教室の窓から見える空は、まるで絵に描いたような真夏の青だった。遠くの空に浮かぶ入道雲と、蝉の声。廊下の隅で回っている扇風機の生温い風。室内ではクーラーが効いているはずだけど、汗ばむ首筋がひんやりする気配はあまり感じられない。俺は机に突っ伏すようにして、ペットボトルの冷たい水を一口、また一口と飲んでいた。
昼休みがそろそろ終わりかけた頃。時計の秒針がじわじわと進む音さえうるさく感じる。僕は息苦しさを紛らわせようと大きく息をつき、周囲を見渡してみた。
──すると、案の定、視線の先に彼女がいることに気づく。
宝多六花。俺の、恋人。ごく普通の高校の教室で、しかも真昼間に、こんなにも心を掻き乱されることになるなんて、自分でも驚くくらいだ。
彼女は教室の後ろにある空き机に腰掛けて、友達と楽しそうにしゃべっている。窓から挿す光が黒髪のロングを照らし、その一筋一筋が艶やかに揺れている。宝多六花は身長こそ155センチと小柄だが、どこかクールで近寄り難い雰囲気があって、昔からクラスの男子の間では「高嶺の花」だと囁かれてきた。
でも、彼女の根っこはとても優しくて、人に頼まれると「えー、めんどくさ」とか言いながらも断れないお人好し。そんなギャップに心を奪われていた俺にとって、いま隣同士に座れるような関係になったこと自体が不思議で仕方ない。
今日の六花は、白の半袖ブラウスに短めのスカートという普通の夏服姿。だけど、その姿がどうにも俺の視界を離さない。彼女の“下半身がグラマラス”という自覚は本人がたびたびこぼしていたとおりだが、俺からすればそれは魅力以外の何物でもない。細すぎず、柔らかい曲線がしっかりと感じられる足。スカートの裾から覗く太ももは、エアコンの冷気と夏の熱気が入り混じる空気のせいで、どこか湿ったような光沢を帯びて見える。
距離があるからか、その細かい汗の粒まで見えるわけじゃない。でも、うっすらと透き通った肌からは体温が伝わってくるようで、見ているだけで不思議に俺の心拍が高まる。
彼女は友達に何か言われて、ちょっとくすっと笑った。相手に合わせているだけのようにも見えるが、時折楽しげに大きく笑う瞬間があって、その度に背中のラインが微妙に揺れる。それに意識を奪われていると、友人たちのざわめきや廊下で話している上級生の声が遠のいていく。見透かされたくなくて、思わずペットボトルの水をあおった。
そのとき、彼女と目が合う。
明らかにこちらの様子に気づいたらしく、黒目がちの瞳がじっと俺をとらえた。すっと片方の眉が上がり、頬の端にかすかな笑みの影を宿す。やがてその笑みが形となって、いたずらっぽい口元になった瞬間、俺は体内を熱い血流が一気に駆け巡るのを感じた。まるで急激に室温が上がったかのように息苦しい。扇風機の生温い風が、余計に火照った肌をさらにくすぐってきて落ち着かない。
「あれ、なに見てんの?」
隣にいた友人が、俺の視線に気づいてニヤニヤとした顔を向けてくる。
「いや、別に……」
生返事しか出てこない。友人は「ふーん」と含みのある調子で返して、また別の話を始めた。助かったけれど、胸の鼓動はさらに速まっている。バレたらどうしようという恥ずかしさと、でも彼女がこちらを見つめ返してくれる喜びが奇妙な混合液のように喉の奥を通り過ぎる。
六花は引き続き友人と話しているが、時々「そっち」に意識を向けているのを俺は見逃さない。いや、わざと見逃さないようにしている。彼女は机の上で微妙に体の向きを変えながら、太ももに片手を置き、もう片方の手でソックスのゴムの部分を軽く引き上げている。半袖から覗く腕も華奢で、手首のあたりが少しあせて白っぽく見えるのは、夏の日差しから守るために日焼け止めを塗っているからだろうか。
