慢できなくなると若党を城にやって様子を見に行かせたりしていた。

 そのうち諦めて家でゴロゴロしていると途端に貞固がやってきて伊保は飛び起きた。

「比良野様!」

 伊保はそのまま貞固に駆け寄り、貞固の両腕をつかんで涙ぐんだ。それを見た貞固は思わず微笑んだ。

「姉さん、・・・随分と皺が増えましたな」と貞固。

「皺だけではありません。白髪も増えました」と伊保。

 そこにはかつての力強い伊保はいなかった。いつもなら何か言い返してくるはずなのに。

 それから二人は客間で向かい合い、茶をすすりながら江戸引き上げからこれまでのことをポツポツと語り合った。

「・・・ところで姉さん、専六のことなのでござるが」

 しばしの会話の後、唐突にそう切り出す貞固に伊保はやや身構えた。専六を始め、このところ家族を襲う不幸に後ろめたさを感じることが、いつになく伊保を弱気にさせている。

「専六に何か間違いがございましたでしょうか?」

 間違いがあったか?と問われれば答えはイエスである。医師を目指す息子が机に向かうことなく、兵隊ごっこに興じていること自体が既に間違いである。そのことは渋江家の事実上の当主である伊保が最も痛切に感じていた。

 直接、顔を合わせることはできなかったが、何回かの手紙のやり取りで貞固にも専六の現状については伝わっているはずである。

「最近はつとに兵隊の真似事をされているようでござるな」

 それを聞いて伊保はため息が出た。

「文にしたためた通りです。道純の遺命を守り、学に努めるようにと思っているのですが、成善や優善のこともあり、何より弘前での生活にもいまだ慣れず、思うようにことが進みません。私自身、心を痛めているところです」

 城でも噂になっているのだろう、それを聞いて貞固は少し微笑み、

「別に専六や姉さんのことを咎めようと思っているのではござらん。専六について一つ提案したいことがござってな」

 言って貞固は少し前かがみになったが伊保は「はあ」と一息ため息をついた。

「実は弘前に着いてすぐに登城したのでござるが、そこで元藩主側役の戸沢惟清(いせい)様にお会いしたのでござる」

「はあ」と再びため息交じりの伊保。

 戸沢惟清のことは伊保もよく知っていた。大酒飲みではあったが、どんなに飲んでも飲まれることはなく、戸沢は伊保にとっても好感の持てる人物だった。

「戸沢様とは本当に久しぶりで、お互いの無事を喜び、世間話というか情報交換を少ししたのでござるが、戸沢様から本所横川邸に山田源吾という番人がいて、養子を探しているという話を聞いたのでござる。戸沢様は山田の親戚筋にあたるのでござるが、山田は齢(よわい)を重ね、病気を持ち、門番の務めを果たすことが難しくなっており、役を後に譲りたいと考えているのでござるが、不幸にも子がござらん。それで養子をという話になっているのでござるが、その話を聞いたときにふと専六のことが頭に浮かんだのでござる。そこで、姉さんに相談なのだが、専六を山田の養子にやったらどうでござろうか」

 説明を聞いて伊保は心の中で唸った。

 渋江の家を心配してくれる貞固の気持ちをありがたいとは思うのだが、道純は目見の地位にあった者。その息子である専六を、いくら武士とはいえ、門番の養子にするとは格が違い過ぎる。

「せっかくのお申し出に異を申し上げるようで申し訳ないのでございますが、門番ということはお目見以下ということでございますね?」と伊保。

「いかにも目見以下ではござるが」と貞固。

「渋江の家は確かに今、色々と問題を抱えてはおりますが、元々は奥医者の家柄でございます。それは比良野様も重々ご承知のことと存じますが」

「山田は、今は番人でござるが、元はといえば、信順公の側用人を務めていた男でござる」

 それを聞いて伊保は首を捻った。

「側用人をお務めになられていたお方が何故、番人に?」

「信順公のご意向に逆らったため、永の暇(いとま)になったのでござる。永の暇になってからは三十年ほど、他家に仕官するでもなく、商いを始めるでもなく、純然たる浪人としての日々を過ごしていたのでござる」

 聞いて伊保はさらに首を捻った。

「ではその三十年もの間、山田様はどうやって糊口(ここう)をしのいでおられたのですか?」

「街に出ては唄を歌い、銭を得ていたと聞いてござる」

 聞いた伊保は目を見張った。

「何と。では乞食をされていたということですか?」

 聞いた貞固は少し微笑んで首を左右に振った。

「乞食ではござらん。立派な、いや、立派ではなかったかもしれぬが、れっきとした武士でござる。そんな極貧の生活を送っていたのに、山田は刀剣や紋付、裃は質に入れることなく、大切に持っていたとのことでござる。このことが何を意味するかはお分かいただけよう」

 「武士は食わねど高楊枝」ということわざがあるが山田はそれを実践していたということなのだろう。少し沈黙があり、伊保が口を開いた。

「なるほど、山田様が立派なお方だということは分かりました。しかし、それにしてもです。いくら専六が兵隊ごっこに遊んでいるからといって、いきなり老養父の世話を押し付けるというのは酷な話です。専六はまだ十七歳なのです」

 伊保が少し強い口調で抗議した。貞固はもう一度微笑み、もう一度首を左右に振った。

「姉さんの心配はもっともでござる。しかし、それは取り越し苦労でござる」

「取り越し苦労とおっしゃいますと?」

「つまり、山田は老い、病にふせっているということでござる。恐らく、縁組が相成り、専六が東京に到着する頃には、山田は既に天に召されているだろうということでござる」

 聞いて伊保は訳が分からなくなった。山田は老い、病ゆえに職を全うできず、養子を欲していると理解していたからだ。この先、長くないことが分かっているのであれば、何を憂うことがあろうか。

「ではなぜ比良野様は専六を養子にとおっしゃるのですか?老養父のお世話をさせようというのでなければ何か別に目的があるのでしょうか?」

「山田が養子を欲しているということ聞き、拙者は渋江家のことが脳裏をかすめたのでござる。この状況、渋江家のためになるのではないかと。ここはもっと実利的考えてみたらいかがでござろうか?」

「実利的とおっしゃられますと?」

「姉さんは専六のことはもちろん、成善や優善のことでもご心労なのでござろう?」

「確かに心を痛めてはおりますが」

 聞いた貞固は一つ大きくうなずいた。

「成善はこのまま弘前に骨を埋めるつもりではなかろう」

 それを聞いて伊保はそれまでのモヤモヤが一気に吹き飛んだ気がした。

「江戸に帰れるのですか?」

 言った伊保の声は思わず明るかった。伊保にとって東京は行くところではなく、帰るべき場所なのだ。

「すぐには無理でござる。しかし、ここ弘前には成善を遊ばせておく場所もあるまい。いわんや勉学をする場をやでござる。専六が東京にいれば、成善が上京する際も何かと便利なのではなかろうかとそう考えたのでござる。そして東京にいるはずの優善の消息もそのうち知れるだろうと。・・・それと・・・」

「それと?」

「成善もそうだが、姉さんもだ。姉さんも弘前に骨を埋めるつもりはなかろう」

「その通りです」

 伊保は頬が緩んでいくのが自分でもハッキリと分かった。

「では、専六の養子の件、ご異議なしということでよろしいでござるな」

 伊保は力強くうなずいた。貞固は笑い、伊保も微笑んだ。弘前に来て初めて見えた希望の光だった。

 専六は山田源吾の養子となり、直ちに東京に向かった。

 

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