そうした小さな所作の一つひとつに、俺はまるで観察日記を書いている学生のように敏感になってしまう。さわさわと揺れる髪の毛、日光を浴びてキラッと瞬くまつげ。鼻筋の通った横顔を眺めていると、クールと言われる彼女の中に確かに潜む“少女のあどけなさ”が見え隠れする。俺だけに見せてくれる笑顔があるという事実が、どうしようもなく愛おしい。
そんな視線のやりとりが続くうち、昼休みの終了を告げるチャイムが教室に響く。
「次、移動教室じゃん。めんどくさー」
「体育じゃなくてよかった」
周囲が一気にざわつくなか、彼女はスッと机から降りる。軽く跳ねるような動作のせいでスカートの裾が揺れ、下半身のラインがほんの一瞬だけ強調される。その瞬間、彼女はチラリと俺を見て、フッと笑った。もしかすると俺が凝視していたことに気づいているのかもしれない。そんな想像をすると、心臓が破裂するんじゃないかと思うほどにドキドキが止まらない。
授業が始まり、俺は席に戻ってテキストを広げるものの、当然集中できるはずもない。先生の声が右耳から入って左耳へ抜けていく。蚊の鳴くようなセミの声が遠くに聞こえる中で、彼女の後ろ姿ばかりが頭にちらつく。肌にまとわりつく湿度と、抑えきれない昂ぶりが混ざり合い、脳内はもうすぐ沸騰してしまいそうだ。
ふと気がつくと、小テストのプリントが配られている。机の上に置かれたプリントを見ても、なかなか文字が頭に入らない。歯がゆい気分でペンを握って問題を読み始める。前の席では、彼女が黙々と書き込みを進めている気配がある。集中しているように見えて、時折ペン先が止まっているのを後ろからでも感じる。ああ、きっと彼女も同じなんだろうな。こんな空気の中じゃ、まともに勉強なんてできないよな……なんて、勝手に期待してしまう自分がいる。
テストが終わり、授業も一区切りついたころ、再びチャイムが鳴る。廊下からは部活や移動の声が聞こえてきて、教室の中は一時的に行き来が激しくなる。彼女が友人に
「今日はちょっと用事あるから」
なんて言うのが聞こえた。どんな用事なのか、俺は自然と気になってしまうが、あからさまに声をかけるのも照れくさい。いろいろ迷っているうちに、彼女は鞄を持ってサッと教室を出ていってしまった。
「なんだよ……」
出遅れて後を追うわけにもいかず、スマホを取り出して時間を確認する。すると、ちょうどその瞬間に画面が振動して、メッセージの通知が表示された。送り主は「宝多六花」──俺は無意識に息を呑む。
「お疲れ。今日の小テスト、どうだった?」
短い文面。それでも彼女が先に声をかけてくれたのが嬉しくて、胸がじんわりと温かくなる。俺はキーボードを打ちかけては、何を書けばいいのか妙に迷ってしまい、結局ありきたりな返事に落ち着きそうだ。「あんまり書けなかった」程度しか頭に浮かばない。
なぜこんなに意識してしまうんだろうと自分で思いながら、画面とにらめっこしていると、再びスマホが小さく震えた。
新着メッセージ。今度はどんな内容だろう。まさか彼女、さっきの笑顔について何か言うのか……そんな期待と焦りが一気に膨れ上がって、俺は若干手が震えるのを感じる。吸い込まれるように指先で通知を開いたら、そこに表示されていたのはたった一行の文章だった。
「今日、家にお母さんいないんだ」
その言葉を読んだ瞬間、教室の風景が一気に遠のくような、視界が歪むような錯覚を覚える。脳裏には、机の上に腰掛けてイタズラっぽい笑みを浮かべていた彼女の姿が、はっきりと焼き付いていた。
(おわり)